43:重装令嬢とキラキラしたお姫様Ⅰ
モアネットの言葉に、意外だと表情を変えたのはオルドだけだ。
アレクシスは悲痛そうに瞳を細め、パーシヴァルもまた心苦し気に視線をそらしている。きっと彼等も薄々感付いていたのだろう。いや、王宮から逃げた際にアレクシスが「たとえ全てが魔女の呪いのせいでも」という言葉を告げてきたあたり、既に事実に辿り着いているのかもしれない。
ジーナだけは気落ちすることなく優雅な所作でワインに口をつけているが、何も言わないのは話を振られるまでは何も言うまいと考えているからだろう。
「エミリア・アイディラか……彼女も魔女ってことか?」
「……はい。でも、エミリアにその自覚があるかは分かりません」
アイディラ家は魔女の家系である。だがとうの昔に魔女の名を捨ててしまった。
本来であれば親が子に伝え教えていくものも途絶え、そのうえ魔術に関しての書物は片っ端からモアネットが古城へ持ち出してしまったのだ。
誰も何も教えることなく、知識の元になるものない。エミリアが魔術に触れる機会は一度として無かっただろう。
「それでも魔術ってのは使えるものなのか?」
不思議そうに尋ねてくるオルドに、モアネットが頷いて返した。
呪符に術式を込めて描いて魔術を発動させるのはあくまでモアネットのやり方。魔術を使う方法は幾多もあり、意図せず己の行動が引き金になる可能性もある。
ただ魔術を使えても、使いこなせるかは定かではない。そうモアネットが話しながら横目でジーナを見上げれば、彼女は瞳を閉じて小さく首を横に振るった。無理、ということだろう。
曰く、『魔術が使える』と『魔術を使いこなせる』とは全くの別物らしい。
「知識もないのに魔術を使えば、逆に魔術に囚われる可能性だってあるわ」
「……魔術に?」
「そうよ。強すぎる魔術は時に魔女を呪うの。無自覚で強い魔術を使えば、間違いなく魔術に囚われるわ」
そう話すジーナの言葉に、モアネットが兜の中で小さくエミリアの名を呼んだ。
知識がなくても素質があれば魔術を使えることは知っていた。だが魔術が魔女を呪うなんて思いもしなかった。だが先輩魔女でありアバルキン家の魔女であるジーナが言っているのだから間違いないだろう。
そのうえ彼女は膝の上に乗せたコンチェッタを撫でながら、
「呪われているのはアレクシスだけだと思って油断してたわ」
と独り言のように漏らすのだ。アレクシス以外に誰か……そんなこと聞かなくてもわかる。
その瞬間ピリと痛みが走るのは王宮で自ら負った傷だ。適当に手当てをしておいたが、ふとした瞬間にあの光景と共に痛みが蘇ってくる。ジワジワと蝕み痺れるような痛みが、去り際に聞いたエミリアの声を脳裏に呼び起こす。
だが痛みに呻いている場合ではない、そうモアネットが改めて場に視線をやった。
「アレクシス様を呪ったのは間違いなくエミリアです。そしてたぶん、エミリアも……」
その先を言葉にするのが辛いとモアネットが言葉を濁せば、痺れを切らしたのかオルドがモアネットを呼んだ。
「モアネット、妹を案じる気持ちは分かるが、今は話を進めてくれ」
「あら意外だわ。オルド、貴方も『妹を案じるモアネットの気持ち』が分かるのね」
「一応、形式上言っただけだ。正直なところ『家族を案じる気持ち』なんてものは生憎と持ち合わせてないが、とにかく俺は早く事態を理解したい」
「そういうことらしいわよモアネット」
冗談めいて話すジーナとオルドの会話に、モアネットが兜の中でふっと小さく笑みをこぼした。見ればアレクシスとパーシヴァルも苦笑を浮かべ、アレクシスに至っては「叔父さんらしいよ」とまで言っている。
彼の顔色は酷く青ざめているが、それでも気丈に振る舞おうとしているのだろう。それを見たジーナが穏やかな表情を浮かべ、「パンを食べ損ねたわね」とコンチェッタに話しかけた。
そんな僅かながらも和んだ空気の中、意を決したといわんばかりにアレクシスがモアネットの名を呼んだ。
視線を向けることで返せば、深い茶色の瞳がジッとこちらを見つめてくる。
「モアネット、単刀直入に聞いていいかな」
「……はい」
「本当は色々と聞きたいんだけど、叔父さんがこれだからさ」
仕方ないと言いたげに肩を竦めて見せるアレクシスに、モアネットもまた頷いて返す。
彼の心境を考えればあれもこれもと問いただしたいところだろう。それこそ、話を過去に戻って一から解決したいに決まっている。
それでもまるでワンクッションを挟むように冗談を口にして苦笑を浮かべるのは、彼の必死な強がりだ。そしてこうでもしないと、きっと心が折れてしまいかねないのだろう。
それが分かるからそこ、モアネットもまたギシと音を立てながら肩を竦め、
「あまり長引かせて時間が遅くなると、誰かさんが眠くなっちゃいますもんね」
と返しておいた。それを聞いたパーシヴァルがコホンと咳払いで咎めてくるが、それに対してモアネットはしれっと「コンチェッタのことですよ」と告げて兜の中で舌を出す。
パーシヴァルの碧色の瞳が一瞬丸くなり、次いで彼はそっぽを向くや「分かっていた」と素っ気なく返してきた。その分かりやすい誤魔化しに、モアネットとアレクシスが苦笑を浮かべる。
だがその苦笑は無理に笑みを浮かべたように不自然で、交わす言葉は声が上擦っていて白々しい。楽しさのない強がりだけの応酬だ。
まるでこれから傷つくことが分かっていて、せめてその前にと足掻いているようではないか。そんな事を考えてモアネットが兜の中で小さく息を吐けば、アレクシスが改めるように再び名前を呼んできた。
「モアネット、分かるなら教えてくれ。エミリアは僕を呪ってどうしたかったんだろう。僕は……彼女にも恨まれていたってことなのかな」
そう尋ねてくるアレクシスの声は酷く掠れていて痛々しい。だがそれも仕方ないだろう。
モアネットとの婚約が破談になりまるで代替のように婚約したとはいえ、アレクシスはエミリアを大事にしていた。自分の未来の伴侶、隣に立ち国を支えていく。今度こそ傷付けまいと考えていたのだ。
婚約に至る過程は複雑ではあったものの二人はお似合いで、その仲睦まじさはモアネットも風の噂で何度も聞いている。
だからこそ、それが嘘だったと悟ったアレクシスの表情に絶望が浮かぶのだ。婚約者として良好どころか、毎夜お祈りと称して呪われていた等と知って誰が傷つかずにいられるだろうか。
そもそも、エミリアとの婚約すらも……。
眉尻を下げ辛そうに話すアレクシスに対して、モアネットがふると一度首を横に振った。アレクシスを呪ったのはエミリアだ。だけど、それは……。
「アレクシス様は確かにエミリアに呪われてます。だけどきっと、恨まれていたわけじゃありません」
「……恨まれてない?」
「そもそも『アレクシス様を呪う』ということは一つの過程でしかなかったんです。本当はもっと昔から、もっと別のために動いていた……」
そう告げてモアネットが深く息を吐いた。
皆の視線が己に注がれていることが分かる。回答を急かすように、これ以上の絶望を叩き付けられるのかと怯えるように……それぞれの思いを込めた視線はこの重苦しい空気と合わさって酷く鋭く感じられるが、今は圧迫感は抱かず、ただひたすらに全身を虚無感が襲う。
それでもゆっくりと口を開けば、己の声のなんと情けないことが。
アレクシスの呪いは、この騒動は……いや、何もかもの始まりは、たった一人の強い願いが引き起こしたのだ。
『キラキラしたお姫様になりたい』
そうモアネットがかつて何度も聞いた言葉を呟けば、脳裏に過去の記憶が蘇った。エミリアと母の膝を枕に寝転び、物語のような夢を競い合うように話していた輝かしい思い出。
だけど今では、『誰が、誰に、いつから、どう呪われていたのか』が全て繋がった今では、この思い出すらも影を落とす。




