5:誰が王子を呪ったか
「どういうことだモアネット嬢、どうしてアレクシス王子だけこの水が不味いと言うんだ?」
「そりゃ呪われてるからです」
自分も一つチョコレートを口に放り込んでモアネットが答えれば、アレクシスとパーシヴァルが揃えたように顔を見合わせた。
どういうことだ? と口にこそしないが表情が疑問を訴えている。それを見て、残っていた水をグイと豪快に飲み干してモアネットが話しだした。もちろん水だ。苦くも無ければ甘くもない。
「さっきの呪符を溶かした水は呪いにだけ反応するんです。呪いが掛かっていない人にはただの水ですが、呪いを掛けられた人が飲めば酷く苦く感じる」
「あのぶっさいくな生き物の紙にそんな力が……」
「可愛いにゃんこ! とにかくですね、アレクシス様があの水を不味く感じたってことは誰かに呪われてるってことです」
「……そうか、やっぱり僕は呪われてるんだ」
ふっとアレクシスが息を小さく吐き、そしてゆっくりと俯いた。
その表情は疲労と共に悲痛な色を帯びており、あの日の言葉や今の彼の評価を知らなければ誰しもが胸を痛めていただろう。元の麗しさも合わさってか見ているだけで痛々しい。
だが自分が呪われていると、誰かに不幸を願われていると知れば誰だって落ち込むというもの。
様々な葛藤が胸に渦巻いているのだろう、アレクシスはしばらく俯き、そして力なく顔を上げた。表情には疲労が浮かび、深い茶色の瞳は切なげ。そんな瞳でジッとモアネットを見つめてくる。
それを受け、モアネットが兜の中で小さく生唾を飲んだ。
他者から目を見られないように兜を加工してある。ゆえに目が合うとまではいかないが、それでも真っすぐに向けられる瞳に身構えてしまう。覇気もないやつれの色を見せる瞳だというのに、それでも見つめられていると思えば冷汗が伝う。
「モアネット……」
「は、はい。何でしょうか……」
「君に恨まれているのは分かっている。あんなことを言ったんだから当然だ。どんなことをしても償うから、どうかこの呪いを」
「だから私は呪いをかけてません!」
再びいたちごっこの気配を感じ、モアネットが声を荒らげた。
「モアネット! 君以外に誰がいるんだ!」
「知りませんよ! そこらへんで魔女の恨みを買ったんじゃないですか!?」
「僕は君への仕打ちに気付いてから、よき王族になれるようにと務めてきた。人間関係は良好だったはずだ!」
そう訴え、アレクシスが再び視線を落とす。言い切ったものの今まさに呪われている彼は、最後に一度「良好だったはずなんだ……」と呟くと語尾を溜息に変えてしまった。前髪がはらりと揺れる。その髪も少し痛んでおり、彼の一年がどれだけ辛かったかがわかる。
そんなアレクシスの姿に、モアネットがギシと音をならして肩を竦めた。それと同時に思うのは、彼の「人間関係は良好だったはず」という言葉への同意……。
彼が良い王子だったことは知っている。
いくら古城に籠もっているとはいえ週に一度は市街地への買いだしに行く。そういう時、世間話程度だがアレクシスの話はよく聞いていた。
階級に隔てることなく親切に接し、温和で、なにより国民の事を考えてくれている。彼が王座に着けばこの国はより良くなるだろう……と、誰もが好意的に笑いながら話してくれたのだ。盛り上がっているところにあえて水を差す気にはならず、モアネットも大人しく話を聞いて時には頷いたりもしていた。
そういえば、いつの頃からかそんな話を聞かなくなった。
代わりに彼の弟にあたる第二王子の話を聞くようになったが、思えばあれが呪いの始まりだったのだろうか。
第二王子には一切の興味もなく話を聞く気にもならないと全て聞き流していたが、思い返せば話の中にアレクシスに対する良からぬ言葉も混じっていた気がする。
「アレクシス様があれこれ言われ始めたの、確かに一年前ぐらいですね」
「あれこれ、か……モアネット、僕はどんな風に言われてたんだ?」
「聞きますか?」
傷つきません?とモアネットが案じてやるも、アレクシスが痛々しい表情でそれでも首を縦に振った。
謂れのない噂が広まり彼の評価は地に落ちたと聞く、その現実を受け止める気なのだろう。
だからこそモアネットもまた全てを話そうと考え、かつて市街地で聞いた記憶を遡る。確か……、
「女にだらしないとか、化けの皮が剥がれたとか、弟のローデル様に比べて愚かだとか」
「そ、そうか……」
「王位継承を辞退しろとも言ってましたね。今まで騙されたとか、顔だけとか……」
「アレクシス王子、大丈夫ですか? モアネット嬢、そこらへんで」
「あとは椅子壊しの不運野郎とか」
「それを言ったのはお前だろう」
さり気無く混ぜたつもりの悪口をパーシヴァルに咎められ、モアネットが心の中で小さく舌打ちをした。
そうして一通りの暴言を告げたことでスッキリしていると、アレクシスが深い溜息をついた。「教えてくれてありがとう」と感謝してくる声は、とうてい言葉の通りの感情が込められているとは思えない。今すぐに泣きそうな、それどころか倒れてしまいそうなほどだ。
それを見て、モアネットが「呪いだ」と呟いた。
モアネット自身、アレクシスが他者から恨みを買うとは思えなかった。
一転する前に聞いた彼の評価と、そしてなにより彼からの詫びの品が定期的に送られてきていたからだ。
一切読まずにいたが最初は手紙も添えられていた。きっと謝罪の言葉が綴られていたのだろう。返事を書かずにいると、負担になると感じたのか手紙もなくなり詫びの品だけが送られてくるようになった。見るのも嫌だと届くや片っ端から金に換えてしまったが、きっとそれすらも彼は承知だったのだろう売れば高値になるものばかり送られてきていた。
誰からも慕われる良き王子。過去のことも誠心誠意謝罪している。
だからこそ、アレクシスは己を呪っているのがモアネットだと考えているのだ。……いや、呪っているのがモアネットであってくれと願っている、と言った方が正しいか。
それを考え、モアネットが仕方ないと頭を掻いた。手甲で覆われた指で兜を掻けば、鉄が擦れる豪快な音が響く。
「わかりました。仕方ないから呪いを解く手助けをしてあげます」
「……モアネット?」
「犯人扱いは気分が悪いですからね。呪符で出来ることは限られているけど私も魔女です、多少は役には立てると思いますよ」
そうモアネットが答えれば、アレクシスの表情がパッと明るくなった。
呪いとなれば魔術を扱えぬ彼等に太刀打ちできる術はない。モアネットのこの言葉は絶望の中に差し込んだ一筋の光にすら感じられたのだろう。
現にアレクシスは心からと言わんばかりに深い声色で感謝を告げ、それだけでは足りないのか握手をしようと徐に立ち上がり……そして、
ドグシャァ!
と破壊音と共に床を踏み抜いて地下へと落っこちていった。
その瞬間、ブワッと埃と木くずが舞い上がる。
「王子ー!」
パーシヴァルが慌てて穴を覗き込む。
「だ、大丈夫だパーシヴァル。ちょっと落ちただけ……ロバートソンちょっと待って! 友達もまっ……!」
あ゛ぁー!! となんとも言えないアレクシスの悲鳴が響く。
次いでワインが数本落下し割れたであろう音を聞き、モアネットはこの古城が崩壊するのが先か、アレクシスの呪いを解くのが先か、もしくはアレクシスが呪いに負けて死ぬのが先か、そんなことを考えて溜息をついた。