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嘘つきは魔女のはじまり  作者: せりざわ。
引きこもっている間も、町は平和そのものでした。
3/13

「また学校でね」と魔女は告げる

〈魔女支配下における手引き〉にはこうある。

『その一、人間はあくまでも人間らしく人間の生活を営むこと』


 意を決して玄関を出たハレの目の前には、しかし、半年前と変わらぬ街並みが広がっていた。人口は減少の一途をたどり少子高齢化が進んでいるものの、空に黒い雲が立ち込めているわけでもなく、車の代わりに箒にまたがった魔女が飛行しているわけでもなく、近所の庭先であやしげな儀式が行われているわけでもない。

 学生やサラリーマンが通学・通勤し、主婦が立ち話をし、吠える犬を尻目に黒猫が横切る、そんなごくふつうの風景がハレを迎え入れた。


(……そうだよな。魔女なんて実在するわけないし。嘘に決まっている)


 安堵したハレは〈魔女支配下における手引き〉をくるくると丸めて鞄に押し込んだ。鞄の底にピンク傘の柄がちらりと見えたが、姉なりの元気づけだと思うことにした。

 胸元のリボンを揺らしながら通学路を進んだハレは、大通りの交差点に差しかかった。三、四階建てのビルが立ち並び、ナス丘町内でも比較的賑わう場所なのだが。


「……あれ」


 思わず声が出た。いつもなら人混みにあふれ、車がせわしなく行き交うはずなのに。

 だれもいないのだ。立ち並ぶビルのモニターはいずれも真っ暗で、店もすべて閉まっている。鳥の声だけがかすかに聞こえてきた。


「なんで、だれもいないんだ。まるで」


 ――ヴォンッ。おおきな電子音を立ててモニターに明かりが灯った。赤、白、青、黄とめまぐるしく画面が変転する。最後に、『戦闘開始』の文字が浮かびあがった。

 次の瞬間、轟音とともに空から巨大な塊が落下した。モニターに直撃し、細い煙が幾重にも立ちのぼる。十字架だ。モニターには亀裂が入り、砕けたガラス片が地上にいるハレ目がけて落下してくる。


「わー、わー、わー」


 ハレは叫びながら鞄をあさり、間一髪のところでピンクの傘を差した。バン、パン、と傘の上部に軽く衝撃があったが無傷だ。思わず安堵のため息が漏れる。


「人間がここでなにをしているの? 立ち入り禁止区域よ」

「ぎゃあっ」


 すぐ後ろから聞こえた声に飛び上がってしまった。だれかがいるとは思わなかった。


「あのぅ、おれ、学校に……」


 傘を折りたたんでおそるおそる振り返る。そこで息を呑んだ。

 少女だ。一度目にしたら一生忘れられない、そう確信できるほどの美少女。

 腰まで届く少女の黒髪はポニーテールに結ばれ、風に揺れている。ハレには見覚えがない黒い制服を着ているのだが、胸の膨らみと腰の細さが異様なほど目立っていた。黒タイツを履いているため露出している肌はわずかな部分だけだが、計算しつくされたように白く引き立って見える。扇のような睫毛に縁取られた瞳は、じぃっとハレを見つめていた。


「手引きを読んでいないのね? ナス丘のいくつかの地域は魔女の訓練場になったの。人間がむやみに立ち入ったら命の保障はないわ」


 その言葉に、ハレは手引きをあわてて引っ張り出した。


『その一、人間はあくまでも人間らしく人間の生活を営むこと。ただし特定の地域への立ち入りは厳しく禁ず』

 と記され、町内地図に赤丸がされている。ハレがいるこの交差点もそのひとつだ。


「本当はまだ訓練開始時間じゃないんだけど、厄介な人に狙われているの。見て」


 少女の細い指が示す先にはお揃いの黒い制服を着た美女がいる。顔が小さく手足の長い八頭身美女で、短く切った髪がうなじを覆っている。獣のように左右に体を揺らし、右腕には山本家と彫られた墓石を抱えていた。


「……じょ、まじょ、かんばら……ころ、す、殺すッ」


 ぶつぶつと呟かれる呪いの言葉。呼吸は荒く、フーフーと息を吐くたびに胸元の赤いリボンが揺れた。


「い、一体なにがあったんですか? どう見てもふつうじゃない」


 少女は悲しげに目蓋を伏せると、驚くべき事実を語りだした。


「彼女、同じクラスの学級委員長なのよ。私が遅刻常習犯だから家庭訪問すると云うの。仕方ないからテキトウな地図を渡したら霊園に行ってしまったらしくて。怒っているの」

「委員長になにしてるんだよーッ」


 ハレは精いっぱいの抗議の声を上げたが、少女は無表情のまま平然としている。それどころか、左手に握ったフォークをくるりと回して遊んでいた。今朝ハレがナポリタンを絡ませたようなごくふつうのフォークだ。


「あたしは……あたしはなぁ、幽霊とかお化けとか怖いものが大嫌いなんだーぁッ」


 と短髪美女が墓石を投じてくる。迫りくる御影石にハレは命の危機を感じた。


(もうダメだ。家を出て数百メートルも歩いてないのにぺしゃんこになるんだ)


 ハレは己の人生を恨みながら目を閉じた。……どれくらいだっただろう、いつまで待っても体への衝撃はなく、三途の川も見えない。恐る恐る目を開けて見上げた先に、ハレをかばうように佇む少女の後ろ姿があった。


「委員長には悪いことをしましたね。まさか霊園とは知らず。担任教師の家の地図を渡したつもりが住所を間違えていたようです」


 悪質な少女は黒髪をなびかせ、女神のように凛々しい。その左手に握りしめる――


(フォーク?)


 二メートル近い巨大なフォークも朝日を浴びて光を放っていた。


「ほぅ、薔薇姫より下賜されたグングニルの槍・レプリカか。『紅姫こうひめ』と称されるこの長谷川アリスの上腕二頭筋とどちらが強いかな」


 短髪美女は巨大なフォークに臆するどころか、腕を回して楽しげだ。


「あなた、怖いんでしょう? いまのうちにさっさと行きなさい」


 ハレにだけ聞こえる声で促される。我に返ったハレは鞄を抱いて走り出した。


(助かった。生活態度に関する問題ならふたりで勝手にやってくれ)


 このまま逃げればいい。学校にじゃない。平和で安全な蓑虫蒲団の中へ。いざ。


「きゃっ」


 走り出した背後で短い悲鳴が聞こえた瞬間、ハレの足がぴたりと止まった。無視して走り去れ、と頭の中で声がするのに、振り返ってしまった。

 見ると、少女は落下したモニターに追い詰められていた。彼女の動きを封じるように体の周りに卒塔婆が突き刺さっている。短髪美女はすぐ目の前まで迫っていた。


(なんて罰当たりな光景なんだ。関わらない方がいい。絶対に)


 そんな想いとは裏腹に、ハレの足は地面に張りついたまま動かない。


 ――怖いんでしょう?


 少女の言葉がよみがえる。当然だ。痛いものは痛い。怖いものは怖い。ちっぽけな正義感なんかで命を失ったらただの莫迦だ。相手は人間離れしている。


(でも、嘘で気を逸らすくらいできるかもしれない。相手は正義感の強い委員長だ)


 可能性を思いついてしまったハレは自分を恨んだ。しかし舌が先に動いた。


「い、委員長。おれ、とんでもないこと、してしまいました」


 ささやくような声だったが、短髪美女はすぐに反応した。ハレは声が裏返らないよう傘を握りしめる。


「おれ、おれ……その子に、とても破廉恥な、ことを」

「なんだとぉおおおーーーー」


 鬼の形相に変わった短髪美女が土を蹴った。


「おれ、その子の胸に指立ててがっつり触ってしまいましたぁあああーーーー」


 もうどうにでもなれ、とハレは心の中で叫んだ。


「雨宮くん傘を掲げなさい、早くッ」


 少女の叫び声。ハレは訳が分からないままピンクの傘を掲げた。その先端が猛ダッシュしてきた短髪美女の鼻先にタイミングよく当たった瞬間、傘から光が放たれた。

 ぼふッ。

 前のめりになった短髪美女の上体が深く強くめりこんだ。ハレの体――ではなく、マシュマロのような塊に。


「うう、ううう」


 低くうなる短髪美女をマシュマロは執拗に包み込む。これでは息ができないのではないかとハレが冷や汗を流したとき、少女が跳躍した。巨大なフォークがぎらりと光ったかと思うと、柄の先が短髪美女の後頭部にコンと当たった。その衝撃で短髪美女はぐたり、と失神する。マシュマロがうまくクッションになった。


「…………えーと」


 目の前でなにが起きたのか、ハレの思考は追いつけない。手にしていたはずの傘はいつの間にか黄金色の銃に変わっていた。ますます訳が分からない。銃はすぐに傘に戻る。


「……と、あれ。あの子は」


 きょろきょろと周りを見渡すが黒髪の少女の姿はない。しかし予想もしない方向から声が降ってきた。


「あなたの〈嘘〉のお陰で助かったわ、オオカミ少年」


 声は頭上から降ってきた。そう、頭上の、信号機の上から。


「私は神原撫子かんばら なでしこ。また学校でね」


 少女――撫子は信号機を飛び石のように渡っていく。その手に例のフォークはないが、風に吹かれて軽やかになびく黒髪といい、黒い制服といい、黒いタイツといい。


「――……魔女だ」


 やはり魔女は襲来していたのだ、この町に。だとしたらナス高はいまごろ――。


(そういえばなんでおれの名前知ってるんだ? っていうか、また学校で?)


 嫌な予感がするも、相手はすでに西の空に消えている。学校のある方角だ。

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