27:湖畔の乙女についてと憂鬱な出発
「月の光を一身に受ける姿は神秘的で気高さすら感じさせた。水面の輝きが彼女を包み……その美しさに、俺はこれ以上見ては彼女を汚してしまうと考えて直ぐに立ち去ったんだ」
「パーシヴァルさん、その話もう11回目ですけど」
「残念だが13回目だ」
「うへぁ」
モアネットが返事がわりに間の抜けた声をあげるも、パーシヴァルが「それでな」とお構いなしに話し始めた。
曰く、昨夜彼は旅費を稼ぐために仕事を受け、一人で森に入ったらしい。
そして湖の近くで月光に照らされる女性を見つけ、そのあまりの美しさに心を奪われた……と。
時に熱い吐息を漏らし、時にその光景を思い出すように宙を見つめ、そうして語る彼の話を要約するとこういうことだ。これを13回も……今まさに14回目に入ろうとしている程に聞かされているのだから、モアネットがうんざりするのも当然だろう。このまま繰り返されたら一字一句覚えてしまいかねない。
――ちなみにアレクシスは「15回目なんだけどね」とコンチェッタに話しかけている。他人事かとモアネットが睨み付けるも、後日聞くと彼は朝から延々と話を聞かされ、この時点で既に二十を超えて一字一句どころか息継ぎのタイミングまで覚えていたらしい――
「あの美しさ、纏う気品、そして見ているだけで胸を焦がす儚さ。さぞや高貴な方に違いない。きっと異国の姫君が理由があって身を隠し、月明かりに誘われ湖畔に姿を現したんだ……」
「湖畔ねぇ。私も行きましたけど、誰もいませんでしたよ」
入れ違ってしまったのだろうか? そう疑問を抱いてモアネットがギコッと首を傾げる。
昨夜自分もパーシヴァル同様森に入り湖で月光浴をしていたが、『湖畔の乙女』と呼ばれるような女性は見ていない。それどころか厳重に人払いの魔術を掛け、人を見かけるどころかこちらから徹底排除していたのだ。その行き来にも人の気配一つ感じていない。
となると、人払いの魔術を掛けた前後に『湖畔の乙女』が居たということか。もしくは別の場所にも湖があったのか。……パーシヴァルの幻覚、という可能性は一先ず考えるまい。
どちらにせよ見ていない自分には関係ない話だとモアネットが結論付けるも、どういうわけかパーシヴァルがジッと視線を向けてきた。碧色の瞳は先程までの惚けるような色合いを消し、真剣みを帯びたものに変わっている。
「モアネット嬢も湖に?」
「えぇ、コンチェッタと一緒に水遊びを」
「錆び」
「錆びません」
きっぱりとモアネットが言い切れば、それなら問題はないとパーシヴァルが頷いた。それでも最後に呟くように、夜の外出は極力声を掛けてくれと告げてくるのは魔女が何か仕掛けないかと警戒しているのか、もしくは仲間の独り歩きを心配しているのか……。
後者であればなんとも居心地が悪い。そうモアネットが心の中で呟き、コンチェッタの頭を撫でて話題を切り替えることで誤魔化した。
「多分、コンチェッタは魔女が案内に寄越してくれたんだと思います」
「それって魔女は僕達の事に気付いてるってこと? どこかで見てたのかな」
そう尋ねてくるアレクシスに、モアネットが肩を竦めて返した。正解とも不正解とも言い難いのだ。
なにせ相手は魔女、それも代々続いている生粋の魔女だ。実際に足を運ばなくとも、自分のテリトリーに誰が入り込んだかなど容易に感知できるだろう。
とりわけ、モアネットは他家の魔女でアレクシスは呪い持ち。どんな術を使ったは分からないが、これ以上に反応するものはないだろう。きっと谷に住む魔女は異質な人物がテリトリー内に入り込んだことを察し、コンチェッタに案内を命じたのだ。
はたしてそこにあるのは歓迎の意思かもしくは敵意か。
だがなんにせよ、魔女は会う気でいるということだ。
そう話せば、アレクシスが僅かに表情を和らげた。
不運を掻い潜りこの街まで辿り着いたはいいが、肝心の魔女に会えなければ意味がない。いくらアレクシスが王子といえど魔女相手では身分など意味が無く、虱潰しに探そうにも魔術で眩まされては太刀打ち出来ない。魔女が拒否すれば、会うどころか探すことも出来ず、それどころか延々と谷を彷徨い歩く羽目になりかねないのだ。
それすらも覚悟していたが、実際には魔女の方から案内を寄越してくれた。少なくとも会うことは叶うと考えて安堵したのだろう。
もっとも、会う気になったとはいえ魔女の真意は分からない。
そもそも今から会おうとしている魔女こそアレクシスを呪った当人かもしれないのだ。実際に会ってさらに酷い境遇に陥れてやろうと、そんな事を考えて招いているのかもしれない。
つまり、罠だ。
モアネットが半ば脅す様に話せば、聞いていたパーシヴァルの表情に困惑が浮かぶ。だがアレクシスは話を聞いても真っ直ぐにモアネットを見つめ「それでも良いんだ」と一度深く頷いた。その声にも表情にも躊躇いはない。
それどころか、モアネットに感謝まで告げてくるのだ。これもまた居心地が悪く、モアネットがふいとそっぽを向いてコンチェッタのお腹を揉んだ。
「えー、ここにきてモアネットに残念な報告があります」
とは、先程の落ち着いた感謝の声色もどこへやら、気まずそうに若干上擦ったアレクシスの言葉。
白々しく改まったその態度に、モアネットが何事かと兜ごと首を傾げた。出発の準備を終えて宿を出た直後、案の定コンチェッタは魔女の居場所まで案内をしてくれるらしくモアネットの足元にちょこんと座っている。そんなまさに「いざ」と言わんばかりの状況で、いったい何が残念なのか。
だがアレクシスもパーシヴァルさえも露骨に視線をそらすため表情からは窺えず、モアネットが兜の中で眉間に皺を寄せつつ「報告って?」と先を促した。
「聞いたところによると、魔女が住んでる谷に行くには森を抜ける必要があるらしいんだ」
「そうらしいですね」
「その谷は結構厳しくて、あと森も道の補整が出てきてなくて……それで……」
「それで?」
「……馬車が通れないって」
「……は?」
「つまり、ここから徒歩で……」
徐々に小さくなっていくアレクシスの言葉に、モアネットが「徒歩」と呟き、次いで「行ってらっしゃいませ」と一言残すと宿に戻るべく踵を返した。
もちろん、徒歩で森を抜けて谷を進むなんて御免だからだ。だがそうなると考えていたのだろう、踵を返した瞬間にアレクシスとパーシヴァルが左右から腕を掴んできた。
「無理はさせないし荷物も全部僕が持つよ! だから着いてきて!」
「嫌です!」
「モアネット嬢、頼む! なんだったら俺が貴女を運ぶから!」
「余計に嫌です!」
いやだ冗談じゃない! そうモアネットが喚く。
だがアレクシスとパーシヴァルがそれで引き下がるわけがなく、ガッチリと掴んだ腕を放す様子はない。宿に帰したら終わりと考えているのだろうか左右からひしひしと伝わる圧と言ったらなく、それどころか実際にモアネットの足が若干引きずられて鉄が地面を抉る。
だが彼等が必死になるのも当然だ。ここでモアネットが居なくなれば魔女に辿り着ける可能性は一気に減る。それどころかほぼ皆無と化すだろう。現に案内役のコンチェッタはモアネットが宿に戻ろうとするのを見て自分もと踵を返してしまった。その態度から、魔女が呼んでいるのがモアネットだけだと分かる。
そのうえここから先は森と谷という悪環境。モアネットの呪い避けが無ければアレクシスにどんな不運が降りかかるか……。
それを踏まえてこの必死さである。
もはや懇願とさえ言える勢いに、モアネットが溜息を吐きつつ持っていた荷物を二人に押し付けた。




