25:魔女と猫の月光浴Ⅰ
宿に戻り夕食を終え、ピンク地にイエローの水玉柄の蛇に右足を、イエロー地にピンクの水玉柄のヘビに左足を噛まれるアレクシスの姿に「お洒落ですね」と告げてしばらく。
一番良い部屋のふかふかのベッドでモアネットが鎧を脱いでくつろいでいると、コンコンと軽い音で扉が叩かれた。時間を確認するもルームサービスにはまだ早く、モアネットが首を傾げつつ身を起こした。
「モアネット嬢、起きているか?」
数度のノック音の後に聞こえてきたのはパーシヴァルの声。
いったい何かとモアネットが布団に身をくるんで扉へと向かう。鎧は先程脱いで、そのうえ軽量化の魔術を解いてしまったばかりだ。かけ直そうと考え、その前に一休み……と怠けてしまったことが悔やまれる。
「モアネット嬢、渡したいものがあるんだが」
「……明日じゃ、だめですか?」
兜を介さぬ自分の声は、彼の耳に醜く届いてはいないだろうか? そんな不安を胸に抱きつつ扉に身を寄せる。
一番良い部屋をと訴えただけあり扉はしっかりとした造りをしており、もちろん鍵もかかっている。だから大丈夫、そう自分に聞きかせるも、鉄を介さずに聞こえてくる他人の声は否応無しに心音を速めさせた。扉越しでもこれほど緊張するものなのかと、そんな自虐的な笑みさえ浮かびそうなほどだ。
だがそんな動揺も自虐もぐっと堪え、悟られまいと喉の震えを深く呼吸することで押さえこむ。
扉の向こうでそんな葛藤が行われているとは気付いてもいないのだろう、いっこうに扉が開かないことに疑問を抱いたのかパーシヴァルが「どうした?」と尋ねてきた。それに対して、モアネットが一度生唾を飲み「脱いでるんです」と返す。声が少し上擦ってしまうが、パーシヴァルは元々の声を知らないのだから気付くまい。
喉に手をやれば肌が触れる。鉄が擦れるのではない、柔らかな感覚。
「脱いでる?」
「はい……軽量の魔術を掛けなおすために、だから……」
「脱いでる……軽量……中の人か!」
「……そうです、中の人ですよ」
驚愕と言わんばかりのパーシヴァルの声に、モアネットが呆れたと布団に包まりながら溜息と共に返事を返した。
『中の人』等と、なんとも間の抜けた言葉ではないか。緊張して不安を抱いていたことがなんだか馬鹿馬鹿しく思えてくるほどだ。
「申し訳ありません、まさか中の人だったとは。モアネット嬢に用があったんですが」
「えぇー、まさかパーシヴァルさんの中で鎧がモアネットですか」
呆れどころではないパーシヴァルの発言に、モアネットが部屋の中に視線をやる。
それらしく立てかけておけばアンティークにでもなったかもしれないが、ソファーに並べられた鎧一式はこの豪華な部屋には随分と不釣り合いだ。あれがモアネットか……とモアネットが鎧を見つめながら心の中で呟く。
そうして呆れ果てて溜息をつけば、扉の向こうからコホンと咳払いが聞こえてきた。どうやら流石に己の発言が頓珍漢を越えていたことに気付いたらしい。「それはさておき」という強引すぎる話題替えがなんとも白々しい。
「それでだな、渡したいものがあるんだが……」
「それはモアネット嬢にですか? それとも中の人にですか?」
そうモアネットが厭味ったらしく言ってやれば、扉の向こうから先程より大きめの咳払いが聞こえてきた。「どっちも同じだろう!」という声は少し荒っぽく、思わずモアネットが笑ってしまう。
「渡したいものってなんですか?」
「あ、あぁ、砂糖菓子だ。立ち寄った店にあったから」
だから買ってきた、そう告げるパーシヴァルに、モアネットが布団に包まりながら「砂糖菓子」と小さく呟いた。
物を貰うなんて冗談じゃない、そう彼等に言い捨てたのはこの旅の出発時、馬車に乗る前だ。その後、寝ぼけたパーシヴァルが弱音を口にし、それを忘れる代わりに砂糖菓子を受け取った。そういえば残りもし少なくなっている。
もしかしたら、砂糖菓子が無くなったらあの夜のことをアレクシスに話されるかもしれないと考えたのだろうか。なるほど、だから砂糖菓子の追加か。
そう考えてモアネットが話せば、扉の向こうでパーシヴァルが僅かに黙ったのち「そうだ」と肯定してきた。
一瞬の間は何だろうか? だが扉越しでは当然彼の表情は分からず、扉を開けて窺うことも出来ない。
「それなら、ドアの前に置いておいてください。パーシヴァルさんが立ち去ったら取りますから」
「あぁ分かった。それとこれは……」
「これ?」
「いや、なんでもない。これは別の機会に、ちゃんと渡す……」
「これって?」
なんの話? とモアネットが首を傾げる。
だがパーシヴァルは『これ』が何かを話すことなく、それどころかモアネットの返答も聞かずに就寝の挨拶で話を終いにしてしまった。扉に耳を寄せれば足音が小さくなっていく。あっと言う間に聞こえなくなったのは、足早に去っていったということだろうか。
いったい何だとモアネットは首を傾げたまま、それでも軽量化の魔術を掛けて砂糖菓子を取ろうとソファーに並べた鎧へと向かった。
「アレクシス様は耐久性特化の不運野郎だし、パーシヴァルさんは面倒くさい寝ぼけ方するし。あの二人、私が居なくちゃまともに旅なんて出来ないね」
そう得意げに話しながら砂糖菓子を一つ口に放り込む。
程よい甘さと香りが口内に広がり、兜の中で自然とモアネットの表情が綻んだ。
場所は宿どころか街から少し離れた森の中、隣を歩くのは良く肥えた猫が一匹。
あの後、鎧に軽量化の魔術を掛けなおして夜の散歩に出かけたのだ。宿を出てしばらく歩くと何処からともなくこの猫がノスノスと現れ、それ以降ずっと隣を歩いている。どうやら街中でのお誘いを覚えていてくれたらしく、それどころかまるで案内を買って出ているかのように時折は率先して前を歩いている。
不思議な猫。そうモアネットがクスと笑えば、聞こえたのかクルとこちらを振り返った。白を基調として灰色を乗せた淡い毛並み、鼻の周りだけ黒くなっていてなんとも面白い配色だ。そのうえ瞳は右が青、左が黄色のオッドアイときた。
これでスリムでしなやかな体つきだったらきっと妖艶な魅力を感じさせただろう。だが肥えていても猫の愛しさに変わりはなく、ふかふかの尻尾を揺らして肉厚なお尻を見せて歩く様は愛しいの一言に尽きる。
「ねぇ、虫は嫌い? 蜘蛛を虐めたりしない? もし平気なら、全て終わったら一緒にこの街で暮らさない?」
思わずそんなお誘いをしてしまう。
猫と蜘蛛、異種過ぎて共存は難しいだろうか?
そんなことを考えつつ歩き、開けた場所に出て目の前に広がる光景にモアネットが小さく息を呑んだ。思い描いていた一人と二匹の生活も一瞬にして消え去ってしまう、それほどまでに圧巻の光景だ。
小さな湖に、満月が浮かぶように映り込んでいる。
ただそれだけだというのに、細工も無ければ飾り一つ設けられていないというのに、その光景のなんと美しいことか。なにより、水面が微かに揺れるたびにふわりと漂うこの魔力……。
魔女だけが感じられるパワースポット。満月と合わさって、新米魔女のモアネットでさえ心地よいと思える程に力が漂っている。
「凄い、本当にこんなところがあるんだ」
そう見惚れるように呟き、モアネットが湖に近付く。
手甲を浸せば隙間から水が入り込む。温いと感じられる温度だ。
これならとモアネットが数度水面を撫で、次いでポシェットから羊皮紙を取り出した。しまったと己の迂闊さを悔やむのは、手甲の中に水が入って羊皮紙が濡れてしまうからだ。先に描いておけばよかった、そう呟きつつペンを走らせる。
描くのは勿論、目の前でちょこんと座る猫。モデルにされていることが満更でもないのか、猫は湖を背景にツンと澄ましている。
「よし描けた! やっぱりモデルが居ると普段より上手く描けるね。ほらどう?」
見て、とモアネットが羊皮紙を猫に差し出した。
それに対してシャー!と威嚇の声が返ってきたのだが、これはきっと可愛く描かれたから照れているのだろう。そういう事だと取っておく。
……後ろ足で砂をかけられているけれど、きっと喜んでいるに違いない。
「良いの、べつに。だって人払いだし」
そうモアネットが自分に言い聞かせ、呪符をそっと地面に置いた。
次いでゆっくりと息を吸い、発動の言葉を口にする。その瞬間猫がピクリと耳を揺らし、次いで尻尾の先を揺らして周囲を見回しはじめた。
どうやら何かを感じたらしく、モアネットがその鼻先をちょいと撫でて落ち着かせてやる。まさか人の話を理解しているうえに魔術にも気付いたのか、なんとも不思議な猫ではないか。
「大丈夫だよ。ちょっと人払いしただけだから」
そう落ち着かせ、次いで鎧に手を掛ける。
先程の呪符は人払い。周囲一帯に魔術を仕掛けた。長くはもたないが、それでも呪符が効いている間はこの湖周辺に人は寄らなくなる。元居た者は無意識に離れ、来ようとしていた者は別の場所へと足を向ける。
操るというほど大袈裟な魔術ではないが、それでも人を寄せ付けなくするのだ。だが流石に一枚では不安が残り、念のためにあと二枚ほど呪符を描き足して地面に放つ。少し過剰だろうか、だが肌を晒すのだ、これぐらいしないと落ち着かない。
そうして周囲を見回し呪符の効果を確認して、ゆっくりと鎧を脱ぎ始めた。




