第一一話:生きる覚悟
宿屋のフロントにあった階段を上り、一番奥の部屋に辿り着く。
フェレスが間借りしている部屋である。
ドアノブに手をかけ、フェレスは三珠を連れて自室に入った。
石造りの地味な空間が、妙に落ち着く部屋だ。
ベッドや机も石造りで、全体的な統一感はあり、石の上に布団を置いたようなベッドだが、割と寝心地はよい。厚めの羽毛布団が体の重みを吸収するので、快適な睡眠がとれるのだ。
が、部屋の景観はあまりよろしくない。
つん、とアルコールの臭いが鼻をつき、脱ぎ散らかされた衣服がベッドや床に散らばって、飲み終わった酒瓶が、そこかしこに転がる汚れた部屋だった。
長期間滞在するわけではないから、片付けの必要も感じないからこうなった。
フェレスが宿屋をチェックアウトすれば、勝手に従業員が掃除をするだろう。
「入ってくれ」とフェレスは促すが、三珠は固まって唖然としている。
少女は信じられないものを見たという風に、フェレスの横顔を見上げた。
何がいけなかったというのか、座れる場所はあるだろう。
フェレスはまったく気にしていないが、三珠的にはダメだったようで。
「あの、フェレスさん? これは、何?」
「何って、俺の部屋だが?」
「違います! っていうか、汚しすぎだから!」
「そうか? 悪いな、片付ける気がおきなかったんだ。仕事ばっかやってると、めんどくさくなってな」
「それは……気持ちはわかるけど、これは流石に自堕落がいきすぎてる!」
一瞬言葉に詰まった三珠は、身に覚えがあったのかもしれない。
フェレスは耳をほじりながら、三珠の小言を聞き流した。
「仕方ないだろ? 年を取ると部屋でやることなんてなくなるんだよ。金も余っちまうし、晩酌してゴロゴロするしかない」
「他にお金の使い道ないの?」
「そうだな。俺が若けりゃ女遊びにでも使ったんだろうが、今はもうダメだな。体力もそうだが、なにより気力が続かない」
「うわあ、この人……ほんとにダメな大人かもしれない」
「おいおい、それを拾ってくれた奴に言うかよ」
「あっ、ごめん。そこは私が悪い。でも――」
これは、と三珠が再度、部屋の惨状を確認し、そして彼女は腕をまくり上げ、腰に手を当てて言う。
「よし、片付けしましょう!」
「はっ? いや、本気か?」
「当然です。フェレスさん、手伝ってね」
三珠は威圧的に微笑み、フェレスを脅迫する。
そんな少女に逆らうことができず、おおう、とフェレスは頷くのだった。
一五分後――
片付けが一通り終わり、フェレスはベッドに腰掛ける。
あれだけ散らかっていた部屋だが、今は綺麗なのものだ。
洗ったまま放置していた衣服は三珠が丁寧に畳み、クローゼットにしまってくれ、空の酒瓶も三珠が拾い集め、ごみ袋に詰め込まれた酒瓶の山を、フェレスがカウンターへ届けたところだ。
かなり貯め込んでいたせいか、酒瓶は重かった。
自分たちの仕事が減ったのだから、カウンターの受付嬢は喜んで受け取ってくれたが、フェレスの腕と腰へのダメージは大きい。
腰を痛めなくてよかった、本当にそう思う。
未開拓遺跡の調査で体はぼろぼろだ。
それなのに、自室でも働かされるなんて、年寄りへの暴行じゃないだろうか。
恨めしそうに三珠を睨むフェレスだが、彼女は綺麗になった部屋で、ふんふんと鼻歌を歌いながら、居心地よさそうに伸びをする。
一仕事終えたみたいな達成感があったのかもしれない。
フェレスはやっていられなくなり、自室の冷蔵庫の扉を開けた。
冷蔵庫にはサファイヤとエメラルド呼ばれる魔素結晶の埋め込まれている。
サファイヤは水の魔素が集積した宝石で、エメラルドは風の魔素が集積した宝石となり、サファイヤが冷気の術式を起動し、エメラルドがそれを風で流している。
いざ、冷蔵庫の扉を開けたフェレスだったが、途端に愕然とした。
「……酒が、ない」
冷蔵庫の中は空っぽだった。
フェレスは冷蔵庫に凭れかかり、三珠を流し見る。
「おい、酒がないんだが?」
「えっ? そんなこと言われても、私は冷蔵庫の中まで触ってないし」
「つぅことは、買い忘れか? 最悪だ……」
「フェレスさん。どんだけ、お酒が好きなの?」
「うるさいな。俺の楽しみの一つなんだよ。もうだめだ、やる気がおきん」
がっくりとうなだれるフェレス。
見ていられなくなったのか、三珠がベッドから立ち上がる。
「ああ、もう! わかりました、買ってくるよ! フェレスさんがお酒買い忘れたの、私に世話焼いてたせいだと思うし」
「いや、そこまでしなくていい。大事な話があるから、飲みながら話そうと思ってただけだしな。ないならないで、このまま話す」
まあ座れよ、とフェレスはベッドを指さし、三珠を諭した。
三珠は、なんだろう? という風な顔をして、素直に座りなおす。
ペットみたいな娘だ。そう思いつつ、フェレスは少女の正面に陣取った。
「短刀直入に言う。お前、この世界の人間じゃないな?」
「えっ? なんでわかって……」
「やっぱりか、予想はしてたがな」
三珠の驚いた様子に、ようやくフェレスは確信した。
鎌掛けのつもりだったが、どうやら正解だったらしい。
三珠の記憶喪失という発言が嘘なのは、そもそも早い段階から分かっていた。
記憶喪失にしては必要な知識があったからだ。
三珠は金の使い方は知らなかったが、通貨という文化自体は理解していた。
夕食の時もそうだ。フェレスの真似をしながらであるが、ドライカレーをパン生地にぬるバターナイフの使い方は、最初から分かっていたようである。
三珠には生活に必要な最低限の知識は備わっていた。
今日一日観察して判明したのは、三珠がこの世界の文化に対しては馴染みがないということ。これにより、暗君の血縁者という線は消えた。
もし仮に三珠が暗君の血縁者ならば、この世界の常識くらいは覚えているだろうし、知識が古くなるにしても、三珠のような初体験感はないはずだ。
ならば、とフェレスは考える。
信じがたいが、世界の伝承に異世界からの訪問者の記述がある。
謎の多い遺跡で出会った少女が、その転生者もしくは、転移者ではないと言い切ることはできなかった。すると案の上、フェレスの予想は的中したようだ。
これは困ったことになった。異世界からの来訪者にいい噂は聞かないが、目の前の素直な少女が悪意を持っているとは、到底思えない。
だから、フェレスは忠告することにする。
「三珠、お前はもとの世界に戻った方がいい」
「……どう、してですか?」
「こんな世界、ろくでもないだろう? 本人の資質は魔術適性値で決まる。治安だっていいとは言えない。お前がどんな世界から来たかはわからないが、その性格からして、絶対に平和な生ぬるい世の中だっただろう?」
「それは……」
「言わなくてもわかる。お前は育ちが良すぎる、心が荒んでいない。それは他人から見下されたとしても、救済がある世界にいた奴の目だ。だから――」
「――嫌です! あんな世界のどこがいいのか、私にはわからない!」
フェレスの言葉を遮るように、三珠が叫び声を上げた。
明るい彼女には似合わない。そんな嫌悪を露わにした表情で。
「毎日毎日、同じことの繰り返しなんです! 誰にも必要とされないし、私は社会を回す歯車の一つでしかない! 使い捨ての駒なんですよ! 他人にいいように使われて、いらなくなったら捨てられる!」
「だから、こっちの世界の方がいいってか? 帰還する方法はあるのに?」
「いえ、帰る方法はまだ知らないけど。でも――」
「帰りたくないわけか。重症だな」
幼い思春期の少女の言い分だと分かっていても、フェレスは苛立った。
別世界で自分がうまくいってないから、この世界に残りたい?
ふざけた理由もあったものだ。何の力も持たない彼女が、どうやってこの世界で生きていくというのか、うまくいくはずがない。
自分に面倒を見ろとでも? 小娘の我儘も大概にしてほしい。
厳しようだが、フェレスは三珠に現実を突きつけようと思う。
それが大人としての務めだと信じて。
「三珠、甘えるのもいい加減にしろ」
「そんなっ! 私は甘えてなんかいません! フェレスさんは知らなんですよ、あのストレスで息苦しくなる環境を! こっちの世界は良いじゃないですか! 自由にいろんな場所に行って、仕事だってできて!」
「お前、それがどんなに厳しいことかわかってるのか? 命がけだぞ、死んでも誰かが看取ってくれるわけじゃない。お前の世界の方がいいじゃないか。少なくとも、危険と隣り合わせじゃないんだろう?」
「それは……そうですけど、私は!」
「じゃあ、お前は明日からどう生きるつもりだ? まさか、このまま俺が面倒を見てくれるなんて、都合のいいことは思ってないよな?」
「――えっ?」
三珠の顔が青ざめる。どうやら、ようやく気付いたらしい。
彼女の言い分が、ひどく短絡的であったことが。
「残念だが、俺はお前を手放すぞ? 今日の所は手を貸してやったが、これからも俺がお前の面倒を見るメリットがない。異世界人なんかと旅なんて、それこそ厄介事の山じゃないか? 俺はごめんだな」
「待って! じゃあ、私はどうすれば……?」
「さあな、体でも売って稼げばよくないか? お前、顔がいいからな。需要はあるだろ? そこそこ稼げるんじゃないか?」
「……そんなの、私は――!」
「嫌か? まあそうだろうな、俺も言い過ぎたよ」
しゅんと三珠が落ち込んでしまい、フェレスは少女を怒るのをやめた。
三珠だって馬鹿じゃない。フェレスが言いたいことはわかったはずだ。
フェレスは結論を急がせず――
「ひとまず、よく考えておけ。一応、教会の方にはお前を引き取れないか、ちゃんと口利きしてやる。拾った小娘を娼婦堕ちさせたくはないからな」
「……はい」
「先に風呂に入ってこい。今日は疲れただろう」
「そう……します……」
顔色を曇らせた三珠が、宿屋に常備してあった寝間着と、バスタオルを持って浴室に向かう。
浴室の扉が閉まり、流れ出る水音を聞きながら、三珠がこれからどうするのか、フェレスはそのことを考えていた。




