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#094 第三次稲生の戦(1)

「小細工なしに正々堂々と戦うと言うたが、あれは嘘だ! 今は戦国! 夜討ち朝駆けは戦の常道よ!」


 俺の言葉の通り、夜明け前の稲生ケ原は大混乱に陥っていた。

 それを更に助長する、


「……三、二、一、撃て!」


 南蛮砲。

 然るべき者に懐中時計を持たせてまでして、文字通り一斉に火を噴かせたのだ。

 結果、勢いよく飛び出した砲弾が幾重にも風切り音を響かせ、闇をズタズタに切り裂く。

 次の瞬間には轟音と共に閃光をほとばしらせていた。

 砲弾が敵陣深くに着弾し、と同時に生じる火柱が幾本も立ち昇ったからだ。


 背後から発する音と光、そして背を押す程の熱風に恐怖したのだろう、敵方の雑兵が戦場で唯一の安定した光源、那古野総構え上の明かりを我先に目指したのは必然であった。

 雑踏の音(・・・・)が暗闇から押し寄せて来る。

 姿は見えなくとも次第に大きくなる音、音、音。

 まるでホラー映画の一場面であった。


 固唾を飲み、音のする闇を注視し続ける。

 すると、暗闇から槍の穂先が突き出され、続いて足が生えた。

 それは土に汚れ、酷く浮腫んでいる。


(余程長い距離を歩いてきたのだろう。遠目から見ても、くたびれ果てているのが分かる。まるで、古びたブリキのおもちゃだ)


 雑兵は背後から聞こえる足音に押し出されるも、逡巡する。

 しかし、それは束の間。

 次の瞬間には全身を明かりの下に曝け出した。

 刹那、

——バシッ

 乾いた音が総構えの上で一つ響いた。


「ぎゃぁ⁉︎」


 すると、先の雑兵が足を滑らせ、転んだ。

 よくよく見ると、彼は両の手に強く握られていた筈の槍を手放し、胸元を掻き毟っている。

 悲鳴を上げた顔が苦し気に歪んだかと思うと、雑兵はゼンマイが切れたかの様に動きを止めた。


「見ましたか、女衆よ! 力無き女子(おなご)であろうと、織田信行様は戦える術を見出されたのです!」


 それを為した射手は名も知らぬ武家の娘。

 彼女は十字弓を両の手で掲げ、誇らし気な顔を那古野総構え上に居並ぶ女衆に向けていた。

 続いて、


「さぁ、修練の成果を見せよ! 一番手構え! 射て!」


 これまた別の女武者が勇ましい声を張った。

 直後、二ヶ月に渡る訓練の成果を見せるかの様に一千余の弓音が重なる。

 那古野総構え枇杷島口の上から射られた矢は、明かりに向かって次から次へと押し寄せる雑兵らの脚を止め、やがてはその灯火を消した。


 その様相は他の場所でも繰り返される。

 鐘の音を合図に、那古野総構えの各口で戦端が開かれていたのだ。

 同じ音が荒子口からも、鳴海口からも、守山口からも微かだが届く。

 こうしている間もバタバタと人が倒れ、積み重なっているのだろう。


 四半刻後、漸く東の空から雲間越しに赤みが差し始めた。

 俺は懐から時計を取り出す。

 見ると、


「五時二十五分か」


 昨日と変わらぬ日の出の日時。

 が、昨日までの重苦しさが打って変わり、実に清々しい朝であった。


(さて、これからが本番だな)


 俺は薄明かりの下、辺りを見回してからニヤリと笑った。

 と同時に、幕府方から甲高い鐘の音が響いた。


(これは、退き鐘……だな)


 枇杷島時計台の音を聞いた後では、実にしょぼく感じられる。

 眼下では那古野総構えに取り付こうと、つい先ほどまで躍起になっていた雑兵がよれよれと後退を始めた。

 俺は直ぐ様弓矢を止めさせる。

 そして、那古野総構えを検めさせた。


(大丈夫だとは思うが念のためだ。一箇所でも抜かれてたら一大事だからな)


 やはり、どこも破られてはいなかった。

 それを知った者らの張り詰めた心が弛緩する、そんな空気を感じた。

 仲間と顔を見合わせ、頬を緩ませる景色が彼方此方で見受けられた。

 南蛮砲の付近にいた者からは下卑た笑いが起きた。

 俺は声につられ、顔を向ける。

 見れば、女衆であろう者の顔が真っ黒け。

 南蛮砲から発した煤の所為で顔が汚れたのだ。

 黒人がそれを見て、声を荒げて笑う。

 それを機に、白い歯がそこかしこで闇の中に浮かび上がっていた。

 そこに、


「恐れながら信行様!」


 一人の伝令が駆け付けた。


「如何した!」

「はっ! 通信衆からに御座いまする! 幕府方先手衆、上杉輝虎が姿を確認!」

「で、あるか!」


 毘沙門天の生まれ変わりが生きていたらしい。

 薄明かりの下、上杉方の本陣を見れば確かに活気付いて見える。

 戦意を失わず、手際良く陣を立て直そうとしているのだろう。

 実に残念であった。


 今一方の先手衆、伊賀仁木勢に視線を送ると……何かがあった様だ。

 大砲により穿たれた穴の側で侍大将クラスが集まり、項垂れている。

 中には号泣していると思われる姿がチラホラ垣間見えた。


(あれ? あそこって……)


 そこは黒檀太郎が指し示した、上杉輝虎の居場所であった。


(……ま、まぁそうだよな。黒人に黄色人を見分けろってのが、そもそもな……。漢字だって未だに読めないし)


 つまり、誤認による誤射。

 ただ、一方の大将もしくは重臣の誰かは討てたらしい。

 初戦にしては抜群の戦果である。

 俺は更に遠方へと目を走らせた。

 見れば、幕府方本陣と幕府方先手衆との間で激しい人の行き来がある。

 次なる一手を如何するか、そのやり取りをしているのだろう。


 やがて、それは形となって表れた。

 枇杷島橋を挟む形で越後上杉勢と伊賀仁木勢が重厚な陣を敷き、その後ろに幕府方本陣の先備え、和田惟政が後詰め宜しく陣を構えたのだ。

 その更に奥には、


「丸に二引両! 悪御所の登場にございまする!」


 足利義輝の馬印。


(いよいよ本番か)


 前哨戦の終わりが音も無く告げられた、その瞬間であった。




 俺は視線を幕府方最前線に移した。

 そこは越後上杉と伊賀仁木の陣中、長梯子が幾つも立ち並び始めている。

 那古野総構えに立て掛け、一斉に越える腹積もりなのだ。

 つまり、幕府方は兵力差を最大限に活かす為、一気呵成な力攻めを選んだ証であった。


(もし、女衆の動員が無かったらと思うと……くわばら、くわばら)


 有史以来いつの世も、女性の参戦は憚られた。

 この時代では更に「縁起が悪い、バチが当たる」とまで言われている。

 だが、例外があった。

 拠点の防衛戦ともなると何故か黙認されるのだ。

 それが戦国の習わしであった。

 俺はその考えを「なら城塞都市の守り手として活用しても問題ないだろう」と捉え、那古野防衛戦の兵力に予め組み入れていたのだ。


(結果的には、女衆からの自発的な参戦があったのだがな。しかも想定以上の人数で)


 お陰で兵の配分に余裕が出た。

 だが、その事実を幕府方は知らない。

 彼らにとっては致命的である、と言えた。


 そもそも、彼奴等は石高や貫高を基準とし、そこから導き出される兵力をベースとして戦略を練っていると思われる。

 だがそれは、俺の率いる織田を相手にした場合、無意味であった。

 何故ならば織田家の収入、その多くが今では租税からではなく、那古屋などに代表される数々の事業から得ているからだ。

 時計や螺鈿細工の地球儀など工芸品、羽毛布団や蒸留酒などの高級嗜好品などの売買益は言うに及ばず、那古野銀行や那古野米市場からの手数料収入、悪銭や粗銅から金銀の抽出などなど数え上げればきりがなかった。

 それらからの、積もり積もった粗利はおよそ五十万貫。


(仮に一貫を十万円として計算すると五百億円だな)


 しかもそれは、日の本のみ。

 南蛮人相手のも加えれば未曾有の利益が生まれていた。


 だが当然、それらによる弊害もあった。

 幾つか挙げられるが最大の物は富が極一部に、織田家に集積し過ぎた事だろう。

 貨幣が市場から消えかけたのだ。

 それは人の体から血が無くなるに等しい事態。

 高等教育を受けていた俺はその危険性に誰よりも早く気付き、いち早く手を打つ事で金融危機を解消する事が出来たのだ。


(アレには本当に肝を冷やした。競馬や富くじを催した際に信長に頭を叩かれんばかりに怒られた経験があって本当に良かった。これぞ正に叩頭(こうとう)教育?)


 その際に打った対策が那古野総構え建造と不要城塞の破却、各国府の城塞都市化を含む様々な公共事業と、家臣の待遇改善であった。

 市場に銭が満ち溢れ、再び那古野経済が活性化される。

 続いて、書物や地球儀などの高級嗜好品が飛ぶように売れ始めた。

 結果、家臣の誰もが「田畑を頂戴するよりも給金に直結する職位を上げて貰いたい」と言う状況に至ったのは、不幸中の幸い、と言える。


 話が逸れた。

 何が言いたかったかと言うとだ、織田家には石高・貫高以上の侍を常時雇用する余裕があり、それは既に実行され一部国人衆は半ば帰農し、故に不要と目された城は破却され、残されたた防衛拠点である各城は城塞都市へと拡張され、その結果そこに籠城する人々は〝戦国の習わし〟以上に多い、という事である。

 つまり、俺は事前準備の段階で既に攻め手から一本先取している、という事なのだ。


 思えば、信長に代わり天下を望む、それ自体が身の程を弁えぬ大望であった。

 事実、あの信長ですら畿内一円を抑えるのに二十年以上の時を掛け漸く成し遂げたのだから。

 一介の平社員でしかなかった俺には荷が重く、それだけでなく、そもそも普通に考えれば不可能な事だ。

 現代でやり込んだ国盗りゲームじゃ有るまいしな。

 重要イベントも歴史通りには起きなかったし……。


 そう、信長と争った末に尾張を統一した直後、今川義元が攻め入って来たのだ。

 あろう事か、史実より二年も早く。

 当然、尾張国内は大きく揺れた。

 更には、俺は信長の忠臣達には悉くソッポを向かれてしまった。

 そんな最中、俺は現代知識を生かした作戦を立てた。

 その上で迎えた桶狭間での戦い。

 俺は自ら先頭に立ち、馬を駆り、戦火を潜り抜ける。

 今川義元自らが放った矢にて傷を負うも、何とか討ち取ったのだ。


 そして、攻め入ってきたお返しとばかりに織田家による東三河侵攻。

 事前に調略していた甲斐もあって、瞬く間に平定する。

 予想外に余った兵糧ついでに、と行った遠江侵攻戦では掛川にまで出陣して来た今川氏真と一戦を交えた。

 その戦いに勝った俺は敗走する兵を城に追い込む。

 逃げた今川氏真に籠城させ、渇え殺し寸前にまで追い詰めた上で降したのであった。


 北条や武田と同盟を結び、「さぁ、信長に成り代わって天下を望むか。ただし、極力戦をせずにな」とまるで某ゲームのシナリオモードをこれから始めるか如く考えていた矢先、尾張に突如伝えられた美濃斎藤義龍の訃報。

 尾張は再び大きく揺れた。

 何故ならば、その後を継いだ斎藤龍興は一色龍興を突如名乗り始め、尾張侵攻の野心を露わにしたからだ。

 更には、美濃と尾張の争いの間に漁夫の利を得ようと企む武田の影も見え隠れする。

 桑名を含めた北伊勢もまた、同じ動きを見せ始めた。

 木曽川の流域を中心として、空気が途端に張り詰めたのだ。


(天下を取る為にも、同盟を組んだ武田に東美濃を抑えられる訳にはいかなかった)


 俺は北伊勢に攻め込み、どさくさに紛れて東美濃に攻め入ろうとしていた武田が諦め、陣触れを解くのを待った。

 そしてそれが成るや否や、一目散に美濃に攻め込んだ。

 東美濃には騎馬武者を中心とした一軍を差し向けてまでして。

 正しく電撃侵攻。

 現代知識を基にした道路が整備されていたとは言え、史実ではあり得ぬ速さであった。


 北伊勢と美濃を平定し、漸く一息つけるかと思った矢先に伝えられた報せ。

 今度のは上洛要請であった。

 それも天子様直々の。

 聞けばどこぞの浪人者が僅かな手勢を率い、都から近い山城を落とした事が切っ掛けらしい。

 将軍不在の京の都、治安は著しい悪化の道を辿り、天子様の禁裏ですらも新月の夜は危うい、とまことしやかに噂される最中に起きた一大凶事。

 朝廷は蜂の巣をつついた騒ぎに見舞われた。

 京の都を抑えている六角へ治安の強化を打診するも、「三好との争いに兵を割き、治安維持には回せぬ」と取り付く島もなかったとか。

 そこで俺に白羽の矢が立った。

 海道一の弓取りとして名を馳せたが故にだ。


「まぁ、警邏活動だけならば良いか。その代わり、この機に貰える物は貰っておこう」


 事前調整で尾張守の官位拝領内示を受けた俺は意気揚々と入洛した。

 だが、そこで待ち受けていたのはとんでもない難題。

 三好と六角の争いに巻き込まれ末に都を離れた時の征夷大将軍、足利義輝の帰洛を叶える事であった。


(治安を恒久的に回復するには、将軍に帰って来て貰った方が手っ取り早いだろうしな。だが、何故俺が? 畿内騒乱の当事者じゃないから?)


 俺は渋々段取りを付け、当事者を集めた。

 和睦を促す為に。

 既に一年近く交戦状態にあった三好と六角は藁をも掴むかの様に和議の話に飛びついた。

 なのにあの悪御所は……


(俺を親の仇の如く睨みつけた。更には、あろう事か断首する勢いで太刀を振り払った)


 幸いな事に、前田利益の働きにより難を逃れる事が出来た。

 それにしてもあんまりである。

 足利義輝が出した数々の御内書、それを悉く無視したからとは言え。

 この時、俺は確信した。

 悪御所足利義輝はいつか必ず俺を討ち取りに来る、と。

 俺は正にこの時、この瞬間に「現代知識を総動員し、足利義輝を返り討ちにする」事を決意したのだ。


 そして、遂にその日が訪れた。

 足利義輝が数多の軍勢を率いて那古野に押し寄せて来たのだ。

 その兵数は総勢十六万。

 内、足利義輝が直々に率いる二万に加え、越後上杉が二万、伊賀仁木が一万の総勢五万が中山道を下り、那古野総構えを前に滞陣している。

 対する織田軍における枇杷島口防衛戦力は女衆の五千に鉄砲、大砲の担い手が合わせて二千。

 それに加え各奉行から集めた俺の直下が二百、総勢七千二百名であった。


 一万にも満たぬ那古屋総構え枇杷島口守護兵、対するは幕府方五万の精鋭が睨み合う戦場。

 そこに、一度は霧散した朝霧が再び立ち込め始めている。

 何処かで高らかに鳴く鶏。

 そよと吹いた風が火薬の香りを運んで来ては散らすのを感じた。


(……自分で思うのも何だが、俺達の戦いはこれからだ! 、で終わりそうな流れだな)


 だが、それだけは無かった。

 俺は、


「久太郎!」


 小姓の一人を呼ぶ。


「はっ!」


 そして、


「これからが本当の戦である! 十字弓を担う女衆らに対し、改めて手筈を確認させよ!」


 と告げた。

 ふと空を見上げれば、昨日より雲が厚い。


「天は我に味方した……か」


 俺はいつかは口にしたいと温めていた言葉を発し、ニヤリと笑った。

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