24:風変りに慣れた街で鞘当て
馬車が停まった街はモアネットが生活していた市街地と比べると大きいとは言い難いが、それでも人の行き来は多く活気がある。聞けば、ここから更に半日走れば海辺へと出るらしく、海を渡って来た行商人や旅行客がまず最初に寄るのがこの街らしい。
ここで必要なものを揃えて、各々の目的地へと向かう。逆もしかり、長い航海に出る前に準備を整えるのもこの街だ。
だからだろうか、店を構えるというよりは簡易的な露店が多く、今日限りだの明日には街を出るだのと急かして客の財布を緩めようとする声が絶え間なく聞こえてくる。そんな光景に、モアネットがふらふらと引き寄せられていった。
綺麗だったり可愛いものが並んでいるとつい気になってしまうのだ。そのうえ露店、全身鎧を纏うモアネットにとって、歩きながら眺められる露店は立派に構えた店よりも気兼ねなく買い物が出来る。
幸い馭者が宿の手配もしてくれるというので、彼に「一番いい部屋を!美味しいルームサービスとオレンジジュースを!」とこれでもかと告げてモアネットは街を見て回ることにした。
そうしてしばらく、モアネットは露店を眺めながらも同時に周囲を見回していた。
アイディラ家は王子と婚約出来るほどの大きな家だ。そんなアイディラ家の令嬢が鎧に身を包んでいるとなれば、その稀有な話が国内だけで留まるわけがない。人の口に戸は立てられず、関所だって設けられないのだ。
ゆえにこの街でも多少なりの影口は覚悟していたのだが、これが不思議なことに誰もがチラと一瞥するだけで終わってしまう。かといって見るのも耐え難いと言いたげな嫌悪があるわけでもなく、それでいて関心がないわけでもない。向けられる視線は簡素過ぎて、なんとも微妙なところである。
たとえば露店の一つに立ち寄れば、客や店主がこの稀有な客に一瞬目を見張る。だが一瞬だけなのだ。
現に、たまたま同じ露店を眺めていたカップルはモアネットの姿に最初こそ興味深そうに視線を向けてきたが、女の方が空腹を訴えるとすぐさま話題を変え、いそいそと食事に向かってしまった。彼等の中で、重装令嬢に対する好奇心や野次馬めいた憐れみより、空腹を満たすことの方が重要ということだ。
露店が多いこの街は地方どころか海を越えた先の食事も扱っているらしく、どの店に入ろうか何を食べようかと話し合うカップルに既に重装令嬢への興味は欠片も見られない。
「まさか、食事の話題に負ける日がくるなんて」
「この街は国外どころか海の向こうからも人が来ますからね。『珍しい客』なんて見飽きてるんですよ」
「そうなんですか」
「この間来たサーカスの一座なんてそりゃ凄くてね。全身鎧のご令嬢なんて、あのサーカスじゃ前座だって務められるかどうか」
クスクスと笑いながら話す店主に、モアネットもまた笑みを零した。
なるほど道理で、道行く人達はモアネットに対して「あれが重装令嬢か」だの「本当に全身鎧だ」だのと口にするが、それだけでさっさと歩き去ってしまう。
以前の市街地であれば考えられないことだ。だがそんな街でも、流石に一人や二人はモアネットをジッと見つめてくる者もいる。試しにとギシと兜を向ければ、彼等は気まずそうに視線をそらして誤魔化し……はせず、「それって暑くないのか?」と尋ねてきた。どうやら純粋に疑問を抱いていたらしく、暑くないと答えると納得して去ってしまった。
「なんて良い街」
今までに無かったその酷くあっさりとした対応に、思わずモアネットが兜の中で笑みを零した。
全て終わったらロバートソンとこの街に越してこよう。古城にあるワインを全部売り払ってお金にして、自分を珍しがらないこの街で一人と一匹長閑に暮らすのだ。週に一回の買出しなどせずとも、この街ならば毎日だって買物が出来る。
だけど、さすがに全身鎧と蜘蛛のコンビは珍しがられてしまうだろうか……。そうモアネットが話せば、店主が「甘い」と鼻で笑って首を横に振った。曰く、この街にはもっと癖の強いコンビが頻繁に顔を出すのだという。
「あのお方も、見た目だけなら文句なしなんですけどね。喋りさえしなければ……本当、黙っていれば……」
「そんなに酷い人なんですか?」
「まぁでも、あのお方は人とは言っても……」
言い掛けた店主が言葉を止めたのは、話を聞いていたモアネットが「あ、」と声をあげたからだ。
店主がどうしたのかと首を傾げる。その手には花を模した髪飾り。銀色の花びらの中には淡い色合いの石が細かく散りばめられており、店主の手の中でも美しく輝いている。
これから棚に並べるつもりなのだろう。雑多に詰め込まれた箱の中でも、この髪飾りは壊れないよう丁寧に小箱にしまわれていたあたり高価な商品だと分かる。いや、箱にしまわれた状態でなくとも品よく輝く様を見れば誰だって相応の物と分かるかだろう。
「それ綺麗ですね」
「これですか? さすがお目が高い、まぁお目が高いって言っても兜じゃ目が分かりませんけどね!」
「グイグイくるなぁ、この街の人」
ケラケラと笑いつつ店主が手にしていた髪飾りを差し出してくる。
手に取れば見た目の華やかさに反して軽く、それでいて造りの甘さなどはない。花びらに施された細工は見たことのない模様を描いており、聞けば海を渡ってきた行商人から買い取ったものだという。
まだ値も決めていないのだと話す店主に、モアネットがどうしようかと髪飾りを見つめた。心はもう買いの一択なのだが、それでも「自分が着けても」と胸の内に引っかかってしまう。
そんな迷いの中、ふっと手元に影が掛かった。
「髪飾りか」
覚えのある声に振り返れば、そこに居たのはパーシヴァル。
彼はモアネットの手にある髪飾りをしばらく眺めたのち、そっと手に取った。「軽いな」と感心するような言葉を聞きつつ、モアネットが視線で髪飾りを追う。角度が変わるとあしらわれた石が光を受けて別の色合いを見せ、微かに動くたびに変わるその美しさに見惚れてしまう。
「買うのか?」
「どうしようか考えてたところです。可愛いけど、買ったところでどうせ兜の中だし、身に着けても意味がない。それに、私が着けたって……」
「そうか? 似合うと思うけどな」
ポツリと呟かれたパーシヴァルの言葉に、モアネットが髪飾りから彼へと視線を移した。だが碧色の瞳はいまだ髪飾りに向けられたままだ。その視線にも表情にも、これといった裏を含んでいる様子はない。
いったいどうして似合うなんて発言をしたのか、そうモアネットが尋ねようとするも、それよりも先にパーシヴァルがこちらを向いた。次いでそっと手にした髪飾りを差し出してくる。
手渡すには高さが違う。まるで、モアネットの髪に飾ろうとしているように……。どころか、実際に髪飾りを添えてきた。
頭に。
正確にいうなら兜に。
「ほら、やっぱり似合う」
「……中ですから」
「でもこの色も確かに綺麗だが、モアネット嬢は銀一色だから同色よりもっと派手な色の方が良いんじゃないか?」
「……中の人、銀一色じゃありませんから」
しょんぼりとモアネットが返せば、パーシヴァルがしばらく髪飾りを眺めたのち、己の過ちに気付いたのか小さく息を呑んだ。そうしてしばらく硬直したのち、ゆっくりとそっぽを向く。なんとも分かりやすい。
これにはモアネットも居た堪れなさから視線をそらしてしまった。一つの露店に男女が並び――片や鎧なので傍から見て性別は分からないが――お互い明後日な方向を向く様はどれだけ奇異に映ることか。それでも一瞥するだけで通り過ぎてしまうのだから、この街はそれほど珍妙な客に慣れているのか。
「……そうか、中の人か」
「はい、中の人です」
お互いに顔を背けつつ話す。
先程まで饒舌に話していた店主の姿がいつの間にか見えなくなっているあたり、きっとどこかに身を隠して笑っているに違いない。
思わずモアネットが兜の中で溜息をつき、次の店を見に行こうと歩きだした。
「モアネット嬢、これ……」
「やっぱり買いません。兜の中でつけても誰にも見せられないし。そんなに可愛いのに勿体ない」
ギシと鎧をきしませながら肩を竦め、モアネットが夕食までには宿に戻ると告げて街中を進んだ。
そんなモアネットの銀一色の背をパーシヴァルは見送り、ふと我に返ると手に残ったままの髪飾りに視線を留め……「買うの?」と声を掛けられた。
振り返れば、少しだけ小首を傾げた主の姿。
「アレクシス王子、馭者と宿に向かったのでは?」
「部屋が取れたから、ちょっとだけ散歩にね。何かあれば直ぐ戻るよ。それより……」
アレクシスの深い茶色の瞳がパーシヴァルの手元へ向かう。手の中におさまるのは花の髪飾り。
その視線の言わんとしていることを察し、パーシヴァルが僅かにたじろいだ。先程のアレクシスの「買うの?」という言葉は、もちろんこの髪飾りに対してだ。それが分かっているからこそ、どう返していいのかが分からない。
「それ、買うの?」
「え、いえ……。俺にはとうてい似合いませんよ」
冗談めいたパーシヴァルの返しに、アレクシスが笑って返す。
だがその笑みがゆっくりと落ち着いた表情に変わるのは、パーシヴァルが小さく「着けられるわけがない」と呟いたからだ。髪飾りを持つ手をそっと棚に戻す。
「……買わないなら」
「アレクシス様?」
「パーシヴァルが買わないなら、僕が買おうかな」
はっきりと告げ、アレクシスがパーシヴァルを見上げた。
その表情は屈託のないもので、それでも言葉の裏には何かが含まれている気がしてならない。その言葉を受け、髪飾りを棚に戻そうとしていたパーシヴァルの手が僅かに揺れた。戻すまであと僅かの距離で止まる。
「それは……」
「もちろん僕にも似合わないよ。僕だって着けられない。でも……」
買わないなら自分が買う、そうアレクシスがジッと見据えたまま告げてくる。髪飾りにチラと視線をやるのは「だから早く」と手放すのを急かしているのだろうか。棚に手を掛けているあたり、きっとパーシヴァルの手が髪飾りから離れるや彼が手に取るのだろう。
そして店主に声を掛けて買う。買った後にどうするかなど、問うまでもない。
その光景を想像し、パーシヴァルが棚まであと僅かというところで止まっていた手を再び動かした。
棚に向けてではなく、己の方に引き寄せる。
「モ、モアネット嬢には世話になってるし、これは俺が買います……!」
そう訴えるパーシヴァルの言葉に、アレクシスが苦笑を漏らして頷いた。
そんなやりとりが行われてるなど露知らず、モアネットはと言えば、
「ねぇ知ってる? 今夜は満月なんだよ。夜になったら近くの湖に行くつもりなんだけど、一緒に行かない? 人払いをして夜のデートと洒落込もうよ。あなたが来てくれるならシェフに良いお魚を用意させるよ」
と道端で出会った良く肥えた猫を口説いていた。
腹を揉まれながら説得され、ブニャーンと返す猫の鳴き声は了承か否か……。




