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#098 関ヶ原の戦い(2)

 日の出前、関ヶ原の空気は極度に張り詰めていた。

 今にも合戦が始まりそうな程に。

 ふと空を見上げれば、灰汁の如き雲が天を蓋している。

 濃密な土草の臭いを含くむ淀んだ空気が肌に纏わり付き、息は殊更重苦しく感じられた。


(それに湿度が異常に高い。思ったよりも早く雨が降り始めるか?)


 南からの風が北へと強く吹き抜ける。

 ねずみ色した雲が押されるも、後から続く雲はより薄汚れた色をしていた。


(果たしてこの空模様が吉と出るか、凶と出るか……)


 戦は水物。

 その一方で、周到な準備をした方が勝ちを得易いのも事実である。


(だからこそ、最後の詰めが肝要!)


 俺は気を引き締め、合戦前の、最後の軍評定に臨む。


「おはようございまする!」


 一枚一枚に織田木瓜が描かれた陣幕、諸将が既に揃っていた。

 俺はズンズンと歩み入り、指定席である彼らの中央にドカリと腰を下ろす。

 そして、夜明け前に放った斥候からの情報を手早く伝えさせた。


「幕府方は山裾に本陣を設け、前に柵を張り巡らせておりまする! その裏に弓衆に加えて鉄砲衆が並び……」


 敵は本陣を堅牢な防御陣地で覆うだけでは飽き足らず、弓と鉄砲をも配し守らせる布陣らしい。


「五千の備え、それが七つ配され……」


 その更に前方に五千兵にも及ぶ部隊を七段も重ねる念の入れよう。

 正に鉄壁である。

 しかし、幕府勢の布陣はそれだけではなかった。


「南には松笠菱の馬印を中心とした一万……」


 細川藤孝の率いる軍勢と、


「甲斐武田を中心とした一万の兵が北に広がっておりまする!」


 しかも、率いる将は香坂虎綱、武田信廉、工藤昌秀、馬場信春などの、


(武田四天王が揃い踏み……)


 そうそうたる顔ぶれだとか。

 特に馬場信春は七十を越える合戦を経るも、一度として怪我を負わなかったが故に〝不死身〟と言う渾名を戴く程の猛将。

 率いる将の名前で戦の勝敗が決する訳ではない、が歴戦の猛者を前にすると身が竦む、それは致し方のない事であった。

 それに対する我が織田の陣容はと言うと、北から佐久間盛重が率いる五千、津々木蔵人が率いる六千とその背後に本陣備え四千、佐久間信盛が率いる五千である。

 武田勢と相対する佐久間盛重、彼から俺に向かられた視線が随分と痛い。


「……佐久間盛重、頼んだぞ」

「……………………御意」


 返答に間があったのも、致し方のない事なのだ。

 思えば、彼には随分と無理をさせ続けている。

 信長と戦った那古野城防衛戦然り、品野城攻囲戦然り、桶狭間の戦いにおける丸根砦防衛戦然り。

 いずれも、決して負けられぬ戦場ばかりだ。

 それだけではない。

 俺が東征する際、織田領内周辺を具に警戒し、周辺勢力による不穏当な行動を察知、侵攻や越境による乱取りを未然に防いだりもした。

 そう、言うならば、佐久間盛重は尾張の、織田の守護神なのだ。

 そんな彼だからこそ、ただでさえ守り難き右翼を任せられる。

 加えて、敵は倍する兵力を活かして中央を厚くした、鶴翼の陣。

 対する織田軍が採ったのは寡兵による中央突破を意識した魚鱗。

 側面攻撃に弱いのは言わずもがな、なのだから。

 それに、武田は騎馬の数が多いらしい。

 俺が整備させた街道を使い回り込まれでもしたら、ただでさえ厳しい戦いが更に厳しくなるだろうからな。


(寧ろ、佐久間盛重でなければ担えない!)


 それが俺の、いや佐久間盛重を含むの全員の、共通認識であった。

 なのに竹中重治が、


「この上、北から朝倉らが参ったら、終わり、でございまするな」


 不吉な事を口にする。

 陣幕内の空気が一際、張り詰めた。


「終わり、とは?」


 佐久間信盛が身を乗り出すかのように、竹中重治に問う。

 彼もまた、細川藤孝が率いる一万と相対するのだ。

 自身の叔父と同様、この戦いの帰趨を決するであろう、文字通りの一翼を担う。

 苦戦は重々承知。

 それどころか、命を落とす覚悟すらして臨んでいるだろう。

 だからとはいえ、いとも容易く抜かれるであろう、と言わんばかりの物言いは聞き流せなかったのだ。


「そのままの意ですが?」


 竹中重治が能面の小面如き顔、それが燻る火種に油を差した、かに思えた。

 事実、佐久間信盛が色をなす時に備え、皆が身構えたのだ。

 が、それは起きなかった。

 佐久間信盛はただただ、底冷えする声で問い返すだけである。


「竹中重治、お主は我ら佐久間がやすやすと退く、そう思うてか?」


 史実では〝退き佐久間〟とも称される武将。

 その由来は撤退戦で殿を受け持ち、兵を無駄に減ずる事なく、物の見事に引き上げたからとか。

 だが、俺は、いや彼のこれまでの戦いぶりを見知った者は皆知っている。

 佐久間信盛は稀代の戦上手、その真骨頂は機を見るに敏である事をだ。


「然に非ず。佐久間信盛殿が如何なる御仁か、この竹中重治、十分に承知しておりまするゆえ」


 直接相対した者ならば当然であった。

 竹中重治は自らの悪癖である言葉足らずを恥、低頭する。

 その上で、彼は言葉を重ねた。


「幕府方の布陣は本陣前に柵を巡らした鶴翼。一見すると守勢に回り、我らが寄せるのを待っているかの様でございまする。なれど、その実、中央に突破に優れし長蛇の陣が如き七段の備えを配する。これ即ち昨今稀に見る攻防一体の構え、にございましょう」


 真意を語る上での前振り。

 竹中重治が「この点までは宜しいですな?」と視線を送り、居並ぶ誰もが更に続けられるであろう言葉を前に固唾を飲んだ。


「我らが軍は兵数において劣勢。これを覆すには多大な犠牲を払いつつ無理攻めし、敵の大将首を取るか……」

(それはないな)

「上杉を押し返した美濃、または北条の敗残兵を打ち取った三河からの後詰を待ち、兵数を揃えるしかございませぬ」

(これもない。足利義輝が時間稼ぎを許す筈がないからな)

「しかし、それらはいずれも為し得ぬでしょう。幕府方はこの日この後の一戦にて信行様との争いに終止符を打ちたいが為に」

(その通りだ。何故ならば……)

「今少し詳しく申すなれば、此度の戦を尾張織田との戦に止める、その様な腹積もりかと思われまする。そもそも、幕府が望みしは幕府を超えんとする尾張織田一族のお命のみ。大名のは入っておりませぬ故」


 そう、最後通牒で講和条件として示されたのは俺を含めた織田家の命だけだった。

 しかし——


「しかし、それでは幕府譜代の家臣が黙っておらぬのでは? 示しが付かぬ、と申してな」

「さて、幕府譜代の家臣、とは何者でございましょうや?」

「……⁉」


 そう、歴史を顧みれば、今川は元より、美濃斎藤が一時期名乗っていた一色に、三河の吉良、尾張においては斯波氏の事である。

 そして、その嫡流はいずれも健在。

 それもその筈、俺が戦後統治のし易さを鑑みて命を取らず、それどころか重臣として迎え入れていたのだから。

 無論、ただ命を助けただけでは、何もしなければ裏切られる可能性は十二分に残る。

 しかし、それを防ぐ策が俺の頭にはあったのだ。

 それは、史実における徳川江戸幕府の設けた参覲交代、大名を一年おきに将軍のお膝元に住まわせる制度。

 もっとも、俺の場合は交代などせず、家族共々常住させているがな。


「つまり、斎藤龍興らが参戦する前に我らを討った暁には幕府への帰参を許し、全てを丸く収めよう、そういう腹だと?」

「如何にも。これにより地に堕ちていた将軍の権勢は再び浮上し、足利家の威光は日の本を遍く照らし、それを為した足利義輝の名は室町幕府初代将軍である足利尊氏と並び称されるでございましょうぞ」


 模倣の模倣とは言え、佐久間信盛らが唖然とするほど見事な一手。

 一体、何処の誰がこの様なシナリオを描いたのやら。

 だがな、それはあまりに……


「絵に描いた餅、にございまする。時計の針を巻き戻した上で成り立つ安寧など、享楽を知った者らの目には酷く息苦しい世に映ります故」


 旧来の価値観に依存する者らによって齎された革命、その後の生活の様にな。

 歴史が示した結果は、日常は極端なまでに自由が制限され、やがてはディストピアとなった。

 文化的な生活を享受していた者は反発し、特に若き女性からは強い抵抗が見られていたとか。

 俺が負ければそれが那古野で起こる。

 歴史は繰り返されると言う事だ。


(逆行しているのにな……)


 だが、それでも……


「足利義輝とその直臣共、それに甲斐源氏など過去の栄光に縋る者らや上杉の如き畜生には関係ございませぬ。ありとあらゆる手を使い、日が昇る内に信行様を亡き者にしようと策を練っておりましょうぞ」

「それが……」

「佐久間盛重殿が相対する武田勢か、はたまた未だ姿を見せぬ朝倉勢かは分かりかねまする。しかるに、この竹中重治は愚考いたしまする、足利義輝の首を討つまでは何があろうと気を緩めず、如何に付け入る隙が見えようとも攻め入ってはならず、本陣に何があろうと退いてはならぬと」

「この佐久間盛重に死んでも陣地を守れと?」

「いえいえ。信行様は命を捨ててでも守れ、などとは命じられますまい」


 そう言って竹中重治は俺に視線を向ける。

 面倒な役はやり終えましたので後は任せました、と言わんばかりに。


「(逆に難しい……)……その通りぞ、佐久間盛重。御主だからこそ我が命運を預けられると思っておる。盛重、死なばもろともよ」

「いえ、寧ろ、不肖盛重、信行様のお命をお守りする壁となり立ちはだかりまする故、その際は急ぎ退いて頂きたくございまする!」


 案の定、老体に余計な心配を掛けさせてしまう。

 俺は内心ヒヤヒヤしながら、急いで取り繕った。


「まぁ、待て。此度の戦、恐らくは日の本の天下を決める合戦となろう。事実、上杉どころか北条までもが参じている故にな。朝倉も現れて当然。寧ろ、この戦場に居らぬ方が余程おかしい。そうは思わぬか?」


 幕府の使者が越前に足繁く通っている、その事実は掴んでいた。

 なのに、那古野総構え攻囲戦に参陣していなかった、その方が意外であったのだから。


「が、案ずるな。既に策はここにあり」


 俺は自らの頭を指差し、続いて戦評定の場を見回しながら、


「それを為すべき者も皆、ここに揃っておる。いや、揃いつつある。後はただただ、頃合いを待つばかり。熟れた実がポトリと落ちるのをな。故に……御主ら両佐久間に、織田が誇る最強の盾に、我らが命を預ける、と言う訳よ」


 ニヤリと笑ってみせた。

 すると、二人の佐久間が感極まり、


「ははっ! その大任、我らにお任せあれ!」


 跪く。

 両軍が激突したのは、それから四半刻経った頃合い。

 鶴が魚を捕食しようと、その首をするりと伸ばし始めたのだ。




  ◇




 足利義輝は見晴らしの良い丘に登り、戦場を俯瞰していた。

 寸刻前より雨がパラつき始めた空の下で。

 火薬が爆ぜた力で飛ぶ弾丸が竹束を割る音を、弓音の後に響く悲鳴を耳にしながら。

 煙が束の間視界を遮るも、やがて南から北へと押し流されていく。

 その都度、足利義輝の目に映るは、攻め寄せる織田の軍勢を押し返えす自軍の猛々しい武者姿。

 川を挟んだ攻防が繰り返し行われている。


「流石は織田家中でも名高い両佐久間よ。武田の精兵と細川藤孝の用兵を前に一歩も引かぬ」


 足利義輝の言葉だ。

 傍にいる若い、足利義輝に負けず劣らず煌びやかな鎧武者に、諭すよう声を発している。


「津々木某も中々よな。両翼に余計な兵が行かぬよう、巧みに槍を突き出し、阻みおるわ」


 そして、振り返った。


「分かるか? 義秋(覚慶)、義高(周高)」


 二人は足利家の習いとして生まれた直後から仏門に入れられた、足利義輝とは同腹の弟である。

 自らの敵が歳離れた異母兄を含め、兄弟を上手く使う様を見知り、一念発起して呼び寄せたのであった。

 いずれは家臣団を設けさせ、それなりに偶しようと考えた上で。

 足利の揺るぎない天下を、この関ヶ原の先に夢見て。


「はい、還俗したばかりなれど、かの用兵術の見事さはこの身にひしと感じまする」

「こ、これが戦……にございまするか」


 足利義輝はその答えに満足したのだろう、小さく笑った。


「ただの戦ではない。足利が再び天高くに至る為の、大戦よ」


 その上で、二人の兄弟の更に後ろに控えていた男を呼んだ。

 男は、憎き敵からすらも学ぶ、その姿勢の肝要を足利義輝に示した者であった。

 元は良く言えば陪臣、直臣の一人が面白き話をする男がいると言い拾ってきた、浪人風情である。


「光秀!」


 明智光秀。

 史実では織田信長に見出され、その才覚を元に重臣筆頭にまで上り詰めた武士。

 が、何らかの理由でその大恩ある主君を裏切り、炎上する本能寺で自害させるにまで及んだのだ。

 そして、織田信長に代わり天下を治めようと四方に働きかける。

 しかし、その後は皆の知る通り。

 僅か十数日後、羽柴秀吉との戦いに敗れ去り、落ち武者狩りにあったのであった。

 腐れ生首と成り果てた明智光秀の悔しさ、未練たるや想像を絶するに余りある。

 そしてそれは、永禄の変にて命を落とした足利義輝も同じだろう。

 その足利義輝はと言うと、くわっと目を見開き、戦場に響き渡る程に声を張った。


「良くぞ! 良くぞ、この地に虎を釣り出した!! 実に見事!!! この足利義輝、直々に褒めてつかわす!!!!」


 感無量といった体で。


「恐悦至極に存じまする!」


 明智光秀もまた感極まり、体を震わせていた。

 足利義輝は再び戦場を睥睨する。

 腰に佩いた太刀を引き抜きながら。

 そして、先程よりも更に大きな声を発した。


「織田勘十郎信行! これが余の!! 真の、一の太刀、である!!!」


 それが合図となり、跪いていた明智光秀が素早く立ち上がる。

 関ヶ原に法螺貝が鳴り渡った。

 やがて、北の山陰から突如現れる大小二つの軍勢。

 翻る馬印は大きく分けて二つ、三盛木瓜と三盛亀甲剣花菱だ。

 率いる将は紛れもなく、朝倉義景と浅井久政である。

 それが合わせて一万弱。

 当初の織田方の想定より一万程少ないが、大軍と言えば大軍であった。

 しかし、突如現れた軍勢はそれだけではない。

 織田方本陣後方、桃配山からも小勢ではあったが兵が罷り出たのだ。

 掲げられた馬印は七曜。

 甲賀二十一家を束ねるまでになった和田惟政の手勢、素っ破の類である。

 後方撹乱をお手の物とした者らが、織田の尾びれを啄む。

 驚き慌てたのだろう、織田軍勢の足並みが僅かに乱れた。

 その隙間に、鶴の嘴が伸びる。

 関ヶ原に、足利義輝の笑い声が高らかに鳴り渡った。

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