31:重装令嬢のとっておきの呪い
「湖畔の乙女が、魔女……?」
「はい、パーシヴァルさんが湖畔の乙女を見かけるとき、ほぼ同じタイミングで私も近くに居ます。きっと目的が同じ、湖畔の乙女も魔力を得るために湖やここに来たんです」
「そうか……。まとも……いや、ふつう……じゃなくて、ああいう魔女も居るんだな」
「聞き捨てならない単語がちらほらと」
「気のせいだ」
きっぱりと言い切り、パーシヴァルが深く息を吐いた。
その表情はいまだどことなく夢心地といった様子で、それほどまでに心を奪われているのだと分かる。よっぽどだ、そうモアネットが兜の中で小さく呟き、「でも魔女ですよ」と告げた。
魔女といえど所詮は人だ、恋仲になれないわけではない。だがパーシヴァルにとっての魔女とは人を呪う存在なはずだ。魔術を使って人を呪い、そのうえ我が儘で気まぐれで気分屋、いかに見た目がよかろうとこれでは百年の恋も冷めるのではないか。そう『我が儘で気まぐれで気分屋』の部分を担った身で思う。
だがパーシヴァルはモアネットの「でも」という発言に対し、不思議そうに碧色の瞳を丸くさせて「でも、ってどういうことだ?」と首を傾げた。
「だって魔女ですよ。人を呪う悪い魔女だったらどうするんですか?」
「人を呪わない良い魔女だっているだろう」
「……まぁ、そうですけど」
モアネットが確かにと頷いて返した。
てっきり湖畔の乙女が魔女と知り、パーシヴァルが警戒するなりまたも魔女絡みかと嘆くなりするかと思っていたのだ。だというのに彼はあっさりと受け入れ、それどころか「彼女は身分を隠して旅をする異国の姫君でありその正体は水の妖精と見せかけた魔女なんだな」と設定を盛り直し始めた。
その表情に躊躇いなどは無く、それどころか湖畔の乙女の素性に近付けたとどこか嬉しそうにさえ見える。思わずモアネットが小さく笑い「会えると良いですね」と告げた。
それに対してパーシヴァルが苦笑しつつ頷く。その満更でも無さそうな表情はまさに素の彼といったもので、これにはモアネットも毒気を抜かれたと鎧の中で肩を竦めた。
「全て終わったら探しに行きますか?」
「……湖畔の乙女をか? 探そうにもあてがないだろ」
「魔女同士なら足取りを掴めるかもしれない。協力くらいならしてあげますよ」
いわゆる乗りかかった船というやつだ、こうなったら最後まで付き合ってやるのも悪くない。そうモアネットが苦笑を浮かべつつ告げた。
もちろん「そのあとはしっかりとアレクシス様もパーシヴァルさんも呪いますけどね」と付け足しておく。協力はしてやるがそれはそれ、古城から引きずりだされた恨みは忘れない。
「あ、でもその前にアレクシス様が壊した椅子を直してくださいね。この街に引っ越すにしても床も直しておかないと」
それにテーブルの足も、とモアネットが古城の崩壊具合を思い出す。椅子やテーブルの修復はまだしも床の修理となればはたしてアレクシスとパーシヴァルの二人だけで出来るかどうか。
その後にパーシヴァルが湖畔の乙女を探して、そうしてようやく二人を呪う……となるとこれは中々に時間が掛かりそうだ。
そんなことをモアネットが考えていると、パーシヴァルが小さく笑い、次いで「探さなくていい」と告げてきた。それに対してモアネットが顔を上げれば、碧色の瞳がジッとこちらを見据えてる。
「湖畔の乙女、探さなくていいんですか?」
「あぁ、全てが終わったら椅子とテーブルと床を直すから、そうしたら俺を呪ってくれ」
「……パーシヴァルさん」
モアネットが兜の中で小さく彼の名前を呼ぶ。見つめてくる彼の瞳は真剣そのもので、それどころか呪われることをどこか心待ちにしているようにさえ見えるのだ。
茶化すこともそらすこともしないその視線は色合いに反してどことなく熱く、モアネットが僅かに身動ぎ……、
「さっさと寝てください」
と扉を閉めようとした。
それをガッと押さえて「寝ぼけてない」と告げてくるパーシヴァルの声色は低く、見れば先程まで熱く見つめてきた瞳が今は眼光の鋭さを増している。つまり睨み付けているのだ。普段の彼の瞳である。
それに対してモアネットは怪訝そうにパーシヴァルを見上げ、距離を取る様に扉に身を寄せた。彼が寝ぼけているのであればきっと抱きしめてくるはずだ。扉から手を放した瞬間に閉めてしまおう、そう算段を立てる。
「どうせ今のタイミングで戻ったんでしょ。いつから寝ぼけてたんですか?」
「だから寝ぼけてない! 俺は……本気で、そう思ってるんだ……」
「……本気で?」
しどろもどろになりながらも答えるパーシヴァルに、対してモアネットが兜の中で首を傾げた。
本気で彼は自分に呪われるつもりでいたのだろうか。それも、まるで望むように。
信じられないと兜越しに窺うように視線を向ければ、意図を察したのかパーシヴァルが扉から手を放し、まるで誤魔化す様に雑に頭を掻いた。豪快なその動きに金の髪が揺れ、視線を奪われたモアネットは扉を閉めることも忘れて彼を見つめる。
「……本音を言えば、モアネット嬢が協力してくれるとは思ってもいなかったんだ。いや、貴女だけじゃない。もう味方になってくれる人なんて誰もいないと思っていた。だから貴女に失礼なことを言ったし、過剰な警戒心を抱いて接していた」
そう告げてくるパーシヴァルの言葉に、初めて会った時の彼の不遜な態度と、そして馬車で聞いた弱音を思い出す。
一年前から、誰もが突然アレクシスに対して右に倣えで掌返しをした。今まで良き王族として慕われていたというのに、彼は出所の分からない噂のせいで蔑まされるようになったのだ。
パーシヴァルだけがそれに異論を唱えていたが、誰一人として聞き入れなかった。
それが怖いと彼は訴えていた。まるで別世界だと恐れ、しがみつくようにモアネットの鉄の鎧を抱きしめてきたのだ。
その恐怖を、モアネットは知っている。
誰一人としてフォローを入れることも無く、揃えたように皆が評価を変えていく薄ら寒さ。転がり落ちるように足元が崩れていく感覚。
誰も信じられなくて、自分の感覚さえも信じられなくなる。
そのはてにモアネットは鎧を纏い、パーシヴァルは味方などいないと過剰な警戒を抱いたのだ。
外界を恐れ、これ以上傷つけられまいと身構えていたのは彼も自分も同じではないか。
……いや、それだけじゃない。
まるで一からすべてが同じじゃないか。
「……モアネット嬢?」
考え込んでいたところをパーシヴァルに声を掛けられ、モアネットがはたと我に返って顔を上げた。
どうしたのかと窺うような視線に何でもないと兜を横に振って答える。だがそれでも動揺は隠しきれずにいるのだろう、パーシヴァルの表情に心配そうな色が混ざる。
それに対してモアネットは「大丈夫です」とはっきりと答え、彼を見上げると共にポンとその肩を叩いた。鉄の兜は便利だ、気丈に振る舞うのに動きと声さえ取り繕えば事足りる。
「覚悟しておいてくださいね、とびっきりの呪いを掛けてあげますから」
「あ、あぁ、そうしてくれ」
「ジーナさんにも協力してもらって、それはもう恐ろしい呪いに仕上げますよ」
「魔女が二人掛かりか、相当な呪いになるだろうな」
「三日に一回はレンガで殴られる感じです」
「……か、覚悟しておく」
一瞬にして不穏な空気を漂わすモアネットの発言に、パーシヴァルが僅かに体を震わせて身構える。
そんな姿にモアネットが苦笑を浮かべ、僅かに扉を揺らすことで話の終いをにおわせた。
モアネットの言わんとしていることを察し「突然押し掛けてすまなかった」という彼の言葉には、もちろん「まったくですね」と嫌味で返す。フォローしてやる義理もないし、現に時刻は既に遅く、約束もなしに人の部屋を訪れるのは失礼といえるだろう。
「こんな夜中にレディーの寝室に押し掛けるなんて」と彼を責めれば、「鎧の保管庫」と手痛い一言で返ってきた。これは一勝一敗といったところか。
「おやすみモアネット嬢、中の人にもよろしく伝えておいてくれ」
「はいはい、おやすみなさい。寝ぼけないでさっさと寝てくださいね」
皮肉めいたパーシヴァルの言葉に、モアネットもまた皮肉とそして追い払うような手の動きで返す。
そうして彼が去っていくのをチラと兜越しに視線をやり、見届ける必要もないかと扉を閉めた。
シンと静まった部屋の中、ベッドに鎧姿のまま寝転がって考える。
もちろんアレクシスに掛けられた呪いについてだ。
一年前から彼の評価は一転し、今ではこの有様。それどころか刻一刻と悪くなっているのであれば、今頃国内で何を言われているか分かったものではない。もしかしたら『不貞がバレて国外に逃げた』と逃亡者扱いされている可能性だってある。
パーシヴァルが周囲を恐れて警戒するのも当然だ。彼は直接的に呪われてこそいないが、ここまで呪いに振り回されているのだ、彼もまた被害者と言えるだろう。
……だけど。
と、そこまで考えてモアネットが身を起こしたのは、再び室内にノックの音が響いたからだ。
今度は誰だと扉に視線をやれば、「モアネット嬢」と先程聞いた声が呼んでくる。
「パーシヴァルさん、こんな時間にレディーの部屋を、それも二度も訪ねるなんて失礼どころじゃないですよ」
まったくもう、とモアネットが肩を竦めつつ扉へと向かう。
わざわざ戻ってくるあたり、何か大事な話でもし忘れたのだろうか。だがなんにせよ考え事の邪魔をされたのだ、手痛い一言くらいは見舞ってやろうとモアネットが兜の中で笑みを零し、キィ……と扉を開け……。
そして、逞しい腕に抱き寄せられた。
「油断してたぁ……」
「モアネット嬢、俺は貴女を誤解していた。貴女は良い魔女だ、こんな優しい女性を俺は知らない」
「うぅ、悔しい。自分の迂闊さが嫌になる……」
「全て終わったら俺を呪ってくれ。魔術の実験台にだってなっていい」
逞しい腕に強く抱きしめられ、モアネットが呻きながら己の迂闊さを嘆く。だがそれが寝ぼけたパーシヴァルの耳に届くわけが無く、彼の手が豪快に兜を撫でてきた。
これはもういっそ大人しく十五分を待つべきか……。
そうモアネットが心の中で白旗を上げる。それでもせめてと彼の腕の中で身動ぎ、鍛えあげられた胸板を突っぱねるように腕を張って抵抗を示し……力尽きて再び強引に抱き寄せられた。
元々の腕力の差だ。いかに魔女といえどモアネットは並みの少女程度の腕力しかない。日々鍛えているパーシヴァルの全力の抱擁から逃げられるわけがない。
思わずが溜息が漏れ、次いで疲労感が襲ってくる。十五分が過ぎてパーシヴァルが戻ったらさっさと寝ようと、そんなことを考えつつ兜を撫でられながら溜息をついた。
呪いに振り回されたのは彼だけか?
なんて、
考えていた事は既に思考の奥底に沈んでしまった。




