「気をつけて」と魔女は忠告する
『私の〈騎士〉になり、私を守りなさい』
カーテンの向こうで太陽が輝いている。目覚まし時計でもアラームでもなく、撫子の声でハレは目を覚ました。引きこもり生活が長かったハレにとっては、ふつうの学生が登校する時間に合わせて起きるほうが異常。気を抜けばすぐにでも夢に呑まれそうだ。半年で定着した生活習慣はすぐには抜けない。
しかし視界に入った制服がハレの意識を覚醒させた。真っ赤なリボン。そこに昨日、撫子が触れたのだ。騎士になれと命じながら。
「騎士、か」
悪くない響きだ。むしろ、カッコいい。
ハレは安住の場である蓑虫蒲団をそっと抜け出した。
「ハレ。お迎えが来たわよ」
突然の姉の声に、ハレはまさかと耳を疑った。
もしかして撫子が迎えに来てくれたのだろうか。同伴登校なんて。そんな。
「おはようございます」
期待とともに朝食をかきこんで飛び出したハレを、砂糖菓子のようなやわらかい声で迎えたのは白雪だった。
「同じ通学路です。一緒に参りましょう。ね?」
小首をかしげながら誘われては、断ることなどできない。白雪はひとりだった。並んで歩きだしても、親衛隊が現れる気配はない。
「ご安心ください。人払いしてあります。わたくしとふたりきりですよ」
平安時代のお姫様のようなことを云って、白雪は心なしか距離を縮めてくる。手の甲と手の甲が触れ合って、ハレは思わず固まってしまった。
「す、すいません」
「いいえ、こちらこそ」
気まずい空気が流れる。
「きょう、迎えに来てくれたのは、あれ、ですか。集票活動の一環」
ハレは有権者だ。薔薇姫を目指す白雪にとっては一票でも多い方がいい。隙をついて奪う気かもしれず、ハレは警戒心を解けないでいた。
「いいえ。わたくしは、薔薇姫になるつもりはありません」
「えっ、せっかく候補に選ばれたのに?」
ハレが問いかけるも、白雪は悲しげにうつむいてしまう。
「それは薔薇姫さまのご推薦であって、わたくしの意思ではありません。ですからお願いしたいのです。どうか、黒姫にだけはリボンを渡さないでください」
「……なぜ?」
白雪の歩みが止まった。ハレも歩みを止めて白雪を覗きこむ。
うつむいていた白雪は、意を決したように顔を上げた。
「薔薇姫に選ばれた者は、褒賞として願いを叶えてもらえるのです。わたくしには想像もつきませんが、黒姫はきっと恐ろしいことを考えています」
「恐ろしい、こと?」
「はい、とても恐ろしいことです。黒姫は飢えた狼なのです」
つま先を伸ばして白雪がハレの目を覗き込む。おおきな瞳だ。吸い込まれそうになる。
(……あれ)
一瞬、くらりと視界が歪む。足の踏ん張りが効かなくなってよろけそうになったところで、だれかに腕を支えられた。撫子だ。
「雪姫さま。私の騎士になんの用でしょうか?」
白雪は口元を押さえて微笑む。いつの間にか親衛隊たちが後ろに控えていた。
「リボン投票のお願いをしていただけですわ。彼は有権者ですから」
「魔法をかけて、ですか?」
「誤解です。そんなに大事なら片時も離れず傍にいればよろしいのに」
にらみあう両者。そのふたりに挟まれるハレ。一触即発の緊迫した空気が流れた。先に頬をゆるめたのは白雪のほうだった。
「やめましょう。ここで議論しても仕方のないこと。すぐに分かりますわ、黒姫」
一団とともに立ち去る白雪。その姿が消えるまで撫子は険しい表情を浮かべていた。
「雨宮くん気をつけて。雪姫はああ見えて、羊の毛皮をかぶった狼なのよ」
羊の毛皮をかぶった狼。その意味を、ハレは思い知ることになる。