30:魔力湧く温泉
「モアネット、ここら辺にお湯と魔力が湧いている場所があるの。浸かってきたら?」
そうタオルを差し出しながら話すジーナに、モアネットが「お湯と魔力?」と兜を傾げた。
曰く、この土地の地脈は複雑で、岩の隙間から水やお湯が沸き出ている場所が多々あるらしい。中には魔力が混ざって湧き出ている場所もあるらしく、それ目当てでこの地を訪れる魔女も少なくないという。
ジーナに挨拶をして湯に入る律儀な魔女もいれば、勝手に入って去っていく魔女も居る。それどころか散歩していたコンチェッタに手土産を括り付けて帰ってしまう魔女も居るという。だがそんな気まぐれさが魔女というもので、ジーナもそんな魔女達を追い払うこともせず、突拍子もない訪問であれど大歓迎なのだという。となればもちろん、全身鎧の新米魔女だって大歓迎というわけだ。
それどころか自らの領土を自慢したいと瞳が輝いており、モアネットが苦笑を浮かべてタオルを受け取った。
「人払いの魔術を厳重にかけておいたわ。心配ならモアネットも上乗せで掛けても良いから。安心して浸かってきてちょうだい」
「はい」
「道案内にコンチェッタを連れていって、出来たらあの子を洗ってくれないかしら。お湯ならあの子も喜んで入るから」
ジーナが「よろしくね」と告げれば、話を聞いていたのかどこからともなくコンチェッタが現れた。
モアネットが視線をやれば、コンチェッタもまたジッと顔を見上げてくる。そしてゆっくりと瞳を閉じるのは了承の意味だろうか。どことなく眠そうにも見える。
なんにせよ、既に周囲は暗くなっているので光るコンチェッタの案内は有り難いことこのうえない。モアネットが頭を撫でれば、まるで任せろと言わんばかりにポワポワと光りだした。
そうしてモアネットがコンチェッタを連れて屋敷を出ていく。
カシャンカシャンと鎧が歩く音と、ンニャンニャと何やら話しているコンチェッタの鳴き声が屋敷を抜けて谷へと続く扉をくぐる。魔女の住処とは思えない賑やかさではないか。
それからしばらくしてジーナがふと顔を上げたのは、自分のテリトリー内で他家の魔術を感じ取ったからだ。言わずもがな、モアネットの人払いの魔術。それもかなり厳重に、二重にも三重にも重ねていく。
その気配を察し、ジーナが小さく溜息を共に肩を竦めた。
「あれも一種の呪いね」
呟かれた言葉は、あいにくと誰の耳にも……もちろんモアネットの兜の中にも届かなかった。
「全て終わったらロバートソンを連れてここで暮らすから、ご近所さんになったら仲良くしてくれる?」
そうモアネットが話しかければ、お湯の中をスイスイと泳いでいたコンチェッタがポワと光った。
ジーナの言う通り、この岩場に溢れているお湯には魔力が含まれており、満月でなくとも先日の湖のように魔力が体に満ちていく。そのうえ先程からコンチェッタがスイヨスイヨと泳いでいるのだ。ふかふかの毛を水面に揺らしながら優雅に犬かきならぬ猫かきをするコンチェッタの姿は可愛らしく、思わずモアネットが瞳を細める。
もちろん、今は鎧も何も纏っていない。さすがに裸は躊躇われるので薄いワンピースを纏ってはいるが、それでもグッと両腕を伸ばせば視界に映りこむのは鉄の腕ではなく生身の肌だ。涼しい風が火照った肌を擽る。水面に映る体は、当然だが筋肉質ではないし腹筋も割れていない。
「パーシヴァルさんってば、ひとのこと筋肉質だなんて馬鹿にして、失礼しちゃう。ねぇコンチェッタ」
同意を求めれば、スイスイと泳いでいたコンチェッタがゆっくりと方向転換してこちらに向かってきた。
ポワポワと光る猫が湯を掻いて泳ぎ回る姿はなんとも神秘的で、光る尻尾の残す軌道が水面に揺れてまるで速度を弛めた流れ星を眺めているような錯覚を覚える。
そうして胸元まで泳ぎ着いたコンチェッタを抱き抱え、湯から上がるとともに濡れそぼって四割しぼんだ体をタオルで包んでやる。もちろん自分も身体を拭いて、そのまま鎧を纏う。
軽量化の魔術を施した鎧は当然だが重さは感じない……のだが、今夜に限って妙に重苦しく感じてしまうのは、厚い鉄に阻まれて夜風を感じられないからだろうか。
そんなことを考え、モアネットが兜の中で小さく溜息をついた。
暖かな湯につかり、火照った体に涼しい夜風を受けながら帰路につけたらどんなに心地よいだろうか。
時折は強く吹く風に髪を揺らして、鉄越しではない夜空を見上げて瞳を細めるのだ。
隣には誰かが居て、ごく自然に視線を合わせてくれる。鉄を介さぬ声で話しかけ、鉄を介さぬ相手の声を聴く……。
そんな自分の姿を想像し、モアネットがギシと肩を竦めた。
人払いを幾重にかけてようやく鎧を脱ぐことが出来る現状、そんな真似ができるわけがない。夢のまた夢、思い描くだけ無駄な時間だ。
そう割り切って、モアネットが夜道を歩く。ホワホワと光る猫と歩く鎧、さぞや不気味な光景だろう。こんな姿を誰かに見られたらきっと幽霊話にされるに違いない、そんなことを考えつつ、モアネットが屋敷へと向かった。
「モアネット嬢! モアネット嬢!!」
と、ドアを叩かれたのはそんな入浴からしばらく、客室のベッドで身を埋めていた時。
ジーナが容易してくれたこの客室は広く豪華で、そしてベッドはどんな宿にも負けずふかふかと柔らかい。寝転がれば心地良く体が沈み、ここまでの疲れが吸い込まれていくようだ。
そんな微睡に似た休息をとっている最中に扉を叩かれ、うとうとしていたモアネットがゆっくりと身を起こした。部屋の一角に並べて置いた鎧を纏い、せっかくゆっくりしていたのにと文句を言いながら扉を開ける。
そこに居たのはもちろんパーシヴァル。よっぽを急いでいたのか、扉が開くやグイと身を乗り出してきた。
「モアネット嬢、湖畔の乙女だ! 彼女が居たんだ!」
「湖畔の乙女? こんなところに?」
なんでまた、とモアネットが怪訝そうに話せば、相変わらずどこか夢見心地でパーシヴァルが説明しだした。――とても面倒くさそうなのでモアネットは隙あらば扉を閉めてやろうと考えていたが、夢見心地な表情に反してガッチリと扉を押さえている。びくともしない――
曰く、ジーナから近場に生えている薬草を取ってきてほしいと頼まれたらしい。「案内料に上乗せしておくから」という言葉にこそ疑問を抱いたものの、それでも彼女の頼み事ならばと了承して外に出たという。
そしてそこで湖畔の乙女を見つけた……と。
「彼女の姿はこの闇夜の中でも光り輝いて見えた……。もしかしたら湖畔の乙女は水の妖精なのかもしれない」
うっとりと語るパーシヴァルに、モアネットが兜の中で瞳を細めた。
水の妖精なんてどうにも信じられない、と、魔女である自分のことを棚に上げて思う。
「ところでパーシヴァルさん、水浴びしてたってことは裸を」
「見てない」
「ちらっとぐらい」
「見てない! そんなやましい感情を彼女に抱けるものか。それほどまでに美しく……きっと彼女は身分を隠して旅をする異国の姫君でありその正体は水の妖精なんだ」
「設定盛りますね。まぁそれはさておき、確かにちょっと気になりますね……」
ふとモアネットが考えを巡らせる。
ジーナはお湯が沸き出ている場所は幾つもあると言っていた。中には魔力も、という良い方から湯と魔力が合わさって湧き出る場所は幾つかあるのだろう。その中の一つに人払いの魔術を掛けてモアネットに薦めてくれたのだ。
聞けばパーシヴァルが湖畔の乙女を見つけたのはモアネットが湯に浸かっている時とほぼ同時刻らしく、その話にさらに引っ掛かりを覚えてモアネットが兜の中で眉間に皺を寄せた。
先日の湖ならばまだ街からも近くて分かるが、今回はこんな岩場の一角だ。周囲には宿も無く、荒い岩肌が広がっているだけ。泊まれる場所といえばジーナの屋敷のみ。
普通の人はこんなところで湯に浸からないだろう、そもそも辿り着けないはずだ。だというのに湖畔の乙女はこの地で水浴びをしていた……。
湖畔の乙女の行動はモアネットと被る。
どうして……とモアネットが考え、はっと小さく息を呑み慌ててパーシヴァルを見上げた。
もしかしたら、彼が焦がれる『湖畔の乙女』とは……。
「パーシヴァルさん、湖畔の乙女はもしかしたら……」
「なにか分かったのか?」
「もしかしたら、彼女も魔女なのかもしれません」
そうモアネットが告げれば、パーシヴァルが碧色の瞳に驚愕の色を浮かべた。




