14:馬車の中で三竦み
手元の明かりを頼りに呪符を描き、それが終わると本を読む。
元々古城で一人で暮らしていたのだ。馬車に変われど一人の時間が手持ち無沙汰になるわけでもなく、苦になるわけでもない。当然だが孤独も感じない。むしろ快適とさえいえる。
定期的に毒蛾が入り込もうとするのでそれを追い払うのは面倒ではあるが。
「また窓にファッショナブルなトカゲが……」
「こんばんは毒持ちです!」と言わんばかりのカラフルな色合いで窓に張り付くトカゲを眺め、モアネットが溜息を吐く。次いで窓をコンと軽く叩いてお帰りいただき、再び本を読もうとし……ふわりと窓から入り込んだ毒蛾を追い払う。これで何匹目だろうか、蛾はもちろんトカゲに蛙に……と、様々な生き物が馬車に入り込もうとしてくるのだ。もちろんどれもファッショナブルだ。
それを逐一追い払う。一回きりならば楽な作業なのだが、繰り返すとなると骨が折れる。
ちなみにこの作業、けしてアレクシスの安眠を守るためではない。
彼が何かしらの不運に見舞われた場合、パーシヴァルが起きてしまう可能性があるからだ。再びあの状態で抱きつかれるのはご免である。
「でも結果的にアレクシス様を守ることになるんだよなぁ。そう考えると不服だなぁ」
そう呟きつつ、砂糖菓子を一つ取って口に放り込む。
口の中で一瞬にして溶け落ち、仄かな香りと甘さが広がる。なんて美味しいのだろうか。寝ぼけの奇行に走ったパーシヴァルを脅して得た戦利品だと考えれば、より味わい深く感じる。
そうして時に砂糖菓子を味わいつつ、時に毒蛾や毒トカゲを追い払い、手元の本を読み進めて時間を潰す。魔女と魔女殺しの争いを記述した歴史書、時間潰しに読むには中々に末恐ろしく、血生臭い記述も多い。
そんなものを一人で読みふける。それも薄暗い中。
物騒だの根暗だのとは言ってくれるな、読書とは時に過激なくらいがそそられるものだ。あと根暗なのは自覚している。
「魔女同士で本の貸し借りとか出来るのかな」
ふと、そんなことを考えてみる。
魔女や魔術に関する書物は、当人である魔女だけが所有し次代に受け継がせるものだ。どれだけ大きな本屋でも取り扱っていない。
アイディラ家にある魔術書は、モアネットが古城に篭もる際に持ってきている。そして古城での長い時間を掛けて読み解いて過ごしてきた。
つまり何が言いたいのかといえば、読み飽きてきたのだ。
知識として得るためには二度三度と読み返す必要があるのはわかっているが、それでも新しい魔術書を読みたいと思ってしまう。きっと燐国の魔女はモアネットが見たことのない魔術書を持っているだろう、もしかしたら魔女殺しについての本も持っているかもしれない。
貸して、と言ったら貸してくれるものなのだろうか?
それとも何か交換条件を出すものなのだろうか?
生憎とモアネットには、魔女の友人はもちろん普通の友人すらも居らず――残念ながらロバートソンは『友人』ではない『友蜘蛛』である――そういった当然の事が今一つピンとこないのだ。
そんなことを考えつつ過ごしていると、ガタンと大きく馬車が揺れて停まった。手元に置いておいたコップが揺れ、無色透明の水が揺れる。その隣に置いてあるネックレスも振動を受け、コップに触れるとカチンと軽い音がした。
いったいどうしたのかと外を見れば、馭者が車輪を覗き込んでいる。
「どうしました?」
「申し訳ない。車輪がぬかるみにはまってしまって……。今外して出発しますので、少しお待ちください」
「手伝いますか?」
「いえ、大丈夫ですよ」
待っていてくれと告げ、馭者があれこれと道具を取りだし車輪に板を噛ます。その動きは手際よく、なるほどこれなら素人の手助けは不要だと顔を引っ込めた。
次いで扉を開けて足元を見れば酷くぬかるんでおり、水溜りもあちこちにある。馭者曰く、ここいら一帯は数日激しい雨が続き地面が緩んでいるのだという。そんな道を馬車で走り、車輪を取られた。なんて不運だ。
思わず溜息をつきながら暗雲を眺めていると、開けた扉の隙間から一匹の蛙がヒョコと入り込んできた。それを追ってきたのか、続いて蛇がスルリと入ってくる。
「出発前に出ていかないと、遠くに連れていっちゃうよ」
そう二匹に話しかけながら馬車の中を我が物顔で進む彼等を視線で追いかけ……そして兜の中で目を丸くさせた。
いつの間に入り込んできたのか、天井に隙間でもあって落ちてきたのか、そこそこ大きなナメクジが居る。デップリヌラヌラとしたそれはアレクシスの顔に乗り、次いで蛙と蛇までもが彼の元に集う。捕食と被捕食の三角関係、三匹から漂う緊迫感といったらない。
それを感じ取ったか、たんに重いのか、もしくは泥臭いのか、アレクシスが唸り声を上げた。
そんな唸りを聞きつつ、モアネットがチラと時計を見る。もう交代の時間だ。
「うぅ……う……なんで、なんで僕の顔の上で三竦みが……」
「あ、起きた。アレクシス様、交代です。私もう寝ますから、あと馬車が」
「待って、普通に話を進めないで……うぅ、全てがヌルヌルする……」
気持ち悪い、とアレクシスが呻きつつ三匹を追い払おうとし……そしてその動きをきっかけに、三竦み状態だった三匹の火蓋が切って落とされた。
「うわっ、やめ……なんかどれかベトベトしてる!」
「どれというか全体的にベトベトしてるでしょうね。よし、そこだ! いけー!」
「モアネット、煽らないで!」
アレクシスが声を荒らげつつ三匹を追い払おうともがく。その様はなんとも言えず滑稽ではないか。
これは馬車が止まっている間の良い時間潰しだ。そんなことをモアネットが考えつつ見守っていると、アレクシスの悲鳴を聞いたか眠っていたパーシヴァルがもぞと動き、「うぅん……」と小さく声をあげた。
それを聞いた瞬間、モアネットが慌てて三匹に制止の声を掛ける。
「解散、解散! 迷惑な人が起きそうだから解散!」
はたはたと手を振って、泥沼の戦いを見せていた三匹を帰す。
危なかった、今ここでパーシヴァルが起きたらどうなっていたことか。蛇と蛙とナメクジが争い、アレクシスが追い払おうともがき、モアネットはパーシヴァルの膝枕、そして馬車内に響く彼の子守唄……混沌としか言いようがない。地獄だ。
そんな絵面を想像し、額に浮かぶ冷や汗を拭う……ことは出来ず、鉄の手で兜をゴリゴリと拭う。そうして改めてアレクシスに視線をやった。ひとしきりタオルで滑りを拭きとった彼がこちらに気付いて顔を向ける。
「モアネット、どうして馬車が停まってるんだい?」
「ぬかるみに車輪がはまったみたいです。でも直ぐに出発できそうです」
「そっか。他に何か問題は?」
「私達三人に問題は無かったかという意味なら、何も問題はありませんでした。ただ、私達三人の中で問題は無かったかという意味なら、有ったと答えます」
「どういう意味?」
「誰かさんが寝ぼけてくれました」
「あぁ……」
そうか……とアレクシスがパーシヴァルに視線を向ける。
先程一瞬起きかけたものの、どうやら再び眠りについてくれたらしく、彼が視線に気付く様子はない。腕を組んで窓辺にもたれかかりゆっくりと肩を上下させているあたり、会話程度では起きはしないだろう。
迷惑な人、そうモアネットが心の中で呟く。だがもちろん寝ぼけた彼が口にした言葉はアレクシスには伝えない。優しく良い子なモアネットは、数時間前に彼に言われた言葉を忘れてしまったのだから。
「随分と厄介な寝ぼけ方ですけど、あれって昔からなんですか?」
寝ぼけて誰かれ構わず抱きついて撫で回すなど、相手が相手であれば厄介どころでは済まされない。生身の、それこそ鎧を纏っていない女性に抱きつきでもしたら事件である。――鎧だから良いというわけでもないが――
そんなモアネットの問いかけに、アレクシスが肩を竦めて返した。
曰く、今までパーシヴァルは男だらけの騎士寮で生活し、あの寝ぼけ方の被害も同僚の男のみ。抱きついたところで殴られるか水風呂に放り込まれる程度だったらしい。
それを話し、そして最後にアレクシスがポツリと「それも一年前までだけど」と呟いた。
聞けば、アレクシスの不運が始まって以降は二人共禄に眠ることが出来ず、気が休まらない日々が続いて彼が寝ぼけることも無くなったのだという。
そんな話を聞き、モアネットが兜の中で溜息をつきパーシヴァルへと視線を向けた。
気の休まらない日々で寝ぼけることも出来なくなったというのなら、なぜ今それが再発しているのか……。理由は簡単、自分が呪い避けの呪符を作ったからだ。呪いが弾かれると安堵し、そして彼は迷惑で厄介に寝ぼけている。
なんて理不尽だ。そうモアネットが心の中で呟き、次いで「もう寝ます」とだけ告げてその場に横になった。
馬車の中がシンと静まり返る。
一度ガタンと大きく揺れ、馭者が再出発を告げると共に馬車が再び走りだす。
微かな振動と車輪が道を走る音が続く。カタカタと物が揺れ、コップの中で水が揺れる。隣に置いてあったネックレスは今はモアネットの手の中……手甲の中にある。これが生身の手であれば少し濡れているのが分かっただろうが、あいにくと鉄越しでは分からない。
そんなネックレスを傷付けない程度に握り、モアネットが兜の中でゆっくりと瞳を閉じようとし……、
「なんだか蒸し暑いな……。モアネット、この水貰うね」
というアレクシスの言葉にはっと瞳を開いた。
「待ってアレクシス様、それだめっ……」
咄嗟に起き上がり静止の声を掛ける。
……が、それも間に合わず、一口水を飲んだアレクシスが一瞬にして表情を青ざめさせ、慌てて窓辺へと近付いて顔を外に出すや水を吹き出し咳き込んだ。