第一三話:学院の朝
んんう、と吐息を漏らし、寝返りを打つ三珠の肩が揺さぶられる。
いったい、自分の安眠を妨害するのは、誰だとというのか。夢見心地で気持ちがいいのだから、邪魔はしないでほしかった。
一面が花一杯の草原を歩き、幼い少女と歩く夢を見る。綺麗な銀髪をした彼女は、しかし寂しげに俯いて、自分の手を握り返してくる。
少女の手は震えていた。
この手を離さないでと、置いて行かないでと、自分に訴えかけるように。
大丈夫、心配する必要はない。自分は彼女の手を離すつもりはないし、むしろ離されないように歩けるかが、とても心配だった。
自分はこれから先も彼女とある。お互いに支え合う約束をいたのだから、それを反故にするなんてことは、三珠の性格が許さない。
そう、真っ黒な影に隠れた少女を見下ろし、三珠は口を開こうとしたのだが――
「三珠、いつまで寝てるわけ? 朝食の時間には遅れないように言われたじゃん! まさか、忘れたとか言うんじゃないわよね?」
「いや、まだ眠い。あと、5分……」
鼓膜を突くような少女の声が煩わしく、三珠は布団をすっぽり被る。
攻撃型ブレスレットの定時報告書を書き上げるため、魔術を多用したのがいけなかったのだろう。
ブレスレットの補助があるとはいえ、魔素の選出には体力と精神力を消耗してしまい、後日にも疲労が残ったりするのだ。特に三珠は、属性魔術への適性が中途半端なようだから、消耗も激しかった。魔術の連続使用にも、今後は注意しようと教訓を得る。
「これ、ダメじゃん。起きる気配ないんだけど……」
「仕方ない……ピスカ、やっちゃおう……」
「い、いいんですか? 気持ち良さそうですし、悪いような気がするのですが」
「いやいや、だらしない顏だしね。起こしてあげた方が、むしろ三珠のためっしょ? 健全な乙女たる者、外面も良くしなきゃじゃん」
『(スィアからもお願いー。ますたー、お寝坊さんだからー)』
「わ、わかりました。腹を切る覚悟でやっちゃいます!」
ピスカは瞳を閉じ、静かに詠唱していく。
風と光の魔素を練ったピスカは、針くらいの大きさをした雷を作り上げる。威力は電気ショック程度、電圧も控えめな雷の針だ。雷属性自体は複合魔術であり、複合魔術最低位の中級クラスだが、威力の調整なんかは術者の腕前次第で、いかようにもコントロールできる。
「すいません、三珠姉さま!」
遠慮の知らない年上2人のいいなりとなり、きゅっと目を閉じたピスカは謝りつつも、両手の平の上に作った雷撃の針を、まるで発射型のスタンガンを撃ち出すみたいに、三珠の首筋に狙いを定める。
実に斬新的な寝起きドッキリだった。
「はひゃあ!!」
痒みを感じるくらいの痛みだが、全身を電流が駆け巡るような、ビリッとした感覚はあった。ぞわぞわっと、全身の毛先が逆立つと、三珠は背筋に悪寒が走る。「何、なに!?」と三珠は首を擦り、
『ますたー、おはよー』
「あっ、うん。おはよう、スィア」
三珠は傍らに飛行する魔導書を懐に抱き止め、それから飛び起きた自分を囲う少女らに目を向ける。
「いきなり、ひどくないかな?」
「だって起きなかったし、仕方ないっしょ? 自業自得じゃん」
「スィアも賛同、した……ここで私達だけが責められるのは、理不尽……」
「スィアには悪気はなかったみたいだし――でも、2人は私で遊んだよね?」
じーっと睨みあげる三珠だが、リーシャとメルは知らんぷりをして、よそ見してしまう。三珠は不満が冷めやらぬままに、ピスカの方へ首を動かす。
「あの、あの! ここで腹を切って見せますので、懺悔をお聞き入れください!」
「却下、悪戯のお返しは高くつくからね」
むくりと起き上がった三珠に怯え、ピスカが後方に数歩下がる。しかし、三珠はピスカを責める姿勢を崩さずに、彼女に飛びかかる。
「朝の運動ついでに、悪い子にはお仕置きだ!」
「えっ? ええ!? ま、待ってください、許し――っ!」
冗談半分にピスカへと襲いかかった三珠は、彼女の両肩を掴んで押し倒す。三珠に押し飛ばした勢いのまま、背後のあった二段ベットの下段に倒れたピスカに、自分は覆いかぶさることになるのだったが。
「お、お願いします。お仕置きは、あまり酷いことをしないでください」
「あれ? えっ?」
瞳を潤ませたピスカが、三珠ではない誰かの影に怯えるように、口元に添えた手を震わせていた。お仕置き――その言葉が、元奴隷の少女が封じていた過去を、呼び覚ましてしまったのかもしれない。
三珠の姿が調教師の男に重なったというのだろうか。冗談ではなかった。ピスカを物のように扱ったという、酷い人間と一緒になりたくはない。
やりすぎたかな? と三珠は反省し、優しげな笑顔を作ると、家族を想う姉の姿を彷彿とさせるみたいに、ピスカの髪をさらさらな髪を撫でてやる。
「今日のことは許してあげるよ」と、幼稚な癇癪は水に流す。友人が心の傷を広げてしまう様を、ずっと見ていたいとは思わなかったからだ。
「三珠姉さま……」
落ち着いたピスカが、三珠の顔を見上げたところで、ふと部屋の扉が開く。寝癖のある髪をいじる彼女は、ルリアリア・マイザックスだった。
「三珠はんら、いつまできいひんつもりや? 寝坊はやめよし……」
三珠達の部屋に侵入したルリアリアは、唖然として立ち尽くす。彼女が目撃したのは、涙目になったピスカを押し倒し、幼い少女の自由を奪う三珠だったのだ。
ピスカを襲う三珠は、ルリアリア目線であれば、百合趣味をした少女に見えたことだろう。大人びたルリアリアらしく、下手な突っ込みをするような真似はせず、彼女は感情のない笑顔を取り繕い、
「すんまへん、邪魔したなあ」
と、自然にフェードアウトしようとしていた。
誤解である、謝った認識は早々に正さなければいけない。半ば条件反射のように体を起こし、事情を打ち明けようとした三珠は、しかし勢い余って、二段ベッドの天井に後頭部をぶつけた。
「あいたっ! つぅ……」
頭をぶつけた痛みが脳天に直撃し、視界がぼやけたように錯覚する。軽い脳震盪を患いかけ、眩暈がしてしまったのだ。扉を閉めるのをやめたルリアリアは、ひょっこりと顔を出して言う。
「そない慌てんでも、初めから気づいとったで」
「じゃあ、あんなリアクションしなくてもよかったよね?」
「ほんの冗談や。三珠はん、ほたえすぎやで」
にやにやと、白い歯を見せたルリアリアは、三珠をからかって楽しむ。サドッ気のある少女だと悟っていたが、やはり三珠の見立てに間違いはなかったようだ。
「ほんまに、ワラけるわあ。三珠はん、やっぱおもろいなあ」
「うう、このいじめっ子」
痛みの残る頭を擦り、瞳に涙を浮かべた三珠は、ルリアリアに物申す。しかし彼女には軽くかわされ、三珠の逆襲が叶うことはなさそうだ。
ルリアリアとの言い争うのはやめ、三珠はミラエル会長との約束を守るため、学院指定の制服とローブを着替えると、5人は食堂に向かった。
◇
アルスファグナ魔術学院の朝食は賑わいを見せていた。男女の生徒が入り乱れ、5列に分かれた長机の椅子を取り合う。この5列の長机だが、各学科に指定された席があるらしい。
アルスファグナ魔術学院には、5つの学生組織があるという。
属性魔術の研究を行うエーデリアック・ノースキン、無属性特殊魔術の研究を行うアースデリト・コンサルタニア、巫術・補助魔術の研究を行う宗教魔術派の一団、シャーマリアン・ニルズンクルの3学科が、主に人気の高い学科らしい。
あと2学科は、召喚・死霊術、および占術を研究するナルキシアン・ホングリート、その他の座学を専攻とするワーティキナ・ハリオラーティオだ。
担当教官は属性魔術科がネルゼト・ハウガーゼン教授、特殊魔術科がアミス・スキャード教頭、宗教科が真皇教団より派遣されたというナタリア・ベルキャット司祭、召喚魔術科がタンゼン・ホグリート教授という打ち分けらしい。
そして座学科の教授が、三珠達が出会ったノハメド・ヘレクセン教授だった。なんでも、彼が座学科に就任する前には、別の講師がいたらしく、アルスファグナ魔術学院で一番歴が短いのは、ヘレクセン教授だという話だった。
「私達、ワーティキナ・ハリオラーティオ所属の扱いなんだ」
「一番生徒数が少ないからね。学生会メンバーも、座学科所属という割り振りよ」
と、そう三珠に言い聞かせてきたのは、先にワーティキナ・ハリオラーティオ所属者指定の長机に、三珠達の席を確保していたミラエル会長である。
彼女は三珠達に着席するように促しつつ、気疲れしたようなため息を吐く。
「ごめんなさいね。男子2人の方は、危険を冒したらしいことを、仲介屋の人から報告されたらしくて、スキャード教頭先生にお説教くらっているわ」
「へえ、どんな報告だったわけ?」
「森に2人だけで入ったらしいわ。報告者の人が助けてくれたみたいだけど、スキャード教頭先生は許してくれなくて、そのまま朝食の抜きのお説教コース」
「なんか、わかる……あの人、厳しそうだったから……」
そう言って着席したメルは、もはや学生会の男子メンバーなど、眼中にもないようだった。
彼女の瞳に映るのは、長机に並んだ朝食のみ。学院の朝食はバイキング方式らしく、好きな皿から好きな物をとって食べていいという。
朝食はビジネスホテル並みのラインアップといったふうだ。粗挽きの太いウインナーに、スクランブルエッグが盛られた皿。魚類のムニエルもある。
サラダボール一杯の新鮮な野菜に、主食のパンが入ったバスケットも、かなりのボリュームがあった。パン用に瓶詰のジャムも配られていて、赤紫色の甘酸っぱい香りを漂わせるジャムは、ライムベリーという果物を加工させたものだという。
市場で買ったパンが主流な旅をしている身としては、何十倍も豪華な朝食だな、と三珠は思う。魔術学院生達は毎日、カフェのモーニングと張るか、それ以上の品物を口にしているのだろうか。
旅費の確保のため、節約制圧を強いられている三珠としては、羨ましいを通り越し、もはや憎いという域に達している。スポンサーの資金力は偉大なんだな、と三珠は世知辛い世の中を知った。
「みんなは……食べないの……。早くしないと、無くなる……」
学院の生徒達が次々と食事に手をつける中、何の躊躇いもなく、それこそ周囲に溶け込むみたいに、黙々とメルは料理を口に運んでいた。
スクランブルエッグは口内でとろけるような味わいだし、料理人の腕はいいのか、調味料をつけなくとも濃い味が十分に楽しめる。粗挽きウインナーの外は、カリッとした口触りなのに、溢れんばかりの肉汁は舌を刺激し、甘さを口一杯に広げた。
魚類のムニエルは身がふっくらとしていて、魚の上にのったタルタルソースとの相性はいい。そして注目のライムベリーのジャムは、酸っぱさと甘さが見事に融合し、味の薄いパンをより引き立てる。
メルに流されるように、着席した三珠達が朝食に舌鼓を打っていると、彼女らの姿を見つけた片眼鏡をした男性が、正面の空席に座り込んだ。
「いやあ、昨日ぶりだね」
「ヘレクセン教授? どうして、ここにいらっしゃったんですか?」
「食事のためだが? 他に理由があるかな?」
「ウチらの学院は朝食時間が決められとるさかい、先生はんらも一緒なんねんな」
「私はワーティキナ・ハリオラーティオの担当教諭で、学生会の管理顧問を任されているからね。こうして挨拶をしに来たわけさ」
パンの切りこみにジャムを付けつつ、三珠達4人の姿を目に焼き付けると、ヘレクセン教授は気さくに言ってのけた。
が、三珠は驚く。任期が浅いのに、ヘレクセン教授が学生会顧問をやっているのもそうだけれど、こんなに生徒と教員の距離が近い学院とは思わず、一般的な教育機関のイメージは崩れ去りつあった。
いっそ自分がおかしいのだろうかと、そう思えてきてしまうのだ。
と、学院に馴染めない三珠に反し、ヘレクセン教授は良き教員らしく、取材班を受け入れてくれる。
「これから30日間、よろしく頼むよ」
そう言い直したヘレクセン教授が、爽やかな笑みを作る。
今後は学生会の世話になることが確定しているし、少し残念な性癖をした彼だが、三珠はヘレクセン教授に優等生然とした態度を示した、その矢先――
「1つ、この場を借りて話をさせてもらってもよいかな?」
生徒達の食事に混ざっていたらしいハウガーゼン教授が立ち上がる。その時点で、三珠も嫌な予感がしつつも、彼の話に耳を傾けた。




