7:魔女は気まぐれ
「さて、それじゃアレクシス様の不運の呪いと、パーシヴァルさんの眠くなると奇行に走る呪いについてですが」
「モアネット嬢の呪われた画力と生み出される化け物についても話し合おうか」
「可愛いにゃんこ!」
失礼な!とモアネットが喚けばパーシヴァルが応戦的に鼻で笑う。そんな二人に対してアレクシスが呆れたと言わんばかりに溜息をつき……そしてその微かな振動で椅子が崩壊して床に頽れていった。
時刻は昼過ぎ。
たっぷりぐっすり眠ったアレクシスとパーシヴァルに昼食を食べられ、モアネットが不満気に残りの食料を眺めてからしばらく。
聞けば午前中は比較的呪いの影響も少ないらしく、ならば今のうちに……と話し出そうとした矢先にこれである。
思わずモアネットが「床に座ってください」とアレクシスにクッションを差し出す。
「モアネット嬢、王子を床に座らせるとは失礼にも程があるぞ」
「良いんだよパーシヴァル。僕が座ると椅子が壊れるから、もういっそ床にっ」
床に座ると言いかけたアレクシスの言葉が途中で止まった。言わずもがな、床に座ろうとして、そして再び豪快な音と共に地下へと落ちていったからだ。
ドグシャァと威勢の良い音が響き、木屑が舞う。
「お、王子! 大丈夫ですか!?」
「あぁ、だいじょ……おはようロバートソンとお友達! 頼むからこっちこなっ……!」
あ゛ぁー! とアレクシスの悲鳴が聞こえ、パーシヴァルが慌てて地下へと向かう。
そんな彼の後を、モアネットが「噛んじゃえロバートソンとファッショナブルなお友達!」と煽りながら追いかけた。
そうして仕切り直しである。
これ以上床に穴を開けられたら堪ったものではないと、地下のワインセラーに簡易的なテーブルセットを用意する。この際、パーシヴァルが興味深そうにワインを眺め「これは」だの「この年代まで」と呟いているのは放っておこう。試しに「椅子一脚の修理につき一本差し上げます」と冗談交じりに声をかければ、割と本気の表情で頷かれた。
そんなワインはさておき、改めて呪いについての話し合いである。
モアネットがテーブルに書物を広げれば、アレクシスとパーシヴァルがいったい何かと覗き込んだ。だがすぐさま二人の頭上に疑問符が浮かぶ。
なにせ広げた書物は一つとして彼等の読める文字ではないのだ。いや、文字として認識できるかも定かではない。まるでミミズがのたくった様な不規則な線の羅列を前に、王子として数ヵ国の言語を学んだアレクシスさえも首を傾げる。
「モアネット、これはどこの国の文字だ?」
「これは魔女の文字。魔女だけが理解し使用する、魔女の血筋だけが扱える特別な文字です」
「君は読めるの?」
「読めるようになった、というべきですね」
そう説明しながらモアネットが魔術書をめくる。
魔女の家系にだけ伝わる魔女の文字。本来であれば親から子へと継がれていくものなのだが、生憎とアイディラ家はとうの昔に放棄してしまった。存命の親族に見せて回ったところで「なんだこの汚い線は」と言い着られるのがオチだろう。
そんな魔術書なのだ。アイディラ家ではもう用済みとされ、屋敷の屋根裏にしまわれていた。
それをこの古城に移り住む際に片っ端から持ってきたのだ。何もない古城に籠もり一文字ずつ読み解き、そして呪符を扱えるようになった。
「この本に呪いのことは書かれているのか?」
「それっぽいのは幾つか……。はいそこ『やっぱりこいつか』みたいな顔しない。アレクシス様も頭を下げないでください」
犯人扱いしないでください、とモアネットが二人を咎める。
ここまで協力して、そのうえ寝食まで提供させられて犯人扱いなど気分が悪いどころではない。そうモアネットが訴えれば、二人はパッと表情を変え、それどころか話題を魔術書に戻してしまった。
その切り替えの早さと言ったらなく、思わずモアネットが「茶番に付きあわせないでください」と兜の中で彼等を睨み付けた。
「魔女の魔術書に呪いが書いてあるってことは、やっぱり僕は魔女に呪われたのか。いったい誰に……」
「どの魔女かまでは流石にわかりません。アイディラ家は魔女の名を捨てましたが、世界にはまだ魔女の家系が幾つも残っています。その魔女の恨みを買ったか、もしくは誰かが魔女に頼んで呪わせたか……」
どちらかだと言いかけ、モアネットが口を噤んだ。
話を聞くアレクシスが穏やかに笑っている。だが眉尻は下がり、細められた深い茶色の瞳は切なげ。それでも口元は無理やり弧を描こうとしているのだ。溜息のようなか細さで「そうだね」と答える声は微かに掠れ、その様はなんとも言えぬ痛々しさがある。
居た堪れないとモアネットが頭を掻いた。鉄の指が兜をギリギリと擦る。
見ればパーシヴァルもまた苦し気な表情を浮かべてアレクシスへと視線をやり、何かを言いかけ……そしてもどかしそうに口元を引き締めた。慰めたいが上手い言葉が出てこないのだろう。
それを不甲斐ないと悔やむ表情もまた心苦し気で、モアネットが重苦しい空気の中で小さく溜息をついた。
もっとも、その溜息も厚い兜に遮られて彼等には届くまい。
だが事実アレクシスは呪われており、そして呪いを掛けた犯人が誰かは分からない。
世にはいまだ現役の魔女の家系が幾つもあり、独学の新米魔女であるモアネットが彼女達の術を探ることは不可能に近い。
なによりアレクシスの不運具合だ。
病気や怪我はするが命を落とすことはなく、後遺症を負うこともない。狼に追われたりと危険な目にもあってはいるが、毎度ギリギリながらに助けられているという。椅子が壊れたりテーブルが壊れたりと巻き込まれているが、それだって負うのは軽傷だ。
魔女の呪いにしては弱すぎる。
「呪いも呪符と同じ、掛けた者が遠ざかったり眠ったりすれば効きが弱まります。優れた魔女が遠くから呪っているのか、弱い魔女が近くで呪っているのか、もしくは探られまいと呪いの威力を押さえているのか、加減した呪いなのか……」
「昨夜コップを使って呪いを確認したが、同じように探ることは出来ないのか?」
そう尋ねてくるパーシヴァルに、モアネットが無理だと首を横に振った。ギッギッと兜が左右に揺れる様はさぞやシュールだろうが、今のアレクシスとパーシヴァルにはそれを気にする余裕はない様だ。
二人共神妙な面持ちでモアネットの話を聞き、そして視線を向けてくる。深い茶色の瞳と碧色の瞳。睨まれているわけでもないというのに貫かれるような息苦しさを覚え、モアネットが顔を背けると共に魔術書をめくって彼等の視線を己からテーブルへと誘導した。
鉄の兜は表情も溜息も隠してくれる……。ただ頬をツゥと流れる汗だけは拭うことが出来ず、咄嗟に手甲で触れてもカチンと鉄のぶつかる音だけが聞こえてきた。
なんて不便なのだろうか。
「私には呪いを探ることは出来ませんが、隣国にいる魔女なら出来ると思います。アイディラ家と違って代々続いていた魔女の血筋、魔術も呪いも私とは比べものにならないはず」
魔術書の隣に地図を広げ、おおよその位置を鉄の指でトントンと叩く。
国境を示す線の上。行って帰って、馬車を使えば半月あたりだろうか。国境の森を抜けて谷を進み……と険しい道もあるだろうが、それでも行けないこともない道程だ。
予想外の近さに手がかりがあると知り、アレクシスとパーシヴァルの表情に僅かながら安堵の色が浮かぶ。
だがそんな二人に対し、モアネットは魔術書を読みながら「ですが」と不穏な前置きをした。
「魔女は気まぐれです。誰が相手だろうと、どんな用事だろうと、気分が乗らないと協力しません。そもそも姿を現さないかもしれない」
「そういうものなのか? 王の命令でも?」
「元々魔女というのは人でありながら一線を画した存在だったようです。だからたとえ王族が相手だろうと気分次第、それでいてぞんざいに扱われれば敵意をもって返す。どこの国でも、気分屋な魔女の扱いには苦労していたみたいです」
「なるほど。俺達が行っても協力どころか会えるかすら分からないのか……」
どうしたものかとアレクシスとパーシヴァルが顔を見合わせる。
そんな二人をよそに、モアネットは魔術書をパラパラとめくりながら、
「魔女同士はそうでもないみたいですね」
と呟いた。
……うっかりと、呟いてしまった。