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遥か永劫の敗北神  作者: 輪叛 宙
第一部:オロス編 そして負け犬は少女と出会う
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第一三話:泡沫の夢

 夢だ――少女は夢を見ている。

 何もない真っ白な空間は、まるで霧がかかったように、遠くまでは見渡せない。

 そこに自分の他にも小柄の少女がいた。

 彼女の容姿は靄に隠され、はっきりと見ることはできないが、ただ儚げに揺れる美麗な銀髪だけは、少女の目から離れなかった。


 ――あなたは誰?


 そう思う。正体不明な少女の影が、自分に問いかけた。

 

『望みは叶いましたか、マスター?』

「望み? 何のこと?」

『マスターにも、この世界の言葉が届くようにしました』

「ねえ、私の話を聞いて!」


 少女は対話をするように頼むが、影は一方的に語り続ける。


『私は自動書記グリモワール、世界の在り方を記し観測を続ける者』

「観測者? あなたは神様か、何かなの?」

『見つけてください、受け入れてください――この私を』

「えっ? 待って!」

『時が来れば、マスターは知ることになるでしょう。世界の上に存在する、どこまでも果てのない知識の深淵を』


 影の少女がどんどん遠ざかっていく。

 少女は必死に追いかけるが、彼女が霧の奥に消えていく方が速かった。


 ――その時に、どうか私の心がマスターと1つになりますように


 どこか悲しむような声が、真っ白な空間に反響する。

 そして、少女は目を覚ます。



    ◇


 

 夜が明ければ、朝が来る。天津三珠が目を覚ましたのは、宿屋のベッドの下だった。

 どうやら睡眠中に動き回り、見事に落下してしまったらしい。頭がぼんやりとする。

 何か大切な夢を見ていたような気がしたが、うまく思い出すことはできなかった。

 

「ここ、どこ?」


 三珠は寝ぼけ眼でとぼけたことを言う。

 見慣れない景色だ。自分のよく知るアパートの一室とは違う。

 床も壁も、天井すらも石造りの奇怪な部屋――


 ああ、そうだったのだ。


 三珠は見ず知らずの世界で目覚め、昨日、フェレス=エディーダという男に拾われ、彼の間借りしている宿に泊めてもらったのだった。

 いまいち実感がわかない。自分が大事故に遭い、生死の境をさまよっているがゆえに、こんな白昼夢を見せられているのだと、そう言われても信じるくらいだ。

 それでも夢ではないのだから、三珠は現実を受け入れ、意識を覚醒させてゆく。

 

「――って、この格好はまずいでしょ!」


 睡眠中に着崩れていたのか、寝間着の胸元が盛大にはだけていた。

 下着をつけていなかったから、胸が丸見えになってしまう。

 フェレスが三珠を女の子として見ていないにしても、これはまずい。

 男性と一緒の部屋でする格好ではなかった。三珠は顔を赤くし、慌てて身だしなみを整えると、恐る恐るフェレスのベッドを覗き見る。


 が、三珠の羞恥心は不安で上書きされた。

 

 三珠の隣のベッドで寝ているフェレスが、熱っぽいうめき声を上げ、苦しそうに悶えていたからだ。

 額に浮かんだ汗も尋常ではなく、彼は何かの病気もちだったのだろうかとさえ疑う。

 どう対処すべきかはわからないが、せめて三珠は体を拭いてあげようと考えて、部屋に常備されていた布タオルを手に、三珠は浴室に駆け込む。

 そしてサファイヤのボタンを押し込み、布タオルを冷水で濡らした。

 ぎゅっ、と布タオルを絞った三珠は、それを持ってフェレスの所に戻る。


「フェレスさん、しっかりして!」


 三珠はフェレスの被った布団をまくり上げる。

 まず彼の浮かべた額の汗を拭きとった。フェレスの髪を優しくかき上げ、苦しげな彼のうめき声を聞きつつ、脂汗をタオルに染み込ませていく。

 次はフェレスの寝間着を脱がす。

 

 と、あまりの痛々しいフェレスの上半身に、三珠は息を飲んだ。

 筋肉の付きがよく、腹筋も六つに割れた彼の肉体からだに、ナイフで抉られた古傷の跡が残る。

 しかも一つだけじゃなく、何十ヵ所にもナイフに切り刻まれたような傷跡が、フェレスの体に刻み込まれていたのだ。

 その傷跡は赤黒く発光し、血管のような赤い紋様が彼の体を這う。

 

「なにこれ? ひどすぎる!」


 フェレスの傷は、彼が戦闘で負った傷とかではないだろう。

 明らかに人為的につけられた傷だ。いったいどんな環境で育ったたら、こんな体になってしまうのか。

 フェレスの傷には良くない何かが満たされている。

 そう三珠の直感が告げていたが、それでも少女はフェレスの赤黒く輝く傷跡を触ってしまった。

 と、その瞬間だった――


『貴様がいるから』


 胸糞悪い怨念のような執着が、三珠の脳へダイレクトに伝わってくる。


『才能もないくせに』


 それは恩讐の呵責、この世の醜い感情の集まりだった。


『無能の癖に、努力を見せびらかしているのか?」


 三珠は激しい嘔吐感に襲われた。

 もうだめだ。これ以上、この醜悪な怨嗟の声を聞いてしまっては、三珠の心が完全に破壊されてしまう。濡れたタオルをフェレスの体の上に残し、三珠はトイレに駆け込んだ。

 日本の洋式トイレのような形をした便器があり、そこに顔を突っ込み、三珠は胃液をぶちまけた。

 

「――けほっ、――こほっ」


 三珠はむせ返り、唇から唾液を垂らし、逆流した胃液のせいで、喉がちりちりと痛んだ。あの声は正体は気になるが、もう一度、聞きたいとは思えない。

 もしかすれば三珠の思う以上に、フェレスはとんでもなく強大な何かを抱え込んでいるのかもしれなかった。


「んっ? なんで俺の腹の上にタオルが乗ってるんだ?」


 ふと、寝室の方からフェレスの声が聞こえる。彼も目を覚ましたらしい。

 三珠はインディゴライトのボタンを押し込み、トイレの水を流す。青と緑が混ざり合ったトルマリンの宝石は、水と風の魔素が混同した珍しい宝石だった。

 それもあり、この世界の水洗トイレは高価な設備のようなのだ。

 

 余談はさておき、三珠は手早くトイレを出ると、濡れたタオルを摘み上げたフェレスが、こちらに目を向けてきた。


「これ、お前の仕業か?」

「一応……本当は体を拭いてあげようとしたんだけど、びっくりしちゃって」

「俺の体の傷にか? まあ、そりゃそうか」


 ひょいと、フェレスは濡れた布タオルを投げ、三珠は飛んできた布タオルをキャッチし、丁寧に折りたたむ。あの声については聞かないようにしよう。

 そう決めた三珠だったが、やはり彼の体に刻まれた傷の理由は知りたかった。


「あの、フェレスさん。失礼を承知で聞くよ。その体の傷って……」

「お前が気にすることじゃない――って言っても、気にはなるよな? 俺を心配して、体を拭こうとしてくれたわけだし」

「私も無理に聞きたいとは言わないよ。でも、答えてほしいかなって」

「まあいいか、隠すことじゃないしな」


 フェレスは体の向き変え、ベッドに座るような体勢になる。

 昨日、三珠に叱咤した時と同じ姿勢だったが、あの時とは違って、フェレスは昔を思い出すように憂いげな表情をした。


「俺が育った村は、ある妄念に取りつかれているような村だった。自分たちが成功できないのは、呪いを受けているせいなんだって具合にな。そこの村人たちは、一人の子供を呪いの依代にしようとした。それが俺だったんだよ」


 フェレスは三珠に自分は半神半人の穢れた悪魔だと教えた。

 永劫の敗北者として祀り上げられた彼は、恩讐や怨嗟そのものに昇華され、敗北という絶望の神(システム)へとなり替わってしまい、時の流れからも弾き出されたという。


 フェレスは不老であり、不死ではないから肉体を壊すことは可能だが、仮に肉体からだを破壊したとしても、「永劫の敗北者たれ」と願われたフェレスの魂は解放されず、ありとあらゆる世界軸に欲望をもつ生命体がある限り、実体のない悪神システムとして、高次元域(オルキヌス)を彷徨うことになる。

 フェレスが呪いを解かれない限り、自殺しても無意味なのだ。ゆえに彼は、五◯◯年という長い時間を死ねないままに生き、呪いから解放される手段を模索しているのだとか。

が、数百年をかけ、世界中を旅したであろう男に、呪いを克服する方法が見つけられなかったのだから、望み薄かもな、とフェレスも半ば諦めているようではあった。


 三珠は唇を噛んで、それで気持ちを押し殺した。

 たぶん、それはものすごく辛いことだったと思うし、彼に比べ、自分がどれだけ甘やかされてきたのかということもわかって、きっとフェレスが三珠に怒るのも、当たり前と言えば当たり前だったのだ。

 背負っているものが違いすぎたから、三珠は劣等感のようなものを抱く。


「じゃあ、フェレスさんがリーシャさんの告白を断ったっていうのは……」

「ああ、俺は死んだ所で意味がない。寿命がないから、俺より若かった奴らが先に死んじまう。それなら、こんな化け物に生涯尽くそうと考えない方がいい」

「だから、ずっと一人だったの? 他人に思い入れを残したくないから?」

「それもあるな。けど、呪いは肉体の血肉に宿る。つまり、俺が誰かと体と体を重ねて愛し合ったなら、この呪いがそいつに感染させちまう。生まれてくる子供にだって呪いが宿る。それなら、俺は身勝手な感情に流されるわけにはいかない」

「そんな……」


 フェレスに呪いを植え付けた村人たちに、三珠は文句を言ってやりたかったけど、その村人たちはもう生きていないらしい。

 苛立ちをぶつける人間はあっさりといなくなった。

 ならば、残された人間の思いは何処にぶつければいいというのか。

 三珠は不快感を抱き、顔を曇らせる。


「ああ、安心していいぞ? 俺は気にしてないし、粘液を体内に取り込まなければ、三珠に呪いがうつることもない。俺がどんな呪いを持ってるかも、感じ取れないはずだ」

「えっ? じゃあ、さっきの声は……」

「んん? どうした?」

「ああ、いや――うん、なんでもないよ」


 勘ぐったフェレスに気を遣われたが、三珠はぶんぶんと首を振っておく。

 フェレスの話が本当ならば、三珠が彼の傷に触れた時、脳内に響いた悪意の呵責は、何だったというのだろう。

 三珠は自分の眠っていたベッドの傍、エンドテーブルに置かれた魔導書を見る。

 やはり、自分が魔導書を持って発見されたことに関係しているのだろうか。何がなんだかわからなず、思考の迷宮に入り込む前に、三珠は考えるのを止めた。

 

 おかしな奴だな、と言いたげに、フェレスは腰を上げる。


「俺のことはいい。それより、問題はお前だろう。どうするか決めたのか?」

「うっ! それは、まだ……」

「それなら、他人の事よりも自分に集中しろ。俺との付き合いも今日限りだぞ?」

「それは――うん、わかってる」

「よし、言えたな。教会に話を付けるにしても時間がある。先に仲介屋ギルドに顔を出すぞ。ガウスが手入れした俺の銃剣と、三珠のバングルが届いたはずだ」


 特に思い入れを残すわけでもなく、フェレスはトイレの戸を閉める。

 彼の過去話を聞いたせいかもしれないが、三珠は閉じた扉を眺め、このままお別れでいいのかな? と後ろ髪を引かれるような思いを抱くのだった。 

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