46:厄介な王弟と世界をひっくり返す王子様Ⅱ
どうしてこんな事になってしまったのか。
どうすれば良かったのか。
言葉とも言えない訴えをパーシヴァルにしがみつきながら嗚咽混じりに喚き、最後にモアネットが呻く様に呟いた。
「……私だって」
……と。
そのあとに続く言葉は酷く掠れ、それでも聞き取ったパーシヴァルが小さく「そうだな」と呟いて返す。
鎧の背を擦っていた彼の手がそっとモアネットの片手に触れる。鉄の指先を包み込んで撫でるのは、きっと手当ての際にその下にある手を見たからだろう。
鉄の手甲で覆われてもなおピンクのマニキュアを施した指先。誰にも見せられなくとも可愛くありたいと願う、そんなモアネットの押し隠した本音に彼は触れたのだ。
当然だが、モアネットは好きで全身鎧を纏ったわけではない。
アレクシスに醜いと罵られ、己の何が醜いのか分からず、そして分からないがゆえに全身を隠すしかなかったのだ。
『醜い』という言葉は顔だけに限らない。顔も、体も、肌も、髪も、声も、それこそ手の形だって『醜い』と表現できるのだ。それどころか、動きだって醜いと言える。
だからこそ全身を、体つきも動きさえも分からないようにと覆うしかなかった。
そうして本音すらも覆ってしまった。
自分だって……という本音。『キラキラしたお姫様』になりたいと話していたのは、エミリアだけではない。
可愛い服を着て、綺麗なものを身に纏いたい。年頃の少女であれば誰だって抱く願いだろう。
だけどこんな鉄の鎧を飾って何になる。無様なだけだ。
そう自分に言い聞かせ、羨ましいという思いをひた隠しにして耐えてきた。古城の中で、誰にも見せられない可愛らしい部屋着を纏い、手甲で覆う指先に華やかな色を描くだけにとどめていたのだ。
だけどそんな時間さえも、エミリアが『キラキラしたお姫様』であるためのものに過ぎなかった……。
それを思えば、さらに涙が溢れてモアネットが呻くように泣いた。
掠れる声で恨みや後悔を綯い交ぜにした支離滅裂なことを訴え、パーシヴァルにしがみついて泣き続ける。
それでも十五分が経つころにはモアネットも落ち着きを取り戻し、しゃっくりを上げるたびに兜と鎧を揺らしながらもそっとパーシヴァルの体から身を引いた。背中や手甲を擦っていた彼の手がゆっくりと、再び崩れ落ちても抱きとめられるように窺いつつ離れていく。
それをぼんやりと眺め、モアネットが兜の中でスンスンと洟をすすった。鼻の奥が痛い。
次いで震える喉を落ち着かせるために深く息を吐き、ギシッと兜を鳴らしてそっぽを向くと、
「……ま、まったく、パーシヴァルさんのその寝ぼけ癖は、本当に、迷惑ですね」
と、いまだ掠れる声で文句を言った。
もちろん照れ隠しである。今更な話だが、彼の腕の中で泣きじゃくったことが恥ずかしく思えてくるのだ。
だからこそ誤魔化すように「どうにかしたほうが良いですよ」と素っ気なく告げた。
そんなモアネットの胸の内が分かっているのだろう、パーシヴァルが肩を竦める。
まるでモアネットの強がりを愛でるかのように穏やかな苦笑を浮かべているが、モアネットにとっては居心地が悪いものでしかない。
「そうだな。下手に他の魔女に抱きついたら大問題だ」
「……私にだって大問題ですけど。まぁ、私に抱きついたところで、傍目には鎧に興奮する人にしか映らないですね」
「大問題だ!」
それだけは避けなければ! と突然慌てだすパーシヴァルに、モアネットが兜の中でいまだ潤む瞳を瞬かせた。
鎧に興奮する人と思われるのは問題なのだろうか……。いや、確かに大問題か。
そんなことを考えつつモアネットが立ち上がる。
「さ、戻りましょう。そろそろアレクシス様達が心配するかもしれません」
「そうだな。向こうもきっともう大丈夫だろう」
「……向こうも?」
置いてきたアレクシス達が何かあるというのだろうか? そう問うようにモアネットが視線をやるも、パーシヴァルは小さく息を吐いて肩を竦めるだけだ。
それどころかモアネットに倣うように立ち上がり、「行こうか」と告げて扉へと向かってしまう。どうやら詳しく話す気はないようで、モアネットがギシと兜を傾げながらも彼の後を追った。
「重苦しいだけの話は終わりだ。やっぱ飯時は楽しい話じゃなきゃなぁ」
とは、夕食の用意がされた大広間でのオルドの発言。
ニンマリと弧を描いた目元と口元がなんとも楽しそうで、対して聞いているモアネット達はうんざりとした表情を浮かべるしかない。
なにせ、テーブルの中央には地図が一枚。その中央に描かれている王宮には赤くバツが描かれ、さらにナイフか何かで何度か突き刺した後まであるのだ。
使い古された……それもだいぶ嫌な方向に使い古された地図を前に、さすがに「わぁい楽しい話!」なんてはしゃげるわけがない。
誰もがうんざりとした表情で銀食器を操る。さすが王弟の屋敷だけあり料理はどれも美味だが、ニマニマと笑うオルドを前にすると今一つ気分が乗らない。
「叔父さん、楽しい話って……まったくもって聞きたくないんだけど、一応聞いておこうか」
「そりゃもちろん、これからの事に決まってるだろ。具体的に言うなら、俺が玉座に座るための話だ」
「だろうと思った」
「だけどその前に、お前に確認しておくことがある」
先程までの楽し気でいてこちらを茶化すような声色から一転して、オルドが深い声と共にアレクシスに視線をやった。
途端に空気の変わったその様子に、誰もが手を止めて彼等に視線を向ける。オルドとアレクシスがジッと視線を交わしあっている。深い茶色の髪に同色の瞳、色合いや顔のつくりこそ似ているが、纏う雰囲気はどことなく違う。
そうして互いの様子を窺うように視線を交わしあい、オルドが僅かに眼光を鋭くさせた。
「アレクシス、お前、玉座に着く気はあるか?」
そう尋ねるオルドの声には一寸前までの陽気さはなく、それどころか敵意すら感じさせる威圧感を纏っている。
アレクシスの返答によってはその瞬間に敵と見なし叩き切りかねない、それほどまでの空気だ。その敵意に当てられたのか、銀食器のナイフを持つ彼の片手が妙にモアネットの視線を奪う。只の食器だ、なのに今のオルドが持つと何より危険な刃物に思える。
そんなオルドの問いに対し、アレクシスはジッと応じるように見つめ返し……そして、
「無い」
と、取り繕うことも迷うこともなく答えた。
「おいなんだよ、随分とあっさり答えてくれたな」
「父さんから、王っていうのは国民を導くものだって教えられてきた。でも、今の僕は彼等を導きたいとは思えない」
淡々と返すアレクシスの声には抑揚も無く、随分と落ち着き払っている。
オルドに問われて初めて決意したのではなく、きっと以前から既に心に決めていたのだろう。王宮で見切りをつけたのか、それとも呪いにより叩かれる影口を聞いて彼の国民への愛情が次第に欠けていった果てか。
どちらにせよ、はっきりと王位継承の気はないとアレクシスが告げる。
そんな彼に対してどう言葉をかけていいのか分からず、モアネットが黙ったまま視線をやった。今のアレクシスに悲痛そうな様子はなく、さすが王子と言わんばかりの優雅な所作でスープを掬い口をつけた。
「そもそも、僕の王位継承権は剥奪されてるはずだ。だからもう、僕は王にならない……だけど」
「だけど?」
「ローデルに導かれてやる気もない」
そう告げるアレクシスの声色は普段通りでいて、それでいて徐々に冷ややかになっていいくように感じられる。
こんな声も出せるのか……と、そんなことを思うのは、モアネットがこの旅の最中に聞いた彼の声はいつだって穏やかで――時に情けないけれど――優しいものだったからだ。
だからこそモアネットはジッと彼を見つめ、そして彼の瞳に以前のような情が映っていないことに己の胸が痛んだのを感じた。
魔女のせいだ。
魔女の呪いが彼を変えてしまった。
もっと早く自分がエミリアのことに気付いていれば、いや、そもそも自分が古城に篭らずにいれば、少しでも魔女の資料をアイディラ家に残していれば、魔女についてエミリアに話をしていれば……。
私だって魔女なのに、魔女のくせに。
そんな手遅れなことをモアネットが考えていると、アレクシスが気付いたのかふとこちらを向いた。
深い茶色の瞳が僅かに丸くなる。だが己に注がれる視線の意味に気付いたのだろうか、眉尻を下げ、困ったように笑った。
「モアネット、別にモアネットが責任を感じることじゃないよ」
「……ですが、全部アイディラ家のせいです」
「今回は確かに魔女が絡んでた。でも、国っていうのはいつだって奪われたり奪ったりなんだよ」
そう教わってきた、と語るアレクシスの瞳は冷ややかで、そして今は決意に似たものを宿している。
話しているうちに己の中に闘志が宿ったのか、それを見たオルドが再び楽し気な笑みを浮かべた。
「つまり、追いやられた王弟が玉座を奪い取る……なんてことも、魔女が絡んでいようがいまいがあり得る話だよな」
「……そうだね。ローデルよりはマシかな」
「アレクシス、俺は今お前のことを初めて可愛いと思ったよ。なんだったら抱きしめて、頬にキスでもしてやろうか」
楽し気に両腕を広げて「おいで」とまで言ってくるオルドに、アレクシが今まで以上に冷ややかな視線を向け……そしてパンを手に取って千切りだした。
完全無視である。
むしろパンをオルドに見立てて引き千切っている可能性すら考えられる。それほどまでなのだ。パンがギチギチと悲鳴をあげている。
だが深く一度息を吐いて浮かべた彼の表情は決意と敵意を宿しており、モアネットにはその表情がどこかオルドに似ているように見えた。




