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18:魔女はツンとして気まぐれ

 

 大きくふかふかと柔らかなベッドに、シンプルながらに質の良いテーブルセット。

 運ばれてきたルームサービスのチーズは綺麗に盛られており、彩に添えられた花まで実はチーズで出来ているというのだから驚きだ。見た目から食欲を誘うその豪華さは、食堂で出された粗暴な盛り合わせとは比べものにならない。

 種類も当然だが食堂の通常メニューとは違い、チーズ独特の香りと味が濃いものやペースト状のものはクラッカーによく合い、軽めの口当たりのものは単独で味わえる。

 味は深く、香り良く、種類も豊富。一言でいうなら「さすがあのお値段」といったところか。

 これは高価なワインによく合う……と、そんなことをオレンジジュースを飲みながらモアネットが思う。ワインを飲めないことがこれほどまでに悔やまれることはない。


 そんなルームサービスを堪能し、ゆっくりと入浴をすませる。長い時間馬車で揺られていただけあってか体も強張っており、湯を張った中で手足を伸ばせば疲労が湯に溶け落ちていくような心地よささえあった。

 一番良い部屋だけあって浴室は広く、お湯も出る。いや、宿の浴室でお湯が出るのは当然のことなのだが、水を被ったアレクシスが平然とした態度が脳裏に焼き付いているのか、もしかしてお湯が出ることは幸運なのかもしれないと考え始めていたのだ。

 そうして入浴を終わらせ、買っておいたマニキュアを手の爪に塗る。

 店員が――若干怪訝そうだったが――話してくれたとおり、発色の良いピンクが爪を覆っていく。左手を終えて右手へ、自分の手が飾られていく様は見ていて心が弾み、最後にフゥと軽く息を掛けて渇くのを待った。


 この後はどうしようか、と手が動かせず何もできない時間に考える。

 明日は早いというから寝ようか。それとも呪符用のインクを用意しておくか……。

 そうして時折はパタパタと手を振り、ちょいと突っついて渇いているかを確認し、手持無沙汰な時間を何度も欠伸をしながら過ごす。そうしてようやく渇いたのを見計らい、部屋の隅に置いておいたポシェットに手を伸ばした。




 カシャンカシャンと夜中の廊下を歩き、アレクシスとパーシヴァルが泊まっていた部屋の前で立ち止まる。

 ポシェットから一枚呪符を取り出して貼り付ければ、足音で気が付いたのかゆっくりと扉が開かれた。


「モアネット嬢、どうした?」


 と声を潜めて尋ねてくるのはパーシヴァル。金の髪が濡れ、寝間着から覗く肌がまだ水滴を残しているあたり今しがた入浴を終えたのだろう。彼が出てきたことで一瞬身構えたモアネットだったが、それを察したパーシヴァルがすかさず「今は眠くない」と答えてきた。

 次いで「久しぶりに湯を浴びた」と話す。常にアレクシスの近くに居てその不運のとばっちりを受けているのだろう「お湯って暖かいな」としみじみと呟いている。ここに理由を知らぬ第三者が居れば「こいつは何を言っているんだ」とでも思っただろうが、理由を知っているモアネットにはただひたすらに同情しか湧かない。


「それで、何か用があって来たのか?」

「どうしたって、別に……」


 べつに何でもないです、とモアネットがギッと兜を鳴らしてそっぽを向く。

 だがその態度は逆に「何か理由があって来た」と言っているようなものなのだろう。パーシヴァルが不思議そうに首を傾げる。その瞬間彼の髪を伝って水滴がポタリと一滴落ちたが、あいにくと今のモアネットにはそれに気付くことも、ましてや髪を乾かす様に言ってやる余裕もない。


「……よく私が来たって気付きましたね」


 地獄耳、と心の中で文句を言う。もちろん扉をノックすることもなく呪符を貼り終えればさっさと帰るつもりだったからだ。出てこられるのは非常に気まずい。

 だがそれを言えばパーシヴァルに怪しまれそうな気がしてあくまでさり気無い話題を振る様に言えば、彼は深く溜息をつくと共に肩を竦めた。疲労と自虐が綯い交ぜになったような表情に、そっぽを向いていたモアネットがどうしたのかと彼を窺う。


「足音は特に敏感になった」

「足音ですか」

「……一年前からな」


 何があったかは言わずただ時期だけを呟くように話すパーシヴァルに、モアネットが兜の中で「あぁ」と相槌を打った。はたして彼に聞こえたのか否か、どちらにせよパーシヴァルにはその先を話す気はないのだろう、碧色の瞳が溜息と共に細められる。

 きっとこの一年間、些細な足音にさえ身構え警戒して過ごしていたのだろう。表情がそう訴えているように見えてならない。


 アレクシスの不運は尋常ではない。

 誰かが人為的に仕向けている、それも人の域を超えた力で仕掛けている。つまり、それほどまでにアレクシスに悪意を抱いている者がいるということだ。

 そんな相手なのだから直接手をくださないという保証はない。不運に見舞われ危機に陥りながらも命を落とすこともましてや後遺症を負うことも無いアレクシスに、ついに痺れを切らして寝込みを……なんて可能性だってあり得るのだ。もしくは、不貞の王子に国を任せられるかと『英雄(国民)』が立ち上がるか。

 パーシヴァルはきっとそれを案じ、足音一つにも警戒して一年を過ごしてきたのだろう。

 王子を守るのは護衛の仕事だ。だけどいったい誰から護ればいいのか。分からない以上全てを疑い警戒するしかない。


 はたして怖いのは魔女の呪いか、呪いを掛ける魔女か、悪意を抱く一般人か。


 そんなことを考え、モアネットが肩を竦めた。


「確かに、アレクシス様は毒蛾に集られても毒蛇に噛まれても死なないし水を浴びても風邪をひかないけど、さすがにレンガで殴れば死にますからね」

「さらっと恐ろしいことを……」


 物騒だとパーシヴァルが睨み付けてくる。その瞳は先程の疲労から一転して発言を責める色合いが強く、モアネットが兜の中で舌を出した。

「だって事実ですし」と訴えれば「モアネット嬢はレンガで殴っても死ななさそうだな」と皮肉が返ってくる。


「失礼ですね、魔女だって造りは同じ人間なんです。レンガで殴られれば死にますよ」

「そりゃ中の人はそうだろうな」

「……ん? 中の人?」

「ところで、そもそもモアネット嬢はどうして来たんだ?」


 話を再び改めてくるパーシヴァルに、彼の『中の人』発言に引っ掛かりを覚えていたモアネットがそれでも言及はせず扉に視線をやった。

 そこに何かあると察したのか、パーシヴァルが扉から半身乗り出すようにして視線を向け……「これは」と呟いた。言わずもがな、扉に張られている呪符を見つけたからだ。

 可愛らしいにゃんこが丸まってグッスリ眠っている姿を描いた呪符。その可愛らしさといったら、手を伸ばして撫でて寄り添って眠りたくなるほどだ。

 それを見たパーシヴァルがしばらく瞳を細め、よく観察し、時にはちょっと首を傾げて角度を変えて眺め……。そして率直に「これは何だ」と尋ねてきた。


「……可愛いにゃんこです」

「それは分かった。いや、いくら見たところでどこらへんが猫なのかは分からないんだが一応分かった。で、なんの呪符だ?」

「…………グッスリ眠る可愛いにゃんこの呪符です」

「いやだから、なんの効果があるんだ」


 絵ではなく効果が知りたいと訴えるパーシヴァルに、モアネットがチラと呪符を一瞥した。

 そうしてポツリと呟いたのは「教えません」という一言。我ながら情けないと思える声が兜の中で聞こえてくる。


「教えないって……」

「良い効果の呪符かもしれないし、もしかしたら呪い避け無効化して不運を招く呪符かもしれません。もっと怖い呪符かも」

「いったい何がしたい?」

「インクを新調したから試し書きをしただけです。悪い呪符かもしれませんし、嫌なら剥がしてください」


 捲し立てるように説明し、返事も聞かずに「それじゃ」と踵を返してモアネットが部屋から去っていく。

 その際にパーシヴァルが呼んだ気もしたが、それはカシャンカシャンと響く足音で聞こえないふりをした。立ち止まればきっと彼は説明を求めるだろう。だからこそ逃げるように立ち去るのだ。


 そうして廊下を曲がりパーシヴァルから見えなくなってしばらく。曲がり角に身を寄せていたモアネットがそっと窺うように角から顔を覗かせた。

 シンと静まった廊下には誰の姿もない。もちろんパーシヴァルの姿もない。きっとモアネットが立ち去った後に部屋に戻ったのだろう。

 そして扉には……呪符が一枚。

 どうやら剥がさずにおくらしい。それがなんだかモアネットをむず痒いような気分にさせ、思わず雑に頭を掻いた。もっとも、いかに居心地悪さから頭を掻こうとも重装令嬢、ゴリゴリと鉄の指で兜を掻くだけだ。

 生憎とそれではこのむず痒さは晴れず、もう部屋に帰ろうとモアネットが静まった廊下を歩き出した。ほんの少しゆっくりと歩くのは、カシャンカシャンと響くこの足音を控えるためだ。


「魔女は気まぐれだし、インクの試し書きをしたかったし……」


 そう誰にというわけでもなく言い訳をしながら自室に戻る。

 手甲の中では指先につけた傷がピリピリと痺れるような痛みを訴えるが、今はそれよりも胸のむず痒さだ。なんて落ち着かない、居心地が悪い。



 良い夢が見れるように……なんて、そんな柄でもないことしなければよかった。

 そう自分に言い聞かせ、部屋に戻るや全身鎧を脱いでベッドにもぐりこんだ。



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