19:気まぐれな魔女と魔女殺しⅠ
翌朝、前もって決めていた時間にモアネットが食堂に向かうと、既にアレクシスとパーシヴァルの姿があった。朝食途中の彼等はモアネットに気付くと片や穏やかに「おはようモアネット、先に頂いてるよ」と上品に告げ、片や「お先」とあっさりと告げてくる。
なんとも差のある対応ではないか。たがさして高級という程でもない有り触れた宿の食堂となれば、後者の挨拶のほうが馴染んで見える。むしろ仲間意識を持たれたくないモアネットからしてみれば、わざわざ食事を待たれても困るだけだ。
だからこそ何も言わず席に着き、店員が持ってきてくれた朝食を取り始めた。千切って持ってトマトを乗せただけのサラダを副食に、メインは目玉焼きとベーコン、そして少し端が焦げたパン。
良く言えば素朴な朝食だが、昨夜はルームサービスのチーズを堪能したのだから朝はこれで文句を言うまいとパンを噛じる。
「なんだか久々に良い夢を見たよ」
とは、食事中のアレクシス。昨夜モアネットが貼った呪符のことは知らないのか、それでも「呪い避けのおかげかな」と話してくる。
曰く、詳細には覚えていないが何か暖かくふかふかしたものに包まれていた夢らしい。内容こそ忘れてしまったがその感覚は残り、疲労も消えたとサラダを食べながら話している。晴れ晴れとした表情を見るに、夢とはいえ心身共に癒やされたのだろう。
そんなアレクシスに対して、パーシヴァルは何とも言えない表情を浮かべていた。聞けば彼が見た夢は良いものなのか悪いものなのかも分からず、そのくせ妙に印象深くて脳裏に焼き付いているのだという。
おや、とモアネットが小さく首を傾げた。相変わらず兜の中なので、その微弱な揺れにはアレクシスもパーシヴァルも気付いていないが。
「パーシヴァルさん、どんな夢を見たんですか?」
「モアネット嬢が呪符に書くあの化物と食事をする夢だ」
「可愛いにゃんこだし、良い夢じゃないですか」
「あの見た目だ、さぞや悍ましい捕食の仕方だろうと考えていたんだが、これが案外に上品にナイフとフォークを扱う。そのうえウィットに富んだ会話までしだす」
「可愛く上品で小粋なにゃんこですね」
良い夢を見たようで、とモアネットが告げれば、パーシヴァルが「面白くはあったな」と頷いた。
一瞬だが呪符の効果を疑ってしまったが、可愛いにゃんこと楽しく食事なんて良い夢としか言いようがない。最高ではないか。
もちろんそれが自分の呪符のおかげだ等とは言う気にならず、モアネットが「そりゃ良かったですね」とそっけなく返して食事を進めた。
朝食を済ませて手早く準備をし、宿を出て馬車に乗り込む。
先日乗った馬車より質が良く、また馬車で一晩かと考えると気が滅入っていたがこれなら了承できるレベルである。中も柔らかなクッションが用意されており、馬車といえどあれに体を埋めれば楽に休むことが出来るだろう。
「仕方ないですね、この馬車で我慢してあげます」
「ここいらで一番高い馬車だぞ……。何様のつもりだ」
「アレクシス様の呪いを解く唯一の術である魔女様です」
「そうだったな」
ふんと胸を張ってモアネットが答えれば、パーシヴァルが深く溜息をつき馬車に乗り込んだ。事実だからこそ反論できないのだろう、その姿にモアネットの心の中で祝砲があがる。
そうして続くように乗り込み、一番大きくふかふかしているクッションに身を預けた。ぱふっと体を受け入れてくれる、良い香りの上質のクッション。馬車の内装も洒落ており、なるほどこれは確かにここいらで一番だろうと見回しながら思う。
ここから次の目的地である国境の街まで、馬車で走り続けるのならほぼ一日、遅くても一日半。途中で休憩を挟んでも明日の昼過ぎには到着するだろう。
そう話す馭者に対し、モアネットは心の中で「二日と見ておくか」と算段をたてた。言わずもがな、馭者の言う「ほぼ一日」というのが通常の場合でしかないからだ。アクシデント無く走り続けて一日、そして『起こり得るアクシデント』を考慮しての一日半である。
もちろんそれは当然のことである。まさかたまたま乗せた客が魔女の呪いを受けているとは思うまい。現に、パーシヴァルの「時間が掛かっても構わない、安全な速度かつ問題の少ない道で頼む」という注文を馭者は『心配性』の一言で片付けてしまった。
そうして馬車を走らせ、さっそく入り込んできたり毒蛾を追い払って数時間後。特に話すこともなく沈黙が続く中、クッションにもたれてうとうとしていたモアネットがアレクシスに名を呼ばれてはたと我に返った。
クッションに埋めていた顔を慌てて上げる。
「あ、ごめんよ。寝てた?」
「いえ別に、考え事を……何かありましたか?」
「もし良ければ、魔女について教えてくれないかな」
自分達は良く知らないから、そう話すアレクシスとパーシヴァルに、モアネットが頷いて返した。
元々魔女とは気まぐれで、いかに王からの命令だとしても乗り気にならなければ首を縦に振ることはない。それどころか表舞台に立つことも嫌がり、普段は篭って研究をし、魔女同士で交流を深めていく。
魔女がいても詳しくは知らないし知ることができない、どこの国もこの程度なのだ。
そのうえ、自国唯一の魔女の家系であるアイディラ家はとうの昔に魔女の名を捨ててしまったのだ。国に残る魔女の話は噂話に近く、アレクシスも朧気に伝え聞いた程度しか知らないという。今になって調べようにも残された文献等無いに等しく、資料は全てモアネットが古城に持ちだしてしまった。おまけに、アイディラ家からは不貞を働いているのではないかと疑われ魔女の話を聞く以前の問題……。
だから詳しく教えて欲しいとアレクシスに請われ、モアネットが素直に頷く。
これから魔女に会うのだから、多少なり知識を得ておいた方が良いだろう、そう考えたのだ。あと、話をしないと退屈で眠くなってしまう…自分も、先程あくびをしていたパーシヴァルも。
「私も詳しいわけじゃないんですが、それで良いなら」
「うん。出来れば相手の魔女に失礼のないようにしたいから。それで色々と聞きたいんだけど、皆モアネットみたいに呪符を使うの?」
そうアレクシスが質問をしてくる。それに対してモアネットは首を横に振った。
呪符を使って魔術を使うのはあくまでモアネットのやり方だ。もしかしたら同じ方法を使う魔女もいるかもしれないが、一貫して全ての魔女がこの手段をとっているわけではない。むしろ血を混ぜたインクで呪符を綴らなければならないあたり、この方法は他の魔女からしてみれば手間がかかると言えるだろう。
代々魔術を受け継いできた魔女や才能のある優れた魔女であれば、もっと手軽に魔術を使えるはずだ。モアネットはあくまで独学の新米魔女、もしかしたら隣国の魔女に「そんな手間がかかることを」と笑われてしまう可能性だってある。
他の魔女なら、特定の言葉だったり動作だったり、そんな簡単なアクションで魔術を使えるだろう。そう話せば、アレクシスとパーシヴァルが顔を見合わせた。
「そっか、モアネットは呪符だけど他の方法もあるんだね」
「アイディラ家だけでも多様な魔術の使い方をしていたみたいです。多分、私にはこの方法が合っていたってだけでしょうね」
「言葉や祈るだけでも魔術が使えるとなると、国を動かしかねないな」
「動かしかねないけど、動かしません。なにせ気分屋ですし、面倒だし」
そうきっぱりとモアネットが告げる。
現に、かつての歴史書を読んでも魔女が国の左右に大きく関与した事例は酷く少なく、あっても戦争の手伝いや気まぐれに繁栄に力を貸す程度なのだ。そこに王命があったかどうかは定かではないが、少なくとも王命だけでは魔女は動かない。
ただ、かといって国を動かす力がないわけではない。今回のアレクシスの呪いだって、力のある魔女であればたった一度の不運を演出して彼を殺すことも出来る。それどころか、標的を彼に絞らず王族全てを殺して国を崩壊……なんて事も出来るのだ。
だけどやらない、なにせ気分が乗らないから。
だが「気分が乗らないから」という理由で応じないということは、気分が乗れば簡単にやり遂げてしまうということだ。それも、気まぐれゆえに別の国について行ってしまう可能性もある。憎む相手の暗殺を願ったはずが、逆に魔女の気分次第で殺されてしまう可能性だってあるのだ。
すべては魔女の采配で、その采配は『気分』という酷く不安定なものを基にしている。
敵に回せば恐ろしく、味方に引き込んでもあまり役に立たない、下手に出すぎれば舐めて相手にされないし、ぞんざいに扱えばへそを曲げかねない。子供よりたちが悪く、猫だってもっと理知的だ。
「というのが魔女です。我ながら言いますけど、非常に扱い難いですね」
「い、いや、そんな扱い難いなんてことは……」
ねぇ、とアレクシスが気を使ってパーシヴァルに視線をやるも、彼もまた返答に困るのだろう無言で小さく頷くだけだ。普段の調子ならば「扱い難いって自覚があるなら改めろ」ぐらい言ってきそうなところだが、流石に魔女の恐ろしさを実感した直後だと勢いも削がれるらしい。
若干青ざめているのは、予想以上に魔女の扱いが難しかったからか。もしくは、そんな相手と今対峙し、そして更に今まさに会いに行こうとしていると改めて実感したからか。
そんな二人の反応に、クッションにもたれかかっていたモアネットが「でも」と続けた。
「確かに魔女は厄介です。普通の人なら手出しも出来ない、一度魔女に睨まれれば魔術を使われて抵抗も出来なくなります。……でも」
「でも?」
なにかあるのかと促してくるアレクシスに、モアネットが鞄から本を一冊取り出した。
絶大の威力を持ちながら気まぐれな魔女に対して、唯一抵抗出来る術。今はもう存在も確かではなく伝承でしかない存在。
魔女の魔術が一切効かない、その前では魔女も普通の人間に成り下がる、それが……。
「それが『魔女殺し』です」
そうモアネットが話せば、馬車がガタンと一度揺れた。