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【書籍・コミカライズ】重装令嬢モアネット〜かけた覚えのない呪いの解き方〜  作者: さき
本編~かけた覚えのない呪いの解き方~

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23/62

23:月明かりと血のインク

※今回軽くですが流血描写があります※

 

 国境を越えて直ぐに日が落ち始め、あっという間に暗くなった。夜道もあってか馬車の速度も緩やかになり、ガタガタと響いていた振動も意識してようやく感じられる程度に収まっていく。きっと窓の外はゆっくりと景色が流れていることだろう、月と星明りだけでは眺めても何も見えやしないが。

 街からはまだ距離があり街灯など無く、暗闇を急いては横転でもしかねない。だからこそゆっくりと慎重に馬を走らせ、適当なところで馬車を停めて馬も馭者も休む。時間は掛かるが、安全に旅を進める最たる方法だ。

 そんな馬車の中、今夜もまた交代で眠ろうと話し合い、今はモアネットだけが起きている。時折は窓の外を眺め、時折は馬車の中をぼんやりと眺める暇な時間。今夜に限ってはさして何をする気にもならず、それでもチラと眠る二人に視線をやった。


 アレクシスが緩やかに寝息を立てている。

 手元に置かれているのは、眠る前にモアネットが描いてやった呪符。よっぽど信頼しているのだろう、細い指先がまるで縋る様に呪符に掛かっている。

 一枚の呪符を頼りに身を縮めて眠る王子、その姿の何と絵になることか。元の見目が良いだけに悲哀を感じさせ、呪符に描かれたにゃんこを見なければきっと誰もが眉尻を下げただろう。

 そんなアレクシスの姿を眺め「もうちょっと良いポーズのにゃんこを描けばよかったなぁ……」とモアネットが心の中で呟いた。


 なんでよりによって大股を広げるにゃんこを描いてしまったんだろう……。

 あぁ、アレクシス様の細い指がちょうどにゃんこの股に。


 と、こんなところである。なんとなく雰囲気が台無しにされた気分だ。……いや、台無しにしたのは自分なのだけれど。――呪符を描いた当初は、まさかアレクシスがこんな後生大事に手を掛けて眠るなんて思わなかったのだ。だから大胆に股を広げるにゃんこを描き、パーシヴァルに「建築物?」と言われた――。


 そんなアレクシスの隣では、窓辺にクッションを置いて眠るパーシヴァル。

 交代で寝ようと言い出した時こそ真顔で「二人は疲れているだろうから俺が」と言い出した彼だが、その瞬間にモアネットが顔面にクッションを叩き付けてやっただけに今は大人しく眠っている。それでも時折はモゾと身じろいだりするのだが、それでも普段は眉間に寄った皺が今は解かれているあたり深く寝入っているのだろう。


「……二人共寝てるし、大丈夫かな」


 そう二人の様子を入念に窺い、モアネットがそっと左の手甲を外した。

 今夜は月明かりも少なく、馬車内の明かりも最低限に減らした。仮にアレクシスかパーシヴァルのどちらかが起きてきたとしても、モアネットが何をしているのかは直ぐには分からないだろう。

 左の手甲を外している等と、この暗がりでは直ぐに判断出来るわけがない。

 浅い呼吸の中でそう自分に言い聞かせ、手元に置いておいたポシェットに手を伸ばす。取り出すのは羊皮紙……ではなく、ペンとインク。あれこれと描いてインクが無くなり、そろそろ補充をしなければと考えていたのだ。古城での生活であれば「次に呪符を描く時でいいかな」と後回しに出来ていたが、いつ何があるか分からない旅の最中ではそうもいくまい。


「見られたら面倒だし、面倒な人はさらに面倒なことになりそうだし。さっさと終わらせよう」


 誰とは言わないけど、と誰にでもなく呟きつつ、モアネットが愛用しているペンを手早く解体していく。

 次いで取り出したのは手の中に納まってしまうほど小さなナイフ。スルリとシースを外せば銀一色の刃が暗い馬車の中でも光を拾う。小さいながらも見てわかるほどに鋭利で、試しにと羊皮紙を一枚取り出して刃先を添えて動かせばスッと滑るように羊皮紙が切れた。

 そんなナイフの刃を一度ハンカチで拭き、次いで羊皮紙に対して行ったように左手の人差し指に添える。


 刃先を食い込ませればプツと肌に埋まり、それと同時にモアネットが兜の中で眉間に皺を寄せた。

 当然だが痛い。チリッと熱に似た痛みが走る。それでも線を引くように肉を割って刃を押し進めばれば、プツプツと肉と皮が裂ける嫌な感覚が伝った。赤い線が描かれ、血の球が浮かぶ。そうして第一関節の半分ほどに線を引き、滲み溢れようとする血が零れないようにそっとナイフとペンを持ち替えた。


 ペン先を血の球に這わせ、ゆっくりと息を吸う。それと同時に血の球がスゥと吸い込まれて消え、再び指の腹から血が滲みだした。血が溜まってはペン先に吸わせ、時折は血の出を良くするために親指の腹で人差し指を押し、痺れるような痛みを感じつつも血を溢れさせる。

 馬車の微かな振動が伝っているのか、プクと浮かぶ血の球が微かに震えている。だがそれもすぐさまペン先に吸われ、そうして幾度と繰り返して補充部の半分以上を満たす。その頃には指先からの出血も緩まっており、手早くハンカチで拭うと共に止血をした。

 最後にインクを混ぜ合わせ、軽く振れば完成。


 と、そこまで済ませた瞬間、雲の切れ間に差し掛かったか馬車内に月明かりが差し込み……「モアネット」と微かな声が響いた。

 慌てて顔を上げれば、アレクシスが上半身を起こしてこちらを見ている。色濃い茶色の瞳が驚愕を露わに見開かれており、モアネットの中で一瞬にして血の気が引き、咄嗟に己の左手を背に隠した。


「モアネット……」

「ア、アレクシス様、起きたんですね……。まだ、交代には早いですよ……」

「……今」

「あの、インクの補充をしてたんです。でもそれも終わったし……」


 後ろ手に、アレクシスに見られないように手甲を着ける。

 元より着脱しやすいようにと造り、何年も数え切れないほど身に着けた手甲だ。見なくても容易に装着できる。だというのに今夜に限っては上手く手が通らないのは、指先の傷が痛むからか、それともアレクシスに見られたかもしれないと考えて自分の体が強張っているからか……。

 そのどちらかも己のことながら分からず、モアネットが兜の中で浅い呼吸を繰り返した。心音が早まっていく、今はもう車輪が道を走る音よりも心音の方が早い。


 きっと彼は見たに違いない。

 左手を。月明かりのもとに晒された左手を……。

 もしかしたら、あの日彼は私の左手を見て「醜い」と罵ったのかもしれないのに……。


「あ、私……手を……」

「モアネット、ごめん、僕いま……」


 見てしまった。


 そう小声で呟いたアレクシスの表情は切なげで、だが今のモアネットにはそれを気遣っている余裕はない。ヒュッと軽い呼吸が兜の中で響き、息苦しさが全身を拘束する。

 見られた、それも(アレクシス)に。

 その事実はまるで兜ごと後頭部を殴られたかのような衝撃で、モアネットが逃げ場を求めるように兜の中で視線を泳がせる。だがこの狭い馬車の中でいったいどこに逃げ場があるというのか。

 いっそ見てしまったのならこれで終わりだと、今すぐに馬車を飛び出して古城に帰ってしまおうか……。


 そうモアネットが考えた瞬間、アレクシスが「ごめん!」と心苦しそうに声を荒らげた。

 それと同時に、隣で眠るパーシヴァルへと手を伸ばし、彼が頭を預けているクッションを勢いよく引き抜く。ゴッと響いた鈍い音は、言わずもがなパーシヴァルが窓に頭をぶつけた音だ。



「んぁっ!?」



 と間の抜けた声が馬車内に響く。

 次いでモゾリと動き出すパーシヴァルは、当然だが寝ぼけている。瞬きは目を瞑ろうとしているのかと思えるほどに間延びしており、「まだ眠い」と言いたげな表情で馬車内を見回す。

 アレクシスが顔を俯かせ、モアネットが浅い呼吸で鎧を小刻みに震えさせながら彼に視線をやる。

 そんな重苦しい空気が漂う馬車内の光景に、パーシヴァルは寝ぼけた表情のまま徐に立ち上がり、アレクシスの肩に手を置いた。ポンポンと軽く叩く、手の動きと連動してうとうとと船を濃いでいるのでよっぽど眠いのだろう。

 次いでアレクシスから離れ、今度はモアネットへと近付いてきた。普段であれば抱きしめれて堪るものかと逃げようとするモアネットだが、今だけは彼の寝ぼけに流されてしまおうとゴロンと横になった。


 もちろん「寝ますので寝かし付けの必要はありません」というアピールだ。

 それが伝わったのか、パーシヴァルが満足そうに頷いて再び自分の場所へと戻り、窓辺へと身を預けて寝息を立て始めた。


 馬車内にシンと静まった空気が漂う。


 そんな中、アレクシスが呟くような声色で見張りを交代すると告げてきた。

 酷く掠れたその声に、モアネットが鉄に包まれた手甲の左手を握りしめる。


 本当に見られたのか。

 どこまで見られたのか。

 見て彼は何を思ったのか。


 それを聞くのはあまりに怖すぎて、溜息交じりに吐き出される「おやすみモアネット」という言葉に、ただ小さく「はい」とだけ返して目を瞑り……兜の中で囁くように「おやすみなさい」と呟いた。




「何があったかよく分からないんですが、せめて普通に起こしてください」


 と己の頭を擦りながらパーシヴァルがアレクシスに文句を言うのはそれから数時間後、既に日は上り、窓からは目的地の街が遠目ながらに確認できる頃。

 昨夜のことを語る気になれないモアネットはそんなパーシヴァルの訴えをクッションに身を埋めながら聞き流し、アレクシスもまた起こした理由には触れずに謝罪の言葉を彼に告げた。



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