第一七話:第一層スラムストリート
フェレスは三珠たちを引き連れ、オロス第1層の貧民街を歩く。
痩せこけた女性が子供たちの手を引き、ぼろ屋の軒下に隠れながら、フェレス一行を睨みつける。
茣蓙を敷いて座る老人が、「金を恵んでくれ」と3人に手を伸ばす。
フェレスとピスカにぴったりと引っ付き、三珠は眉根を下げていた。
実際に見ると、かなり抵抗があるのだろう。
整地されていない路地は、荒野の赤茶色に土がむき出していて、第2層までの清潔な空気は打って変わり、独特の臭みが充満していた。
入浴もままならない人々から出る体臭か、それとも荒野に張りつめた元々の臭いなのかはわからないが、長居したい場所とは思えない。
「三珠さん、大丈夫ですか?」
「あっ、平気。ごめんね、私の方がお姉さんなのに心配かけちゃって」
「仕方ないさ、慣れてないんだろう?」
「私はスラム育ちですから。才能を買われて、教会に引き取られましたが」
「もしかして、ピスカちゃんを拾い上げてくれたのが……?」
「はい、お姉さまです。上層の生活に慣れたのもあって、私もスラムの空気は苦手です。大切な人たちが住む場所ではあるのですが」
「しかし、レナはどうして俺たちを送り出す時に笑ってたんだ?」
フェレスは首を捻って考える。
魔術の鍛錬を切り上げ、レナ司祭に話を付けに行ったが、どういうわけか、彼女を何かを企んだ風に、「よろしくお願いします」とフェレスを送り出した。
あの頭がいい愛弟子のことだ。目論見があるのだろうが、フェレスの固い頭ではどうしようもない。仕方なく、フェレスは愛弟子に乗せられてやろうと思う。
2人の少女を引き連れ、フェレスが先を急いでいると――
「真皇教団は間違っている。我らを真に愛してくれたのは、暗君と罵られた神のごとき王である!」
ふと、そんな内容の演説が聞こえてきた。
反真皇教団派の異教徒だろう。かつて暗君と呼ばれた王こそ、《《真に世界を救う英雄だった》》と、そう信じて疑わない盲信的な狂信者だ。
彼らは志半ばで倒れた暗君を崇拝し、王が死して1000年経過した今でも権威復活を説く。
暗君の崇拝者には特に貧困層に多く、演説者の老人もまた古びた祭服を着ていて、伸び放題の髭と長い白髪が印象的な、しわの多い老人だった。
「うるせえよ、邪教徒が! 黙ってろ!」
「な、何をするんじゃ!」
「こんな所で暗主崇拝の演説するんじゃねえよ! 第1層の評判がもっと悪くなるじゃねえか!」
「それこそ、真皇教団の狙いじゃ! 暗君を崇めなければ、我々は救われん!」
「もういない王をってか!? 意味わかんねえんだよ!」
「別に悪い教団じゃない。逆らっても、得るもんなんてねえだろ!」
演説者の老人は、チンピラ風の男2人に絡まれていた。
血の気の多そうな長身の獣人種と、その連れらしき人間種の2人組だ。
ストリートスラムを拠点とする若者グループのメンバーだろう。
老人は胸倉をつかまれ、そして頬を殴りつけられる。
くぅ、と老人は悲鳴を上げ、背後のボロ家の壁に押し当てられた。
体の弱い老人だ。力の強い若者2人に勝てるはずもなく、自分の勝利を確信した血の気の多そうな獣人の男が、老人に歩み寄ると、追い打ちをかけようとする。
「あんなの酷すぎる!」
「お、おい! 待て、三珠!」
フェレスの呼びとめも聞かず、三珠は若者と老人の間に割って入る。
その人の好さは三珠の美点でもあり、欠点であるとも思う。
考えるより先に、気持ちが前に出すぎている。
危なっかしい多感な年頃の娘なのだから、一概に否定することはできないが。
「君たちさ、流石にこれは酷いんじゃないかな?」
「なんだ、この女。上層の人間か?」
「おいおい、お嬢ちゃん。俺たちのシマで、でかい顔するのやめてくれない?」
「つぅか、暗主崇拝者を庇うとか、お前もそっち系なわけ?」
「あれじゃね? 上層の人間が、俺らと遊んでほしくて下りてきたとか?」
「そりゃいい、顔はそれなりにいいしな。お楽しみの後は、闇市にでも売ってやるか? それなりの金になりそうだしな」
「えっ、何? やめて!」
野卑な笑みを浮かべ、チンピラ風の男の1人が三珠の手首を掴む。
必死に抵抗する三珠だが、筋肉質な獣人族の力は強く、引きはがせないでいる。
言わんこっちゃない。フェレスの予想通りの結果になってしまった。
獣人の男は手首を握る力を強め、三珠は痛そうに片目を閉じる。
フェレスは仕方なく、近場にあった角材を手に持ち、こんこんと肩を叩く。
「よし、やるか」
「あの、フェレスさん? どうして木の棒を持ってるのですか?」
「いやな、あいつらを背後から襲ってやろうと思ってな」
「ええ! それはあまりに外道ではありませんか!」
「若い奴を2人も相手にできるかよ。これが一番救出できる確率が高い」
「だからって、そこまですることはないような気がするのですが……」
「けど、このまま三珠を行かれるわけにもいかないだろ?」
「そこには同意しますが……わかりました、協力させてもらいます」
「じゃあ、頼むぞ」
フェレスはピスカの背中を押し、男2人にゆっくり距離を詰めていく。
男2人が三珠に気を取られているというのなら、わざわざ正々堂々と止めに入り、乱闘騒ぎに付き合ってやる必要はない。付けこむ隙があるのならば遠慮なく、男2人を叩くだけだった。
クズだ、卑怯だなど、言いたければ言えばいい。
もっとも効率的で勝率が高く、無駄な体力を消耗しない方法を実行すると、それこそが長年の経験の果てに、フェレス=エディーダという男が到達した流儀なのだ。
もし仮にフェレスに圧倒的な才能があれば、こんな非道な手段を使わず、カッコいい大人として、少女を救えたのだろうか。
理想を抱くのはやめよう、もうそんな年じゃない。
ピスカは三珠の助けに入り、男たちを呼び止める。
「待ってください! 彼女をどこに連れてゆく気ですか?」
「ピ、ピスカちゃん! ダ、ダメだよ、今来ちゃ!」
「んん? お嬢ちゃんの連れか?」
「おいおい、こっちも上玉じゃねえか――っても、その服は教団の……」
「いや、流石にねえだろ? 教団の人間が下層になんて下りてくるかよ」
「つまり、教団の制服をパクったのか? 確かによくいるんだよな、そういう奴。教会信徒のふりをして、スラムでも偉ぶってた男がいたな」
「そんな悪いお嬢ちゃんには、お兄さんたちが教育してやらないとな。そんで俺らが満足したら、とってもいい場所に連れてってやるよ」
ふはっ、とチンピラ2人は一笑しあい、人間種の男がピスカに手を伸ばす。
ぎゅっと目を閉じたピスカは、祈るように手を組んで神に許しをこう。
「神よ、お許しください。穢れた神官の私は、悪魔の囁きに応じてしまいました」
「ああん? お嬢ちゃん、今更怖がってんのか?」
「いやいや、お前らの冥福を祈ってるんじゃないか?」
「はあ? ――がっ!」
獣人種の男は角材で後頭部を殴られ、前のめりに倒れ込み、男の拘束から解放された三珠は、ちょっとだけ引いたようにフェレスを見た。
助けられた身としてはなんとも言えないけれど、ここまでしてよかったのだろうか。そう感じたふうに、少女は獣人の男に申し訳なさそうな顔をする。
一方、仲間がやられた人間種の男は、頭に血を上らせてフェレスに毒を吐く。
「てめえ、クソジジイ! 何しやがる!」
「いやな、俺の連れが世話になったみたいだからさ」
「うっせえ! このゲスオヤジ、死ねや!」
人間種の男は腕を振りかぶり、フェレスの顔面を殴りつけようとしたが、その拳は透明の結界に阻まれ、ぐっ、と男は苦しげな声を上げて蹲る。
チンピラ男からすれば、意味もなく石壁を全力で殴ったのと同じであり、彼は腕の痛みに耐えるように、手の甲を握りしめる。
「くそっ! このおっさん、仲介屋の人間かよ!」
「相手が悪い。引くぞ!」
後頭部を押さえた獣人種の男が指示を出し、人間種の男を引き連れて逃げていく。「小娘共が命拾いしたな!」と、ご丁寧な捨て台詞まで残して。
フェレスは角材を放り投げ、邪悪な笑みを浮かべて男たちに手を振っておく。
もはやどちらが悪役なのかわからない。
「フェレスさんの計画通りですか?」
「まあな、防護バングルしてないのは確認しておいたしな」
「抜け目ないですね。お姉さまから聞いてはいましたが」
「あの手のイキったガキ共は、一度くらい痛い目見ておくべきなんだよ」
「それで更生するでしょうか?」
「無理だな――けど、次からもっと慎重になるだろう」
俺の若い頃もあんなだったかもな、とフェレスは懐かしむ。
フェレスの横顔を眺め、ピスカは呆れるように困った顔をした。
「あの、大丈夫ですか? おじいさん」
「これはこれは、優しい娘さんもいたものじゃ」
三珠に手を差し伸べられ、老いた老人は彼女の手をとり、そして彼は抜け落ちた歯を見せ、三珠の手の甲を撫でまわす。助けられた恩義を感じたというには、あまりに不気味な笑みだった。
びくんと肩を震わせた三珠は、咄嗟に手を引っ込める。
「この恩義は、いつかお返ししますじゃ」
「あっ、うん。おじいさん、気を付けてね」
「ほんに、優しい娘さんじゃな。わしも、次からは教義の場所を変えようかの」
丁寧なお辞儀をして、老人は立ち去ってゆく。
三珠は手の甲を擦り、眉根を下げつつ、無理をした笑顔で老人を送り出す。
「暗主崇拝者、か」
フェレスは気掛かりなこともあり、老人の背中を追う。
そして自分のこめかみを突き、フェレスは懸念を抱いていた。




