第八話:飛空艇と淑女な幼女
夕食にはまだ早い、ということで、フェレスは三珠を案内することにした。
彼女にオロスの特色を教えるには丁度よいと思えて、フェレスが少女を連れてきたのが、オロスの第三階層にある飛空艇の発着場だった。
ぽつりと、フェレスが呟いた発着場の話題に三珠が乗っかり、ぜひとも見てみたいと言い出したので、こうして見学することになった。飛空艇の乗り場は、巨大な空の港のような形状である。
他三つの大陸航空行きの飛空艇が、空の港を行き来し、乗客用の乗り込みレーンが手前にあり、その向こう側に飛空艇は停止した。
空を飛ぶ巨大な船、と言えば分りやすいだろうか。
飛空艇の後部には、全長五メートル程度の小型プロペラが複数個に分けて回り、上部には二十メートルをゆうに超える大型のプロペラが三ヵ所に設置され、その大型プロペラを挟み、十メートル弱のプロペラが上と下にある。前方は風よけのために細長く、先端が尖ったような形だった。
飛空艇の港には乗客用レーンの左右に三十メートル近い柱があり、そこに三メートルの等間隔で、魔素結晶である大型のアクロアイトが八つ埋め込まれている。属性のない魔素の集約した宝石だ。
大規模な拘束魔術の触媒として使われ、八つのアクロアイトは光を放ち、柱と柱の間に魔法陣を展開し、魔法陣から伸び出た魔術の鎖が、飛空艇をがんじがらめにして縛りあげていた
停泊中、もしくは到着したばかりなのだろう。発車時刻になれば前方の跳ね橋が上がり、飛空艇は航行を妨げるもののない空へと、その舵をとって船は飛び立つ。
「フェレスさん、見て下さい! すごい、すごいおっきな船ですよ!」
元気の有り余った三珠が、大きな感動と巡り合ったかのように、港を走り回る。人が多いのだから、周りには気を遣ってほしかった。三珠がはしゃぎ回り、フェレスらは人ごみ中でも目立ってしまう。
ひそひそと話す乗客たちが、二人に注目して微笑んでいる。ひどい羞恥プレイのようだ。三珠には年齢相応のおしとやかさをもってほしい。
「おい、あんまり騒ぐな。他の客の迷惑だ」
ぜえぜえと息を荒げ、フェレスは乗客用のベンチを探す。若い少女にはついて行けない。精神年齢が老いさらばえたフェレスは、気力の限界を感じる。
よっこらせ、と年寄くさい声を上げ、フェレスはベンチに凭れかかった。
疲れた足が癒され、フェレスは深くベンチに腰を沈め、飛空艇を見上げる少女をぼんやりと見ると、飛空艇の側面から搭乗橋が下りてきた。
横に太く前に長い、バリアフリーの足場である。乗客が降りてくるのだろう。ぞろぞろと長旅に疲れた乗客が搭乗橋を通り、次から次へと港に降りてくる。
彼らは搭乗橋に歩み寄った少女など気に止めないだろう。
「あれ、まずいかもな。おい――」
三珠を連れ戻そうと、フェレスが腰を上げて声を張ろうとした。しかし遅かったようだ。案の上と言うべきか、立ち止まった三珠は下船客の波にのまれ、フェレスの視界から消えてしまう。
◇
「きゃっ!」
トン、と体に軽い衝撃が走り、三珠は悲鳴のした方を向く。
そこには少女が尻餅をついていた。黒いゴシックドレスを着た小さな幼女であり、身長は一三二センチ程度、深い長い薄紫色の髪は毛先がウェーブを巻き、身なりは整っていて、それなりに育ちのよさそうな女の子だった。容姿の特徴は三珠とあまり変わらないから、人間種の少女なのは明白だ。
彼女は擦りむいた肘を赤くして、瞳に涙をためている。
「あっ、ごめん。大丈夫?」
「え、ええ。問題ないわ、立派な淑女はこの程度で泣かないのよ?」
んん、と我慢するように、きゅっと少女が瞳を閉じる。もうすでに泣き出しそうな少女だった。それでも強情に、泣かないアピールをする彼女は、かなり気が強いのかもしれない。
どうしよう。
完全に三珠の不注意で、年下らしい少女を怪我させてしまったのだから、なんとかしてあげたい。そんな葛藤を抱きつつ、三珠は少女に手を差し伸べる。
「あの、掴まれる? 怪我させちゃってごめん、痛いよね?」
「い、痛くないわ! レティは一人前の淑女だもん!」
「うん、そっか。レティちゃんは強い女の子なんだね」
「そうよ。だから、この程度でくじけないの!」
少女に手を握り返され、三珠は彼女を助け起こす。
と、その瞬間。三珠の耳元に誰かの声が聞こえる。
『彼女の怪我を治癒したいのですか?」
「えっ?」
『ならばマスター、我が知識を預けましょう』
聞き覚えのある女の声だった。
こちらの世界に来る前に聞いたあの声――彼女の声を聞いた途端に、生暖かい何かが三珠の腕に流れる感覚を抱き、それは三珠の握る少女の手に伝わり、彼女の傷がみるみる癒す。
肘の傷が完全に治った少女は、きょとんと目を丸くした。
「あら、痛くなくなったわ。もしかして、お姉さんがやってくれたの?」
「あっ、んん? そうなの、かな?」
「ふふ、すごいわ。お姉さん、魔法使いさんのなのね」
「えっ? どうして?」
「だって、傷を治す魔術なんて聞いたことないもの。不思議な奇跡を起こせるのは、魔法使いさんだけ。もしくは、悪いわる~い魔女さんかしら?」
少女は薄ら笑いを浮かべ、意地の悪い目つきで三珠を見る。その視線があまりに冷たく、三珠の背筋に悪寒を走らせた。いや、気のせいだったのだろう。
少女のあどけない冗談を鵜呑みにしてどうするというのか、考えすぎだ。三珠は背中のリュックをおろし、魔導書を見つめるが、やはりこれといった変化はないようだった。
本が喋り出すわけでも、自由に飛び回るわけでもなく、古本は古本としてそこにあるだけ。幻聴に悩まされるなんて、脳に異常があるのだろうか。釈然とせず、三珠は偏頭痛に悩まされる。
「へえ。お姉さんって面白い人ね」
「えっ? どこが?」
「ふふ、それはね――」
口元に手を添え、少女は悪戯っぽく微笑み、
「おい、三珠! こんな所にいたのか?」
それは、駆け寄ってきたフェレスの呼び掛けに遮られる。
彼の乱入に話の腰を折られたのか、少女は三珠に向き直る。
「このおじさんは、お姉さんの知り合いかしら?」
「お、おじ……?」
「うん、一応。今、私の面倒を見てくれてるの」
「へえ、そうなのね」
ふふ、と少女は笑い、彼女はドレスの裾を持ち上げてお辞儀をする。
「レティとしたことが、淑女のたしなみを忘れるところだったわ。わたくしの名前はレティーナ・フォルゼ・メルデンティア。レティで構わないわ、高貴で可憐な立派な淑女よ。お二人とも、よろしくお願いいたしますわ――ふふ、どうかしら?」
社交辞令のような挨拶をして、レティは得意げに胸を張った。
一人前の淑女というには子供っぽい仕草で、少し小生意気な少女だが、それもレティの可愛さなのかもしれない。三珠は彼女に触発され、自分の名前を名乗り返す。
「あっ、私は三珠。それでこっちのおじさんが、フェレスさん」
「そう。三珠に、フェレスおじさんね。ええ、覚えたわ」
「ちょ、ちょっと待て! 俺のおじさん扱いは――」
そうフェレスが言いかけたが、突然の現れた男女に彼の弁解は止められた。藍色の髪と濃いひげの長身男性と、スタイルの良い赤毛の女性である。
レティの両親だろう。彼らは本当に心配したというふうに、娘に抱きつく。
「レティ、ここにいたのか。勝手にいなくならないでくれ」
「ああ、パパ。それにママも。二人とも、くすぐったいから、抱きつくのはやめてくれないかしら? レティは一〇歳になったのよ? もう立派な淑女なのだから、一人でも大丈夫よ」
「もう、この子ったら。あなたが大丈夫でも、ママたちは心配するの」
赤毛の女性に怒られ、ちろりとレティは舌を出す。
悪戯のしすぎだったかも、とレティは反省したような態度だった。
「ふふ、パパにママ。今日はお友達ができたのよ?」
「あら、その子は?」
「ええ、三珠よ。それと保護者のフェレスおじさん」
「そうなんですか。娘がご迷惑をおかけしました」
レティの母親が、三珠に軽い会釈をする。三珠は恐縮しつつ、こちらこそ、と頭を下げた。
「いやあ、お互いに娘には苦労しますね」
「えっ? 俺か?」
「あなた以外に誰がいるんですか? まだお若く見えますが、空気でわかりますよ。顔が若く見えるのはうらやましい」
顎ひげを触りつつ、レティの父親はフェレスの肩を叩く。どこかショックを受けたように、フェレスはされるがままとなっていた。
「それじゃあ、三珠。また会いましょう」
やがて手を振り、レティは両親とともに去っていく。
三珠は彼女に手を振り返し、隣の年寄りに苦笑いを向けた。
「おじさんに見えたのか……そうか、おじさんか。年齢は、隠せないのかもな」
はは、と気のない笑いを浮かべるフェレスは、それからしばらくは立ち直れそうもなかったのだった。




