44:重装令嬢とキラキラしたお姫様Ⅱ
モアネットが確信を得たのは、王宮でエミリアに「そばに居てくれ」と言われた時だ。
祈るように乞うエミリアの声に、ゾワリと背が震えるような違和感を覚えた。不快とさえ言えるあの感覚は何とも言い難く、今でも鮮明に思い出せる。
その原因は……と、モアネットがポシェットからとある物を取り出し、そっとテーブルの上に置いた。エミリアがお守りにと預けてくれたネックレス。光を受けて輝く石は美しく、見ているだけで吸い込まれそうではないか。
「出発前にエミリアがお守り代わりに預けてくれたものです」
「エミリアが、これをモアネットに?」
「はい、身に着けていたのをその場で私に」
「こんな高価な石のネックレス、前は持っていなかったはずなのに……」
そう呟くアレクシスに、オルドもまた「簡単に渡せる品物じゃないだろ」と続く。王族二人がここまで言うのだから、それ程までの代物なのだろう。
このネックレスがエミリアの願いに反応したからこそ、モアネットは彼女が魔女だと気付くことが出来た。あの瞬間モアネットの思考を「仕方ないな」と了承へと傾けさせたのは間違いなく魔術だ。ロバートソンが現れて魔術を弾いてくれなければどうなっていたか……。
だが逆に、このネックレスがあったからこそ、モアネットはその瞬間までエミリアが魔女だと気付けなかった。
いや、正確にいうのであれば、一度疑いそして考えを違えてしまったのだ。
「これをエミリアから受け取った時、もしかしたら呪いが掛かっているのかもしれないと思いました。だから馬車の中で試した……」
「そうか、だからあの時飲んだ水が不味かったのか」
はたと気付いたように声をあげるアレクシスに、モアネットが頷いて返す。
市街地を出て直ぐの馬車の中、エミリアから預かり受けたこのネックレスを呪い感知の水に浸けたのだ。
もしもアレクシスを呪ったのがエミリアなら、彼の呪いを解くため同行する自分を見過ごすはずがない……。と、だが水は何の反応も示さず、モアネットはエミリアへの疑いを己の中で消し去ってしまった。
エミリアは何も関与していない。
あの子は純粋に、自分の帰りを待っていてくれているんだ……と。
だからこそ、モアネットは王宮でこのネックレスが反応したのを、そして反応すると共に自分が彼女の願いに応じ掛け、全てを理解したのだ。
確かにエミリアはモアネットを呪ってはいなかった。彼女の中で、モアネットはまだ大事な姉で居続けていた。
……だけど、いや、だからこそ。
エミリアの呪いは、モアネットを古城に閉じ込めさせた。
どこにも行かさず、それでいて王宮にも戻らせず。大好きな姉が自分の手の届く場所で、誰にも導かれることなく、『戻ってきても問題ない』状態になるまで……。
快適に一人で暮らしていたはずの古城での生活は、ただ飼い殺されているだけに過ぎなかった。
「エミリアはまだ私を慕ってくれています。でも私はエミリアの『キラキラしたお姫様』の座を揺るがす存在でもあったんです」
「……そんな」
「アレクシス様はずっと私に謝罪の品を送ってくださいました。その姿に、エミリアはきっと不安を抱いていたんでしょう。もしも私がアレクシス様を許して社交界に戻ったら、再び私がアレクシス様の婚約者に戻るのではないかって……」
人間の婚約は動物の配合のように「こっちが駄目なら次はあっちで」なんて軽いものではない。
だが社交界に蔓延る政略結婚は別だ。そしてなにより、エミリアこそがモアネットの代わりにアレクシスの婚約者になったのだ。
こっちが駄目なら次はあっちで。そう結んだ婚約。
ならばこっちが戻ってきたならやっぱりあっちは良いや……と、そうなってもおかしくないと考えたのだ。
突然舞い込んだ話だからこそ、突然己の手から離れてしまうかもと不安だったのだろう。――エミリアは『突然舞い込んだ』と思っているはずだ。自分が魔女だと知らず、己を呪う魔術に気付きもせず……――
だがそんな不安を払拭する者が現れた。
第二王子ローデル・ラウドルである。
仮にモアネットが鎧を脱いで王宮に戻ってきても、彼はモアネットを娶らない。身内が無礼を働いた申し訳なさで婚約先や生活の保障ぐらいはするかもしれないが、それでも己の婚約者を変えるようなことはしないはずだ。
それがエミリアにとってどれだけ安心を抱かせたか。
そしてきっと、ローデルはエミリアに輝かしい贈り物もしたのだろう。
高価なネックレス、質の良い箔押しの便箋。市街地であった時も王宮で対峙した時もエミリアは華やかなドレスを纏っており、あれら全てローデルが贈ったと考えればその羽振りの良さが窺える。
もっとも、かといってアレクシスが厳しかったわけではないだろう。貴族として飾るべき時は飾り、エミリアが何かを望めば応じ、惨めな思いなど一度とてさせなかったはずだ。
彼の婚約者がエミリア以外の令嬢であれば、これ以上ないほどに恵まれていると感じたことだろう。そして同時に、飾るべき時は飾り、それでいて国費を無駄に使うことを嫌い国を潤そうと努めるアレクシスを良き王子だと慕ったに違いない。
……『キラキラしたお姫様』を望むエミリア以外の令嬢であったなら。
「良い子ちゃんの優等生が裏目に出たな」
とは、それを聞いたオルドの言葉。あんまりな物言いだが、事実ゆえに誰も何も返せずにいた。
オルドの言う通り、エミリアの願望は『国を想う王子』より『金を惜しむことなく使う王子』を選んだのだ。
仮にアレクシスがモアネットに対し罪悪感すら抱かず謝罪もせぬ非道で、己や伴侶が着飾ることに金を惜しまぬ性格であったなら、きっとエミリアに選ばれていた。なんて皮肉な話ではないか。
そんな非常な決断が下されたのが、一年前のこと。
いったい何が切っ掛けかは分からない……とモアネットが言いかけた瞬間、パーシヴァルが「王位継承だ」と呻くように呟いた。
「陛下は若いうちに王位をアレクシス王子に譲ろうと考えている……そんな噂を聞いたことがある」
「そんな、僕はそんな話聞いたことがない」
「あくまで騎士の中での噂です。混乱の恐れがあるため、他言は控えるようにと上からも言われていました」
きっと、その王位継承の噂がエミリアの耳に届いたのだろう。
ゆえにエミリアは……彼女を呪う彼女の願望は、アレクシスへ呪いをかけた。不定を疑われ信頼を無くし、彼の王位継承が剥奪されるために。そしてローデルが後を継ぎ、エミリアが今よりもっと『キラキラしたお姫様』になるために。
そうなれば、もう姉が戻って来ても問題ない。
そこまで話し終え、モアネットがゆっくりと息を吐いた。
重苦しい空気が漂う。誰一人として視線を合わさず、さすがに今は誰も冗談を口にして取り繕う余裕もない。
そんな中、ジーナがワインを一口飲み、
「エミリア・アイディラからしてみれば、素敵な物語よね」
と肩を竦めた。
誰もが彼女に視線をやる。そんな視線を受けながら、ジーナは膝の上に乗るコンチェッタを撫でながら話し出した。
病弱だった少女は、療養の果てに体調を回復させ家族と共に王都へ向かう。そこで姉を傷つけ古城へと退けさせた王子と、姉の身代わりとして婚約を交わすことになる。
数年は平穏に暮らしていたものの、王位継承を直前に王子の化けの皮が剥がれた。不貞を働く暴君。哀れ騙されたエミリアだったが、そんな彼女を救ったのが……第二王子だ。
エミリアは自分を真に愛し大事にしてくれる第二王子の手を取り、彼と共に不貞の王子を追放させる。傷付き古城に籠っていた姉も傷を癒し、再びエミリアのもとに戻ってきた……。
まさに「めでたし、めでたし」で締めくくりそうな話ではない。
だが事実、エミリアからしてみれば、そしてアレクシスの不貞を信じた国民からしてみれば、全てはこの物語じみた茶番に沿って進んでいる。そしてきっとこれ程までの感動的なストーリーを経たのだから、エミリアとローデルの多少の散財にだって目を瞑るだろう。
「不貞の王子に比べれば」と、そんなことを口にする者もいるかもしれない。
そう話すジーナはまるで茶番を語るかのようにつまらなさそうだが、話し終えるとニヤリと口角を上げた。次いで彼女の視線が向かうのは……パーシヴァルだ。
「まるでロマンチックな舞台みたいじゃない。みんな操り人形のように役割を演じてるし……あんた以外はね」
「俺ですか……」
「エミリア・アイディラの魔術が仕組んだお姫様の物語。完璧だったはずが、舞台上にイレギュラーが現れた」
それが魔女の魔術が唯一効かない存在、魔女殺しだ。
彼は不貞の王子として国を追われる役だったアレクシスを舞台上から連れ出した。
そしてモアネットを……出番がくるまで古城にしまわれていた『古城に籠っていた姉』の操り糸を叩き斬ったのだ。
「魔術が効かないってのは腹立たしいけど、それは褒めてあげるわ」
コンチェッタを撫でながら話すジーナに、パーシヴァルが真剣味を帯びた表情で頷いて返した。
褒められたからと言って喜ぶような時ではないのだ。碧色の瞳がジッとジーナを見据えている。
そんなパーシヴァルの視線を受け、それでもジーナはさして気にすることなく、自分が話すべきことは終わったと言いたげにクルリと視線をモアネットへと向けた。
「これでひとまず説明は終わりかしら。ねぇモアネット、ちょっと部屋に行って荷物を確認してきてくれない?」
「……荷物? 今、ですか?」
「えぇ、馬車から部屋へ運ばせてたみたいだけど、何か忘れ物があったら困るでしょ」
だから確認してきて、と、そう頼んでくるジーナの言葉はまるで先程までの重苦しい空気が無かったかのようにあっさりとしている。
そのうえ「コンチェッタのためにふかふかのクッションも用意させておいて」とまで言ってくるのだ。これにはモアネットも事態を理解しきれぬままに頷き、ロバートソンを片手に乗せるとソファーから立ち上がった。
「パーシヴァル、お前も行ってこい」
とは、案内のためにメイドを呼び寄せたオルド。
その言葉を聞き、パーシヴァルが僅かに躊躇いの色を見せる。だが次の瞬間には碧色の瞳を細め、「畏まりました」と恭しく答えると共に席を立った。
カチャンと扉が閉まり静まった空気の中、アレクシスはぼんやりと二人の去っていった部屋の扉を見つめていた。話が終わるやさっさ切り替え二人を退室させてしまったオルドとジーナはなんとも彼等らしいと言える。
先程の話の余韻も全くなく、今ではのんびりとワインを飲んでいるのだ。
少しくらい気持ちの整理をさせてくれても……と、そんなことを考えていると、アレクシスの膝の上にノソリとコンチェッタが乗ってきた。
どうしたのかと名を呼べば、コンチェッタがアレクシスの肩に前足を置いてグイと顔を寄せてくる。
パンを齧る時の体勢だ。だが今は当然だがパンを咥えていない。
だというのに顔を寄せてくるのは、いったい何をしたいのか。そう問おうとした瞬間、コンチェッタがベロリと目尻を舐めてきた。
ザラとした感触に、アレクシスが深い茶色の瞳を丸くさせる。
「コンチェッタ……」
どうしたのかと、そう問いかけたアレクシスの言葉が詰まる。声が出ない、まるで声の代わりに頬を瞳から溢れて頬を伝い、息を吸い込もうとした喉が震える。
まるでコンチェッタのザラリとした舌が、張り詰めていた糸を切ってしまったかのようではないか。
疑問は解けた。自分が誰に呪われているのかも分かった。
だからこそ今は涙が溢れてくる。
誰かに恨まれているのなら理由を知りたいと、許されなくても謝りたいと、そう思って王宮を逃げ出したのだ。
だというのに何もなかった。誰にも恨まれていなかった。それでも呪われ、全てを失ったのだ。
こんな酷い話があるものか。これならいっそ、誰かの恨みを買って呪われていたほうがまだ感情の向かう先がある。
そう訴えるアレクシスの声は震え、次第に嗚咽が混ざる。
泣きじゃくるような姿に普段の彼らしい凛々しさはなく、ジーナが取り出したハンカチを彼の震える手に握らせる。だが今のアレクシスには溢れる涙を拭う余裕もないのだろう、ハンカチをただ強く握りしめるだけだ。
「ジーナ、僕はっ……なんのためにこんな……どうすれば……」
「安心なさい、アレクシス。魔女は気まぐれだけど、一度抱いた気まぐれは生涯大事にするの。最後まで付き合うわ。たとえば、貴方が世界を牛耳るって言いだしてもね」
そう穏やかな声色で話しながら、ジーナが宥めるようにそっと彼の頭に手を置いた。細い指で宥めるように頭を撫で、時に髪を掬う。コンチェッタもアレクシスの膝の上に乗り、ハンカチを握りしめ震える手に額を押し付けている。
それを横目で眺めていたオルドが小さく息を吐き、
「パーシヴァルとモアネットの前で泣かなかったことは褒めてやる」
と素っ気ないことを告げた。
ジーナの穏やかな低い声も、オルドの素っ気ないながらも気遣う声も、今はただアレクシスの視界を揺るがせ涙を溢れさせた。




