第十話:獣人種の後輩少女
夜も間近、フェレスはようやく宿泊先の宿に到着する。レンガ造りの外装に、石造建設の目立つ内装で、二階建ての宿屋は縦に長いというよりは、横に広い印象であった。
宿屋のホールには椅子とテーブルの休憩所もあり、飲み物の販売店が営業をしている。フェレスら以外の宿泊客もいて、休憩所で一息ついている様子が窺える。
楽器を奏でる吟遊詩人の歌なんかも、自然と耳に入ってきた。来客には放浪者や傭兵も多いらしく、重武装をした男たちが武勇伝を語り合う。
掃き掃除をする宿屋の従業員を労いつつ、フェレスは宿の受付に声をかける。
「おかえりさないませ、お客様」
カウンターに座っていた受付嬢が立ち上がり、フェレスに深々と頭を下げる。化粧も薄く、飾り気のない茶髪をした長身の女性である。彼女は三珠を覗き込み、フェレスに尋ねた。
「お連れ様、ですか?」
「ああ、フィールドの方で一緒になってな」
「なるほど、お仕事中に同行者が増えたのですね」
「ああ。だから、こいつも宿泊客に追加してほしい。俺の部屋は二人部屋だったろ? 俺の広い方が好きだったんだが、連れに寝床がなくてな」
フェレスに業務的な受け答えをする受付嬢は、しかし小首を傾げた。
「はい。それは構いませんが、二人部屋を三名様でご利用するおつもりですか?」
「いや、二人だぞ?」
「そうなのですか? しかし、お連れ様は二人いるような……?」
どうも話がかみ合っていないようだった。フェレスも訳がわからず、困惑してしまう。
と、まさにその時だった。フェレスの腕に、むにっとした柔らかいものが押し当てられる。
「せ~んぱい! あたしも誘ってくれるんですか~?」
「はっ? お前、リフォルシアか!?」
「え~、そんなに嫌そうな顔しなくてもいいじゃないですか~。それにリーシャでいいですってば、先輩とあたしの仲ですし~」
リフォルシア・ミーゼンフェルシャ、自分のことをリーシャ呼んだ彼女は、傭兵会社に勤める獣人の少女だった。獣人種は悪霊種と同じく、千年前に新しく誕生した新種族である。
獣人種は人間よりも頑丈な体を持ち、動物的な感覚が鋭い種族なのだ。暗君に対抗するために、勇敢にも原生生物の遺伝子を体内に取り込み、細胞変化が起こした人間種。そう正史には書かれているが、実際は奴隷階級だった人間を研究所に収監し、肉体の改造実験を行っていたのだとか。
獣人種に大きな功績を遺した伝説級の偉人もおり、暗君討伐後は政府側が実験の非を認め、彼らの人権を保障した。悪霊種同様、二種族原理主義の連中に睨まれているが、世論は見ての通りだ。
悪霊種と獣人種を受け入れた者達の方が多い。それはそうと、この獣人の娘はいつの間に隣にいただろう。なんとなく察しがつき、フェレスは呆れてしまった。
「お前、幻術で気配消してたよな?」
「あれ、やっぱり気づいちゃいました?」
「当たり前だ、俺が教え込んだんだからな」
フェレスがリーシャと出会ったのは、彼女が一四歳の頃だったか。
傭兵会社の入社試験は満一五歳から挑戦可能となっているが、その試験前に彼女から就職活動のコーチをしてほしいという依頼を受け、フェレスはリーシャに戦い方を教えたことがある。
リーシャは属性系統の魔術が不得手だったため、別の切り口を模索していたらしい。幼い日に父親と共に事件に巻き込まれたリーシャは、父を犠牲にして生き残った。その頃から強くなりたい、とそう願っていたという。リーシャに根負けしたフェレスは、彼女と鍛錬することにした。
リーシャは幻術系統の魔術に適性が高かった。それを見抜いたフェレスは、短所を長所でカバーするように指示をする。才能がないゆえに、自分のできる範囲での戦いに焦点を置いていたためか、どうやらフェレスは人の才能を見抜く才能を培っていたらしい。
その手ほどきをしている間に、リーシャから妙に懐かれてしまい、彼女より歴の長い冒険者として、先輩などというあだ名で呼ばれるようになってしまった。
そのリーシャだが、身長は一六〇センチ前後といったところだろうか。
小麦色の短髪に三角形の耳、ふわふわした毛皮の尻尾が特徴的な獣人種の娘で、遺伝子元となったのは、ミケツ狐という原生生物だったはずだ。
短いタンクトップに半袖の上着に、ショートパンツを穿いた少女で、胸元が露わになった露出が多い服装を好む。胸の発育もよく、ボディラインもくっきりとしいるし、容姿のレベルも高い方ではあるだろう。人懐っこい性格を演じているふうもあり、計算的なあざとさを持つ女狐だが。
リーシャが大声を上げるものだから、変に注目を集めてしまう。
あいつ、ガキに手ぇ出してやがるぞ、と休憩所にいる男衆が舌打ち混じりに話しつつ、正気かよ、とさらに若干引くような顔もされた。可能な限り、目立つのは避けたい。帽子に隠れた三珠の髪の色もあるし、フェレスも悪評を更に広めてしまうのもごめんだ。
フェレスはリーシャの肩を叩き、自分から引きはがそうとする。
「おい、厚かましい。リフォルシア、胸を押し付けるな」
「え~、わざと当ててるに決まってるじゃないですか~? これでもあたし、胸の大きさには自信があるんですよ? ほらほら、柔らかいでしょう? 先輩、ムラムラしてきませんか? してきますよね?」
「……いや、まったく。ガキに手を出す気はない」
「なっ! そ、そんな嘘はつかなくていいですよ? ほ~ら、あたしを部屋まで連れて行って、エッチ、したくなりません?」
上目遣いでフェレスを見上げ、彼女は耳元で囁いて尻尾を振ると、少女の生暖かい吐息が耳にかかり、柑橘系の香水の香りがした。まったく、相も変わらずあざとい娘だ。
自分だからいいものの、悪い男に捕まったらどうするつもりなのか。
子供が年寄りに色目を使うもんじゃない。
ここは大人として、説教してやるべきだろう。フェレスは拳を固め、思いっきりリーシャの頭に拳骨をかました。
「ひゃっ!」
短い悲鳴を上げ、リーシャが後頭部を押さえて蹲る。かなり痛かったのだろう。少女は涙目になり、頭の耳と尻尾が垂れ下がっていた。フェレスは手首を振り、手の甲に残った疼痛を逃がす。
リーシャはフェレスを文句あり気に目を瞑り――
「もう何するんですか~、先輩!」
「お前が離れないからだろ? 年配者の忠告は聞くもんだ」
「だからって、叩くことないじゃないですか!」
「お前が見境ないからだ。他の奴にもそんなことやってるのか? それなら――」
「違います、あたしがこんなことをするのは! 先輩、だけなのに……先輩に気に入られたいから、お化粧とか勉強して、お洒落も頑張って……」
フェレスが冷たくあしらうと、リーシャは目を伏せて髪の毛先をいじる。
そういえば、リーシャから受けた依頼期間の最終日に、あたしの恋人になってください、とフェレスは彼女から告白されたのを覚えている。流石に自分の年齢も考え、そこはきっぱりと断った。
リーシャはまだ若い。この先、同年代の男と出会うことだってあるはずだ。一時の気の迷いで、フェレスのような老人にかまう必要はない。
リーシャが恋愛感情と錯覚したのは、幼い頃に抱く年上への憧れなのだ。
ともあれ、それはフェレス側の考えだろう。リーシャからしてみれば、引きずっていてもおかしくはない。言い過ぎただろうか、とフェレスは反省する。
が、それは無用な心配だったらしく、
「なんて落ち込んでみたんですが、もしかして同情してくれました?」
リーシャはケロッとして、ニヤニヤと笑っていた。どうやら、からかわれただけのようだ。こいつは……、とフェレスの額に青筋が立ちかけた。
「お前な、もう一回俺の拳骨を受けたいか?」
「それはちょっと……でも、先輩が暴力願望がある人なら我慢しますよ?」
「いやいい、俺にそんな趣味はない」
「残念。好きな人からの要求なら、なんでもこたえる女の子だと証明しようとしたのに。やっぱり、先輩は優しいですね~」
リーシャは一人で納得したように、うんうん、と嬉しそうに頷く。
フェレスは毒気を抜かれ、一呼吸して落ち着いた。
「お前、まだ諦めてないのか? 俺は断ったはずだが?」
「諦める理由がないので、男女関係なく何人とでも結婚できるんですから。だからこそ、好きな人をおっかけ回るんじゃないですか?」
「頑固だな、それも筋金入りだ」
ため息を吐くフェレスに、リーシャはどんなもんだというふうな顔をする。
「あたしは一途ですし、最愛のお師匠様がそんな人なので。先輩、いい加減に諦めてもいいんじゃなしですか~? あたしくらいはキープしてくださいよ~」
「断る、こんな年寄りのどこがいいんだよ」
「知ってますか、先輩。世の中にはおじ様好きの女の子もいるんですよ?」
ズバリ言いのけたリーシャに、フェレスは肩を落として言う。
「俺は一人が好きなんだ。旅が気楽だしな」
「じゃあ、この子はいいんですか~?」
びしりと、リーシャが三珠を指さした。えっ? と唐突に飛び火した三珠は驚く。
今気が付いたが、三珠は珍しく大人しかったような気がした。彼女はそわそわと抑え切れない衝動を抱えたように、リーシャを見たり見なかったりする。
それが余計に不審がられたのか、リーシャは三珠に押し迫る。
「言っときますけど、貴女が先輩狙いでもあたしは諦めませんから!」
「あっ、いや……そういうのじゃなくて……」
「むっ! 言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどう?」
「じゃ、じゃあ! ごめん!」
そう謝った三珠はリーシャに飛びつき、ぴこぴこと動く耳を握りしめた。
「へっ? やっ、耳……弱い、の……」
「うわあ、本物だ。本物の動物耳だあ」
「やら……りゃめ……きもひよ、く……」
「もふもふ、ふわふわ。ああ、可愛すぎるう!!」
「――っ!! もう、何なんですか!」
三珠を突き飛ばしたリーシャは、耳を押さえて頬を真っ赤にする。一方の三珠は手に残る感触を思い出し、満足ように惚けた顔をした。
何がどうしたらこうなったのか、フェレスですら、三珠の心理は読み切れない。はっ、と正気に戻った三珠は、リーシャに頭を下げる。
「ご、ごめん! 私、動物とかが好きだから、思わず手が出ちゃって……」
あたふたと手を動かし、三珠は必死に言い訳をしたが、その声はリーシャには届かなかったようだ。
リーシャは唇を震わせて、
「あ、あたし……そ、そっちの趣味はありませんからー!」
そして、まるで脱兎のごとくに、リーシャは宿屋のフロントを走って逃げる。どういうこと? と三珠はきょとんとして立ち尽くす。
三珠の世間知らずっぷりには、もはや感動すら覚える。フェレスは宿の名簿帳を書き終えて。
「まあ、あれだ、獣人族にとって獣の部分を触られるのは、一種の求愛行動らしい。簡単に言えば、ベッドへのお誘いだな」
「嘘っ!? それ、本当なの!?」
ああ、と説明したフェレスが頷くと、三珠は羞恥に悶え始める。
「うあああああああ! 私、やちゃったあああああああ!」
やがて顔を覆い、大声で叫んだ三珠は顔を真っ赤にしてしゃがみ込む。
三珠の自業自得だ、リーシャは完全に誤解してしまっただろう。あとで誤解を解いてやらないとな、とフェレスは思いつつ、三珠を自分が間借りしている部屋まで連れてゆくのだった。




