52:決断の時Ⅲ
呪符が力を失ったのを手甲越しに感じ取り、モアネットが兜の中で深く息を吐いた。
場所は王宮の外。既に両陛下は捕らえ、王宮内の制圧もほぼ完了している。あとはエミリアの魔術を解き、増援の騎士達を呼んで国中にこの件を知らせる手筈だ。
そのころには流石に国民も気付き多少の混乱は免れないが、両陛下が捕らえられているとなれば彼等も動くに動けないだろう。騎士達も同様、気付いた時には終わっているのだ。
いまのところ順調、計画通り進めるようにオルドが手早く部下達に指示を出している。
ジーナの魔術により外野の動きは無いに等しく、そのうえ王宮内の動きはパーシヴァルを通して筒抜け。更に早朝の隙をついて攻め込んだのだ。出来得る限りの好条件を揃えただけあり、こちら側の被害はほぼゼロという奇跡に近い結果に終わろうとしていた。
……もっとも、それも魔女絡み以外はだ。両陛下を捕らえこそしたが、ローデルと、なによりエミリアがまだこちらの手に落ちていない限り安心は出来ない。
だからこそここで全てを終わらせるのだ、そうモアネットが呪符を折りたたんでポシェットにしまった。
その仕草で察したのだろう、様子を窺っていたパーシヴァルが小さく「終わったのか」と声を掛けてきた。その声色にはどことなく案じるような色もあり、モアネットが彼を見上げて小さく頷いて返した。
目元のパーツが視界の隅を陣取って遮られる。それでもパーシヴァルを見つめていれば、彼の碧色の瞳が僅かに細められた。
「慣れぬ兜で魔術を使うのは疲れただろう」
「……そうですね」
パーシヴァルの言葉にモアネットが返す。
確かに慣れぬ全身鎧を纏い、そのうえで魔術を使いもう一体の鎧を遠隔操作していたのだから疲労は堪っている。もっとも、今のモアネットの胸をしめているのは肉体的な疲労ではなく、精神的な疲労だ。
だが今それを訴えるわけにはいかず、そしてパーシヴァルもそれは分かったうえであえて言葉を濁したのだろう。モアネットが誤魔化すように「慣れない鎧で肩が凝りました」と冗談めいた言葉を返せば、彼もまた取り繕った苦笑の笑みを浮かべた。
少しだが明るい声が出せただろうか。だがさすがに表情までは取り繕えず、兜を被っていて良かったと心の中で呟く。
そんなことを考えていると、今までのやりとりを見守っていたジーナが腕の中の使い魔を呼んだ。
「コンチェッタ、ロバートソンを迎えにいってあげてちょうだい」
お願いね、とジーナが告げつつ抱きかかえていたコンチェッタを地面に下ろせば、「ンニャ」と鳴いてノスノスと歩いていく。
この混乱の中でコンチェッタを向かわせるのは些か不安だが、本人ならぬ本猫は不安な素振りなど一切なく堂々としたものだ。ふかふかな毛や愛らしい足に付着する赤いシミは全て返り血である。なんて頼もしい。
そんなコンチェッタにロバートソンを託し、モアネットが手甲で胸元を押さえた。胸の内で靄が渦巻くような不快感が残る。魔術を介して聞いたエミリアの声が、まるで今まさに本人を前にしているかのように蘇っては胸をしめつける。
それらを吐露するように深く息を吐けば、部下に指示を出し終えたオルドが周囲を窺いつつこちらに歩み寄ってきた。
「ご苦労、モアネット。あっちの鎧はどうなった?」
「倒されました。たぶん、兜も外れてるはずです」
「どっちがやった?」
「……ローデル様です。エミリアは私と一緒に来ようとしたけど、そこをローデル様が」
「そうか。これで甥が二人とも迷惑をかけたことになるな。申し訳ない」
「いえ、お気になさらず」
肩を竦めアレクシスに視線をやりながら謝罪してくるオルドに、モアネットが兜の中で苦笑をしつつ答えた。なんともわざとらしい謝罪だが、きっとオルドなりの労わりなのだろう。
だが冗談めいたやりとりを長く続けている気はないようで、次いで彼は小さく吐き捨てるように「あの馬鹿が」と呟いた。一転して深く真剣みを帯びたその言葉に、モアネットが兜の中で瞳を細め、聞いていたアレクシスやパーシヴァルまでもが眉を潜める。
だがそれも仕方あるまい。ローデルはモアネットの話を聞いてもなお応じることなく、エミリアを連れて逃げ出したのだ。それも手を差し伸べていた全身鎧を押し倒して……。
その中に、魔女の呪いが籠められているとも知らずに。
「鎧が倒れて兜が外れ、中に籠めていた私の呪いが放たれました。呪いの向かう先は、ローデル様……」
そう呟くように話すモアネットに、オルドが頷いて返す。
この遠征に出る前、モアネットは普段己が纏っていた鎧に呪いを篭めた。
そうして自身はオルドの屋敷に並んでいた鎧を纏い、離れたこの場所からまるで中に自分がいるかのように動かしていたのだ。エミリアの声もローデルの声も、全ては鎧の中に入っていたロバートソンを経由して聞いていた。
だがなにも無差別に彼等を呪おうとしていたわけではない。
もしもエミリアが自分の手を取りローデルもそれに続いてくれたのなら、呪いを放つことなく彼等をオルドの前まで案内するつもりだった。その時には口添えをして、不在の鎧を操り騙していたことを詫びようとさえ考えていたのだ。
だが結果的に、全身鎧はローデルにより倒された。
衝撃で兜は外れ、中から魔術の仲介をしていたロバートソンと……そして籠めていた呪いが解き放たれた。
「しかしローデルが呪われたところでどうする? ここで待っていて何になる?」
そうオルドが尋ねる。
既に両陛下を捕らえており、本来の反逆であれば勝利が見えたと言えるだろう。だがエミリアがローデルと共にいる以上、油断することは出来ない。
いくらローデルが呪いを負ったからといって「それじゃ好きにさせよう」ともいかず、それを訴えるオルドはどことなく急いているように見える。もっとも、エミリアの魔術の強さを考えれば彼が警戒し捕縛を急くのも当然だろう。
そんなオルドに対して、モアネットが「大丈夫です」と告げた。
「ここで待っていれば、二人は来ます」
「ここに?」
「はい、ここに逃げてきます」
「王宮内には数え切れないほどの逃げ道があるんだぞ」
そんなことあるわけがない、そうオルドが反論し、次いで眼前にある朽ちた小屋の扉に視線をやった。
王宮内には数え切れないほどの逃げ道があり、その分だけ出口がある。中には内通している者の家に通じている道さえもあるのだ。
王宮のはずれにあるこの小屋もまた出口の一つである。
最低限の手入れさえもされず鬱蒼とした雰囲気を纏っているが、枝分かれした地下の隠し通路の一本がここに繋がっており、有事の際にはこの小屋から逃げ出すことが出来る。アレクシスがかつて父親から教えられた道の一つだ。
ローデルは己が把握している逃げ道の中で最も安全な道を選ぶだろう。偶然この場に通じる道を選び、扉を開けて鉢合わせ……なんてことは無いに等しい。
そうオルドが訴えるも、モアネットが小さく首を横に振った。
確かに普通に考えれば有りえない話だ。それでもローデルとエミリアはここに現れる。
そう断言する口調ははっきりとしており、居合わせた誰もがモアネットに視線をやる。
「ローデル様とエミリアは必ずここに来ます。彼等はここに辿り着く道を選ぶ……選ぶしかないんです」
「どういう意味だ?」
「私がかけた呪いは『キラキラしたお姫様になるため』の一環なんかじゃない。魔女が悪意を籠めて故意にかけた呪いです。ローデル様の不運のために、彼が破滅に向かうためだけの呪い」
だからローデルはここに姿を現す。
モアネットの呪いにより、ローデルはこの逃げ道を選ばざるを得ないのだ。無意識に選ぶかもしれない、焦るあまりに間違えて選ぶかもしれない、こちらの裏をかこうとして選ぶかもしれない、仮に周囲に味方がいるのならその人物が促すかもしれない、もしかしたらエミリアが道を選ぶかもしれない……。
呪いを受けた今、彼の周りにいる全てのものが不運を引き起こし、彼を破滅へと導くのだ。
「それが魔女の呪いです」
そう告げてモアネットが深く息を吐いた。
エミリアの無自覚な願いが呪いを招き、その片を付けるためにモアネットが故意に呪いをかける。
なんとも皮肉な話だ……そう痛々しい笑みを兜の中で浮かべ、次いでガタと聞こえてきた音に顔を上げた。
扉が揺れる。ギシと軋んだ音と共にゆっくりと扉が開かれ、そこから顔を出したのは……。




