「私の騎士になりなさい」と魔女は命じる
「リボンを狙われている?」
放課後のファミレスでハレは大声を上げた。
「声が大きいわ。大きいのはステーキだけで十分」
撫子は険しい表情を浮かべ、フォークの先をハレに向ける。撫子の前では先ほど運ばれてきた巨大ステーキがジウジウと肉汁を噴き出していた。
「あ、ごめん。でもその、なんで?」
ステーキの切れ端を頬張る撫子。咀嚼する口元は優雅で気品漂い、とても魔女とは思えない。
ごくん。撫子の喉が震え、ステーキが食道から胃袋へと落ちていった。
「薔薇姫戦線は元々、姫候補同士が命を奪い合う決闘がはじまりなの。歴史の成り立ちからみて、有権者のリボンを奪うために奔走するよりも敵対する姫候補を蹴落とす方が手っ取り早いと思うのは当然のこと。風紀委員たちはだれかに操られていたようだけれど」
撫子によると、当初姫候補は七人だったが、紅姫を含む四人は何者かにリボンを奪われて脱落し、残りは黒姫、雪姫、青姫の三候補だと云う。青姫の陣営は分からないが、雪姫には少なくとも二十人超の配下がいる。対する撫子は友達が少なく孤立無援の状態なので、自分が有利になるために四人の姫候補を陥れたと噂を流されているらしい。
(なるほど。青木戸の云う黒い噂ってそれか)
「つまり、残る姫候補のだれかが神原さんを脱落させようとしているってこと?」
「そうね。でも敵が何人いようか構わない。私は『薔薇姫』になりたい。ならなければいけないの。そのためには雨宮くんに協力してもらわないと」
突然水を向けられ、ハレは目を白黒させた。
「なんでおれが?」
「私はいま魔力のほとんどを制限されているの。従来の十分の一も力を使えない」
撫子はこれくらい、と云うようにカットしたステーキの一片を掲げて見せた。
「魔女にも土地との相性があって、私はナス丘では十分な力が使えない。魔女協会から貸し出されたグングニルの槍・レプリカを扱うのが精いっぱい」
あの巨大なフォークはグングニルの槍・レプリカという名前らしい。槍は体内から〈悪しきもの〉を取り出すことができる。つまり撫子は操られていた風紀委員たちの悪意を取り除き正気に戻したのだ。
「ちなみに、取り出した〈もの〉を食べていたけど、大丈夫なの?」
「魔女にとって悪意や敵意は極上の果実。特に私の好物は〈嘘〉よ。蜜のようで大好き」
魔女という生き物は、思っている以上に人間とはかけ離れている。ハレは痛感した。
(おれの嘘もいつか食べられるんじゃないだろうな)
心を見透かしたように撫子が肩を揺らした。
「安心して。いくら好物でも雨宮くんの嘘に手は出さないわ。だってあなたは嘘をつくことで魔具を作動させるライアー・スキルの持ち主だから」
ライアー・スキルという格好いい響きに、ハレは状況を忘れてときめいてしまった。
「ふつうの人間は気づかないけれど、あの折りたたみ傘は魔力を感知して姿を変える魔具の一種なの。最初に会ったから、かしら? いまは私に関する嘘でないと発動しないようだけれど、訓練も受けていないのにあそこまで具現化できるのは、天賦の才能としか云いようがないわ」
撫子はおもむろに手を伸ばすとハレのリボンに触れた。直に接したわけでもないのに、ハレの心臓は激しく鳴り出した。
「もう一度云うわ。私の〈騎士〉になり、私を守りなさい」
(もしかして、あの留守電の主は……)
期待に応えたい、そんな想いがうずく。
嘘で自分ばかりを守ってきた。同じ嘘でだれかを守れるのなら。それは。
「おれ――おれ、や、やり」
ドンドン、窓ガラスが激しく叩かれた。襲撃か、と焦って椅子から転げ落ちたハレは、窓の外にいる人物を見て肩の力が抜けた。
「ハレったら、お姉ちゃんに内緒でデートするなんてずるぅい」
会社帰りの姉が頬を膨らませてぷりぷりと怒っている。
高鳴った心臓を押さえながらよろよろと体を起こしたハレに、撫子が笑いかけた。
「きょうはありがとう、雨宮くん。明日も学校で待っているわ」
さわやかな風とともに店を出る撫子。入れ違いで駆け込んできた姉は、顔を赤くしているハレを見てほくそ笑んだ。
「可愛い子だったわね。なんのお話ししていたの?」
問われたハレはどこかぼんやりとした目で遠くを見ている。
「ん……なんでもない。進路相談」
ポケットからスマホを取り出したハレは、ある人物に連絡を入れた。