2:不運の王子
アレクシス・ラウドルはこの国の第一王子であり、そして一年前までは誰もが羨むような順風満帆な人生を送っていた。
深い茶色の瞳、高い身長としなやかな手足、女性であれば誰でも熱い吐息を漏らす見目の良さ。王族としての才も申し分なく、国を継ぐための勉学にも積極的に励み常に努力を惜しまずに居た。
真面目で努力家でいて気さく。王族の気品を纏いながら、それでいて分け隔てなく誠意をもって接する。
民に愛され、臣下に慕われる理想の王子。誰もが彼が王位を継ぐ姿を思い描き、この国は安泰だと語り合っていた。
……一年前までは。
ならば今はどうかといえば、いったいどういうわけか順調だった人生が一転して不幸に見舞われていた。いや、『不幸に見舞われていた』等という表現は甘く、『不幸に見舞われまくっていた』というべきか。なにせそれほどまでの有り様である。
原因不明の発熱や怪我は日常茶飯事、寝ようにも尽く邪魔が入りろくに体も休まらない。生きているだけで満身創痍、そんな状態ではいくら才知に溢れているとはいえ集中力を欠いてミスを招く。
そのうえ、やれ国財を使って賭け事をしているだの、賄賂を受け取って部下を昇進させているだのと不穏な噂がたち始め、国民や臣下が手のひら返しをし始めた。馬鹿な話だと一蹴されそうな根も葉もない噂だというのに、これがどうして皆一様に信じてしまうのだ。
果てには、行きずりの女を孕ませて隠し子がいるだの、婚約者に暴力を振るい権力で口封じしているだのとまで言われてしまう。
噂話に尾ビレどころか背ビレ胸ビレまでついて、不運の海をふわふわ泳いで仲間を連れてきたかのようではないか。
話の一つや二つならば「ざまぁみろ」とでも言ってやったモアネットだが、さすがにこれはあんまりすぎると兜の中で眉を潜めた。
「噂の出処に思い当たる節はないんですか?」
「ない、全くない」
「隠し子の件とか、たとえば夜のお店に通ってたとか、過去の火遊びとか」
「全く無い、これっぽっちも無い。僕が目を合わせただけで女性を身籠らせることが出来るなら別だが、他の要因は一切無い」
「清らかなんですね」
童貞の単語をオブラートに包んでモアネットが返す。次いで他に何か考えられることはないかと問おうとし、「それで」と割って入ってきた声に意識を向けた。
アレクシスと共に来た男だ。背丈はアレクシスよりも高く、体格もしっかりとしている。厳しげな顔つきに金の髪が映え、鋭い碧色の瞳が威圧感を与える。ラフな服装ながら腰から剣を下げているあたり、きっとアレクシスの護衛だろう。
そんな男に対して、モアネットはジッと見つめたのちに「どなた様ですか」とつっけんどんに尋ねた。
ほんのちょっとばかし口調が荒くなるのは仕方あるまい。押し入られた現状、彼らに気を使ってやる義理はない。不躾なのはお互いさまだ。
「パーシヴァルだ。パーシヴァル・ガレット。王子の護衛を務めている」
「パーシヴァルさんですね。はい、わかりました。では続きをどうぞ」
「いちいち癇に障る言い方だな」
「そりゃすみませんでした。なにぶん不躾な訪問者の対応を余儀なくされて気が立っているんです」
「この鉄塊が」
ギロリと睨み付けてくるパーシヴァルに、モアネットもまた睨んで返す。
もっとも、モアネットの顔は兜で覆われ、目元だってこちらからは覗けるが向こうからは見えないように作られている。睨んだところで全くもって意味はない。彼の言う通り鉄塊でもある。
そんな屈強な男と鉄塊が睨みあうことしばらく、痺れを切らしたと言わんばかりにアレクシスが溜息を着き、「いい加減に……」と二人を制止しようとし……、
そして椅子ごと崩れ落ちた。
それはもう派手に、ドグシャァ!と豪快な音をたてて。
「アレクシス様ー!?」
「王子、ご無事ですか!?」
慌てて二人が駆け寄れば崩れた椅子の上でアレクシスが尻もちをつき、大丈夫だと片手を振って答え……そして今の衝撃で傾いたテーブルから滑り落ちた紅茶を頭からかぶった。
なんとも見事な流れではないか。思わずモアネットが兜の中で「わぉ2コンボ」と呟いた。
「一事が万事この調子だ」
「そんなことより浴室直してくれません? アレクシス様が使ってからお湯が出なくなっちゃったんですけど」
「安心しろ、王子がこの古城を離れれば直るだろう」
「出ていけ疫病神共!」
そうモアネットが吠えるも、しれっとパーシヴァルとアレクシスはスルーして話し出してしまう。
そのあまりの態度にモアネットも怒鳴る気が削がれ、最後に一度「呪われてるんじゃないですか?」と皮肉交じりに告げて本題に戻ろうとし……兜の中でキョトンと目を丸くさせた。
なにせアレクシスとパーシヴァルがジッとこちらを見ているのだ。
鉄の鎧を身に着けているとはいえ注目されるのは居心地が悪く、兜の中でモアネットの額に汗が浮かぶ。濃い茶色の瞳と、碧色の瞳。真っすぐに向けられるとまるで鎧の中を見透かされているようで、心臓が締め付けられるように痛む。
「な、なんですか」
そう尋ねたモアネットの声は上擦って震えている。
だがどうせ声など鎧の中で反響してまっとうに届いていないのだから気付かれまい。
「モアネット嬢、今アレクシス王子に対し『呪われている』と言ったな」
「え、えぇ、言いましたけど」
「誰に呪われていると?」
「さぁ、そこまでは」
分かりません、と言いかけてモアネットが言葉を飲み込んだ。
アレクシスがガタと勢いよく立ち上がり、その勢いのままに手を――正確に言うのであれば鎧の手甲を――掴んできたからだ。
強い……かどうかは生憎と鉄越しなのでわからないが、それでも真剣みを帯びた表情を見るに相当に力が込められているだろう。
「モアネット、やっぱり僕を恨んでいたんだね……!」
「アレクシス様?」
「あの時のこと本当に悪かった。償えるならなんでもする。だから……」
「だから?」
「だからこの呪いを解いてくれ!」
悲鳴とさえいえるアレクシスの懇願に、モアネットがギコッと音をたてて首を傾げた。
アレクシス・ラウドルの言い分はこうである。
『かつて自分はモアネットを傷つけた。彼女は古城に籠り、昔アイディラ家が使っていたという魔術を研究していると聞く。きっといまだ自分を恨み、そして時はきたと呪いをかけたに違いない! その結果がこのざまだ!』
パーシヴァル・ガレットの言い分はこうである。
『あいにくとその場に居合わせなかったが、王子の暴言は確かに酷い。ゆえにモアネット嬢は王子を恨み、魔術を使って呪ったに違いない。王子の評価は地に落ち、今や残った臣下は自分だけ。事態が悪化する前にモアネット嬢を止めなければ!』
モアネット・アイディラの言い分はこうである。
『まったくてんで見当違いなのでさっさと帰りやがってください』
こんな状態なのだ、まっとうに話し合えるわけがない。
「呪った」「呪ってません」「許してくれ」「やめて椅子壊さないで」
と言い合い続け、気付けば日も暮れていた。
そうしてモアネットが盛大に溜息をついたのは、買い込んだばかりの一週間分の食料の半分を彼らの夕飯として消費する羽目になったからだ。