42:厄介な王弟の豪華な屋敷
緊張感とは程遠い空気の中で走り続けて数時間、緩やかな振動と共にゆっくりと馬車が停まった。
クッションに兜を埋めて「パーシヴァルさんの嘘吐きぃ……」と半ば寝言のようにぼやいていたモアネットが顔を上げて外を窺う。
どうやら領地境の検問に着いたらしく、男が数人見張る様にこちらを眺め、モアネットと目が合うとギョッとした表情を浮かべた。誰だって己の領主が乗る馬車から全身鎧が覗いていれば驚くというもの、そのうえ馬車の中には不貞の王子アレクシスの姿まであるのだから怪訝な表情になるのも仕方あるまい。
一人が慌てて馬車に乗り込み、こちらに聞こえないように声を潜めてオルドに何か耳打ちする。大方、こんな怪しい一団を領内に入れて平気かと案じているのだろう。
それに対してオルドは軽く片手をあげ「問題ない、通せ」の一言で終いにしてしまった。説明ですらないその言葉に、それでも警備が深々と頭を下げると共に馬車から去っていく。
そうして警備が周囲に事情を説明してようやく馬車が走り出せば、オルドがクツクツと笑いだした。
「時間をとらせて悪かった。どうにもうちは警備が硬くてな」
そう話すオルドの口調は言葉とは裏腹にどこか満足げだ。
そもそも、検問を設けたのは彼自信である。だからこそあえて言っているのだろう。
まるで「俺の領地に易々と他人を入れたりしない」とでも言いたげなその態度に、モアネットがギシと肩を竦めて返した。そのうえ、しばらく進めばまた検問があるのだからこれは硬いにも程があるというもの。
なぁなぁなやりとりの果てに、馬車を覗くことすらせず通してくれた国境とは大違いだ。
王宮から逃げてこの地に辿り着いてきたが、はたして安息の地となるか……。
もしかしたら自ら魔境に足を踏み込んだだけかもしれない。
そんなことをクッションに兜を埋めてウトウトと微睡みながら考えれば、オルドがどこか誇らしげに「見えたぞ」と周囲に話すのが聞こえてきた。
オルドの屋敷は唖然としながら見上げるほどに大きく、造りもしっかりとしており細部にまで飾りが施されている。そのうえ立派な庭に噴水まで設けられており、絢爛豪華さで言えば王宮と比べてもさほど見劣りしないだろう。
些か華美過ぎるところも目立つが、それがまたいかにも権力者といった威圧感を感じさせる。なんともオルドらしい屋敷ではないか。
中も外観に合ったもので、長い廊下には質の良い絨毯が敷き詰められ高価なツボや鎧が飾られている。
そんな廊下を歩くオルドは堂々としており、まさに屋敷の主といった貫禄を感じさせる。
そのうえ通りかかる者達は皆オルドの帰還を表情をやわらげて受け入れ、そして後に続くモアネット達を見て彼を案じているのだ。
なんとも失礼な話ではないか。だが心配そうにオルドに耳打ちし、彼の返事を聞くや安堵し一礼をして去っていく屋敷の者達の姿に、オルドが慕われていることが分かる。
『玉座に座るためには、こっちの地盤も固めとかなきゃなんねぇもんな』
とは、馬車の中での彼の言葉。
なるほど、己の領地はしっかりと固めて掌握出来ているようだ。
そんなオルドの後ろを歩いていたモアネットがふと足を止めたのは、一行からパーシヴァルだけが外れ、並ぶ鎧を眺めだしたからだ。
いったいどうしたのかとモアネットが兜を傾げつつ彼の隣に並び、その横顔を覗き込む。これといって変わった事のない装飾品の鎧だ。だがそれを眺める彼の表情は真剣そのものである。
「どうしたんですか、魔女殺しのパーシヴァさん」
「……呼び方に棘を感じる」
「気のせいですよ、魔女殺しのパーシヴァルさん」
「そうだな、きっと気のせいだな」
「そうですよ、魔女殺しのパーシヴァルさん。それで、本当にどうしたんですか? この鎧が何かありましたか、パーシヴァルの魔女殺しさん」
『魔女殺し』の部分を強調するあまりちょっとおかしなりつつ尋ねれば、パーシヴァルが小さく溜息をつき、次いで目の前に並ぶ鎧に視線をやった。
実戦用の鎧とは違い、綺麗に磨かれ剣を構えるそれらは屋敷に箔をつける飾りである。並ぶ様は圧巻と言え、なんとも豪華ではないか。
「立派だな」
「そうですね。確かに立派な鎧です」
「だが立派なだけだ。可愛くはない」
そう言い切るパーシヴァルに、モアネットが兜の中で目を丸くさせた。
並ぶ鎧は屋敷に箔をつけるためのもの、立派ならばそれで十分、むしろ可愛さなんて一切求めるものではない。兜に髪飾りでもつけて、果てには全身鎧に豪華なドレスでも纏えというのか? まったく変な話だ。
だというのにパーシヴァルはジッと鎧を眺め、かと思えば満足そうに頷いた。己の中の惑いが晴れたとでも言いたげな表情ではないか。
それどころか「行こう」とこちらを促して歩き出す。まったくわけが分からないとモアネットが兜の中で眉間に皺を寄せるが、それを問おうとするより先に前を歩くアレクシス達に名を呼ばれてしまった。
「一切ときめかないし、べつに鎧が良いってわけじゃない。まぁ分かり切っていたがな」
「パーシヴァルさん、なんの話をしてるんですか?」
「いや、なんでもない」
何やらブツブツと呟くパーシヴァルに、モアネットが兜を傾げたまま彼の後を追った。
屋敷の中を更に歩き、通されたのはオルドの執務室。
広く豪華でな一室で、飾られている品々も素人目にも高価な物だと分かる。値を聞く気にもならない。
もっとも、飾ってこそいるがオルドもこの手のものにはさして興味は無いようで、高そうなツボにロバートソンが近付くのを眺め「巣にするか?」と話しかけている。曰く、見得のために飾っているのであって、ツボの中に蜘蛛が巣を張っていてもどうでもいいのだという。
コレクターが聞いたら卒倒しかねない話だ。
己の権威をひけらかす者はあまり好きではないが、ここまで開き直られるといっそ清々しく思えてくる。
そんなオルドの部屋で、彼に促されてモアネット達がソファーに腰を掛けた。ふかりと体が埋まる感覚は心地よく、その柔らかさに披露した体が安堵を覚える。
「せっかくだからワインでも開けるか。ジーナ、モアネット、何かリクエストはあるか?」
「あら、気になさらないで。オルドが選んでちょうだい」
オルドの申し出にジーナが優雅に笑う。
その声色がどことなく楽し気なのは、ようやく魔女らしいもてなしを受け入れられると考えたからだろうか。そのうえで彼に選択肢を返すのは、きっと用意されたワインでもてなしの度合いをはかろうとしているからに違いない。
それを察し、オルドが困った様な苦笑を浮かべた。ここで屋敷と立場に見合わぬ安いワインを出せば魔女の機嫌を損ね、かといって一番高価なものを出せばそれほど魔女を恐れているのかと舐められる。
「なるほど、噂に聞いていた通り魔女のもてなしは難しいな」
「深く考えず、身の丈にあったもてなしをしてくれれば良いのよ。時と場合によっては、魔女は一杯の水にだって好意を抱くの。モアネット、貴女も魔女としてオルドがどんなワインを出すのか楽しみにしておきなさい」
「そもそも私はワインを飲めません……」
しょんぼりとモアネットが答えれば、察したオルドが部屋の片隅に居たメイドにジュースを持ってくるよう声をかけた。今までワインは資金源として考えそれで良いと考えていたモアネットだが、これにはちょっと恥ずかしさを感じてしまう。
少しくらい嗜んでおいた方が、今後も魔女として箔がつくかもしれない……と、そんなことを考えてしまう。
「モアネットにはジュースを用意させる。何が良い?」
「オルド様が選んでくださって構いませんよ」
「そこは普通に選んで良いわよ、モアネット」
「オレンジで」
出来れば甘めで、とリクエストすれば、オルドが苦笑を堪えるような何とも言えない表情で頷いてきた。次いで彼が一言二言命じ、メイドを手配へと向かわせる。
そうして待つこと少し、部屋に飲み物と洋菓子が運ばれてきた。
オルドが「夜は豪華に振る舞わせてもらうから」と菓子の質素さを恥じて詫びてくるが、テーブルに並ぶクッキーやタルトは詫びるようなものではない。きっとこれもまた彼の見得なのだろう。その分かり易い謙遜に、モアネットが素直に礼を返してテーブルへと手を伸ばした。
クッキーは適度に甘く香ばしく、タルトもまたフルーツがふんだんに乗せられていて絶品。これを質素だのと本気で詫びているのであれば、世界中のパティシエが泣くだろう。
そうして柔らかなソファーと美味しい飲み物と菓子で体と心を休めれば、次第にいよいよと言った空気が漂い始める。その口火を切ったのは、
「そろそろ説明してもらえるか」
というオルドの言葉だった。
真赤なワインが注がれたグラスを片手にする彼は、茶色の髪と合わさってまるで獅子のように見える。漂う威圧感は僻地に追いやられたとはいえさすが王族といえるもので、とりわけ今は嘘を吐かせまいという迫力さえ感じさせる。
そんな空気の中、モアネットがジュースを一口飲んでゆっくりと口を開いた。
「……すべては一人の魔女が……私の妹、エミリアが引き起こしたことです」
と。




