9:重装令嬢の荷造り
日が暮れないうちに森を抜け、市街地で調達を済ませて馬車を拾う。そのまま馬車の中で一晩過ごせば、明日の夕刻には宿のある街に着くだろう……と、地図を片手にパーシヴァルが話す。
それに対してモアネットが待ったをかけた。市街地と彼の言う街、その二つを地図上で見てもそうたいして離れていないように見える。歩くならばまだしも馬車で移動となれば一晩を過ごす必要もないだろう。市街地の宿で一泊し、早朝出掛けても十分に間に合うはずだ。
そう訴えるも、パーシヴァルが地図を片手に盛大に溜息をつき、そして瞳を伏せて首を横に振った。
「モアネット嬢、この旅を普通の旅と思わない方が良い」
「……はぁ」
「ここ一年、アレクシス様が馬車に乗ると車輪は外れ扉が吹っ飛び馬が暴れだす」
そう語るパーシヴァルの言葉に、モアネットが瞳を細めた。
次いでアレクシスを見れば、疲労を全面に押し出した表情の彼は半ば項垂れるように頭を下げている。どうやら彼の不運の呪いは馬車でも逃げ切れないものらしい。
だからこそ今日の内に出発したいのだという。そのうえアレクシスが小さく「市街地の宿は……」と深刻な声色で呟くのだから、これにはモアネットも鎧の中で肩を竦めてギッという音で了承の返事とした。
そうして荷造りを初めて今に至る。
ずっと一人でこの古城で過ごしていたのだ。自室なんてものは無いに等しく、元々の大雑把な性格もあってかあっちこっちに物が置いてある。
着替えに寝間着、羊皮紙にペンに魔術書……と、それらを歩き回りながら集めて、必要か否かを判断してトランクに詰めていく。不要なものをまたあちこちに置きっぱなしにするのだから、もしも次の荷造りがあればまた苦労するだろう。……次の荷造りなんて無いに越したことはないのだが。
そんな面白い事など何一つない荷造りなのに、どういうわけかパーシヴァルが終始あとを着いてきていた。
時には「それは何だ」と覗き込んだり、時には重いものを持つのを手伝ってくれたり。かと思えば無言でジッと見つめてくる時もある。そうしてモアネットが部屋を移動すればその後を着いてくるのだ。
いったい何がしたいのか。疑って見張っているのだろうかと彼を見上げれば、怪訝な表情で魔術書をめくって眉間に皺を寄せていた。――ちなみにアレクシスは椅子を直している。まぁ、先程トンカチで己の指を打って呻いていたので直せるかどうかは定かではないのだが――
「パーシヴァルさんも椅子を直してください。それか、ワインセラーから何本か高く売れそうなもの選んできてください」
「売るのか?」
「私の為の資金です。私が豪遊するために」
「分かってる。貴女の金まであてにはしない」
きっぱりと言い切るパーシヴァルに、モアネットはさして返事もせずトランクへと視線を戻した。
そうして荷造りを再開するのは、彼とさして盛り上がる話題も無ければ歓談する気も起きないからだ。ワインセラーからワインを選んできてくれれば良いと思っただけで、彼にその気がないのならわざわざ頼む程でもない。かといって無下に追い払うのも疚しい事があるみたいなので避けておく。
つまり『どうぞご勝手に』ということだ。現状、モアネットの関心は彼よりトランクにある。
そんな荷造りの中、ふと本の合間から出てきた画用紙にモアネットが小さく声をあげた。
クレヨンで描いた絵。並ぶように描かれている二人の女の子は、線も歪んで色もはみ出てお世辞にも上手いとは言えない。まさに子供が描いた絵だ。
それを見てモアネットが兜の中で瞳を細めた。……なんて懐かしい。
「モアネット嬢、それは?」
「幼いころに妹と描いた絵です。懐かしいな」
「妹……」
パーシヴァルが僅かにその名前を口にしかけ、そして声に出さずに留めた。その気遣いにモアネットが兜の中で一度瞳を閉じる。
それと同時に瞼の裏に浮かぶのは幼い少女の姿。可愛らしい妹、幼いころは体が弱く共に避暑地で過ごしていた。何もないあの別荘で、二人でずっと絵を描いて夢を語っていたのだ。
お菓子と画用紙とクレヨン、そして玩具の宝石。それが姉妹の全てで、着飾ってお茶会の真似ごとをしたり美しいドレスを描きあっていた。
『きらきらしたお姫様になりたい』
そう語り合っていた日の事が脳裏によぎる。
……そしてよぎったその光景を掻き消すように画用紙を折り畳んだ。もちろんトランクには入れない。
「パーシヴァルさん、見てるだけなら手伝ってください」
「モアネット嬢……」
「早く出発したいんでしょ。それか奇行に走らないように今のうちに寝ておいてください」
パーシヴァルの言葉に被さるようにモアネットが告げれば、意図を察したのか彼が小さく息を吐く。
どうやら言葉の裏に含んだ「これ以上触れてくれるな」という訴えに気付いてくれたようで、モアネットが兜の中で微かに安堵の息を吐く。……そして、
「奇行言うな」
と咎めてきたパーシヴァルの言葉には、気付いていたかと舌打ちをした。
「奇行を奇行と言って何が悪いんですか」
「少し寝ぼけただけだ」
「『モアネット嬢、貴女はなんて良い子なんだ。本当に可愛いにゃんこだ、貴女は絵が上手い』」
「やめろ、一字一句再現するな!」
昨夜の彼の奇行を再現してやれば、パーシヴァルが慌てて制止してくる。
どうやら己の奇行が恥ずかしいのだろう、その表情には焦りさえ見え、モアネットがしてやったりと兜の中で笑んだ。
そうして少し気が晴れたと荷造りを再開し、手にしていた部屋着を一度広げる。
シンプルながら胸元のリボンが可愛らしいオフホワイトのワンピース。ラフな着心地が気に入っており、これは持って行かなければと丸めてトランクの隅に詰めた。
「今のは何だ?」とは、その瞬間にかけられた言葉。見ればパーシヴァルが驚いたと言わんばかりの表情でこちらを見ている。
「何だって、何がですか?」
「今のワンピースだ」
「私の部屋着ですよ。嫌だな、ジロジロ見ないでください」
デリカシーの無い方だ、とモアネットが咎める。
それに対してパーシヴァルはいまだ唖然とし、「モアネット嬢が?」と漏らすように呟いた。信じられないものを見たとでも言いたげな表情に、モアネットの中で不満が募る。
荷造りをして、可愛い部屋着をトランクに詰めただけで何故ここまで驚かれなければならないのか。
「失礼ですね。部屋でくらい好きなものを着たっていいでしょう」
「いや、だって……入らなくないか?」
「なんですか、太ってるって言いたいんですか?」
「そうじゃなくて、腕とか、肩とか、頭だって入らないだろう……」
そう話すパーシヴァルの表情には困惑の色が見え、しきりに「破かないのか」だの「どうやって着るんだ」だのと尋ねてくる声に冷やかしや蔑みはない。純粋に、心の底から疑問を抱いていると言いたげだ。
そんなパーシヴァルの様子に、モアネットはいったい何を言われているのかさっぱり分からずギゴッと音をたてて首を傾げた。
どうやっても何も、こんなシンプルなワンピースの着方など説明せずとも分かるだろう。
頭からすっぽりと被り、手を出して終わりだ。もちろん全身を纏うこの鎧を脱いで。
……この鎧を、脱いで。
「……一人の時は脱ぎますからね?」
「脱ぐ?」
「中に人が入ってますからね? 鎧が本体じゃありませんよ」
あくまで鎧は着脱するものだと話せば、パーシヴァルがしばらくキョトンとし……。
「よし、ワインを選んでくる」
と、そそくさと去っていった。なんとも白々しい撤退ではないか。
その背中を見つめるモアネットの視線はひどく冷ややかだったが、生憎と兜越しなのでパーシヴァルには届かなかっただろう。……いや、立ち去る背中が何とも言えない情けなさを漂わせていたので何かしら感じ取っていたかもしれないけれど。
「……結局、あの人なんでついてきてたんだろ」
ギゴッと音をたてて首を傾げ、それでも再び荷造りへと取り掛かった。