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#095 第三次稲生の戦(2)

 那古野総構えの上は退き鐘が鳴った以降も慌ただしさを増していた。

 その中でも特に忙しなく動いていたのが南蛮砲を扱う者らである。


「第一から第四の砲身、全てに異常ございませぬ!」

「第五から第八砲身も同じく! 異常は見られませぬ!」


 そんな彼らの働き、その一部始終を確と見る者がいた。

 林弥七郎、〝隠れなき弓達者〟の異名を持つ武士である。

 彼は那古野総構え枇杷島口の砲手、その責任者を任されていたのだ。


「林様! 全砲門、問題ございませぬ!」


 副官らしき者の言葉に、林弥七郎は「うむ」と頷き返す。

 その上で、この後の手筈を思い返していた。

 そんな彼に、また別の配下が話し掛ける。

 浅野長勝(あさのながかつ)、林弥七郎と共に弓衆として長く織田家に仕える、現代風に言うならば同僚の一人であった。


「幕府方の輜重を含めれば、ほぼ十倍の軍勢。誠に追い払えるのであろうか?」


 数だけを見れば、半信半疑になるのも無理はない。

 しかし、問われた林弥七郎は、


「間違いなく追い払えるであろう」


 迷いなく答えた。

 更には、


「いや、信行様は幕府方を包囲殲滅するお考えよ」


 と嬉しそうに口にした。

 浅野長勝は俄かに声を失う。

 数の少ない方が、それも十分の一に満たない側がそれを為した例など、古今東西探しても見出せないからだ。

 なのに、林弥七郎は自ら口にした有り得ない内容に対して疑う素振りを見せない。

 決戦を前にしての、異常事態、であった。

 そんな浅野長勝に対し、林弥七郎は更に言葉を紡いだ。


「信行様がな、鮫が鯨を襲う話をされた」


 それも、大戦を前にして魚の話。

 浅野長勝の混乱に拍車が掛かる。

 いや、そもそも、その話自体は浅野長勝も耳にした事があった。

 翡翠色の海、沖まで続く白い浜、そして、大きさが南蛮船程もある鯨を襲う数多の鮫の話をだ。

 見た事も聞いた事もない鮮やかな景色と躍動感に溢れた物語。


「まるで、目にした事が有るかの如く」


 誰もがその景色を、鮫が共同で鯨を襲う姿を、ありありと思い浮かべたのだ。

 後に、那古野絵巻に描かれる程評判であった。

 だからと言って、それをここで再び論じる話か?

 浅野長勝の顔はそう物語っていた。


「その事を信行様にお尋ねする機会があってな。すると……」


 織田信行は「ほう、隠れなき弓達者はその様な話を好むか! なれば……」と別の話をした。

 それが此度の戦における作戦の肝である、林弥七郎はそう答えた。


「え?」

「それは鯨が他の鯨と組んで狩りをする話であった」


 小魚を浅瀬に追い込む。

 尾びれで大きな音を立てて、水の中でよく響く声で歌を歌いながら。


「鯨が水の中で歌を?」

「左様。聞いた事あるまい?」

「当たり前であろうが!」

「が、それだけでは無いぞ」


 鯨は協力し合い、小魚を一点にどんどん追い込む。

 そして、最後の仕上げとして水の中で潮吹き、泡の煙幕を張るのだ。


「何故に?」

「小魚にとって泡は有毒だから、らしい」

「泡が毒!」


 それは空気による牢獄。

 そこに押し込められ一丸となった小魚を、数頭の鯨が大口を開けて一斉に襲い、丸呑みにするのだ。

 言うなれば、包囲殲滅。


「そして、それが此度の戦、と申されたのよ」


 したり顏の林弥七郎。

 対する浅野長勝は、


「あ、あ……の、の……」


 僅かな言葉を発するのにも、苦労していた。


「如何した?」

「の、信行様は、な、何故、み、水の中を、そ、それほど、こ、事細かく、ご、ご存じ……な、なのだ?」

「………………」


 問われた林弥七郎は何も答える事なく、戦場を睥睨した。

 見れば、幕府軍の先陣が庄内川を越えんとしている。

 その奥には幾重にも重なる備えが控えていた。

 正に重厚長大。

 初戦とは違い整然とした足音が響き、空に掲げられた梯子が横一列に並んで徐々に近づいていたのだ。

 彼は徐に、懐から懐中時計を取り出す。

 そして、合図を待った。

 刹那、那古野大時計の鐘が鳴り渡った。

 すなわちそれが、林弥七郎の待ち望む合図、であった。


「撃て!」


 彼の号令と共に、南蛮砲が再び一斉に火を噴いた。

 それらは幕府方の後方を吹き飛ばした。

 結果、前へと押される軍馬。

 先備えの最前列は陣形を崩さぬ様、必死に堪える。

 つまり、結果として幕府方の軍勢は前方に押し固めて集められる形となったのだ。


 それを側面から挟むかの様に、女衆が変わった矢を射かける。

 それは斎藤龍興との婚礼で目にした、ツバメを模した飛翔体であった。

 違うのは腹が膨らみ、火縄に火が灯されている点だけである。


 火を点されたツバメはやがて煙と、女の悲鳴の如き音を出しながら滑空し始めた。

 頭から煙を被った雑兵は目を瞬かせ、音に痛む耳を無理やり塞ぐ。

 何事が起こったのかと、不安に苛まれながら。

 そんな彼らより混乱に陥ったのが、後に続く騎馬武者らであった。

 耳の良い馬が甲高い音に過敏に反応したのだ。

 興奮した馬が後ろ脚で立ち上がり、背に乗せた主人を振り落としていた。


 混乱の元となったツバメは砲撃の跡を優に超え、次第に視界から消えた。

 まるで、何事も無かったかの様に。

 だが、庄内川の河原は違う。

 はっきりとした、ツバメの飛んだ痕跡が残っていたのだ。

 幾つ筋もの煙がまるで飛行機雲の様に。

 煙はやがて広がり、一面が塗れる。

 枇杷島橋より下は何も見えなくなった。

 その景色を端的に表すならば、雲海、であろうか。


 那古野総構え上にいる多くの者が、その幻想的な風景に魅入られ、束の間動きが止まった。

 そんな中、林弥七郎は一人時計を取り出し、見つめていた。


「……そろそろだな」


 彼はそう呟いたかと思うと、


「二の弾を用意! 撃て!」


 大音声を発し、新たな命令を下した。

 音に驚き、体を竦める者数多。

 彼らは急ぎ、役目を果たそうと手足を動かし始める。

 やがて、基は太陽熱温水器の銅管であった物から「シュポッ!」と言う音と共に竿状の何かが、ほとんど同時に放物線を描いた。

 現代に生きる者が見れば、ロケット花火と口にしたであろうソレは空中で何かを吐き出し、そのまま落ちた。

 一方の、分離された側は灰色に薄汚れた綿毛となり、雲海の上に浮かんだ。

 薄灰色の綿毛とそこから伸びた軸。

 軸の先には種の如き容器が重り代わりに吊り下げられている。

 下から見上げれば、その綿毛は曇り空に見事に溶け込んでいた。


 綿毛は風に揺られていたかと思うと、突如燃え尽きて落ちた。

 それに続いて陶器の割れる音が幾つも重なった。

 直後、雲海の上に迄伸びた赤く蠢く舌。

 割れ散った壺に満たされていた鯨油に火が点き、燃え上がったのだ。

 その周辺から、痛みと恐怖による刺すような叫び声が幾つも起こる。

 神や仏に祈る声も聞こえた。

 だが、炎が止む気配はない。

 密集した陣形をより密にするかの様に、幾つもの火柱が立ち昇った。


 何度も何度も繰り返えされた末に、幕府軍はいつの間にか庄内川と那古野総構えとの間に集められていた。

 まるで、捕食者である鯨に追い立てられた小魚の様に。

 そこに、


「三の弾を用意!」


 林弥七郎の号令が三度轟いた。

 急ぎ配下の者が銅管に火薬を詰め、その上に切っ先を鋭く切り出した竹、言うなれば竹槍、を差し込む。

 全ての銅管で支度が終えると、


「穿て!!」


 それらは号令と共に一斉に火を噴いた。

 捕鯨の際は銛を飛ばしていた仕組みそのままに、今度は竹槍を空に向けて勢いよく放つ。

 その後ろを、弓矢が追った。

 黒い影が放物線を描きながら眼下の群れを襲う。

 その様はまるで鯨が大きな顎を開け、獲物を丸呑みにするかの様であった。


「ぎゃぁああ!」

「な、何が起きた? お、おい……」

「竹だ! 竹がふっ……ぐぁっ……」

「こっちは矢に刺されたぞ!」


 雲の下から叫び声が轟く。

 それも、


「下がれ! 前に出るな!」

「馬鹿野郎! こっちは前だ! 後ろに下がれ!」

「どっちだよ!? どっちが後ろなんだ……ぐぅっ……」

「死、死にたくねぇ……。儂は越後に奴……を……ぎゃーっ……」


 無数に。

 次に赤錆びた香りが溢れ出してきた。

 その臭いの濃さは戦慣れした武士が吐き気を覚える程。

 のみならず、人肌が焼き爛れる臭いが後を追って押し寄せてきた。

 これには、女衆の一部にすらも顔を顰め、青褪める。


 それでも、手を休める者はいかなかった。

 那古野の存亡がこの一戦に掛かっていると知っていたからだ。

 彼らは力の限り放ち続ける。

 放つ物が尽きるか、放つ力が尽きるか、寄せ手の命が尽きる、その機が訪れる迄。


 とうとう、その時が来た。


「竹槍が尽きた!?」

「矢も残り少ないだと!?」


 先に尽きたのは那古野総構え側であった。

 だがそれは、


「河原から小石を集めていただろ! それを袋に入れてから撃て!」

「投石せよ!」


 竹槍や矢に限っての事であった。

 石なら幾らでもあるのだから。


「敵が煙で見えない!? 見えなくとも間違いなくおるわ! どんどん投げ入れよ!」


 彼らは石を投じ続けた。

 那古野総構えを守る男も女も、老人も若者も分け隔てなく。

 片腕が疲れた者はもう一方の腕を使ってまで石を投じたのであった。




 やがて、徐々に霧散する眼下の煙。

 彼らがまず最初に目にしたのは、


「竹? ……ち、竹林が出来ておるぞ!?」


 であった。

 それも、モズの早贄よろしく、人を幹に縫い付けた竹林がだ。

 一つの竹に一つの贄が通されている。

 中には二つ、三つの体がある物さえあった。

 それは正に死屍累々な、地獄絵図の如き景色。

 那古野総構えの上にいる者は皆、一様に息を呑んだ。


 だがそれは一瞬の事であった。

 その先に、潰走する幕府勢の後ろ姿が目に入ったからだ。

 恐らくだが逃げる彼らは恐怖したのだろう、煙の中で突如襲う竹槍に仲間が次々と串刺しにされていく事に、その光景に。

 そして何より、頭が追いつかなかったのだ。

 数倍の兵を擁する自軍が為す術もなくあしらわている事実に。

 理解できぬ物は何より恐ろしい、それは人の性であった。


 途端に打ち鳴らされた鐘の大音。

 それに負けぬ程の大音声が総大将である織田信行の口から迸った。


「林弥七郎! 情けは無用だ! 最高射程で南蛮砲を放て! いやさ、撃て! 撃てーーーっ!」


 この日何度目であろうか、南蛮砲の砲火が一斉に点った。




  ◇




 幕府方が背を向けて逃げ惑う最中、俺の下には伝令が次々と駆け込んでいた。

 それらは勿論、


「鳴海口、北条を追い払った次第にございまする!」

「荒子口も同じく! 前田利益様が鎧袖一触(がいしゅういっしょく)! 北畠勢は敗走!」

「守山口も……」


 那古野総構えを守りきった報せである。

 いや、届く報せはそれだけでは無かった。


「今川氏真様! 駿河を攻囲せし北条方を蹴散らした次第!」

「井口から武田勢が後退! 前田利家様ならびに竹中重治様が一軍、武田信繁らを討ち取ったとの事!」

「幕府方水軍壊滅! 佐治水軍は東に向かうとの事でございまする!」


 そう、目の届かぬ程離れた場所においても、時を同じくして攻勢に出ていたのだ。

 結果は先の通り、全ての防衛拠点、防衛線で目論見通りに勝利していた。

 それも、佐治水軍以外は常備兵を殆ど使役せずにである。


(怖いぐらいに作戦が上手く嵌った。予定通りと言ってしまえばそれまでなのだが……)


 俺は僅かな違和感を覚えるも、


「信行様! 御下命願いまする!」


 と声を掛けられ、意識を戻した。

 振り返れば、そこにいるのはこの状況に備え、控えていた小姓達。

 どの者も逸る気を抑え様と、ウズウズしている。

 俺はそんな彼らに、揚々と声を放った。


「聞いたか者共!」

「ははっ!」


 小姓らは声を揃え、俺に答えた。


「守山口にて待つ柴田勝家に急ぎ伝えよ! 武田を追い返せ、とな!」

「は!」

「森可成は鳴海口からよ! 北条を東三河まで追い返し、後は信広兄者に任せよ!」

「丹羽長秀! あの者は荒子口よ!」

「ははっ!」

「簗田広正には信玄の首を取れと伝えい!」

「は!」

「国人衆並びに山窩、河原の者らには落ちた者らを刈らせよ! 降る者は生かせ! そうで無き者は、織田に歯向かいし者は生きて帰れぬと世に知らしめよ!」

「ははっ!」


 そして、最後の仕上げ——


「残りの者は我に付いて参れ! 清洲の岡本良勝を拾い、積年の恨みを晴らすべく、足利義輝の首を打つ!」

「ははーっ!!」


 俺は那古野総構え内の各口で待機していた、織田の軍馬を一斉に解き放った。

 彼らはあらん限りの力で引き絞られた弓矢の如く、那古野総構えから飛び出して行くだろう。

 女衆が中心となり迎え撃つ中、歯を食いしばり、堪えていたからだ。

 そしてそれは、俺も同じ。


「聞けぃ、皆の衆! 此度の出陣は足利義輝を討つか、織田領内から幕府方を追い出すまで続く戦ぞ!! それを成し遂げるまでは、ゆめゆめ那古野に帰れると思うな!!!」

「応!!」


 率いる将兵も同じなのだ。


「蹂躙せよ!」


 地割れの如き吼え声と共に、俺達は一丸となり幕府勢の後を追った。

 庄内川の水位が突如上がり始めるも、気に留めもしなかった。


 俺達は背を向け逃げる獲物目掛けて馬を走らせた。

 清洲にて岡本良勝らが荷馬車と共に加わるも、脚を止める事も無く。

 それは井口で前田利家らが軍列に加わっても変わる事は無かった。

 幕府方の殿(しんがり)が道を塞ごうと試みるも、何ら変わらず。

 蹴散らし、ただただ追い掛けた。

 俺の頭に有るのはただ一つ、


「足利義輝は如何した!?」


 だけである。


「僅かな近臣だけを連れ、東山道をひたすら上っているとの事にございまする!」

「なれば! このまま止まるまで追うぞ! 虎の恐ろしさをその体に刻んでやるのだ!」

「ははっ!」


 俺はここが勝負の分かれ目とばかりに、追い掛ける。

 悪御所を討つ、その事しか頭になかったが故に。

 それ程迄に、アドレナリンが出ていたのだ。

 まるで、久方ぶりに訪れた競馬場で朝一のレースから一度も負けずに最終レースを迎えたかの様な興奮状態。

 その日得た勝ち金の全額を注ぎ込もうとする、あの時と全くの同じである。


 だがそれは、懐の銭を全額賭する者は、俺だけではなかった。

 俺はこの後、その事実を目の当たりにする事になろうとは、この時は知る由もなかったのだ。

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