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【書籍・コミカライズ】重装令嬢モアネット〜かけた覚えのない呪いの解き方〜  作者: さき
本編~かけた覚えのない呪いの解き方~

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57/62

57:重装から抜けだしたご令嬢

 

 ドレスの仕立と聞けば、年頃の令嬢であれば誰だって瞳を輝かせるものだ。 馴染みのデザイナーや社交界で人気のデザイナーを呼び、布はどうするかどんなデザインにするかと話し合う。華やかなドレスを纏い輝くための大事な準備、夢のような一時。

 普段は全身鎧を纏っている令嬢兼魔女にとっても同じことで、王宮の一室の扉を前に、モアネットは己の胸が高鳴っているのを感じていた。

 今日仕立てるのはウェディングドレス。もちろん、パーシヴァルとの結婚式に着るためのものだ。

 もっとも、結婚式といっても社交界で開かれるような絢爛豪華な式ではなく、極少数、アレクシス達と親しくなった魔女、それに片手の人数程度の楽団を呼んで誓約書にサインをするだけの式だ。それも会場はモアネットの古城。もはや式と呼べるのかすら定かではなく、ちょっと豪華な茶会と言っても差し支えない。

 それでも一応は『結婚式』と呼び、箔をつけろと金を出してくれたオルドのおかげで立派な招待状も出した。

 そんな式典で着るためのウェディングドレス……。そう考えればモアネットの胸が温まり、それと同時に胸に湧いた思いが強くなっていく。


 今日、この場で兜を脱ごう。

 パーシヴァルさんとの結婚式に、ちゃんと『私』に似合うウェディングドレスを着るんだ……。


 そう自分に言い聞かせる。

 パーシヴァルが「鎧のままでも可愛い」と言ってくれたから、鎧を纏った自分に愛の言葉を贈ってくれたから。だからこそ『重装令嬢』ではなく『モアネット』として彼と結婚したいと強く思い、その思いが鎧を脱ぐ決意に繋がったのだ。

 彼の前で鎧を脱いで、一番似合うドレスを一緒に考えよう。大丈夫、きっと彼は褒めてくれるから。

 そんな決意を胸に、モアネットが扉を前に一度深呼吸をした。中にはパーシヴァルや、今回のドレスの準備役を買って出てくれたジーナがいる。他にも数名ドレスを仕立てるための職人が居るには居るが、それもアレクシスやオルドが選び抜いて手配してくれた人達だから信頼出来る。


 確かに不安は拭えない。誰かに何かを言われるかもしれないと考えると恐怖さえ湧く。

 だけどそれ以上に、兜を介さず彼と見つめ合いたいと願う。出来るなら、鎧を脱いだ自分を観て「可愛い」と褒めてもらいたい。


 そんな想いのままに、そしてこの決意が揺らいでしまわない内に、モアネットが扉のノブに手を掛けた……。


 ……そう、モアネットは脱ぐ決意をしていたのだ。

 だというのに。




「さぁモアネット、お腹周りを測りましょう。当日はコルセットを着けるんだから、今お腹をへこませちゃ駄目よ」


 と、鎧の腹部(・・・・)を測るのはジーナ。

 それに対してもアネットは「へこませるも何も」と兜の中(・・・)で呟いた。採寸の道具が腹部や腰回りを測っているようだが、当然だが鉄越しでは全く何も感じない。それどころか、試しにと息を深く吐いてお腹をへこませてもみたところで何も変わらないのだ。

 当然だ、なにせ全身鎧、変わるわけがない。

 だというのにジーナの採寸は鎧の上からで、あまつ胸元まで採寸しだし「……平たいのが好きな人もいるから大丈夫よ」と慰めの言葉をかけてきた。言わずもがな、全身鎧の胸部に対してである。


「ねぇ、ジーナさん……」

「安心してモアネット。多少凹凸に欠けていてもドレスでカバー出来るわ」

「いや、違うの、聞いて」


 ねぇ、ともアネットが制止しようとし、ふわりと視界に入り込んだ白い布に兜の中で目を丸くさせた。白一色の美しい布、光を受けて細かくキラキラと輝いている。

 いったい何だと布の元を辿るように視線をやれば、真剣な表情のパーシヴァルと目が合った。彼は数枚の布を手にしており、一枚また一枚と入れ替えてはモアネットの兜や肩に布を添えてくる。そうして幾度か見比べた後、とりわけ美しく輝く一枚をモアネットに差し出してきた


「この布が一番モアネット嬢に似合うと思うんだが、どうだろう」

「パーシヴァルさん、あのですね、今日私は」

「待ってパーシヴァル、ベールを被るならそれとの色合いも考えるべきだよ」

「アレクシス様まで……というか私は兜に更にベールまで被るんですか」


 全身鎧をジーナに採寸され、パーシヴァルとアレクシスにはどの布が一番映えるかと見比べられ、モアネットが兜の中で溜息を漏らした。

 どうやら彼等はモアネットが全身鎧を纏ったまま式に出ると考え、そのうえで似合うドレスを仕立てようとしてくれているようだ。どのデザインが一番映えるか、最近の流行りはどのタイプか、やたらと詳しいあたりきっとこの日のためにと調べてくれたのだろう。用意された布のサンプルは山のようにあり、国中どころではなく国外まで範囲を広げて用意し得る全ての布をと取り寄せてくれたことが分かる。


 それはとても有り難く、真剣に話し合う姿を見ていると感謝が募る。

 ……確かに募るのだが、ウェディングドレスを纏いベールを被った全身鎧を想像すると不安が勝ってしまう。――華やかなウエディングドレスを纏った全身鎧が動いて結婚式を挙げるのだから、これはホラーだ。それも何だか深いバックグラウンドのありそうなホラーだ――


 そんな脱力感を覚えつつもアネットがどう言い出したものかと倦ねいていると、パーシヴァルがふと何かに気付いたのかモアネットの鞄を観て「これは」と小さく呟いた。

 普段のポシェットとは別に、小さな鞄に入れて後生大事に持ってきたもの。それを観て彼の表情が綻ぶのは、言わずもがな鞄の中にあるのがパーシヴァルが贈った髪飾りだからだ。


「着けてくれるんだな」

「そ、そりゃ……せっかく頂いたものですし」


 嬉しそうなパーシヴァルの表情に、モアネットが照れくささからふいとそっぽを向いた。

 その瞬間、胸下の採寸をしていたジーナに「あらモアネット、喋ってたら測れないわ」と窘められてしまった。いったいどうして、全身鎧の中で喋って胸囲がずれるというのか。叫んだって鉄の厚みは変わらないのに。

 だがそれを指摘する気もとうに失せ、モアネットが手甲を伸ばしてパーシヴァルに髪飾りを取ってくれと訴えれば、意を察した彼が髪飾りを手にこちらに近付いてきた。

 そうして彼はそっと手を伸ばし、髪飾りをモアネットの兜に添えた。カチンと鉄の触れる音がする。次いで満足そうに表情を綻ばせ、


「やっぱり似合うな」


 と、これである。

 その言葉は相変わらず偽りの色もなく、そして取り繕う様子もない。なんとも嬉しそうな表情で、心からの褒め言葉だと分かる。そのうえ少し髪飾りの位置をずらしたり「こちらに着けても良いな」と反対側に添えたりもしてくるのだ。きっと彼なりに見栄えを考えてくれているのだろう。

 そんなパーシヴァルに、そしてモアネットの採寸を終えて「くびれが殆ど無いわ」と呟くジーナに、その隣で真剣な眼差しでベールの素材を選ぶアレクシスに……モアネットは最早何も言う気にはならず、兜の中で盛大な溜息をついた。

 この全身鎧を受け入れてくれた彼等の懐の深さに感謝すべきか、それとも受け入れ過ぎだと嘆くべきか、なんとも微妙なところである。




 そんなドレスの仕立ても終え、式の当日。

 といって会場はモアネットの住む古城なので準備も何もなく、当然だが厳かな空気もない。そのうえ招待された魔女達は好き勝手に過ごし、中には「これ面白いの、これも読んでほしいわ」と持ってきた本を勝手に本棚に詰めている者もいる。

 式典とは思えぬ自由奔放な空気ではないか。そのうえ使い魔達が昼寝をしたり遊んだりしているのだから、仮に事情を知らぬ者がこの光景を見ても結婚式とは気付くまい。

 今日のためにと手配された楽団もこの空気に当てられたのか、通常の式典ならば背筋を正してその時がくるまで静寂を保っているはずが、今日に限っては物珍し気にあちこちを見回している。魔女の住処で魔女に囲まれているのだから当然と言えば当然、臆さぬだけマシと言えるか。


「コンチェッタ、蝶ネクタイを着けましょうね。んーってして頂戴」


 とは、猫用の蝶ネクタイを手にしているジーナ。今日のために新調したという華やかなドレスは彼女の美しさをより引き立てており、それでいて声は相変わらず野太いのだからそのギャップは普段以上だ。そんなジーナの膝の上では、猫用の燕尾服を纏ったコンチェッタが澄ましながら座っている。

 主の言うとおりにクイと顔を上げて喉を晒し、そのふかふかの首に蝶ネクタイが巻かれると得意気に太い尻尾を一度揺らした。コンチェッタもまた今日のためにと風呂に入り昨夜はジーナに毛を梳いてもらい、朝から毛繕いに余念がなかった。出来る使い魔は身嗜みにも拘るのだ。

 そんなコンチェッタとそれを撫でて褒めるジーナに、アレクシスが声を掛けた。

 黒を貴重とした正装。髪色に合わせた刺繍がよく映えており、どんな女性であっても見惚れて吐息を漏らしてしまうだろう。もっとも、胸元に飾りのように張り付く一匹の蜘蛛を見れば吐息も悲鳴に変わりそうなものではあるが。

 もちろん、ロバートソンである。流石に蜘蛛はお洒落は出来ない……と見せかけて、八本の足先が白く塗られている。聞けば今日のために色をつけたらしく、ジーナが惚れ惚れとした表情で「白手袋ね、紳士だわ」とロバートソンを褒めた。


「ジーナ、モアネットは?」

「バッチリよ。純白のドレスにベール、溜息が出ちゃうほどに完璧に仕上がってるわ。アレクシス、そっちは?」

「こっちも完璧。僕が言うのもなんだけど、王子様みたいだよ」


 そう話しながらアレクシスがジーナの隣に座る。その際にコンチェッタがいそいそとアレクシスの膝に移るのは、褒められたりなかったからである。まるで見せつけるかのように膝の上でクルリと一度回られ、アレクシスが苦笑と共にそのふかふかの頭を撫でた。


 そうしてしばらく雑談をしていると、頃合いを見てか楽団が緩やかな音楽を奏で始めた。

 これには好き勝手に過ごしていた魔女達も空気を読み、着座すると各々の使い魔を呼び寄せて膝に乗せる。

 そんな中、堂々とした歩みで現れたのは厳かな正装を纏ったオルド。その出で立ちはまさに王と言った威厳を感じさせるが、彼は用意された壇上に立つと深く息を吐き……、


 クッ……と小さく呻くと共に口元を押さえて顔をそむけた。


「あら、失礼な司祭ね」

「そもそも叔父さんが司祭役っていうのもどうかと思うけどね。務まるの? あの邪心の塊なおっさんに」


 とは、オルドの態度に呆れを募らせるジーナとアレクシス。

 そんな呆れの視線に対し、オルドも流石にこれ以上笑っては不味いと察したか、コホンと咳払いをすると共に式典の始まりを告げた。



 小規模ゆえ豪華さこそないが、モアネットとパーシヴァルの式は温かにそして順調に進んでいった。

 もっとも司祭役のオルドは格式ばった誓約の言葉を殆ど省いていしまい、そのうえ「お前達、まさかあんな目にあってまだ神様なんて信じてるのか?」とまで言って寄越してくる。

 なんと横暴な似非司祭だろうか。だがもとよりこの男が司祭を務めたのは、来賓の魔女達と繋がりを得るためだ。もちろんモアネットとパーシヴァルへの情もあるが、あわよくば他国の魔女も抱き込もうとする魂胆ゆえである。その貪欲さと言ったらなく、そんな男が神への誓いだなんだと口にするのは何ともふざけた話である。

 それでも似非司祭のもと式は順調に進み、オルドが誓いのキスをと促す。それを聞いたパーシヴァルが照れくさそうに笑い、ゆっくりとモアネットに向き直った。嬉しそうでいて恥ずかしそうな、普段は逞しい彼がどこか幼く見える可愛らしい表情。そんな表情で見つめられ、モアネットもまた彼に向き直り……、


 兜の中で瞳を細めた。


 そう、兜の中だ。なにせいまだ全身鎧なのだ。いや、それどころか今日は華やかなウェディングドレスを纏いベールを被った全身鎧である。

 ドレスを仕立てた布は光を受けると細かく光り、ふわりと裾が揺れれば幻想的な印象を与える。胸元に施されたレースも品が良く、裾には銀の糸で刺繍が飾られより輝きを増させている。兜を隠すベールがまたドレスの清楚さを彩り、兜に添えられた髪飾りがワンポイントの役割を果たしている。

 その華やかさと言えば、仕立て終わったウエディングドレスを見たモアネットは瞳を輝かせ、そして同時にこれを纏うのかと胸を高鳴らせたほどだ。

 もっとも、その直後にドレスがやたらと大きいことに気付いて瞳を濁らせたのだが。


 もちろん、大きいのは全身鎧用のウエディングドレスだからである。

 ご丁寧にコルセットまで鎧サイズで、これには濁っていた瞳がよりいっそう澱む。


 そして今、モアネットは全身鎧の上からそのウエディングドレスを纏っていた。ちなみにドレスの下にはコルセットも着用しており、かなりきつく絞られたのだが中に居るモアネットが息苦しさ一つ感じていないのは言うまでもない。心地良いほど快適に深呼吸が出来る。

 そんなモアネットを、パーシヴァルが愛しそうに見つめる。今日のためにと彼も正装を仕立て、それを纏う姿は見惚れてしまう程に凛々しい。紺色で統一された燕尾服が金の髪と対象的で目を引き、モアネットのドレスに合わせた白と銀の刺繍が華やかさを感じさせる。騎士らしく勇ましく、それでいて物語の王子様のような麗しさを纏っている。

 初めて見たときにモアネットは見惚れて言葉を失い、「似合わないか?」と不安そうに問われて慌てて兜を大きく左右に振ったほどだ。

 そんな畏まった出で立ちに反して、今のパーシヴァルの表情はどこか締まりがない。「嬉しい」と言葉にせずとも分かるほどにはにかんでいる。


「なんだか恥ずかしいな」


 そう照れながらもパーシヴァルがそっと手を伸ばし、モアネットの兜に掛かっているベールを捲った。

 誓いのキス。その言葉に、そしてベールを捲るパーシヴァルの姿にモアネットの胸が高鳴る。全身鎧を纏っていてもモアネットは年頃の少女だ、愛しい人との誓いのキスに焦がれないわけがない。


 ……のだが、今一つ酔いしれることも出来ない。


「あの、パーシヴァルさん」

「……大丈夫だ、俺も緊張してる」

「いや、違うんです。あのですね」


 この鎧を……と言いかけ、モアネットが言葉と共に息を呑んだ。パーシヴァルが碧色の瞳を細めて顔を寄せてくる。キスをしようとしているのだと察してモアネットが慌てて目を瞑ったのは、まるで本当に唇が触れてしまいそうな気がしたからだ。

 結婚式という場で、誓いのキスというこの場面で、キスを交わす……。そんな錯覚に陥ってしまう。



 まぁ、もちろん実際に唇が触れるなんてことはないのだが。



 それでもモアネットが高鳴る心音を感じつつ恐る恐る再び目を開ければ、先程より幾分離れたパーシヴァルが頬を赤くさせながら微笑んでいるのが見えた。彼の手が兜へと伸ばされ、まるで頬を撫でるように鉄に添えられた。きっと指先で撫でてくれているのだろう、視界の隅で動く手の動きで察する。

 周囲からは熱っぽい吐息が聞こえ、ジーナが感嘆の吐息を漏らしながら「綺麗だわ……」と呟いているではないか。アレクシスも同意なのだろう穏やかな表情で見守ってくれている。約一名、口元を押さえて顔を背けて肩を震わせているが、この似非司祭に関しては無視しておくのが得策だ。

 そんな温かな空気の中、モアネットは愛しそうに見つめてくるパーシヴァルを見上げ……、



「だから鎧ですって!」



 と声をあげた。


「ん、どうしたモアネット嬢」

「だから鎧なんですよ! パーシヴァルさんは兜にキスしたんです!」

「そうだな。でも改めて言わないでくれ、なんだか……照れ臭くなってくる」

「照れるところじゃありませんから!」


 モアネットが喚くように訴えれば、パーシヴァルがいったいどうしたのかと言いたげに首を傾げた。その表情は本当に不思議そうで、見ればパーシヴァルだけではなく誰もが頭上に疑問符を浮かべているではないか。一名のみ腹を抱えて蹲っているのだが、神様が居るとしたら今すぐにこの似非司祭に罰を当てて頂きたいところである。跳ね返しそうだが。

 そんな周囲に対し、モアネットは深く息を吐き、次いで訴えるような声色でパーシヴァルに告げた。


「兜はあくまで兜であって、私じゃないんです。だから……その、ちゃんと……私にキスして欲しいんです」

「……モアネット嬢、それは」

「わ、私がどんな顔をしていても、さっきみたいに……キスしてくれますか?」


 そうモアネットが窺うように見上げれば、パーシヴァルが瞳を丸くさせたまま数秒唖然とし……次いで穏やかに微笑んで深く頷いた。その表情が、そして囁くように告げられる「貴女が望むなら何度だって」という言葉が、モアネットの胸の内に湧きかけていた不安と緊張を一瞬にして宥めてくれる。心音が心地良い高鳴りを奏で、その甘さに促されるように腕が動く。

 ゆっくりと、それでも着実に、手甲が兜へと向かう。カチンと響いた鉄の音を聞いた瞬間こそ緊張が再び頭をもたげたが、愛しそうに見つめてくるパーシヴァルを見ればそれも甘く溶けていってしまうのだ。

 兜を介さずこの瞳に見つめられたい、彼の唇に触れたい。このままでは誓いのキスを奪われた兜に嫉妬していまいそうだ。


 そんな思いのままに恐る恐るながら兜を外し、俯いていた顔をゆっくりと上げた。


 視界にパーシヴァルが映る。兜を介さずに見る彼の姿にモアネットが吐息を漏らした。

 周囲が息を呑むのが分かる。はたしてそれは重装令嬢が兜を脱いだことへの驚きからなのか、それともモアネットの素顔に対して何かしら思うところがあるからなのか。そのどちらかを確認するのが怖く、そして何よりこの沈黙がモアネットの胸に不安を蘇らせた。やはり醜かっただろうか。期待外れだとか、そんなことを思われていたらどうしよう……そう考えると兜を持つ手が震える。

 だがもう兜を脱いだのだ、今更怯えて被りなおしても意味はない。そう考えてモアネットは胸の内に湧き上がる不安を押し留め、パーシヴァルの言葉を待った。

 彼は碧色の瞳を丸くさせ、まさに唖然とした表情を浮かべ……、



「こ、湖畔の乙女!?」



 と声を荒らげた。

 その声に、その言葉に、モアネットがパチンと目を瞬かせる。今度は兜の中ではなく。


「湖畔の乙女?」

「な、なんで貴女がここに!? モアネット嬢は? 中の人は!?」

「パーシヴァルさん、落ち着いて……。あの、なんでいま湖畔の乙女の話を?」

「どうして、いつから、なんで、えぇ……?」


 勇ましさや凛々しさはどこへやら、見て分かるほどに慌てふためくパーシヴァルに、モアネットもまたどうしたのかと目を丸くさせ……次いで合点がいったとカシャンと手を叩いた。

『湖畔の乙女』とはパーシヴァルが旅の最中に遭遇した名も知らぬ女性のことだ。

 最初は湖畔で、次はジーナの屋敷の近くで。不思議なことにパーシヴァル以外の目撃者は居らず、近くに居たはずのモアネットも気配一つ感じなかった。その神出鬼没さと神秘さ、そして美しさから、パーシヴァルは『身分を隠して旅をする異国の姫君でありその正体は水の妖精と見せかけた魔女』とまで言っていたのだ。

 その女性の名をどうして今ここで口にしているのか……。言わずもがな、モアネットこそが『湖畔の乙女』だからだ。


「そうか、パーシヴァルさんは魔女殺しだから私の人払いが効かなかった……。つまり鎧を脱いだ私を見てたんですね!」

「モアネット嬢が『湖畔の乙女』だったのか!」


 そう互いに確認しあう。

 次いでこの事実を分かち合おうと揃えたようにアレクシスとジーナに向き直った……のだが、ジーナは呆れたと言わんばかりに瞳を細め、コンチェッタは欠伸をしている。アレクシスに至ってはどこからともなく取り出したパンを咥える始末。

 なんとも冷め切った態度にモアネットが心の中で「もしかしたら今更な話……?」と小さく呟き、次いでパーシヴァルに視線を戻した。彼もまた冷ややかな空気を感じ取ったのだろうか、若干頬が引きつっている。

 それでも彼はモアネットの視線に気付くと改めるように咳払いをし、次いで気恥ずかしそうに頭を掻いた。


「まさかモアネット嬢が湖畔の乙女だったなんてな……」

「えぇ、私も気付きませんでした。……でも、ちょっと安心してます」

「安心?」

「……だって、その……これなら、ちゃんとキスを……」


 キスをしてもらえる、そうモアネットが呟くように告げた。恥ずかしさから声が小さくなってしまうが、兜を被っていない今ならば小さな声でもちゃんとパーシヴァルに届くだろう。

 現に彼はモアネットの言葉を聞き、もとより赤かった顔を更に赤くさせた。


「お、俺が、貴女にキスを……!」

「……はい、兜じゃなくて、ちゃんと」

「そ、それは、それは分かるんだが……だが、その……!」


 しどろもどろになるパーシヴァルに、モアネットが彼を見上げる。窺うように碧色の瞳を見つめれば、彼の瞳の中に自分の顔が見えた。兜ではなく、ちゃんとした自分の顔だ。

 そうして「パーシヴァルさん?」と名を呼ぶも、真っ赤になった彼はあたふたとするだけでキスをしてくれる様子はない。だが次の瞬間にその碧色の瞳が丸くなり、次いで彼の体がグイと前につんのめった。

 見れば、いつの間に近付いたのかパーシヴァルの背後にアレクシスの姿。

 彼はまったくと言いたげに眉尻を下げている。その片手はパーシヴァルの頭をしっかりと押さえ、更に一段グイと押し下げた。そのうえロバートソンまでもがパーシヴァルの頭に乗っており、ピョンピョンと跳ねているのだ。それを受けてパーシヴァルの顔がモアネットに近付く。元々あった身長差が詰められ、これならば背伸びすれば彼の唇に届く。

 なんとも強引な手段ではないか。思わずモアネットが唖然としながらアレクシスに視線をやれば、彼はこちらに気付くと呆れの表情を朗らかなものに変えた。


「モアネット、綺麗だね」


 その言葉に偽りの色もなく、そして他意を含む色もない。ただ純粋に友の晴れ姿を綺麗だと感じ、そして褒めているのだ。

 なんとも心地良い言葉ではないか。だからこそモアネットもまた笑んで礼を告げた。そこにもまた偽りの色も他意もない。友からの言葉が嬉しく、その思いのままに返したのだ。

 そうしてアレクシスが穏やかに微笑んだままパーシヴァルに視線をやる。次いで再びモアネットに視線を向け、苦笑と共に肩を竦めた。「まったく仕方ないな」と、そんな彼の言葉が聞こえてきそうな苦笑の表情だ。


「どうぞご自由に」

「ご親切にどうも」


 モアネットがわざとらしくドレスの裾を摘まんで小さく身を低くさせ、次いで右手の手甲を外すとパーシヴァルの頬に添えた。彼の頬は熱く、その熱に思わず笑みがこぼれる。

 それを見たアレクシスがクスクスと苦笑を浮かべ、最後に一度ポンとパーシヴァルの背中を叩いた。それを合図と取ったのかロバートソンがヒョイと跳ね、パーシヴァルの頭からアレクシスの肩に飛び移る。そうして一人と一匹が自らの席へと戻っていけば、ジーナが小声で「よくやったわ」と褒め称えるのが聞こえてきた。

 かつてのアレクシスからは考えられない、なんとも強引なフォローではないか。思わずモアネットが苦笑を浮かべつつパーシヴァルへと視線をやり、ゆっくりと瞳を細めると背を伸ばして自ら顔を寄せていく。


 キスをしてもらう予定だったが、こちらからするのも悪くない。

 それに彼は兜にキスをしてくれたんだから、順番を考えれば自分から彼にキスを贈る番だ。


 そんなことを考えれば口角が僅かに上がる。だがその笑みが消えて目を丸くさせたのは、あと僅かというところで唇に指が触れたからだ。

 パーシヴァルの指だ。それがまるでキスを押し留めるようにモアネットの唇に触れている。

 見れば彼は顔を赤くさせ、それでもジッとモアネットを見つめている。その手がゆっくりと動き、モアネットの持つ兜へと延びた。

 髪飾りを外し、モアネットの髪にそっと添える。

 そのくすぐったさにモアネットが笑えば、髪に触れていたパーシヴァルの手が頬を撫でてきた。男らしい大きな手、今までは手だけ触れていたこの暖かさを頬に感じ、その心地良さにモアネットが瞳を細める。ようやく触れることが出来た、そう考えれば安堵と幸福感が胸に湧く。


「やっぱり似合ってる」

「本当ですか? 私、鎧を脱いだら銀一色じゃありませんけど」

「あぁ、確かに銀一色じゃない。綺麗な濃紺の髪に、それに兜を介さずに見つめてくれる紫色の瞳……。こんなに可愛くて美しいとは思わなかった」

「……パーシヴァルさん」

「鎧を着てても脱いでも変わらないと思っていたが、どうやら違ったようだ。脱いだら今以上に愛しくて堪らない」


 兜を介さず耳に届く彼の言葉に、モアネットが小さく吐息を漏らす。

 そうして強請る様に瞳を閉じれば、触れていた手が優しく頬を撫で、次いで唇に柔らかな感触が触れた。


 兜にではなく、鉄越しではなく、ちゃんと唇に。

 このキスは重装令嬢にでも魔女にでもない、モアネットに贈られるキスだ。




……END……




『重装令嬢モアネット~かけた覚えのないざまぁな呪いの解き方~』これにて完結です!

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

 

以下、後日憚的なおまけです。



 


 モアネットが自ら兜を脱いで数か月後……。


「あ、今日は鎧なんだね」


 とアレクシスに問われ、モアネットがギシと兜を頷づかせた。

 そう、兜だ。今日は兜を被っている。それどころか全身鎧で、アレクシスから書類を受け取るのも銀一色の手甲だ。

 あの結婚式で自らの姿を晒したが、式のあとは再び兜を被り、その後も今まで通りの重装で過ごしている。

 決意したとはいえ鎧を脱ぐと落ち着かず、長時間人目に晒されていると緊張してしまう。とりわけ今まで『重装令嬢』と呼ばれていたのだ、その奇妙な渾名と魔女絡みの知名度から、モアネットの素顔を一目見ようと考える者は少なくない。温かく見守ってくれる視線ならまだしも、野次馬の興味本位の視線はまだモアネットには辛すぎる。

 それを察したパーシヴァルに「徐々に慣れていけばいいさ」と兜を被せられて今に至る。もう姿を晒すこと自体には恐怖はない、必要とあらば人前にだって出られるようになった。それでもやはり全身鎧に安堵を感じてしまうのだ。


「僕の水風呂より根深いね。さすがだ、やっぱり年季が違う」

「それ褒めてませんよね。それに良いんですよ、パーシヴァルさんも待つって言ってくれたし」

「待つ、ねぇ……」

「というか、パーシヴァルさんはこっち()も可愛いって言ってくれるし。むしろ……ちょっと見ててください」


 そうモアネットが告げ、次いで部屋の一角で書類を眺めているパーシヴァルを呼んだ。

 彼が顔を上げてこちらを見る。「どうした?」と言いたげなその表情に、モアネットが鉄の手甲で己を指さした。


「パーシヴァルさん、私のことどう思いますか?」

「可愛い」


 即答である。

 それを聞き、モアネットがおもむろに兜を脱いだ。以前のように恐る恐るではなく、最近では慣れたものでズボッと勢いよく脱げるようになった。

 そうして改めてパーシヴァルに視線をやれば、彼は先程と変わらずこちらを見つめ、


「綺麗だ」


 と言葉を変えて褒めてきた。

 モアネットが頷き、兜を被る。


「可愛い」


 また脱ぐ。


「綺麗だ」


 また被る。


「可愛い」


 また脱ぐ……と見せかけて脱がない。


「可愛い」


 と、そんなやりとりを数度繰り返し、モアネットが兜を被ってアレクシスに向き直った。「どうですか」と尋ねる声はどことなく誇らしげで、我ながら浮かれていると分かる。

 だが浮かれるのも無理はないだろう。全身鎧の姿を「可愛い」と、そして鎧を脱いだ姿を「綺麗」と褒められているのだ。さすが全身鎧時にプロポーズしただけあり、パーシヴァルはどちらの時も変わらず愛してくれている。


 そんなモアネットの盛大な惚気に対し、アレクシスは小さく溜息をつき……そして通りかかったジーナからパンを受け取ると共に口に咥えた。




…end…

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― 新着の感想 ―
[良い点] 誤字等無くスラスラと読めました。かなりヤバ目のダークファンタジーになりがちな妹ちゃんの無自覚な魔法を、コミカルに悲壮感無しに解除した物語を、楽しく読みました。素敵な物語を読ませて頂いてあり…
[一言] アレクシスの祝福の言葉に目が潤みました。 幼いアレクシスもきっとあんな呪いの言葉ではなく、こちらを言いたかったよなぁと彼の道程を思うと胸が詰まります。 そして鎧でギシギシ言うモアネットも好…
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