1:重装令嬢
「お前みたいな醜い女と結婚なんかするもんか!」
それが、モアネット・アイディラが彼と初めて顔を合わせた日に言われた言葉である。
そして、モアネット・アイディラが最後に聞いた彼の言葉でもある。
なんて酷い言葉だろうか。それも、よりにもよって婚約者であるアレクシス・ラウドルからこの言葉を告げられたのだ。
幼いモアネットはこの言葉に悲しみ、そして傷も癒えぬ翌朝に彼の婚約者が妹に変わったと告げられて絶望し、己のどこが醜いのか分からぬまま他者の目を恐れ、醜いと蔑まれることを恐れ人前に姿を晒すことを止め……。
そして、頭の天辺から爪先までを鉄の鎧で覆うことにした。
チチ……と鳴いた鳥の音に、モアネットがつられるように頭上を見上げた。
木々の葉が頭上で重なり合い、その隙間から晴れ渡った青空が覗く。時折は眩しいほどの日の光が差し込むが、モアネットは目を瞑ることも瞳を細めることもなくそれをジッと見上げた。
通常であれば目を傷めかねない眩さである。……通常であれば。
「日が昇る前に帰る予定だったんだけどなぁ」
長居しすぎちゃった、そう呟いて再びモアネットが歩き出した。
両手で抱えた紙袋の中には一週間の食料が入っている、日保ちのきくものをと選んだが、こうも日が差し込む中で何時間も持ち歩くのは衛生上よろしくないだろう。なにより、長く日に晒されると中に熱がこもってしまう。……この鎧の中に。
早く帰ろう、そう考えてモアネットが少しだけ足を速めた。鳥の音が響く静かな森の中、ガシャンガシャンと鉄の音を響かせながら……。
頭の天辺から爪先まで、もちろん指先も。モアネットは己のすべてを鉄の鎧で覆っている。そうしてどれほど経っただろうか、ついた渾名は『重装令嬢』。
なんとも皮肉な渾名ではないか。だが事実、顔はもちろん肌を一ミリたりとも晒すことなく鎧で覆ったこの姿は『重装』でしかなく、そして令嬢であるのもまた事実である。もっとも、令嬢といえど森の奥にある古城で一人で生活しているモアネットには貴族の恩恵などあるわけがなく、令嬢であったのなどとうに昔のことだ。
だからこそこの渾名は皮肉めいていて、モアネット自身訂正する気にもならず言い出した者を探して咎める気にもならずにいた。
勝手に言わせておけばいい、どうせ人と関わるのなんて週に一度の食料を買いに行く時だけなんだから……と、考えはこんなところである。
「パンにジャム、それに干し肉。来週はワインを持っていってちょっとお金を増やそうかな」
森の中にある古城に着き、買ったものをテーブルに広げる。そうして買い忘れがないことを確認しつつ、モアネットが頭部の兜を外した。パサと濃紺の髪が揺れ、その解放感から吐き出した吐息は随分と深い。
週に一度の市街地までの買出しは、モアネットにとって酷く疲れるものだった。森を抜けて市街地まで歩いて数時間、ただでさえ長い道程に全身鎧姿なのだ、これで疲れるなというほうが無理な話。そのうえ市街地に着けば当然だが人がおり、人目に晒されていると考えれば鉄で覆われているというのに冷汗が伝う。
「なんて醜い」と何時ぞ聞いた少年の聞こえ、それを幻聴だと振りきっても実際に「重装令嬢」と陰口が聞こえてくる。嘲笑う声は本物か紛い物か、恐ろしくて確認することが出来ない。
唯一モアネットが出来ることと言えば、兜の中で浅い呼吸を続け、さっさと買物を済ませることだけだ。そうしてカシャンカシャンと鉄の音をたてて森へと逃げ帰る。
そんな市街地に対して、この古城はモアネット以外誰もいない。もちろん、人の目も無ければ声も聞こえてこない。ちゃんと獣避けもしてある。
なんて落ち着くのだろうか、兜を脱いでも鎧を脱いでも誰にも見られない。
一生この古城の中で暮らせればどんなに良いだろうか。
だけど生きていくためには食べ物が必要だ。野菜であれば多少は作れるが、パンや加工食品は流石に一人では補えない。
それを買うためには市街地に行かなくてはいけない……。
「お金を払って届けに来てもらおうか……。でも、ここに人が来るのも嫌だなぁ。……ん?」
ふと、自分以外の声を聞いてモアネットが言葉を止めた。次いで足音を忍ばせるように古城の玄関口まで向かう。
扉の向こうで誰かが話をしている。声からすると男が二人……それを確認するように耳を澄ましていると、コンコンと扉がノックされた。
慌てて兜を被り、外しかけていた鎧を再び纏う。露出している肌は無いか、鏡の前で一度クルリと回る。
重装令嬢の物珍しさから誰か着いてきたか、それとも森で迷った人が助けを求めてきたか。
さすがにこんな僻地に押し売りなんてことはないだろう。もしかしてパンを買った時にお釣りを受取り忘れ、親切な店員が届けに……なんて、それはないか。その場合は釣り以上のチップを求められそうだ。
そんなことを考えつつ用心するように扉のノブに手をかけ、そしてゆっくりと鍵を開け……。
そして、その先に居る人物に目を丸くさせた。
深い茶色の髪と同色の瞳、目鼻立ちの整った青年。
質朴なローブを羽織りまるで己を隠すようにフードを目深に被っているが、その隙間から覗く麗しさは隠しきれていない。
そんな青年を見た瞬間、モアネットの脳裏にはっきりと、
『お前みたいな醜い女と結婚なんかするもんか!』
と、かつて聞いた幼い少年の言葉が蘇った。
……そして、反射的に勢いよく扉を閉めた。
それはもう扉が歪みかねないほどに勢い良く。彼と、そして彼の隣に構えていた男の鼻がぶつかるんじゃないかという勢いで。――くぐもった悲鳴が聞こえたので、どちらか実際にぶつけた可能性がある――
人間の反射神経とは良く出来たもので、扉が閉まってようやくモアネットが我に返ったほどだ。深層心理の拒絶ここに極まれり。
だが扉の向こうにいる二人もそれで帰るわけにはいかないようで、先ほどより強く扉を叩き始めた。
「モアネット、君なんだろう! 開けてくれ!」
「さぁパンを食べよう」
「モアネット嬢、どうか少しだけ時間を!」
「紅茶を淹れようかな。そういえば新しい茶葉を買ったから、それを試し飲みしよう」
「僕を恨んでいるのはわかっている、だけどモアネット……。狼! やばいぞパーシヴァル、狼が!」
「菓子パンを先に食べた方がいいかな。……狼?」
「モアネット嬢! このさい話どうのは置いてひとまず匿ってくれ!」
呼び掛けどころか悲鳴交じりに扉を叩かれ、モアネットが「獣避けの効果が切れたかな」と首を傾げた。……といっても鉄の兜を被っているので、傍目には兜がギッと音たてて揺らいだ程度なのだが。
そんなふうに首を傾げつつ、それでも渋々と扉のノブに手を掛けた。彼等を招き入れるのは嫌悪しか湧かないが、さすがに家の前で彼等が狼に食い殺されるのは勘弁してほしい。悲鳴をあげて喚かれて、食い殺される実況なんてされた日には眠れなくなってしまう。
だからこそ仕方ないと扉を開ければ、男が二人、慌てて飛び込んできた。次いで狼が入り込まないうちにと扉を勢いよく閉める。
よっぽど慌てていたのだろう――まぁ、狼が迫っていたのだから慌てて当然だが――二人はゼェゼェと荒い息を吐き、そうして互いが無事だったことを確認すると改めて顔を上げた。
麗しく聡明さを宿した顔つきには、どこか幼い頃の彼の名残を感じさせる。……もう、殆ど覚えていないけれど。
そんな彼に対し、モアネットは恭しく頭を下げた。全身を鎧に包んでいようが森に住んでいようが、彼に頭を下げないわけにはいかない。
「お久しぶりです。アレクシス王子」
そうモアネットが告げれば、鉄の鎧がギシと重苦しい音をたてた。
※2016/06/04
冒頭の始まりを変更いたしました。
社交界デビュー→彼と初めて顔を合わせた日