短編:全身鎧の令嬢のあまり危機感のない危機的状況(前)
ガシャン!! と大きな音が城の一室で響き渡った。
豪快な音だ。その音を聞きつけた者達がすぐさま救助に駆けつけ……、は、残念ながら無かった。
広い王城のため気付く者が少なかったのだ。更に言えば、気付いた者も聞こえてきた音から「誰かなにか落としたのか」だの「ティーワゴンを倒したのかも」だのと問題視せず聞き流してしまった。
実際には倒れたのはティーワゴンではなく、一式揃った全身鎧だ。
これはこれで大問題である。仮にひとが巻き込まれていたら怪我をしかねない。だが幸い、全身鎧が倒れた時は周囲には誰も居らず、巻き込まれる者はいなかった。
……全身鎧の中には居たのだが。
「やってしまった……」
後悔の色を強めてモアネットが呟いた。仰向けに倒れた全身鎧の中で。
見えるのは天井のみ。さすが王城の一室、天井も高く、そして綺麗な模様が描かれている。数ある客室の一つと言えども手を抜かない品の良さが窺える。
そんな天井を眺めつつ、つい数分前までの己の迂闊さを悔やんでいた。
「まさか軽量化の呪符の効果が切れちゃうなんてなぁ……。まぁ、そろそろだとは思ったから言うほど『まさか』じゃないんだけど」
そんな独り言を口にしつつ、天井を眺める。
いったい何があったのかといえば、たんに全身鎧に掛けていた軽量化の魔術が切れてしまったのだ。
その瞬間に一気に鎧は本来の重さを取り戻し、哀れモアネットはバランスを崩してガシャン……、である。幸いなのは仰向けに倒れた事だろうか。うつ伏せよりは視界も良好でマシだ。
ちなみにこういう不慮の事故を防ぐため、軽量化の魔術は部位を細かく分けて施している。両腕と両足、胴体、頭部。だが今回は運悪く胴体と両腕の効果が同時に切れてしまった。おかげで立ち上がれないし、新たに呪符を作ることも出来やしない。頭部も装飾が邪魔してあまり動かせない。
「油断してたなぁ」
あと一日は持つかな、と軽く考えていた事が悔やまれる。そろそろだと思った時に魔術を掛け直すべきだった。
だが後悔をしたところで効果が切れたものは仕方ない。今はこの状況をどうするかだ。
「ロバートソンに来てもらおうかな。でも、さっき外に散歩に行くって言ってたし、すぐに帰ってきて貰うのも申し訳ないなぁ」
過去森の中の古城で暮らしていた際、二度ほど同じような状況に陥ったことがある。
あれは確か、まだ全身鎧の生活に慣れていなかった頃と、そして風邪を引いて体調を崩していた時だ。軽量化の魔術の加減が分からず、魔術切れの気配も察することが出来ずにいた結果、突如効果が切れてガシャンと倒れてしまったのだ。
森の中にあるモアネット以外はひとの寄り付かない古城。その中で動けなくなるのは結構な危機的状況である。下手すれば死の可能性すらある。
だがモアネットには心強い味方がいる。『ロバートソン、助けて! ロバートソン!』としきりに名前を呼んだところ、八本足の親友はどこからともなくカサカサと現れ、そのうえポシェットにある予備の呪符を引っ張り出して渡してくれたのだ。
思い返せば、あの時すでにロバートソンは使い魔になってくれていたのだろう。
そうでなければ、いかに共存しているとはいえ人間と蜘蛛がそこまで意志の疎通が出来るとは思えない。
「ロバートソン、そんなに昔から私と一緒に生きることを決意してくれてたんだ……」
深い友情を感じ、モアネットの胸が温まる。
……現在地は変わらず仰向けに倒れた全身鎧の中なのだが。
「やっぱりすぐにはロバートソンは呼べないや。呼ぶにしてももうちょっとこのままで居よう。なんだったら寝てもいいし」
いくら両腕と胴体が重さを取り戻して動けないとはいえ、何年も纏い続けた全身鎧だ。中で眠ることなど苦でもない。
ひと眠りして、起きた時にロバートソンを呼んで……、とのんびりと考えていたモアネットの耳に、ひとの声と足音が聞こえてきた。
「ジーナ、モアネット、どっちか居ないか? ……ん?」
聞こえてきたのはこの城の主の声だ。
仰向けに倒れているモアネットには見えないがどうやら部屋に入ってきたようで、「なんだ?」という不思議そうな声が聞こえてきた。
次いで天井しかないモアネットの視界に一人の男の顔がひょいと割り込んできた。言わずもがなオルドだ。
「モアネットの奴め、脱ぎ捨てて行ったのか。行儀の悪い」
「入ってますよ」
「うわっ!?」
モアネットの返事に、不意を突かれてオルドがビクリと体を震わせた。
「ビックリした、居るなら居るって言えよ。それでどうして倒れてるんだ?」
「軽量化の魔術が切れてしまったんです。両腕と胴体なので身を起こすことも出来ません」
「なるほどな。だがそれなら魔術を掛け直せば良いんだろ。呪符はどこにあるんだ? 持ってきてやる」
「ありがとうございます。でも予備の呪符はポシェットの中にあるんですよ。この感覚的に言うと……」
「しっかり敷いてるな」
曰く、ポシェットは軽量化が切れた胴体の下に敷かれてしまっているという。
引っ張り出そうとしているのか全身鎧が中のモアネットごとゆらゆらと揺れ、早々に「駄目だな」という諦めの声が聞こえてきた。
「オルド様、申し訳ないんですが持ち上げてもらえますか?」
「お前を?」
「はい。上半身だけ起こせればなんとかなりますので」
オルドに上半身を起こしてポシェットから呪符を取り出してもらい、軽量化の魔術を掛け直す。そうすれば解決だ。全身鎧は一瞬にして軽くなり、モアネットは走る事も跳ね回ることも出来る。
それに軽量化の魔術が切れたのは両腕と胴体だけだ。致命的な部分ではあるが、大人の男であるオルドが持てないこともないだろう。
そう話して頼むも、彼は「それは……」と難色を示した。
「助けてやりたいのはやまやまなんだが……」
「どうしました?」
「……腰をやるのが怖い」
深刻なオルドの言葉に、モアネットはしばらく黙ったのち「あぁ……」と呟いた。
オルドはモアネットより年上。両親と同年代だ。常に腰を案じるほどではないが、それでも腰痛への懸念はあるのだろう。
随分と深刻で彼らしからぬ真面目と不安を交えた声に、モアネットも「そうですか」と返すしかない。
「……あと、仮に腰をやった場合のアレクシスの反応も怖い」
「これ以上ない程に笑うでしょうね」
アレクシスは元善良な王子だった。過去の彼ならば叔父が腰を痛めたと知れば案じて支えてやっただろう。笑うなんてもってのほか。
だが色々と経て今は性格が程好く曲がっている。叔父が腰を痛めたとなれば「無理しないで良いよ、お・じ・さ・ん」と嬉しそうに笑うだろう。もちろん生活や仕事面でのフォローを入れるだろうが。
「それなら無理をしないでください。もしもオルド様が無理をして腰をやって動けなくなっても困りますし」
「そうだな。せめて誰か呼んできてやる。だがその前に……」
ふとオルドが何かを思い出したかのように言葉を止めた。
次いでモアネットが「ん?」とギシと鎧の頭を傾げたのは、鎧に何か触れた気がしたからだ。
「オルド様、何かしましたか?」
「鎧が空だと思って近付いて声がしたら誰だって驚くだろう。だから遠目で分かるようにしておいた。これで寝てても大丈夫だろ」
じゃぁな、と一言告げてオルドが部屋を出て行く。
それを横目で見届け、モアネットは再び天井へと視線をやった。ふわ、と欠伸を漏らしてしまう。
うとうとと意識が微睡んでいく……。
暖かな日差しが差し込む部屋の中、全身鎧が一体倒れている。
スヤスヤと軽やかな寝息を立てて。
『在中』と書かれた紙を体に張り付けたまま……。
※以前に一話だけあげていた話はいったん取り下げ、改めて改稿して上げ直します。
短編と言いつつ前後編になりました。
以下↓お知らせです。
「パーシヴァルさん、大変です!」
「今回の短編でのモアネット嬢の状態もなかなかに大変だと思うんだが、それ以上に大変なのか?」
「今回の短編での私の状態は別に大変じゃありませんよ。鎧の中は快適ですし、今日は暖かくてお昼寝にもちょうど良いですから」
「そうか……。とりあえずモアネット嬢に関しては後編で救出されることを祈っておこう。それで、何が大変なんだ?」
「なんと、この『重装令嬢モアネット』が漫画になるんです!」
「漫画に!?」
「はい。連載開始はいつなのか、誰が描いてくれるのか、詳しくは……」
「く、詳しくは……? もったいぶらずに話してくれ、モアネット嬢」
「詳しくは、短編後編のあとがきで!!」
「そんな、コミカライズが決まったことだけを告げて詳しくは後半の後書きなんて、気になって何も手がつかなくなるだろう。知ってるなら早く教えてくれ」
「情報を小出しにする事により読者を更に強く引き付ける、これは魔女の常套手段です。では私は短編の状態に戻って寝ますね!」
ガシャァァアン!!!
「倒れる事に躊躇いが無いし、本編より勢いよく倒れ込んだな」
スヤァァァァ
「寝るのも早い」
「モアネット嬢が完全に眠ってしまった。しかし詳細は後編のあとがきか……。気になるな」
カサカサカサカサ
「ロバートソン、そこに居たのか。ん? 蜘蛛の巣が何か文字になっているような……」
『詳しくはフロースコミック公式ツイッターをご確認ください』
「蜘蛛の巣で情報を出している。これも魔女の使い魔の常套手段なのか?」
カサカサカサカサ…
「そして蜘蛛の巣で情報を出し終えるや直ぐに去っていく。なんてクールなんだ」
文字を浮かび上がらせる蜘蛛の巣。
仰向けに倒れスヤスヤと寝息を漏らす全身鎧。
そして立ち尽くす一人の騎士……。
「なんだこの状況」
※お知らせ※
『重装令嬢モアネット』コミカライズが決まりました!
数年を経て再びこの作品が動き出すことになり感謝と感激です。
↑では後編の後書きと書きましたが、漫画はnishi様に描いて頂き、連載開始は5/26を予定しております。
既に画像が上がっております。とても可愛いです!
コミカライズ開始に合わせて長く放置していた番外編のお話も書いていけたらと思っておりますので、またお付き合い頂けると幸いです。




