36:一難去ってないのにまた一難
宿を出て馬車を借り、再び走り出す。
これといって盛り上がることもなくポツリポツリと呟くように今後のことを話すのは、いよいよだと察してかアレクシスとパーシヴァルの表情とに緊張の色が見えるからである。いかに故郷といえど彼等にとっては針の筵、不在の間に良からぬ噂の二つや三つ増えていてもおかしくない。
だからこそすぐに王宮に向かい、これが魔女の呪いであることを説明すべきなのだ。他でもない魔女本人が証言すれば少なくとも両陛下は信じてくれるだろう。謂れのない噂がたつまでアレクシスは彼等にとって自慢の息子であり、そして愛を持って育てていたのだ。
きっと分かってくれるに違いない。そう語るアレクシスの瞳は僅かながらも期待を抱き、それを見たパーシヴァルもまた尊敬を示す様に「両陛下なら直ぐに理解してくださいますよ」と頷いて後押しをした。
そしてモアネットとジーナの魔女二人を頼りに犯人を捜しだし、呪いを解く……。
その先についてアレクシスもパーシヴァルも何も言わないのは、犯人を見つけたからといって元通りの生活に戻れるか分からないからだ。ここまできてしまったのだから、全てが解決したとしても色々と引っかかることもあるのだろう。
「僕は王位を……」と微かに呟こうとして言葉を濁すアレクシスを見るに、もしかしたら王位継承を放棄する可能性すらある。パーシヴァルもまた思い詰めた表情で剣に柄を握っている。
ちなみに、今後を深刻に考えているのはアレクシスとパーシヴァルだけだ。
ジーナは膝に乗せたコンチェッタを撫でつつ「仕方ないわね」と呟きながら荷物からパンを取り出し――もちろん二人の口に突っ込むためである――、モアネットは砂糖菓子をカリカリと食べながらも「私もパン食べたいです」とジーナに強請っている。ブニャンという鳴き声があがるあたり、コンチェッタもパンを強請っているのだろう。
この温度差と言ったらないが、お互いの立場を考えれば当然ともいえる。
「そうだモアネット、落ち着いたら貴女の古城にも招待して頂戴ね」
「はい! ジーナさんが来てくれるならロバートソンも喜びます」
「大親友の蜘蛛ね、会えるのが楽しみだわ」
片や深刻な空気を醸しつつ、そして醸したがゆえにパンを口に詰められ。片や長閑に猫を撫でつつ、小腹が減ったとパンを食べる。
そんな第三者には理解しがたい光景を繰り広げながら馬車を走らせていると、窓の外に見慣れた景色が見えてきた。
密集して並ぶ屋根と、その中に建つ一際大きな建物。それだけでも市街地を見守る様に構える王宮の姿が思い出せる。国を越えての旅もこれで終わりか……そうモアネットが一足早く安堵の溜息をついた。
……そう、これで終わるはずだったのだ。
だというのに市街地に着くや馬車を下りる間もなく騎士達に囲まれ、いったい何かと問うまでも無く王宮に連れてこられてしまった。
誰もが厳しい顔つきをしており、中には剣を手に威圧感をかけてくる者すらいる。
「こんなに手厚い歓迎してくれなくても良いのにねぇ。そう思わない? モアネット」
「え、えぇそうですね……」
飄々とした態度でコンチェッタを抱き上げたまま話すジーナに、彼女の隣を歩くモアネットが半ば圧倒されつつコクコクと頷いた。背後には騎士が一人張り付き、左隣にも一人警戒するようにこちらの動きを見張っている。
まさに連行と言わんばかりの状況だ。さすがにジーナのような余裕は保てない。
むしろこの状況下でのんびりと話せるジーナの方が異常と言えるだろう。現にパーシヴァルは何一つ答えないかつての仲間達を険しい表情で睨み付け、誰より厳重に警戒されているアレクシスに至っては青ざめ俯いている。
もっとも、彼が青ざめるのも当然だ。
『どんな噂が流れているか分かったものじゃないから、まずは王宮に行って……』等という考え自体が甘かったのだ。行動も考えも、全て後手だったと改めて悔やまされているに違いない。
掛ける言葉も無い。そうモアネットがチラとアレクシスを一瞥する。
そもそも、言葉を掛けようにも何か発しようものなら騎士達に咎められるのだろうけれど。――現に一人の騎士がジーナに対して私語を慎むよう告げたが、彼女はあっさりと「女のお喋りを止める男はもてないわよ」の一言で一蹴してしまった。おまけに、コンチェッタの「ヴー」という唸り付き――
これには騎士も臆してしまったようで、コホンと咳払いをしてそそくさと去っていく。
「ジーナさん、凄いですね」
「あら、魔女を名乗るならこれぐらいで臆しちゃ駄目よモアネット。魔女とは人間の柵に捉われないものでなきゃ。ほら、コンチェッタを抱っこして余裕を見せなさい」
「いや、今コンチェッタは……」
遠慮しようとしたところをコンチェッタを押し付けられ、渋々とモアネットが抱き抱える。ウニャンという鳴き声は「よろしく」とでも言っているのだろうか。
確かに猫を抱き抱えたまま王宮に向かえば、その姿からは余裕を感じさせるだろう。それが使い魔となれば魔女の余裕と言えるかもしれない。
「だけど重いなぁ……」
そうモアネットが呟けば、背後を歩いていた騎士が咎めるために咳払いを一つしてきた。
そうして王宮に連行され、両陛下と対面である。
アレクシスにとって感動の親子の再会……なんてものにならないのは言わずもがな。当然だがもてなしなど何一つ用意されておらず、謁見の間に立たされて周囲を騎士に囲まれ、再会というよりは尋問に近い。
王は険しい顔つきを浮かべ、王妃もまた眉間に皺を寄せ見ていられないと露骨に視線をそらしている。二人の間に立つのはアレクシスの弟である第二王子。
三人の様子は到底アレクシスの帰還を喜んでいるものではなく、漂う重苦しい空気にあてられモアネットが生唾を呑んだ。彼等が纏っている空気は底冷えするような威圧感すら感じさせ、鉄の鎧を伝って肌をチリチリと焦がしてくる。
これが王族の威厳か。そうモアネットが心の中で呟いた。――この底冷えする威圧感の出所が別の場所だと知るのは、まだ少し先の事である――
「アレクシス、お前は自分が何をしたのか分かっているのか?」
そう尋ねてくる王の声は低く、長旅を終えた息子を労わる色は一切ない。それどころか戻ってきたことを責めているようで、それを察したアレクシスが掠れるような声で「父さん」と呟いた。
だがその言葉すら不快だと言いたげに首を振られ、アレクシスが臆するように父を見上げた。
「国費を使い込んで豪遊とは、我が国始まって以来の汚点だ……」
「国費を!?」
溜息交じりの言葉に、アレクシスが驚愕の声を上げる。
それに被さるように割って入ったのがパーシヴァルである。一歩前に出れば両腕を羽交い絞めにするように騎士達に掴まれたが、それでも怯むことなく眼前の王を見据えた。
「今回の旅費は全て俺が稼いだものです! 国費に手を付けたりなどしていません!」
「黙れパーシヴァル。呪いだの魔女だのと騒いで、果てにはアレクシスの愚行にまで同行する。騎士としての忠誠心はどうした」
追い打ちをかけるようなその冷ややかな言葉に、パーシヴァルの碧色の瞳が悔しそうに細まった。
彼を動かしているものはアレクシスへの忠誠心だ。だが今目の前に立つ王もまた忠誠心を掲げた人物なのだろう。いや、騎士の忠誠心であれば王への比重の方が高いか。
だからこそこの言葉が重いと言いたげにパーシヴァルが俯き、掠れるような声で「忠誠心……」と呟いた。
「アレクシス、お前はしばらく部屋で大人しくしていろ」
「そんな、これから呪いの犯人を見つけるのに……!」
「お前まで魔女だの呪いだのと言っているのか。少しでも処罰を軽くしてやろうと、私がどれだけ苦労しているか分からないのか」
「処罰……」
溜息交じりにでた不穏な言葉に、アレクシスが息を呑むのが分かった。次いで後退れば、彼のそばに立っていた騎士が逃がすまいとその腕をとる。
パーシヴァルが唸る様に彼に触るなと告げ、その小さな反抗心すらも押さえつけるように複数の騎士達に羽交い絞めにされた。
そんな姿をモアネットは兜越しに眺め、どうしたものかと周囲を見回した。
あいにくと王家のいざこざに首を突っ込む気はないし、この重苦しい空気の中で発言をして注目を浴びるのも遠慮したいところだ。下手に動いて騎士達に取り押さえられでもしたら、魔女と言えど腕力は少女並みのモアネットには抗う術はない。
仮にここで魔女だと名乗ったとしても然程の効果も望めそうにないし、変に勘繰られかねない。
かといってこのままではアレクシスが捕らわれてしまう。同様にパーシヴァルも事態が収まるまで――きっと最悪な収まり方だ――どこかに幽閉されるだろう。
それはまずいなぁ……そうモアネットが考えていると、腕の中のコンチェッタが「ヴー」と唸りを上げた。
普段の不満を訴えるときと違い、今に限っては耳を倒して歯を剥き、心なしか全身の毛も逆立っている。
「……コンチェッタ? ねぇジーナさん、コンチェッタが」
「おいでなすったわね」
冷ややかに笑うジーナの言葉に、モアネットがいったい何が来たのかと問おうとし……、
「お願いです、モアネットお姉様には酷いことをなさらないでください……!」
と、悲痛な懇願と共に駆け込んできた少女の姿を兜越しにとらえ、
「エミリア」
と、その名を呼んだ。




