短編:古城に逃げた令嬢と足が八本ある友達
王都からも家族のもとからも逃げて古城に籠もってしばらく、モアネットは妙な気配を感じ落ち着かない日々を過ごしていた。
誰かが居るような、見られているような感覚。それでいて突き止めようと振り返るもそこには何も無く、ただ薄汚れた古城の壁が広がっているだけだ。
その都度己に気のせいだと言い聞かせるが、その直後にやはり視線と気配を感じてしまう。だが慌てて振り返ってもやはりそこには何も居らず……と、ここ数日ずっと繰り返している。
その日も同じように視線と気配を感じ、今日こそは逃すまいと勢い良く振り返ったものの何もない部屋の壁に眉間に皺を寄せていた。
森の動物がこの古城を寝床にしているのか、それともまさか幽霊か?
古城は長いこと人の行き来がなく、動物が入り込んでいる可能性は高い。そして鬱蒼としている森の中に建っているおかげで、幽霊が出そうな陰鬱とした空気もある。
出るならどちらがマシか……と、そんな事を考えつつモアネットはランタンと暖炉から欠け落ちたレンガを掴み、城の中を散策しだした。
動物だったら追い払おう、凶暴な動物だったらランタンの火を盾にしてレンガを投げて追い払おう、もし幽霊だったら……レンガは利くだろうか?
そうして蜘蛛の巣を払いながら城の中を歩き、ついに気配の主と遭遇した。
それと同時に甲高い悲鳴を上げたのは、そこに居たのが動物でも幽霊でも無かったからだ。
ふっくらとした体とそれを覆う短い毛、長い足は八本。モアネットに見つかったと察するやカサリと動き、垂らした糸をツツツと伝ってあがっていく……。
蜘蛛である。
それもだいぶ立派な蜘蛛である。
これにはモアネットも後ずさり、効果があるか分からないがランタンとレンガを見せつけた。はたして蜘蛛は火を怖がっただろうか? レンガは……仮に当たったとしてもその後の処理が恐怖でしかないので脅すだけにとどめておく。
そうしてモアネットはじりじりと後ずさり、極力刺激しないように扉まで近付くとゆっくりと部屋を後にした。
見事なまでの敗戦である。去り際の「あまり出てこないでね……」という懇願はなんとも情けない。
そんな初遭遇時の懇願もむなしく、蜘蛛はそれ以降もモアネットの前に姿を現し続けた。むしろ以前は気配だけで済んでいたものの一度見られたからと開き直ったのか、平然とモアネットの視界に入り込み壁を駆けていったり窓枠にぶら下がったりしている。
もちろんそのたびにモアネットは悲鳴をあげ、後退して部屋を明け渡してと逃げの姿勢を見せていた。
魔女になろうと決めて魔術書を読んでいる時でさえ、蜘蛛を追い払う魔術があればと期待してしまう程である。
だがいかに巨大な蜘蛛と言えど次第に見慣れるもの。
とりわけ心に傷を負ったモアネットは何より人間が恐ろしく、そのうえ全てを恐れて古城に一人で籠もっているのだ。
暴言を吐かない、冷ややかな視線を寄越してこない、それどころか「この部屋は私が使うから巣を張らないで」と頼めば言うことを聞いてくれる蜘蛛に次第に親近感を抱くのも仕方あるまい。
醜いと罵った王子より、庇ってくれなかった家族より、就寝時と起床時にカサカサと音たてて現れてくれる蜘蛛である。その姿はまるで挨拶をしてくれるかのようで、いつしかモアネットも平然と彼と接し、親しげに話しかけるようになっていた。
そうしてある日、窓に張り付く蜘蛛に話しかけた。
「ロバートソン」
と。まるでそれが蜘蛛の名前のように。
呼ばれた蜘蛛がカサリと音をたてて数センチ上に登った。聞こえたうえでの返事代わりだろうか? 確証はないが、少なくとも逃げる様子はない。
だからこそモアネットは勇気を出し、寄り添うように隣に並んで蜘蛛を覗き込んだ。節足動物の構造は図鑑で調べたが、いくら見つめても目が合っている実感は今一つわいてこない。
蜘蛛は複眼と図鑑に書いてあったが、その目にも自分は醜く映っているのだろうか。
そんなことを考えれば泣きたくなるが、きっと蜘蛛の美醜は人間のものとは違うはすだと信じて話を続けた。
逃げないのは聞いてくれているからか、それとも単にモアネットのことは恐れるに足らずと考えているのか。返事の出来ない蜘蛛相手ではどちらか分からず話を続けるしかない。
「あのね、ロバートソンって呼んでいい? 恰好良い名前でしょ?」
『ロバートソン』とはこの古城に残されていた本から取った名前だ。前の持ち主が置き忘れていったのだろうか、子供が好みそうな夢溢れる冒険憚だった。
ロバートソンはその中でもとりわけ活躍し、主人公の危機的状況にどこからともなく現れ助けてくれる頼りがいのあるキャラクターである。蜘蛛ではないが。
「もしかして蜘蛛にとって人間の名前を付けられるのは失礼にあたる? もし嫌なら下にさがって、良いなら上に登って」
そうモアネットが告げる。喋れない蜘蛛とどうやって意志の疎通を計るかを考えた末の方法だ。
もっとも、この方法を提案する言葉自体が彼に通じているのか定かではない。だからこそじっとロバートソンを見つめていれば、彼は毛の覆われた足をピクリと揺らし……、
ツツ、と上に登った。
それを見てモアネットがパッと表情を明るくさせる。
これは返事だ。間違いない。彼はこちらの話を聞き、理解し、そしてロバートソンと呼ぶことを受け入れてくれたのだ。
それが分かるやモアネットの胸に安堵と歓喜が湧き上がり、「ロバートソン!」と弾むように彼の名を呼んだ。最初にその姿を見た時に覚えた恐怖は今は既になく、むしろふかふかの毛とまるでハートマークのような模様に愛しさを覚える。
試しにと指を伸ばせば、まるで応えるかのようにロバートソンも一本手を上げた。
「ロバートソン、これからよろしくね」
そうモアネットが話しかければ、ロバートソンがツツと上に登る。
なんて愛らしく頼もしい友人だろうか。意思の疎通が出来ていると分かるや彼への信頼が増し、不思議と今は見つめ合っていると確認がもてる。
こちらの動きに合わせカサカサと動くのは返事だ。彼からの直接的な言葉こそ無いが、それでも互いに通じあっている。
それを実感し、モアネットが眉尻を下げた。安堵が胸に湧く。だけどそれと同時に、安堵したはずの胸が締め付けられる。
彼とこれから過ごしていくのだ。
ずっとこの古城で、誰も訪れず、誰の元を訪れることもなく。
もう二度と誰かと笑い合うことも、誰かと触れ合うこともなく……。
それはなんて惨めな生活だろうか。
「……ロバートソン、どこにも行かないでね」
もう貴方しかいないの。
そうモアネットが震える声で訴えれば、窓に張り付くロバートソンがカサカサと動いて寄り添うように腕を登ってきた。
………………
「ロバートソンはきっとその時に使い魔になる決意をしたのね」
そう話すジーナに、彼女の向かいに座っていたモアネットが「使い魔になる決意?」とギギと兜を傾げた。
場所は古城の一室。長閑なお茶の最中にジーナにロバートソンとの話を強請られ、思い出しながら話し出して今に至る。
「魔女が動物を使い魔にするものじゃないんですか?」
「えぇそうよ。でも魔女の一存だけじゃだめなの、必要なのは互いの意志よ」
「互いの意志?」
てっきり使い魔とは魔女が動物を選んで己の魔力で開花させるものだと思っていたが、どうやらそれだけではないらしい。
モアネットが兜を傾げたまま視線をやれば、ジーナが妖艶に笑いながら膝に乗るコンチェッタを愛しそうに撫で始めた。
「確かに魔女が選んで動物を使い魔にするわ。でもそれと同時に動物もまた魔女を選んで使い魔になるの」
「魔女も選ばれるんですか?」
「そうよ。どんな動物でも使い魔になると人間と同じ寿命になるの。短命でも長命でもそれは変わらないわ。だから時には仲間を置いていき時には置いていかれる。使い魔になる動物は、それを覚悟して魔力を受け入れてくれるの」
ねぇコンチェッタ、とジーナが話しかければ、彼女の膝で丸くなりグルグルと喉を鳴らしていたコンチェッタがひょいと顔を上げた。
ジーナと目が合うとオッドアイの瞳をゆっくりと閉じる。まるで微笑んでいるかのようなその姿は愛らしく、全幅の信頼と愛情を寄せていることがひと目で分かる。
これには思わずモアネットも兜の中で表情を綻ばせ、ジーナの隣で話を聞いていたアレクシスも感銘を受けたと言わんばかりに頷いていた。
そうして誰からともなく窓辺へと視線をやるのは、今日も窓に張り付くロバートソン。彼の隣にはパーシヴァルの姿もある。雨が降るかもしれないと外を覗いていたのだ。
パーシヴァルもまたジーナの話を聞いていたのだろう、先程までは外に向けていた顔を今は傍らに向け……、
「義兄さん……」
と、ロバートソンを呼んだ。
これにはモアネットがギギィと鎧を唸らせ、ジーナとアレクシスが彼の口に詰めるパンは無いかと探し出す。せっかくの感動と主人とのスキンシップを台無しにされたコンチェッタに至っては、耳を後ろに倒してヴーと唸りをあげて不機嫌を訴えている。
だがパーシヴァルはそれに気付くことなく、むしろ先程より碧色の瞳を輝かせてロバートソンを見つめていた。
「モアネット嬢を想い共に歩むと決めた決意と覚悟、これは義兄と呼ばざるを得ない。義兄さん!」
瞳を輝かせ慕い見つめてくるパーシヴァルに、ロバートソンがカサと音をたてて一本の手を上げた。新たな呼び方が気に入ったか、もしくはモアネットへの思いと決意を称えられて喜んでいるのか、どちらにせよパーシヴァルに義兄と呼ばれて満更でもなさそうだ。
そんな二人――正確に言えば一人と一匹の義兄弟――のやりとりに、眺めていた三人は肩を竦めると顔を見合わせた。放っておこう、言葉を交わさずとも心の中で考えが一致する。
そうしてしばらくはパーシヴァルの「ロバートソン義兄さん」と呼ぶ声と、それに対するロバートソンのカサカサという返事代わりの足音が続いた。
痺れを切らしたモアネットとアレクシスが、
「アレクシス様、おたくの部下が素っ頓狂なことを言ってますよ」
「モアネット、きみの旦那さんが珍妙なことを言っているよ」
と「そっちがどうにかして」と擦り付け合い、ジーナがパンの代わりにマフィンを手にしてパーシヴァルに駆け寄るまで……。
そうして放たれたジーナの一撃は見事なもので、これでようやく静かになる……というわけでもない。
ジーナは優雅に笑いつつコンチェッタを膝の上であやし、彼女が操るリボンに果敢に奮闘するコンチェッタはンニャンニャと鳴き声を上げている。「頑張ってコンチェッタ、もう少しよ」と鼓舞する優雅な声と、ンニャンニャフガフガという鳴き声は当分続くだろう。
楽し気にそれを眺めていたアレクシスが徐に立ち上がり、紅茶のおかわりを用意すべく勝手に給仕を始めてしまう。元王子のわりに手慣れたもので「持った瞬間に割れないカップっていいよね」と感慨深げに話すあたりまだ不運時の記憶は根深いようだ。
パーシヴァルは口に突っ込まれたマフィンを食べ終え、今度はご機嫌でモアネットの兜を撫でてくる。先程からグリグリと豪快に撫でられて視界が揺らぎ、モアネットが兜の中でうなりをあげた。もちろん、それで今更彼が手を止めるとは思えないけれど。
「……あの頃に比べて随分と騒がしくなりました」
「そうか、賑やかなのは良いことだ。これからはずっと賑やかだな」
「私は『煩い』って言ったんですよ」
そうモアネットが文句を言うも、パーシヴァルの手が止まる気配はない。愛しそうに頬を撫で、額を擽ってくる。……言わずもがな、兜越しにだが。
これにはモアネットが肩を竦め、カサカサと手元に寄ってくるロバートソンに視線をやった。
ずっと二人だと思ってたのにね。
そう鉄越しに視線で告げれば、ロバートソンがカサと音をたてて一本足を上げた。
彼が笑った……ような気がする。
……end……
カサカサカサカ……
んにゃんにゃんにゃんにゃ
カサカサカサッ……カサッ……
んにゃー、ゴロゴロ、ぶにゃー!
「義兄さんとコンチェッタがなにやら話し合っている……」
「パーシヴァルさん、パーシヴァルさん! この『重装令嬢モアネット』がビーンズ文庫より本日3/1発売ですよ!」
「そうか、発売なのか。しかしあの二匹は随分と熱く話し合ってるな……」
「詳しくは2017/03/02の活動報告をご覧ください」
「……はっ! まさかあの二匹はそのことを話してるのか!? モアネット嬢、まさか彼等の言葉を理解しているんじゃ……!」
「え、理解出来るわけないじゃないですか」
「見事な一刀両断」
「だって蜘蛛と猫ですよ」
「いや、でもほら後書きだからそれくらい……」
「心は通じ合っても蜘蛛語は理解できません」
「…………そうか」
んにゃんにゃんにゃぶー
カサカサカサ……カサッ……カササッ……!
「(ギシギシした鎧音で彼等と通じ合いそうだな……なんて考えたのは絶対に言わないでおこう)」
「ギシギシギシギシギギィ」
「(……あ、勘付いて不満を訴えている)」




