35:護衛騎士の落下音Ⅱ(+おまけ小咄)
パーシヴァル・ガレットは己を落ち着かせるのに必死だった。
なにせ今もまだモアネットが自分の腕に兜を乗せて寝入っているのだ。一度彼女に対して恋愛感情を抱いてしまったが最後、腕の中に納まる感覚と重さすらも鼓動を早めて意識を混濁させる。
「可愛い」なんて思ってしまうのだ。それも「凄く可愛い」と。
「お、落ち着けパーシヴァル・ガレット……相手は鎧だぞ……」
そう自分に言い聞かせる。
モアネットは全身鎧だ。銀一色、そこには髪の色も瞳の色も無い。当然、中にどんな女性が入っているのか見当もつかない。
事情を知らぬ第三者がこの部屋を訪れれば、女性の眠る姿とは到底思うまい。むしろ、いったいどうして鎧をベッドに置いているのかと疑問に思うはずだ。店主であれば、ベッドと布団が痛むから鎧は部屋の隅に置いてくれとでも言い出すかもしれない。
そのうえ今はパーシヴァルが腕枕をしているのだから、疑問どころか怪訝に見てくるか果てには医者を進めてくる可能性だってある。理解し難い光景なのは我ながら理解している。
つまり、それほどまでにモアネットの姿は風変りなのだ。
全身鎧の重装令嬢、たとえば廊下で黙って立っていれば調度品と思われかねない。
そんな鎧が、どういうわけか堪らなく可愛い。
いや、もちろん中にモアネットが居るからこその恋愛感情なのだが、それでも腕の中で眠るモアネットは全身鎧なのだ。
そう、全身鎧だ。
それを改めて自分に言い聞かせ、パーシヴァルが深く息を吐いた。
早鐘状態だった心音を落ち着かせ、暗い部屋の中でそっと目を閉じて冷静を取り戻すよう試みる。
「落ち着け、俺……相手は鎧だ、全身鎧だ。いったい何が可愛いっていうんだ」
呼吸と共に諭す様に自分に言い聞かせ、次いで再び息を吐いた。
自分の一言一言がまるで意識に吸い込まれていくようで、先程まで抱いていた感情も動揺も緩やかに落ち着きを取り戻していく。
それと同時に思考も冷静になり、何を馬鹿なことを考えていたんだと数分前の自分に対して苦笑を漏らす余裕すら生まれ始めていた。
そうだ、モアネット嬢を相手に恋なんて……と、そう自分の中で結論付ける。
鎧の中のモアネットがどんな女性か見たことがないし、纏う前の彼女の容姿だって知らない。人伝に聞こうとも誰も覚えておらず、彼女を「醜い」と罵ったアレクシスでさえ覚えていないという。
どのようなタイプの女性なのかも分からず、なにより今のモアネットは全身鎧である。女性を容姿で判断する気はないが、それでも全身鎧は例外といえるだろう。喋って動かなければ性別が分からないどころか、置物との区別さえつかないのだ。
そんなモアネットを「可愛い」なんて思うはずがない。きっとこれは呪いを解く助力をしてくれる彼女に対して友情を抱いているんだ。友情を恋心と勘違いするなんて、とんだ早とちりではないか。
そう考え、パーシヴァルが一人暗い部屋の中で頷いた。
いまだ腕はモアネットの兜を乗せているが、落ち着きを取り戻した今それはさほど気にならない。……腕が痺れだしてはいるが。
「まったく俺はいったい何を考えてたんだか……。寝ぼけてたかな」
苦笑交じりに自分の行動を否定し、パーシヴァルが己の腕の中で眠るモアネットに視線を落とし……次いで慌てて顔を背けた。
「あれ!? やっぱり可愛い!」
と、こういうことだ。
あれだけ散々一人で否定しておいて、やっぱりモアネットが可愛く見えてしまったのだ。
それどころか、見つめてしまったことで再び熱が湧き上がる。落ち着いたはずの心臓が再び早鐘を打ち、兜を乗せた腕に意識が集中して痺れだす。――腕の痺れに関しては恋心云々を抜きにしたものかもしれないが。なにせ重いのだ――
「本気でどうしたんだ! 俺は!!」
と、小声ながらに叫んでみる。空いている片手で顔を覆い声を押し殺し、その声は割と悲鳴に近い。
だがそんなパーシヴァルの声に気付いたのか、モアネットが「ん……」と小さく声をあげてモゾリならぬギシリと動いた。鎧が軋み、パーシヴァルの腕に乗せていた兜が微かに揺れる。
その動きに再びドキリと胸が高鳴り、そしてそんなときめきを己の中で受け入れられず、パーシヴァルが慌てて数度咳き込むと共に取り繕った声色で「モアネット嬢」と名を呼んだ。
「モ、モアネット嬢、すまない起こしてしまったか」
「んー、パーシヴァルさん、また寝ぼけてるんですか……」
「いや、今は……」
「明日は早いんだし、寝ましょうよ……」
モゾモゾと身動ぎしながらモアネットが訴える。
それに対してパーシヴァルはなんと答えていいやら分からず、「あぁ」だの「そうだな」だのと上擦った声で返すだけだ。身動ぎするモアネットはそれでも腕の中から離れることはなく、煩いと文句を言いながらも寝ようとしているのだ。
それが堪らなく可愛く、だからこそ「落ち着け」と心の中で警報交じりの心音が鳴り響く。
モアネットは今の状況を「パーシヴァルがまた寝ぼけてる」と捉えている。だからこそ大人しく腕の中に納まって眠ろうとしているのだ。ならば今すべきことは既に正気に戻っていると説明し、彼女を解放し、そしてこの恋心を隠し通すこと……。
そう考え、パーシヴァルがモアネットの名を呼ぼうとした瞬間、それにかぶさる様にモアネットが「おやすみなさぁい」と微睡んだ声をあげ、
ポン、
と鉄の手甲をパーシヴァルの胸元に置いた。
その手がゆっくりと、ポン、ポン、と上下し胸を叩いてくる。まるで子供を寝かし付けるように……。
その動きにパーシヴァルが碧色の瞳を数度瞬かせ……。
「……これは反則だろ」
そう掠れるような声で呟いて片手で顔を覆った。
胸元を叩くのは銀一色の手甲。中にある手がどんなものなのか見当もつかない。それどころかモアネットがどんな表情をしているのか、どんな女性なのかすらも分からず、そもそも彼女について知っていることなど数えるほどしかない。
それでも、今自分の腕の中で眠るモアネットが堪らなく愛しくて仕方ない。
「あぁ駄目だ、もう完璧に……」
完璧に恋に落ちた。
そうパーシヴァルが己の中で湧き上がる感情を認め、深い溜息と共にそっと顔から手を放し……、
「あらぁ、パーシヴァルってば、いったい何をしてるのかしらぁ……」
という、野太く低い声に、心の中で「これはまずい」と呟いた。
「寝ぼけると奇行にはしる?」
そう驚きを露わにするジーナに、モアネットが朝食を食べながらコクコクと兜を頷かせた。
パーシヴァルは、寝ぼけると人を抱きしめて可愛がるという奇行に走る。自分自身で制御が出来ないものらしく、それでもきっかり十五分経てば意識も戻り自分が何をしていたかの記憶も残るのだ。
それを説明すればジーナが怪訝そうな表情を浮かべ、それでも優雅にクロワッサンを食べながら「そうなの」と答えた。
「昨日の夜もモアネットを抱きしめていたけど、本人の意思とかそういうものは関係あるのかしら?」
「んー、どうなんでしょ」
今一つ分からないところだとモアネットが首を傾げつつトーストにバターを塗り、しっかりと焼かれたトーストをサクサクと齧りだした。気を付けてはいるものの粉が鎧の中に落ちてしまうのは不快だが、それでも美味しいので気にするまい。
そんなモアネットに対して、ジーナはそれでも怪訝そうな表情を和らげることなく、サラダをフォークで突っつきながら「フゥン」と呟いた。次いでサラダの中からササミを寄せるとコンチェッタの名を呼んだ。
アレクシスの膝に座り時折彼の皿から美味しそうなものをチョイチョイと盗み取っていたコンチェッタがそれに気付き、ウニャンと鳴いてジーナの膝の上へと移動していった。
それを見たアレクシスが「ササミが好きなんだね」と己のサラダから取り寄せるあたり、既に自分の食事の半分はコンチェッタのものとでも考えているのだろう。
これもまた不運といえば不運か。
いや、でも今の状況で一番の不運は……。
そんなことを考えつつ、モアネットがチラと外を見た。
「そういうわけだから、パーシヴァルさんを部屋に入れて寝かせてあげません?」
そうモアネットがジーナに声を掛ければ、ハグハグと勢いよくササミを食べるコンチェッタの頭を撫でながらジーナが優雅に笑った。……同意も否定もせず、美しく笑うだけだ。
その笑みを見てこれは無理だと判断し、モアネットが次いでアレクシスに視線を向けた。彼は彼でなんとも言えない表情を浮かべ、決定権はジーナにあるとでも言いたげに肩を竦めて窓の外に視線をやる。
朝の陽ざしが差し込むベランダ。
そこでは布団に簀巻きにされたパーシヴァルが天井からつり下げられながら眠っていた。
なんとも哀れな光景ではないか。はたしてジーナが納得して彼を解放するのが先か、紐が切れて落ちるのが先か……。
まぁでも高さもないし、本人もぐっすり眠ってるみたいだし――よくあの状況で眠れるものだ、そう全身鎧の中でグッスリ寝た身で感心してしまう―――このまま放っておいても平気だろう。そうモアネットが割り切り再びトーストに視線をやれば、窓の外からビタンと無様な音が聞こえてきた。
おまけの小咄
『重装令嬢モアネット〜投下するタイミングを逃した小ネタの載せ方 その2〜』
「大変だ、お湯が出るよ!」
というアレクシスの頓珍漢な発言に、疑問を抱いたのはジーナだけである。
モアネットは呆れを通り越して同情めいた視線を彼に向け、パーシヴァルは喜ぶ主を前に「良かったですね」と声を掛けている。
「……ねぇモアネット、彼はどうしたのかしら」
「ほぼ一年間水しか浴びてないので、脳みそが冷えきってしまったんです」
だから仕方ないと話すモアネットに、ジーナが意味が分からないと首を傾げた。
それでもしばらくすれば事態を理解したのか、溜息交じりに「不運ねぇ」と呟く。膝に乗ったコンチェッタを撫でながらのその口調はまさに他人事と言ったものだが、これもまたアバルキン家の魔女の余裕か。そもそも、今お湯が出ているのもきっとジーナが不運の呪いを弾いているからだろう。
そう考えてモアネットが「ジーナさんのおかげですよ!」とアレクシスに告げれば、久々に湯に浸かれるアレクシスが嬉しそうに礼を告げて浴室へと向かっていった。
そうして全員が入浴を澄ませ、後は寝るだけとなった時。
アレクシスがパタパタと己を扇ぎ、「少し窓を開けてていい?」と了承を取ってきた。
そんなに暑いだろうか?と誰もが顔を見合わせる。現にアレクシスだけが襟元を伸ばして己を扇いだり窓辺に立ったりと涼を求めていた。それどころか、窓辺に立って夜風を受けてようやく心地よさを得たと言いたげに深く息を吐いている。
「アレクシス様、熱でもあるんじゃないですか?」
「いや、多分違うかな」
「違う? でも暑いって」
「ほら、僕さっきお湯を浴びたから……」
だから、と話すアレクシスに、モアネットが話の先を促す様に首を傾げた。
お湯を浴びたからといって何故暑いのか。モアネットも入浴を澄ませたが、出るお湯も熱過ぎることのない極々普通の温度だった。むしろ、まだ髪も乾ききらぬうちに夜風を浴びていたら湯冷めしかねない。
だというのにいまだアレクシスは夜風を浴びながら……、
「久々にお湯を浴びたら体温調整が出来なくなってさ」
と風に髪を揺らしながら答えた。
「適応能力の高さが逆に彼を生きにくくさせている……」
これも不運だ、そうモアネットが呟けば、アレクシスが「暑いから水浴びてくるね」と浴室へと向かい、哀れ過ぎるその姿にパーシヴァルとジーナが見ていられないと顔を背けた。
 




