「美味しそうよね」と魔女はフォークをつきつける
「あ、見て。あの方」
「オオカミ少年さんでしょう? 雪姫さまが直々にお名前をつけられたらしいわ」
「ふふ、お似合いね。オオカミ少年さん」
あきらかな悪意を含んだ呼び名から耳をふさぐように、ハレは昼休みになるなり屋上に逃げ込んできた。
「……青木戸。おれ、明日から学校来なくていいかな」
「まぁまぁ落ち着け。引きこもりの件に触れられるより、オオカミ少年だって笑われるほうがいくらかマシだろう」
うずくまるハレをとなりで青木戸がとりなしても、ダメージは回復しない。
初めての教室で、ハレはひたすら屈辱に耐えることになった。称号は自分の名よりも優先されるものらしく、顔も名前も知らない同級生や他クラスの生徒、上級生、それどころか教師にまで「オオカミ少年」と呼ばれつづけた。あきらかな嘲笑を含んだ声で。
「雪姫に他意はなかったと思うぞ。早く学校に馴染んで欲しかっただけさ」
青木戸なりの気遣いだと分かっているが、相手を擁護するような発言にハレも苛立つ。
(もういい、もう帰る。もう辞めてやる。自主退学だ。あんな留守電なんて無視だ)
そもそも電話の主の目的はなんだったのだろう。助けに来い、とはなんのことだ。
「アッパレ、元気出せよ。称号なんて一過性のもんで、すぐに忘れられる。なんたっていまは数年に一度の『薔薇姫戦線』の真っ最中なんだ」
(薔薇姫? そういえば短髪美女がそんなことを)
顔を上げたハレの顔から「興味あり」と悟った青木戸は、ニヤリと笑う。
「薔薇姫戦線は、簡単に云えば人間界で云うところのミスコン。知力、体力、容姿に秀でた『姫候補』と呼ばれる魔女の中から最も優れた魔女を選出する一大イベントなんだ」
最も優れた魔女は『薔薇姫』と呼ばれ、告示から結果が出るまでの期間を「戦線」と呼ぶらしい。ただ集票方法は性悪説に基づいた魔女独特のものだという。
「姫候補は戦線の最終日までにより多くの票を奪い合うのさ」
「奪い合う? 投票とかじゃないのか?」
「なに云ってんだよ、相手は魔女だぜ。知力や体力はほぼ互角だから、あとは魔力を競いあうのさ。『有権者』と呼ばれる生徒からあるものを奪って」
青木戸が示したのはハレの真っ赤なリボンだ。魔女である女子は全員が有権者で、男子については名簿の中から抽選で決められるらしい。
「最終日に保有したリボンの数が多い姫候補が『薔薇姫』になる。有権者から奪った分と、あとは自主的に提供された分を合わせてな。いまのところトップの集票率を誇るのが今朝会った雪姫こと天野白雪だ。姫候補はあとふたり。注意すべきは黒姫だ」
「……黒姫?」
おどろおどろしい名だ。青木戸も思わせぶりに笑っている。
「黒姫はおれたちと同じ学年にいるんだけど、やたらと魔力が強くて、現薔薇姫でも力では及ばないという。ただいろいろと黒い噂もつきまとってるんだよ。たとえば――」
わざとらしく言葉を切る青木戸。ハレはこらえきれずにじり寄った。
「なんだよ、もったいぶって。早く云え」
「ここから先はおまえにも云えん。これでも新聞部だからな」
会話を打ち切るように立ち上がってしまう。ハレは無性に悔しくなった。
「青木戸、この、薄情者ッ」
「知りたければ学校に来て自分の目で確かめるんだな。んじゃーおれゴミ捨ててくるわ」
そう云って屋上から立ち去ってしまう。残されたハレは拍子抜けした気持ちになった。
(なんだ。もしや、おれの興味を引いて登校をつづけるよう仕向けたのか?)
青木戸とは中学からの腐れ縁。真実との間に起きたことは話していないが、情報網を使ってある程度は知っているのだろう。だからこの半年間なにも云わなかったのだ。
姉が黒猫事件を疑わなかったように、青木戸もパピプペポ病なんていう〈嘘〉を信じたふりをしてくれたのだ。
(……悪かったと、思ってるよ。迷惑かけたとも思う)
真実の嘘で傷ついた分、だれかを傷つけてやろうと思ったのは事実だ。だけど悪者にもなりきれず、気がつけば嘘を固めて自分の身を守っていただけだった。自分を守ることしかできない嘘を他人のために使うことができたなら、どれだけ幸せだろう。たとえば今朝遭遇した黒髪の魔女を助けたように。
(そんな場面は、そうそうないけどな)
「――黒姫さま、少しよろしいですか?」
遠くから聞こえた声にハレはどきっとした。離れたところに数人の女生徒の姿がある。彼女たちにとってハレたちは死角になっているのか、構わず言葉をつづける。
「今朝ほど、紅姫さまがエリアCで倒れていたと報告がありました」
『風紀委員』の腕章をつけた一団がだれかを取り囲んでいる。姿かたちは見えないが、話からすると黒姫だろう。
「紅姫さまは遅刻を重ねるあなたを常々注意していました。昨日は家庭訪問を予定していたそうですが、あなたが霊園に誘導したとか」
(ちょっと待てよ。その話、どこかで聞いたような)
ハレは精いっぱい爪先を伸ばして、黒姫なる人物を覗き見ようとした。
「なにか異議はありますか? 黒姫さま」
「いいえ。ここでなにを云っても無意味だもの。時間の無駄だわ」
挑発的な言葉とともに立ち上がったひとつの影。それは。
(あの魔女じゃないか、やっぱり同じ学校だったのかよ)
神原撫子。そう名乗った魔女だ。食事中だったらしく、左手のフォークに卵焼きを刺していた撫子は、それを一口で呑み込んだ。
「本題をどうぞ。あなたたちは真偽を確かめに来たの? それとも警告? それとも」
撫子は自分の胸元に咲く真っ赤なリボンに手を乗せる。
「発見されたとき、紅姫さまのリボンは無くなっていました。あなたは錯乱した紅姫さまを魔法で打ち倒し、リボンを奪ったのではないですか?」
ハレは耳を疑った。撫子は短髪美女のリボンには手を出していない。この目で見た。
「姫候補自身がリボンを奪われたら、その時点で失格だものね?」
肯定も否定もせずそう問う撫子はどこか楽しそうだ。姫候補がもつリボンは数のひとつとしてカウントされるだけでなく姫候補の「資格」という意味が含まれる。すなわちリボンを無くした紅姫は失格だ。
「認めましたね。あなたに薔薇姫になる資格はありません。あの方こそふさわしい」
そう叫んだ瞬間、風紀委員たちの手に弓道の弓が現れた。赤々と燃える矢をつがえ、
「構え。放てッ」
号令とともに一斉に放つ。
一閃。撫子の手に現れた巨大なフォークが振るわれた瞬間、突風が起きて矢を飲み込んだ。勢いをなくした矢はバタバタと足元に落ちる。
「次ッ」
委員長の掛け声で燃え盛る砲丸を手にした巨漢の風紀委員が歩み出る。
あんな鉄の塊を投げられたら、風でも防げない。
(どうにか、どうにかしないと。そうだ、傘)
ハレは弁当箱とともに持ってきていた鞄に手を差し入れると、傘を取り出した。しかし使い方がまだはっきりしない。
(嘘をついて気を引こうとしたときに、マシュマロが発射されたんだ。だけど、たまたまかもしれない。失敗したらおれも狙われる。どうする、どうする、おれ)
ためらうハレの前で、砲丸の炎がより大きくなった。悩みは一瞬で消える。
「ふ、風紀委員さんッ」
大声を張り上げながら傘を持って駆け寄る。一瞬視線が集まった。
「おれ、おれ、規則を破りました。おれ」
脂汗がにじみでる。もうどうにでもなれ、ハレは自棄になった。
「女子更衣室に潜入して雪姫さまのパンツかぶってしまいましたぁあああーーーーッ」
『ぬぁんだとぉおおおおーーーー』
鬼の形相で風紀委員たちが迫ってくる。しかしハレの傘はびくともしない。
「あれ、あれ、マシュマロが出ない。マシュマロ出ないーッッ」
揺すっても叩いても開いても傘は傘。しかし風紀委員たちはすぐそこ。
(あぁ、もうダメ。今度こそマジでダメだ……)
消えかかる意識の中に撫子の凛とした声が響く。
「雨宮くん、もう一度。もう一度嘘をついて。私に関する嘘を」
ハレは失神寸前で我を取り戻し、なんとか傘を構えた。
「神原さんのパンツの色は、白だぁあああーーーー」
どうしてこう下ネタしか出ないんだと内心呆れつつハレが叫んだ瞬間、傘が光り、なにかが発射された。風紀委員たちの動きがぴたりと止まる。現れたのはKEEP OUT(関係者以外立ち入り禁止)のテープ。ハレと風紀委員たちとの間を遮っている。
「な、なんの、これしき」
風紀委員長は腰の高さに張ったテープを乗り越えて前に進もうとするが、風紀委員としての正義感からか、なかなか動けない。するとテープは生き物のように弧を描き、風紀委員たちをまとめて縛り上げ、手足の自由を奪った。
「く、くそぅ、こんなもので」
うめいても手遅れ。風紀委員たちの目の前にはフォークを掲げた撫子の姿。
一瞬だった。フォークが彼女たちの体を貫く。
「神原さんッッ」
意識を失って倒れこむ風紀委員たち。ハレが駆け寄るとKEEP OUTのテープは消えた。
「いくら魔女でもフォークで刺されたら痛いはず、だろ。……って、あれ」
撫子の手にはふつうサイズに戻ったフォークが握られている。そこには風紀委員の人数分のあんころ餅が刺さっていた。一体どこから、と言葉を失うハレの足元で、倒れていた風紀委員たちが体を起こす。
「あれ、私たちなにを……ってちょっと、あんた、胸触ってる」
「え、おれは」
「きゃー、スカートが乱れてる。あんたのせいね」
「いや、おれは」
「こいつオオカミ男よ。最低だわ。変態ッ」
(ちがいますオオカミ男じゃなくて少年のほうで……)
ハレは平手で頬を殴られ、無残に床へ転がった。風紀委員たちはハレの蛮行を非難しつつも、撫子には目もくれず屋上を飛び出していく。
(絶対に、絶対に明日からまた引きこもりを……)
「はいじょふぶ? はまみやふん。ごくん、お餅、食べる?」
青空にかたく誓うハレの視界に撫子が入りこむ。さらさらの黒髪が肩から流れ落ちてきれいだ。やけに口をもごもごと動かしていると思ったら、さきほどの餅を頬張っている。しかも数個同時に。とてもではないが襲われていた人物とは思えない。
ハレはそぉっと視線を移動させた。
「…………黒、だったか」
目の前の事実を口にした途端、顔面にフォークの先端が突き付けられた。
「ねぇ雨宮くん。レアとミディアム、どちらが好き? 美味しそうよね、目玉」