#099 関ヶ原の戦い(3)
「ほ、北国街道から新たな軍勢にございまする!」
「馬印は朝倉! いや、朝倉と浅井!」
「武田勢の後方を大きく迂回! 佐久間盛重殿と津々木蔵人殿との間に楔を打つ構えと見受けられまする!」
倍する武田を相手に押し込まれながらも、津々木蔵人からの助勢で何とか戦線を維持していた佐久間盛重。
その彼の率いる軍勢が戦場で孤立するかも知れぬと言う、耳を塞ぎたくなる様な報せだ。
俺は床机から腰を半ば浮かせた姿勢で、歯をギリリと噛み締めた。
(クッ! 想定よりも幕府勢の動きが良い! 頼む! 堪えてくれ!)
しかし、良くない報せは続いた。
「本陣後方に敵! 旗印より和田惟政と思われまする!」
「な、なんだと⁉」
(完全に想定外だ!)
「母衣衆が中心となり相対しておりまするが、押し込まれている次第!」
本陣四千の内、後方の守りに配した兵は二千。
それがじわりじわりと下がり始めているらしい。
(母衣衆を除いた残る兵数は二千余。その内の千は岡本良勝と空誓らだ。が、このタイミングで使う訳には……)
その間にも、背後から怒声と共に阿鼻叫喚が徐々に迫る。
魚鱗の陣形は既に崩れ、今や方円の陣の様相を呈していた。
「毛利紳助に服部小平太らが……くそっ! 彼奴らはまだ来ぬのか!」
俺は焦りからか、意味も無く腰に下げた懐中時計を開き見る。
幕府方の時だけ止まれ、と念じながら。
するとそこに前田利家が、竹中重治を伴い現れた。
彼らにはこの場にいない前田利益ら旗衆(親衛隊)の代わりとして、俺とその直営を守護する役目を任せている。
つまり、本陣に敵が迫らぬ限り、もっと言えば那古野に退く時以外に、俺の前に現れる理由など無い筈であった。
だから、
「何用か!」
跪く彼らの頭に向け、俺は苛立ちを隠そうともせず怒声を発する。
それに応えたのは六尺偉丈夫であった。
「信行様! これより! 我が身を持って大恩を返させて頂きまする!」
俺は床机を蹴倒す勢いで立ち上がり、前田利家の肩を蹴り上げた。
(殿を任せろ、って事か!)
まるで、「下らぬ進言で時間を浪費するなど許せぬ!」と信長ならそうしたかの様に。
「ぐはっ⁉」
前田利家は腹を見せ、その場に転がった。
「ぐはっ、ではないわ! この局面に、佐久間盛重らが命を張ってる最中になんの冗談か!」
仁王立ちする俺と前田利家との間に、叩頭したままの姿勢で竹中重治が割り入った。
そして、
「お、お待ちあれ! 退却を献策しに参った訳ではございませぬ!」
「なら、なんだ! この時勢に一体なんの用だ!」
「我らが本陣後背の敵を瞬く間にて討ち取ってみせまする!」
真意を説こうとする。
俺はくわっと目を見開き、
「申せ!!」
居住まいを正す前田利家に対し、大音声で命じた。
「はっ! 背後から襲い来るは透波の類! 和田惟政が率いているからには甲賀者に間違いありますまい! 即ち忍びの者! 闇夜に紛れぬ彼奴らなど、我らが集めた一千に及ぶ兵法者の敵ではございませぬ!」
と、前田利家が一息に言い放った。
その後に続き、竹中重治が足りない部分を言い補う。
「和田惟政らを粗方殲滅した後、我らは佐久間盛重殿の助勢に向かいまする。この命に代えても佐久間殿を助けてみせましょうぞ」
二人の声音の中に、確かな決意。
俺は束の間、思考した。
だとしても、果たして間に合うのか? 、と。
味方の軍勢は東山道と伊勢街道に挟み込まれる位置にまで押されている。
雨足はますます強くなるばかり。
時間が経てば経つ程土はぬかるみ、人馬の歩みは困難を極めるだろう。
そんな状況で迅速に、しかも徒歩で動くのならば……
「………………いいだろう、行け! 但し! 後背を鎮めた後は必ず街道を使え!」
平地より高くなる様に造られているので、狙い打たれる可能性が高い。
それでも、俺が整備させた分早く助けに行ける筈だ。
「元より承知!」
前田利家はそう叫んだかと思うと、突風の如き勢いで陣幕から出ていった。
それに続く竹中重治。
裏手からの、
「チェェェェェストォォォォォオ!!!!」
との叫び声が、大気を揺らした。
嘗ては斬馬刀とも称されていた重くて長い長巻野太刀、それを敢えて装備した件の精鋭らが、風の如く戦場を駆け抜け始めたのだ。
やがて、歓声と悲鳴の入り混じった音が俺の耳に届いた。
背後からの戦場音が徐々に遠ざかり始める。
雨が僅かに強くなり、それ以上に南からの風が激しく吹き始めた。
丈夫な三河木綿製の陣幕が水を含むも、音を立てて張る。
(随分降ったな)
俺は再び床机に腰を落ち着け、時計をチラリと見た。
(……そろそろか)
俺は、
「誰かある!」
使番を呼んだ。
「母衣衆を両佐久間の加勢に向かわせよ!」
「し、しかるに本陣が手薄に……」
「向かわせよ!!」
「は、ははっ!」
「手薄になった本陣に陣幕は不要! 降ろし岡本良勝に届けよ!」
「承知!」
続いて、陣僧よろしく本陣に控えていた空誓をも呼び出す。
「空誓!!」
「はっ!」
「時は来た!! 新たな!! 那古野一向の門主として世にその名を轟かせよ!!!」
「御心のままに!」
暫くすると、戦場の音を打ち消す程の大音で念仏が唱えられ始めた。
そして、その音は南からの強風を受け、北へ北へとより遠くまで運ばれていくのだ。
強風が吹き荒む音がうるさい。
ガラ空きの本陣では尚更であった。
やがて、季節外れの鳥が三羽ほど相次いで鳴いた。
俺は人知れず口角を吊り上げ、
「さぁ、来てみろ! 足利義輝!」
一人笑った。
◇
「余の策は成った」
小高い丘から望む足利義輝、その双眸には確と映っていた。
敵方の軍勢が僅かだが崩れつつある、と。
やがてはその箇所から大きなヒビが入り、終いには崩れ落ちるに違いない、と。
そしてそれは、足利義輝が意外に思う程早くに訪れた。
織田信行の本陣から兵が出払い、今や半分にも満たぬ有様となったのだ。
加えて、
「あ、兄上! あれは、ね、念仏にございませぬか⁉」
戦場にあるまじき音。
「御主にもそう聞こえたか! なれば間違いなかろうて! 彼奴らは死を覚悟したのよ! さぁ、掛かれや! 思いのままに手柄を立てよ! いやさ! 余も参ろうぞ!」
足利義輝は振り返り、会心の笑顔を見せた。
そして、側仕えだろう者から槍を受け取り、馬を進めた。
その背で彼の名を叫ぶ近習の、明智光秀の声を受けながら。
◇
武田信玄による庄内川の氾濫。
その所為で最後尾から続く筈の那古野砲(臼砲)がここにはない。
火縄銃は手元に残るも、数万にも及ぶ軍勢の歩みを止めるには些か足りなかった。
他に遠距離攻撃出来る武器と言えば、数千張りの弓と、岡本良勝が作りしアレのみ。
弓は既に引っ切り無しに射られている。
その所為か、弦の切れた者も多く出た。
そして、岡本良勝のアレはまだ使えない。
なぜならば、アレは……その刹那、
——ヒューン!
降りしきる雨の中、俺の頬を掠めた鉄砲玉。
「痛っ!?」
前線近くにまで、俺が出張ったからだ。
(これほどの雨の中、まだ撃ってくるか……)
引き連れたのは橋本一巴、林弥七郎に加え、太田牛一ら弓三人鑓三人により構成された六人衆などなど。
鷹の目衆を構成する黒壇太郎ら黒人達は岡本良勝の箱馬車に取り付き、手を動かしている。
「竹束を前に突き出さぬか! まだまだ火縄銃がいきておるのだぞ!」
「だめだ! 腕が重くて! もうこれ以上、槍を上げられねぇ!」
「ならぬ! それでも上げねばならぬ! 信行様が直ぐ後ろに控えられておられる故に!」
「織田様が⁉ いや、信行様が! やってやる! 腕がちぎれるまでふるってヤラァ!」
「早く射よ! 狙いなど不要ぞ! 今なら眼を閉じても当たるわ!」
少しばかり前から、幕府方の七段にも及ぶ先備えが一斉に前掛かりとなった。
今が攻め時、と彼らの目には映ったのだろう。
それはきっと、俺の姿が遠目にも見えたからだ。
俺という大将首をその手で掲げんとして。
敵方の侍大将が馬上から槍を振り回し、声を荒げ指示出しをしていた。
それを的確に狙い撃つ橋本一巴。
よくよく見れば、雨除けを火口に備え付けている。
雨雲の動きを事前に知り得ていたからだろう。
そこに、
「幕府本陣に動きあり!」
「あ、足利義輝が出陣! 真っ直ぐこちらに向かっておりまする!」
待ちに待った報せが齎される。
「遂に来たな、足利義輝!!!」
同時に俺は、全身の毛という毛が逆立つ感覚を覚えた。
「良勝に合図を出せ!」
「ははっ!」
清洲城から岡本良勝に率いられし箱馬車十数台。
それが雨に濡れて泥濘む土の上を馬に曳かれ始めた。
更には黒壇太郎を含む鷹の目衆が後ろから手押しする。
車輪の下には先程降ろした陣幕。
泥濘にはまった車のタイヤよろしく、空転を防ぐ為に。
箱馬車が並ぶ、幕府方に押されて椀状に凹んだ先備えの後ろに。
攻め寄せる幕府方軍勢の中央に向く形で。
手早く輪留を処置する。
そして、箱馬車の前部と後部を開け、中を晒した。
そこに収められていたのは銅管。
清洲城下の屋根屋根に載せられていた物とパッと見は同じ代物であった。
それが水平方向に五本、垂直方向に五段重ねられている。
そう、箱馬車に積載されていたのは現代で言う所の〝多段のカチューシャ〟もとい、多連装砲であったのだ。
南蛮船ベースの戦列艦、その砲門の配置を参考にして作ったらしい。
「信行様!!!」
岡本良勝が誇らしげな顔で俺の名を発した。
俺はそれに、ただただ応えるのみ。
「(十分に引きつけろ! 引きつけろ、引きつけろ……今だ!)斉射ぁぁぁあっ!!!」
視界を覆う雨の中、耳をつんざく程の轟音が、顔を焦がすかと思われる砲火と共に関ヶ原を襲った。
「!!!!」
一瞬、戦場の時がピタリと止まる。
天を焦がす程の雷が大地を穿ったかに思えたからだろう。
雨水に加え、土と鉄、更には煙の匂いが辺りに充満する。
箱馬車の向いた先には、先程までにはない大きな空間がぽっかりと出来上がっていた。
「……」
しかも、それを為したのは、関ヶ原にはないと思われた織田の秘密兵器。
唖然となるのも当然と言えば当然であった。
しかしその影響は、正にこの時戦場に立っていた者だけ。
朝倉、浅井勢と同じ道を辿り、新たに参戦した者らには関係がなかった。
——……まーんだーぶー
——なーまーんだ……
一風変わった鬨の声と共に現れたその一軍。
それは少数の僧兵と侍に率いられた、幾万もの百姓達であった。
彼らは念仏を唱えながら、何ら臆する事なく朝倉の陣に突撃する。
雨で濡れ光っていた鋤やら鍬が赤黒く染まった。
それを目前にしても惚けたままの若侍。
次の瞬間、彼は薙刀の餌食になった。
二巻分の書籍化作業が漸く終わりましたので、今後は週一更新目指して頑張ります!
乞うご期待!




