4:呪符と水と可愛いにゃんこ
夕飯はもちろんデザートまで食べられ、モアネットはうんざりしていた。
なんとも騒々しく落着きのない食事。その最中にロバートソンと何かを噛みたくなったファッショナブルな友達が大広間に顔を覗かせてきて、アレクシスが悲鳴をあげて彼が立ち上がった瞬間に椅子が壊れて……と、賑やかを通り越した散々な食事ではないか。
−−ちなみにモアネットは堂々と「噛んじゃえロバートソンのファッショナブルな友達! そこだ!いけ!」と盛大に煽ったのだが、残念なことにロバートソンのファッショナブルな友達は飛んでいる虫を捕まえることで満足してしまった。なんとも穏やかな蜘蛛ではないか。物凄い眼光で睨みつけてくるパーシヴァルに爪の垢を煎じて飲ましたいくらいである。……爪の垢にも毒があるのなら尚の事−−
そんな夕食を済ませて一息ついた頃合いに、モアネットがコップを一つテーブルに置いた。
極々平凡なコップだ。中身は透明の水が半分ほど注がれている。
「モアネット嬢、これはなんだ?」
「アレクシス様が本当に呪われているのか、それともたんに不運なくそ野郎なのか、調べようと思いまして」
「モアネット、椅子を駄目にしたのは悪かったから、もうちょっとオブラートに包んでくれないかな」
切なげな声を出すアレクシスの訴えをスルーし、モアネットが一枚の紙とペンを取り出した。
手の平サイズに切られた羊皮紙。ペンも見るからに特殊な加工を施されている。太めのボディーには細かに文字が刻まれ、ペン先も黒一色の特殊な素材で作られている。見るからに普通のペンとは違い、その異質さからアレクシスとパーシヴァルが覗いてくる。
とりわけパーシヴァルは警戒の色を見せており、羊皮紙とペンを交互に見やったのち、モアネットに視線を戻してきた。碧色の瞳が、いったいこれで何をするのかと尋ねてくる。
「呪符を作ります」
「呪符?」
「こうやって私の血を混ぜたインクでこの紙に術式を書くんです」
そう話しながらモアネットが紙にペンを走らせれば、血と混ぜあわせたインクが羊皮紙に染み込んでいく。黒でありながら光の加減では血の赤を見せる。人によっては禍々しいとさえ感じる色だ。
そんなインクをまるで滑らすようにして描けば、パーシヴァルが怪訝そうに首を傾げた。
「俺にはぶっさいくな生き物の絵にしか見えないが、何か特殊な文字なのか?」
「素人にはこの可愛らしいにゃんこの魅力は分かりませんよ」
「……モアネット嬢、画力が皆無になる呪いをかけられているんじゃないか?」
「……そう言うパーシヴァルさんは呪いで礼儀を失ったんですかね」
「二人共、頼むから喧嘩しないで」
喧嘩勃発の直前でアレクシスに止められ、モアネットが兜の中で舌打ちをしてパーシヴァルを睨み付けた。もちろん兜越しなので彼には届かないのだが、なんとも奇遇なことに彼もまた碧色の瞳を鋭くさせながらこちらを睨んでいる。
なんて腹の立つ男だろうか。いっそ二人セットで呪われていればいいのに……と。思わずそんなことを考えつつも、モアネットが再び羊皮紙にペンを走らせた。
そうして可愛らしいにゃんこの絵を完成させる。きっとここに第三者が居れば、なんて可愛らしい愛らしいまるで生きているようだと褒めてくれるだろう。もしくは、腕の良い精神病院を紹介してくれるか。
とにかく、そんな呪符をコップの上に置き、モアネットが兜の中で一度深く息を吸った。
アイディラ家はとっくの昔に魔女の称号を手放した家系。現状存命の親族の内に魔術を使える者はいない。
ゆえにモアネットは残された文献を頼りに手探り状態で魔術を学んできた。素質があったかどうかは定かではないが、幸い時間はたくさんあった。
そんな日々と学んだことを思い出し、肺の中の空気を細く吐き出す……。
そうしてポツリと呟く、
『探れ』
という簡素な言葉は、もちろん魔術を発動させるための呪文である。
その瞬間、まるでその命令を聞いたかのようにコップの上に掛かっていた羊皮紙がポンと音を立てて燃えあがった。
弾けるように眩く、そして一瞬にして消えてしまう。残ったのは依然として透明な水の入ったコップ。そこに灰の欠片もなければ煙もあがらず、それどころか揺れてすらいない。
「なっ、なんだ今の……!」
「今のが魔術です。それじゃアレクシス様、これを飲んでください」
「……ごめんよモアネット、流石にちょっと怖いかな」
「王子、あんな呪われた生き物の絵の入った水を飲むと画力が失われますよ」
「可愛いにゃんこ! いいですよ、それならまずは私が飲みます」
見ててください、と二人に告げて、モアネットがコップを手に取る。
そうして迷うこと無く水を口に含んだ。当然だが味も匂いも何もない。ただの水だ。飲み込んだところで違和感もない。なにせ先程モアネット自身で汲んできたのだ。
それを証明するようにもう一口飲み、コップをテーブルに戻すと「ほらね」と言わんばかりに肩を竦めて見せた。……ギッと鎧が動くだけなので肩を竦めるジェスチャーが上手く伝わったか定かではないが。
「なんの害もない、正真正銘ただの水です」
「……それなら、まずは俺が飲もう」
毒見役なのか、パーシヴァルがコップに手を伸ばした。
なんとも疑り深いとは思いつつ、それでもどうぞご自由にと促す。不審な味はしないかと探っているのか、随分と真剣な表情で水を口に含み、次いでコクリと飲み込んだ。
「……確かに、ただの水だな」
「だから水ですって。はいどうぞ、アレクシス様の番ですよ」
「う、うん……」
モアネットとパーシヴァルが飲んだことで多少なり安心したのか、アレクシスがコップを受け取る。
そうして先の二人を真似るように口に含み……「ぐっ」と唸るや次いで激しく咳込みだした。
「ぐっ、うぅ、なにこれっ……!」
「王子、どうなさいました!?」
「にがっ、よく二人共こんなの飲めたね……」
舌にまだ味が残っているのか、紅茶を飲みつつ話すアレクシスはずいぶんと苦しそうだ。
表情は嫌悪と苦痛を顕にしており、一言話しては紅茶を一口飲み、再び一言話しては飲み……と繰り返しているあたりよっぽど苦かったことが窺える。
それに対して疑問を抱くのは、先程同じように水を飲み「ただの水だ」と判断したパーシヴァルである。
「苦い? しかし俺が飲んだ時はただの水でしたよ」
「水? あれが? ……うぇ、だめだ、まだ口の中に味が残ってる。モアネット、何か味の強いものは無いかな? ワインとかチーズとか、出来れば質の良い年代物のワインとチーズをのせたクラッカーが良いんだけど」
「なにさり気無く食後のひと時を堪能しようとしてるんですか」
この期に及んで注文してくるアレクシスを一刀両断し、モアネットが用意しておいた箱を手に取った。
綺麗な石が飾られている可愛らしい宝石箱。その中には一つ一つ丁寧に包装されたチョコレートが入っている。
それを見せればアレクシスが礼を告げて一つ取り、すぐさま口の中に放り込んだ。そうしてようやく安堵の一息をつくのだからよっぽどだったのだろう。
そんな彼と、そして訝しげにコップを眺め恐る恐る水を飲み首を傾げるパーシヴァルを一瞥し、モアネットがギシと音をたてて肩を竦めた。
案の定というかなんと言うか、やはりアレクシスは呪われている。