28:魔女の住む谷へ
「なにが『絶対に無理はさせない』ですか。嘘つき」
ブツブツと文句を呟くモアネットに、足元を歩くコンチェッタがンニャンニャと相槌を打つ。
対してアレクシスとパーシヴァルは非はすべて自分達にあると自覚しているのか黙々と森の中を歩き、ときにアレクシスが虫や蛇に襲われている。
そんな傍から見ればさぞや珍妙であろう行軍を進めてしばらく、前を歩く二人がピタと足を止め、自然とモアネットも足を止めた。
二人が周囲を窺っている。出発前に宿の店主に森を抜けるための道を聞いていたが、その話と現在地を照らし合わせているのだろう。
試しにとモアネットも真似るように周囲を見回せば、遠目に小さな小屋が見えた。きっとあれが森を抜ける目印に違いない。
そんなことを考えつつモアネットはしばらく周囲を眺め、そしてギシッと首を傾げた。小屋を眺めるアレクシスとパーシヴァルの姿に妙な違和感を覚えるのだ。
なんだろう。元々身長差のある二人だが、頭一つも差があっただろうか? いや、頭一つどころかもっと……むしろ今まさに身長差が広がっているような……。
「パーシヴァルさん、ここらへんって沼地ですか?」
「あぁ、地盤が少し弛いな。中には底なし沼なんて言われてる場所も……アレクシス王子ぃー!」
モアネットの言わんとしていることを察し、そしてアレクシスが徐々に沈みつつあることに気付き、パーシヴァルが慌てて彼の腕を掴んだ。
アレクシスもまたそれで我に返り自分の足元を見るが、時すでに遅く足首まで沼に浸かりきっている。片足ならばまだしも、両足これでは自分の力だけで抜けることは不可能だろう。
「アレクシス王子、落ち着いて、あまり動かないでください。俺が引き上げますから!」
「ま、待て。近付くとパーシヴァルまで足を……」
「くそ、足場が泥濘んでこっちまで……。モアネット嬢、危ないから下がっていてくれ」
泥濘に足を取られて上手く動けないのだろう、焦りを感じさせるパーシヴァルの言葉に、モアネットはさも平然と、それどころか若干の嫌悪を交えて「頼まれたって近付きませんよ」と返した。
もちろん鎧が汚れてしまうからだ。それどころか、沼に浸かりでもしたら隙間から中に入ってきて……そう考え、兜の中でウエェと小さくぼやいてポーチに手を伸ばした。コンチェッタが前足と後ろ足を順にフルフルと振っているのは、きっとこの足場の汚さにご立腹なのだろう。
もっとも、今のアレクシスとパーシヴァルには足場の汚さを気にしている余裕などない。なにせ刻一刻とアレクシスの両足は沼に沈み、引き上げようにもパーシヴァルも足を取られて力を込められない状態なのだ。緩慢な速度ではあるが着実に沈んでいる、このままではあと一時間もすればアレクシスの頭まで浸かりきるだろう。
なんて無様、そう溜息をつきつつ、モアネットが描き上げた呪符を丸めて沼に投げ入れた。
そうしてコンチェッタを抱き上げて自分の荷物を持ち、彼等から離れて手頃な木に身を隠し……、
「爆ぜろ」
と、一言告げた。
その瞬間バンッと派手な音が響き、男二人の短い悲鳴があがり……そしてモアネットの周辺にまで泥が飛び散ってきた。ビチャビチャと散って周囲の草場を汚すが、木に隠れていたおかげで鎧に泥がつくことはなく、コンチェッタのふかふかの毛も無事だ。
良かった、と顔を見合わせ、次いで木の影から出て二人の元へと向かう。
そこには頭から泥を被ったアレクシスとパーシヴァルが沼地に座り込んでいて、そのあまりの汚さにモアネットが兜の中で眉間にしわを寄せた。
思わず「近付かないでください」と告げれば、二人が力なく頷き……ベチャッと泥の塊を地面に落とした。
ベチャベチャと泥を引きずる音と、カシャンカシャンと鎧が歩く音、それに時折ンナンナと猫の鳴き声が加わり、森の中を喧しく歩く。
そうしてしばらくすると傾斜がきつくなり、森を抜けて谷に……と差し掛かったところで、コンチェッタがンニャーと大きく鳴いた。そのうえポワボワと光りだし、モアネットの鉄の腕からスルリと抜けて降り立つ。予定していた進路とは別の方向へと数歩進み、こちらを振り返ってもう一度ンニャーと鳴く。
「道案内か?」
「多分、ついて来いって事だと……」
思います、と言いかけたモアネットの言葉が止まるのは、コンチェッタがまるで「こっちだ」と言いたげに尻尾を振って促す先が、おおよそ人が進むべき道ではないからだ。露見した岩肌が、来る者を拒むようにそびえ立っている。
もちろん階段などという親切なものはなく、それどころか手摺すら無い。これにはモアネットも数度瞬きをし、次いでゆっくりと息を吸いこみ……、
「やっ……」
やだー!という言葉を既のところで飲み込んだ。
モアネットが拒否をしたら両サイドから腕を取ろうと考えているのだろう、泥まみれのアレクシスとパーシヴァルがにじり寄って来ているからだ。深い茶色の瞳も碧色の瞳も、どちらも目が据わっている。これは叫んだ瞬間にガッチリホールドされるだろう。
拒絶し泥塗れの懇願をされるか、大人しく岩を登るか……前者でもどうせ折れるのだろうと我が事ながら察し、モアネットが泣く泣く歩き出した。
岩を登るにあたり、まずパーシヴァルが先を行く。
その身軽さは流石の一言で、足場など無いに等しい岩肌を苦でもないと登っていく。そうして彼に荷物を引き上げてもらい、モアネットとアレクシスが手を借りて登る。時間は掛かるが、元々王子として体を鍛えるより学問に比重を置いていたアレクシスと、古城に引きこもっていたモアネットなのだ。鍛えて強くなることが仕事の一つであるパーシヴァルのようには動けない。
とりわけモアネットは全身鎧である。軽量化の魔術を掛けて重さこそ無にしているが、たとえば岩と岩の合間に足先を差し込むのだって硬さと鉄の厚みで困難が生じる。この格好は岩登りには全く適していない。
いまもまた眼前に立ち塞がる岩を前にモアネットがどうしたものかと考えていると、パーシヴァルが手を差し伸べてきた。
掴まれということなのだろう。見目の良い彼が手を差し伸べてくる姿は悔しいかな様になっており、これがそこいらの令嬢であればきっと見惚れて頬を染めたことだろう。
そんなことを考えつつ、掴まれた腕をグイと引っ張られるのに合わせて岩肌を蹴った。パーシヴァルの片腕がモアネットの腰に回される。落とすまいと強く抱きしめてくるが、鉄越しなので触れている感触は無く当然だが照れたりもしない。
だがそんな照れとは全く別に、モアネットには気になることがあった。
それが今まさに引き上げながらあがる「ぐっ」だの「おっと……!」だのといったパーシヴァルの呻き声だ。
どんな荷物も、それどころかアレクシスを引き上げる時にだって声一つ漏らすことがないのに、モアネットの時だけはこの調子なのだ。時には意気込んで袖をめくり「よし来い」とまで言ってくる。これでは重いと言っているようなものではないか。
きっとアレクシスに対しては失礼に当たると考えて堪え、モアネットに対してのみ気が緩んで口を突いて出ているのだろう。おかげで、鎧で包んだモアネットの乙女心はズタボロだ。
「パーシヴァルさん、失礼すぎますよ」
「ん? 何がだ?」
「さっきから私の時だけ呻いて、太ってるって馬鹿にしたいんですか?」
そうモアネットが問い詰めれば、パーシヴァルがキョトンと目を丸くさせた。
指摘されて初めて己の暴言に気付いたのか。それもまた失礼な話だとモアネットの中で不満が募り、意味がないと分かっていても兜の中でパーシヴァルを睨み付けた。
「貴女が太ってるって? 俺が?」
「あれだけわざとらしく呻いて、白を切るつもりですか?」
「いや、どちらかと言うと……筋肉質なのかとは思ってるが」
「はぁ!?」
「俺の中で、モアネット嬢の中の人は腹筋が割れてる」
「失礼な! いや、もう失礼どころの話じゃない!」
思わずモアネットが喚く。
呻くだのといった話ではない。いったいどうして筋肉質で腹筋が割れている令嬢なんて想像したのか。それどころか腕力がどうの筋骨隆々だのと話してくる。太っていると思われるのも心外だが、これもこれで不服である。
だからこそモアネットが「そんなわけがない」と訴えれば、流石に筋骨隆々はないと思ったのかパーシヴァルが素直に謝ってきた。それでも「でも鎧が……」と言ってくる。まったくもって話が分からず聞く気にもならず、モアネットが更にきつく睨み付ければ流石になにかしら感じ取ったか慌てて「何でもない」と首を横に振った。
なんて腹立たしい。その怒りを露わにふんとそっぽを向いて彼等を置いて歩き出そうとし……再び立ちはだかる岩肌に肩を落とした。
「……パーシヴァルさん」
「よし、先に登る」
「呻いたら呪ってやる」
「分かってる、呻かないから」
モアネットの低い唸り声のような言葉に、パーシヴァルが念を押すように「呻かない」と告げて岩を登っていった。
差し出さる手を嫌々掴む。そうして持ち上げられて岩を一つ越え、モアネットがチラと荷物に視線をやった。
一番身軽なはずのコンチェッタがモアネットのトランクに乗っている。岩登りがきつくなってきたあたりから、コンチェッタはこうやって荷物の上に陣取って動かずにいるのだ。いかに肥えた猫といえど案内役だけあり邪険にも出来ず、パーシヴァルが渋々運んでここまで来た。
なんて羨ましい……。そうモアネットがコンチェッタの鼻先を突っつけば、ンニャと得意げな返事が返ってきた。
そんなやりとりを見て、アレクシスとパーシヴァルが顔を見合わせる。
次いで彼等は深く頷きあうと、アレクシスが荷物全てを預かり、パーシヴァルが爽やかに笑って両腕を広げてみせた。
まるで「よし、おいで」とでも言いたげに。
というか、実際にパーシヴァルが言った。おまけにアレクシスが「さぁモアネット、恥ずかしがらずに」と無駄に続く。
それに対してモアネットはしばらくジッと二人を見つめたのち、「……行こうコンチェッタ」と冷え切った声色で告げてスッと彼等の横を通り過ぎた。付き合ってやる気にもならないので完全無視である。
コンチェッタも同意らしく、ブニャンと鳴くとトランクから飛び降りて二人を置いて歩きだした。その際にザッザッと後ろ足で砂を掛けていくのも忘れない。
残されたのは無視されて固まる二人……。
「モ、モアネット、せめて馬鹿にするとか反応をしてほしいんだけど……!」
「なんで私が反応しなきゃいけないんですか、面倒くさい」
「おぉ、コンチェッタが今までにないほどの速度で点滅してる……」
置いてかれまいと慌てて追いかけてくる二人に、モアネットが兜越しながら睨んでやろうと振り返り……岩壁に描かれた文字に視線を止めた。
一見すると岩の亀裂でしかないそれは、魔女で無ければ気付けない文字。魔女だけが読み取れる、魔女だけの文字。
『ようこそお客様 紅茶にお砂糖は?』
その文字にモアネットが小さく笑みを零し、まるで回答を求めるようにンニャと鳴くコンチェッタに「砂糖は二つで」と伝えた。




