33:魔女より勝るもの(+おまけ小咄)
乗り込んだ馬車は今までで一番広く豪華で、ふかふかのクッションと真新しい毛布まで容易されていた。馬も馭者も入れ替わりで休むことなく走り続けるらしく、これにはモアネットも兜の中で感嘆の吐息を漏らし、ジーナも満更ではなさそうに「及第点ね」と言い放った。
そうして四人が乗り込み、馬車が走り出す。その走り出しの揺れもあってないようなもので、速度を上げても振動は伝ってこない。見た目だけではなく作りまで特上ではないか。
ちなみにコンチェッタはいまだアレクシスの腕の中で眠っている。
さすがにアレクシスも腕が痺れたのかそっとクッションに下ろそうと試みてはいるのだが、そのたびにうっすらと瞳を開いて「ヴー」と唸るのだ。慌ててアレクシスが抱き直して揺すって寝かし付け、再びクッションに置こうとして……「ヴー」と唸られている。
それを数度繰り返して諦めたのか、コンチェッタを抱き抱えたアレクシスが肩を竦めて降参を示した。
「アレクシス王子、俺が変わりましょうか?」
「いや、いいよ。気持ちよさそうに寝てるからこのままにしておく」
そう苦笑しながら腕の中のコンチェッタを軽く揺らすアレクシスに、モアネットがふむと小さく呟き……そして徐にポシェットから羊皮紙を取り出した。サラリと描くのは、アレクシスに抱っこされて眠るコンチェッタの姿。
まるで赤子のように眠るふっくらとしたその姿は愛らしいの一言につき、描き終えたモアネットが得意げに三人に見せつけた。
「モアネット嬢、突然そんな化け物が溶解液を吐いてる姿を見せてくれるな。心の準備が出来てない」
「可愛いにゃんこ!」
失礼な!とモアネットがパーシヴァルを睨み付け、次いでジーナへと視線を向けた。
きっと同じ魔女のジーナならこの絵の素晴らしさを分かってくれるはず!と、そう考えたのだ。そうして期待を宿した瞳で彼女を見れば、ジーナはモアネットの手にある呪符を見つめたのち……、
「呪符を組み込むなんて考えたわね」
と、魔術に関してを褒めてきた。
細くしなやかな手が兜を撫でてくる。頭部を撫で、次いで頬を撫でているつもりなのだろうか兜の側面に彼女の手が触れる。
「ジーナさん、絵については?」
「でも血が必要なのはちょっとリスクが高いわね」
「絵についての感想を」
「落ち着いたらもうちょっと効率的な方法を探しましょう。血が必要だとしても、上手くすれば割合を少なく出来るはずよ」
「可愛いにゃんこについては」
「良いものを見せて貰ったわ。さぁお菓子を食べなさい」
ほら、とカップケーキを差し出してくるジーナに、モアネットが兜の中で怪訝に瞳を細めつつもそれを受け取った。パーシヴァルが顔を背けて震えているのは笑っているからだろうか、アレクシスに至っては愛でるようにコンチェッタに視線をやっているが随分と白々しい。
せっかく上手く描けたのにと兜の中で唇を尖らせつつ、それでもこれ以上は言うまいとカップケーキを齧った。
ちなみに可愛いにゃんこの呪符はアレクシスに渡しておく。彼の隣に置いた瞬間コンチェッタが「ヴー」と唸ったが、それは気にするまい。後ろ足で砂をかけてこないだけましだ。
「モアネット、これは?」
「腕が痺れないようにです。具体的な呪符じゃないから効果は短いだろうけど、なんだったら何枚か描きますか?」
「そっか、ありがとう。でも大丈夫、腕は我慢できるよ」
「……どうせ溶解液を吐く化け物ですよ」
「いや、そうじゃなくて」
ふんと拗ねるモアネットに、アレクシスが苦笑交じりにフォローを入れてくる。
それどころか無理して呪符を作らなくても良いとまで言ってくるのだ。その言葉にモアネットが兜の中で目を丸くさせ、次いでふいとそっぽを向いた。
呪符を作るために血を必要としているのを案じているのか、それともジーナという強力な魔女を味方につけて新米魔女が不要になったか……考えるまでも無く前者だろうと分かりつつ、それでも「もう私は用済みですか」とぼやいておく。
そんなモアネットの態度が分かりやすかったのかアレクシスが苦笑を浮かべ、改めて「ありがとう」と告げてきた。その声色はなんとも穏やかで、モアネットが居心地が悪いと雑に兜を掻いた。
ゴリゴリと鉄の擦れる不快な音が兜の中で響き渡り、耳に纏わりついてアレクシスの言葉を掻き消してくれる。
そうしてしばらくは他愛もない会話を交わし、日が落ち始める頃、馭者がそろそろ国境だと声を掛けてきた。行きよりもだいぶ早いその速度にモアネットが窓の外を眺めれば、見慣れた光景が倍の速さで窓の外を過ぎていく。
行きに眺めていた景色なのかどうかも判断できない、なんて目まぐるしいのだろうか。だがそれだけ早く走っているということだ。
これならば予定通りに進むだろうと誰からともなく話せば、そんな中でジーナだけが不思議そうに首を傾げ、「ねぇ」とパーシヴァルに声をかけた。
「パーシヴァル、貴方いつまで同行してるの?」
「俺、ですか?」
「そうよ。あまり遠くに来ると今日中に街に戻れなくなるでしょ。そもそも帰りはどうするつもりなの?」
「……なんの話しですか?」
ジーナに問われ、パーシヴァルもまた首を傾げる。
二人が揃えたように首を傾げ合う様はなんともおかしな光景だが、モアネットもアレクシスもまたそれを言う気にはならず、いったいどうしたのかと二人に視線をやった。
パーシヴァルが街に戻るとはどういうことか。
「ジーナさん、どうしたんですか?」
「え、だってパーシヴァルはうちの国の案内役じゃないの?」
あら、と声をあげるジーナに、それを聞いたパーシヴァルがしばらく考えたのち「あぁ」と合点がいったと言いたげに呟いた。
「だから昨夜、俺に薬草を取ってくるよう言ってきたんですね。案内料とは何のことかと思いました」
「……違うの?」
「違いますよ。俺はアレクシス王子の護衛ですから」
そう話すパーシヴァルに、モアネットもまたなるほどと頷いた。どうやらジーナは勘違いをしていたらしい。
生粋の魔女といえどこんな勘違いをするものなのかと思わず苦笑を浮かべれば、ジーナもまた穏やかに笑みを浮かべて「それは失礼」と柔らかく謝罪をした。それでも最後に一度「パーシヴァルもモアネット達と一緒に国境を越えてきたのね」と念を押すのは、自分の中で勘違いを正すためだろうか。
モアネットがジーナに視線をやって頷けば、彼女の手が再び兜を撫でてくる。「そうなのね」と柔らかく微笑む彼女はなんと美しいのだろうか。
「私ってば勘違いしてたわ。ごめんなさいね」
そうコロコロとジーナが笑えば、誰もが苦笑を浮かべた。もちろん、モアネットもまた笑って返す。
だが確かにジーナが勘違いをしてしまうのも無理はないだろう。
一国の王子が他国を訪れるとなれば、通常であれば国をあげての歓迎が要される。当然その国での案内役が付き添うものだ。
時には選び抜かれた騎士が護衛を兼任したり、相応な身分の子息令嬢が友好を深めるために案内を買って出たり、時には王族自らが出向き自国を見て回ることだってある。
いかに国内で不評を買っていてもアレクシスは王子だ。きっとジーナの中では、アレクシスは自国の魔女であるモアネットを連れて国を越え、そしてパーシヴァルに案内を頼んだ……と、こう勘違いしたのだろう。
だがジーナ自身が「勘違いしていた」と認めているのだから今更それを言及する気にもならず、モアネットが別の話をしようとし……僅かに伝った揺れに窓の外に視線をやった。
国境の小屋が遠目に見える。もうそんなに走ったのかと考えれば、同じ考えなのだろうパーシヴァルもまた続くように窓の外を眺めた。
「本当に早い馬車なんですね」
「あぁ、これより良い馬車は国内どころか国外探したって無いだろう。おかげで予定より早く戻れそうだ」
「この旅、予定なんてあってないような気もしますけど」
「……一応、俺の中で予定はある」
「ちなみに、どんな予定で?」
「死なずに年内に帰ってくる」
きっぱりと言い切るパーシヴァルにモアネットが肩を竦めた。
なんとも言い難い予定ではないか。むしろ願望である。
だがそれを指摘する気にならなかったのは、国境の小屋を見つめるパーシヴァルの瞳に僅かに躊躇いの色を見たからだ。続くように視線をやれば、窓の外をぼんやりと見つめるアレクシスの表情にも影が掛かっている。
自国に帰るというのに、二人の表情には悲痛めいたものさえ感じさせる。
それを見てモアネットが何か言おうとし……、
再びアレクシスの口にパンを突っ込むジーナの行動に、出かけた言葉を飲み込んだ。
「辛気臭い顔しないでちょうだい。ほら、さっさと食べる!」
「ふぃいな、ふぉくもうおなはいっはいなんふぁへろ」
「黙って食べる! ほら、パーシヴァルあんたも食べなさい!」
「え、いえ俺は……」
「あんたも黙って食べる! ほーらモアネット、美味しいお菓子があるのよ。一緒に半分こしましょう。こっちに座って」
「扱いの格差が凄い」
分かりやすい贔屓に、モアネットがそれでも応えてジーナの隣に座る。
彼女が渡してくれたのは確かに美味しそうなクッキー。砂糖がまぶされてドライフルーツが飾られ、これは食欲を誘う。
思わずカリカリと食べ進めれば、寝ていたはずのコンチェッタにパンを齧られるアレクシスが困惑し、パーシヴァルは無理やりに手渡されたパンをそれでも食べ始めている。
「モアネット、魔女がこの世で勝てない唯一のものが何か知ってる?」
「勝てないもの……魔女殺しですか?」
魔女は王族だろうと国だろうと、何を相手にしても自由気ままに気まぐれを貫くものだ。それは魔術が人の域を超えた強さをもっているからで、だからこそ魔術の効かない魔女殺しが唯一魔女に勝るもの……。
だがそれをモアネットが訴えるも、ジーナが柔らかく微笑みながら首を横に振った。どうやら違うらしく、ならば何かとモアネットが答えを強請る様に視線をやれば、彼女の手がそっと兜の頬のあたりを撫でる。
「魔女が唯一勝てないもの、それは美味しいものよ」
「美味しいもの?」
「えぇ、美味しいものは食べた人に幸福感を与えるの。その効果は魔術の比じゃないわ」
そう優雅に笑いながら、ジーナが兜の口あたりにクッキーを一枚差し出してきた。
これはいわゆる「はい、あーん」というものなのだろうか。あいにくと兜の仕組みと魔術で口元を見えないようにしているが、それでもモアネットは応じて彼女の手元のクッキーに齧りついた。
先程のドライフルーツとはまた違った味が口内に広がる。仄かに漂う紅茶の香り、なんて美味しいのだろうか。
「他にもいっぱい買ってあるから、いっぱい食べなさい」
モアネットに対しては愛でるように、そして男二人には気風よく告げるジーナに、モアネット達がそれぞれ手渡された食べ物を口にしながら苦笑と共に肩を竦めた。
国境が近付いてきているが、辛気臭い空気を漂わせようものなら即座に口に食べ物を詰め込まれるのだ。それも、ジーナが買い込んだ食料は相当である。そのうえどれも甘かったりコッテリしていたりとボリュームもある。
あれを全部はさすがに……と三人が咀嚼の合間にチラと視線をやれば、アレクシスの腕の中でデップリとしたコンチェッタが心地よさそうに鼾をかいていた。そのふくよかなお腹が己の未来図に思え、慌てて三人が首を横に振って脳裏に浮かんだ光景を掻き消した。
おまけの小咄
『重装令嬢モアネット〜投下するタイミングを逃した小ネタの載せ方〜』
「アレクシス様の呼び方、変えた方が良いかもしれないですね」
そうモアネットが呟くように提案したのは、順調に進む馬車の中。――順調といえど定期的に毒蛾が入り込んでくるが、まぁこれは想定内なので順調のうちに入るだろう――
それを聞いたパーシヴァルがふと顔を上げ、どういうことかと問うように視線を向けてきた。その隣に座るアレクシスは壁に体を預けたまま微動だにしない。数十分前からゆっくりと肩を上下させて寝息を立てている。
「呼び方とは?」
「アレクシス様に対する周囲のこともありますし、偽名というわけではないけど、直ぐに王子とバレるのは問題が起こりやすいかなと思ったんです」
現状、アレクシスに対する周囲の評価はこれより下がりようがない程である。
中には今までの彼が良き王族であったからこそ騙されたと憤る者さえ居り、そういった者達が何か良からぬことを考えだす可能性は無いとは言い切れない。
『勇気ある国民が悪しき王子を打ち倒す』ということだ。打ち倒される側からしてみれば堪ったものではないが、これはきっと武勇伝として受け継がれるだろう。美談なんてものは結局一方から見て美しいだけに過ぎないものだ。
パーシヴァルもそれを案じているのだろう、モアネットが言わんとしていることを察し、なるほどと呟くように頷いた。
「確かに、王子があちこち歩き回っていると知られるのも不味いかもしれないな」
「かといって偽名を使えばそれも悪評に繋がりかねないし、となると愛称ぐらいですかね」
魔女の呪いが関わっているゆえに、何がどうアレクシスの不評に繋がるか定かではない。
己の呪いを解こうと奔走している今だって「あちこち遊びまわっている」だのと言われかねないし、偽名を使おうものなら疚しいことがあるに違いないと明後日な勘ぐりを招きかねない。
だからこそ愛称にとどめておくのだ。
アレクシスに気付いた周囲が呼び方に引っ掛かりを覚えて考えを改めてくれること。「アレクシス様のように見えるけど、周りがあんな呼び方をしてるし、違うかな」と、こういうことだ。
それでいて、周囲から愛称を言及された時には「旅をしているうちに親しくなったから許された」と言い切れる程度のものが好ましい。
考えられない、けれど、あり得ないわけでもない。これが理想だ。
だが『アレクシス』という名前に対して愛称となると……とモアネットが考えを巡らせる。
『アレク』が妥当なところだろうか。「アレク様」と呼べば周囲はどこぞのご子息と勘違いしてくれるかもしれないし、いざとなれば「アレク」と呼び捨てでもいいだろう。
今更呼び捨てで無礼云々言われるような関係ではないし、万が一に彼がそれを咎めてくるようなら「不運野郎」と呼び続けてやれば良い。
そう考えてモアネットが『アレク』という愛称を提案しようとした瞬間、俯き考え込んでいたパーシヴァルがまさに「妙案が思い浮かんだ」と言いたげにはっと顔を上げた。そうしてポツリと、
「……あっ君」
これである。
「一気に距離が詰まりましたね」
「あぁ、自分で言っておいてなんだが無礼極まりないな」
「いや、でも『あっ君』は意外性があって良いかもしれませんね」
「本気か」
怪訝そうに見つめてくるパーシヴァルに、モアネットが本気だと訴えるように深く頷いて返した。
いったいどこの世界に部下や因縁ある魔女に「あっ君」と呼ばせる王子が居るというのか。聞けば誰もが一瞬で違和感を覚え、そして大半の者が考え直すだろう。
「あのアレクシス王子がまさか『あっ君』なんて。きっとあれはアレクシス王子に似た『あっ君』だ」
と。そうモアネットが話せば、パーシヴァルが確かにと頷いた。
眠っていたアレクシスがもぞと動き、小さく唸るような声を上げたのはちょうどその時である。
彼の深い茶色の瞳がゆっくりと開かれ、己が眠っていたことすら分からないと言いたげにぼんやりと周囲を見回す。
「……あ、ごめん。僕寝てたね……何か話してたっけ?」
「いえ、大丈夫です。お疲れでしょうからまだ眠っていて構いませんよ、あっ君」
「それなら、もう少し…………え、待って、パーシヴァル?」
「ひどい不運も起こってないし、交代になったら起こしますよ。あっ君」
「……モアネット?」
何がどうして突如自分が「あっ君」等と呼ばれているのか。寝起きで稼働しきれていない思考ではさっぱり分からないのか――フル稼働した思考でも常人では辿り着きそうもないが――アレクシスが頭上に疑問符を飛ばす。
そんな彼に対してモアネットもパーシヴァルも「おやすみなさい、あっ君」と説明を省いて押し通せば、アレクシスの瞳が疑問と混乱を大量に交えたままゆっくりと閉じられた。車輪が土を弾く簡素な音に、再びアレクシスの微かな寝息が混ざる。
「……無いな」
「……無いですね」
と、そんな小さな会話が馬車の中で交わされた。




