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#092 織田信行が鬨の声(1)

 永禄七年(西暦一五六四年)九月一日。

 この日、征夷大将軍足利義輝は東征を開始した。

 揃いの真新しい軍装に身を包んだ一万もの軍勢を率いて。

 出征太鼓を打ち鳴らしながら。

 都大路はそれを一目見ようと集まった群衆に溢れ、賑わった。

 勇壮さに触れた人々は我を忘れるほど興奮し、声を荒げ拳を振り上げた。

 威風堂々とした将軍を馬上に認めた者などは、その場で感涙した。

 まるで神仏の加護を得たかの様に。

 それもその筈、都に古くから住まう者からすれば、足利義輝は廃墟同然であった場所を帰洛と同時に復興し、更には今一度日の本の政治の中心地に戻した英雄。

 崇め奉るのも当然であった。

 故に、集まった者らは等しく戦勝を願い、いつまでも軍列を見送ったそうな。

 そんな者らに送り出された軍勢が目指すは尾張国那古野。

 整備された東山道(現代でいう中山道)を行軍すれば、三日も経ずに辿り着ける。

 途中で近江や伊賀、それに他国の大名、国人衆が率いし軍勢と合流する事を考えても、四日も有れば余裕であった。


 道中、軍容は次第に厚くなる。

 一万が二万になり、二万が三万と膨れ上がった。

 それに比例し、旗指物の種類が増えていった。

 様々な塗り方をした大弓が何千張りと空へ伸び、長短様々な槍が日の光に輝く景色はまるで水面。

 何処までも続く軍馬の群れは川と化し、やがては龍となり空に昇るが如く見えた。

 山の頂きに止まり騒がしく囀る〝鳥〟には、確かにそう見えたのであった。


 しかしこの日、その様な風景が東山道だけで見られたわけではなかった。

 大きく分け四つの街道が軍馬に溢れていたのだ。

 その四つとは飛騨街道、伊勢街道、甲州街道、そして東海道である。

 それぞれを日の本を代表する戦国武将が率いていた。

 その大将の名は上杉輝虎、北畠具教、武田信玄、それに北条氏康。

 いずれも朝廷や幕府から代々重職を任じられる名家中の名家であり、現に関東管領や執権を拝命する者らであった。

 その様な武将が各々二万前後の軍勢を率いる。

 街道に近しい織田領内の村や町から人影が途絶え、ある者は山の奥、川の辺に息を潜め、ある者は高い堀に囲われた城下に身を寄せた。




  ◇




 那古野城評定の間は日に日に緊迫の度合いを増していた。

 そこに、足利義輝の率いる軍勢の一挙手一投足が日を跨ぐ事なく届けられる。

 鳥笛により奏でられし、モールス信号によって。


「足利義輝の軍がついに三万か。して蔵人、その他の軍勢は如何程か?」

「はっ! 北畠具教が二万、上杉輝虎が二万、武田信玄が二万、北条氏康が……六万、にございまする!」


 ほ、北条が六万!?

 俺は内心、驚いた。

 北条の兵力は最大でも三万程度かと予想していたからだ。

 それが倍。

 総大将である足利義輝よりも多い兵数。

 主要拠点には近隣から兵を募り、篭るように命じていたが、六万の軍勢は幾ら何でも「そりゃぁないよ」であった。

 駿府の城下が血に塗れる、そんな地獄絵が脳裏に浮かんだ。


「駿府は五千の兵にて籠城! 北条は一万を攻囲に残し西進!」

「駿府を素通りした!? 氏康は那古野を先に攻める腹か!」

「我らを討った後、降伏を勧める腹積もりかと。しかし、これは助かりましたな!」

「ああ! にしても、北条は一体何処から兵を掻き集めた!?」

「里見氏、佐竹氏らの旗印があるらしく、恐らくは執権の命と称し関東から兵を集めたかと思われまする!」

(お、おのれ関東の田舎侍ども! 小田原攻めの時といい、いとも容易く権威に靡きやがって!)


 俺は自然と眉間に力が込もる。

 当然の如く寄る皺。

 しかしそれを、更に深く刻む報せが齎された。

 それは、


「朝倉と浅井の旗が見えぬ?」


 であった。


「はっ! 一向宗による足止めが功を奏していると思われまする」


 本当だろうか?

 本多正信には酒井忠尚ら三河一向門徒と共に加賀入りし、勢力を築くよう申し付けてはいた。

 が、越前朝倉の足止めを命じたりはしていない。

 俺はそこに、引っ掛かりを覚えたのだ。


「空誓!」

「はっ!」

「本多正信に遣いを! 門徒の逸る心を抑え、乾坤一擲の機を窺うべし、とな」

「ははっ!」


 織田領内にて一向宗を束ねる空誓、彼は立ち上がると、急ぎ足にて評定の間を後にした。

 猶予はない、それを悟った上での行動であった。


「よし、次だ! 駿府の今川氏真、美濃大垣の氏家直昌、東美濃の岩村との信号の遣り取りは絶えておらぬな?」

「駿府今川氏真殿、攻囲されるも問題は生じておりませぬ!」

「大垣氏家直昌殿、未だ敵兵の姿見えず!」

「岩村城遠山景任殿、同じく!」


 以上の挙げた者らには、最初に幕府軍と対峙するであろう城の守将を任せている。

 いずれも堀を巡らせ、その内に城下を抱える様改修していた。

 数門の南蛮大砲も移設してまで。

 言うなれば西洋風の城塞都市。

 だが、駿府の話が出た際にも述べたが如何に堅牢な城塞都市に生まれ変わったとは言え、数万の兵が一度に押し寄せたならば陥落は必至であった。


「ふむ、という事は……」


 俺は視線を津々木蔵人に向け、続きを述べさせた。


「はっ! 幕府軍は途上の城を包囲に留め、那古野にて軍勢を集められるだけ集め、多方面から一気に攻め落とす策かと思われまする!」


 つまりは、


(ランチェスター戦略、それも第二法則……か)


 を地で行く作戦だ。

 同じ兵力であれば、武器効率の高い方が勝つ。

 逆に言えば、武器効率が同じならば兵力の多い方が勝つ、と言う事である。

 それがランチェスター第一法則。

 それを更に昇華させたのがランチェスター戦略第二法則だ。

 集団対集団の戦いに際し、相手の一つの纏まりに対し集団で、それも同時に襲えば戦果が兵力差の二乗に比例するとか言うな。

 何故か元いた会社の研修で学んだ。

 先の法則により、市場ないしは取引先における売上一位にならなければならない理由が分かる、と言われてな。


 だがそれは、平野での砲撃戦において最も活かされる法則、だった筈。

 攻城戦、取り分け那古野総構えに守られた那古野、と言う強大な城塞都市を前にしては意味を為さないと思われた。

 故に俺は顔の中心に深い溝を掘るも、気持ちにはまだまだ余裕があった。


「されど、然程問題はございますまい」


 俺の心を察し、津々木蔵人が言葉に表す。

 まるで以心伝心。

 尾張一の美顔は、童が束になって掛かって来ようとも所詮は童、と言わんばかりである。

 俺は小さく頷くと幕府軍の指した手を軽く総括した後、返す手を次々に示した。


「佐治為興!」

「は!」


 佐治為興は俺の妹であるお犬を娶り織田の一門に連なった、織田水軍の頭領である。

 俺はその男を呼んだ。

 訳は、


「北条は関東中から水軍をも掻き集めている筈。御主は那古野大湊に攻め寄せる、それらを含めた幕府方水軍の相手を致せ!」

「ははっ!」

「そして、彼奴等を沈めし後は東に舵を取るのだ!」


 伊勢の水軍を蹴散らかした織田の水軍が関東からわざわざ出張る烏合の水軍に負ける、そんな事は決して有り得なかった。

 何せ織田水軍の主力船は、大海原を渡り切る程堅牢な南蛮船。

 元々積まれていた南蛮砲の代わりに臼砲を積んではいるがな。

 しかし、随分と改装した。

 結果、多段の砲列が船の側面にずらりと並んでいるのだ。


(精密な砲撃が出来ない事に対する苦肉の策だがな。お陰で、点ではなく面で敵を制する事が可能になった)


 その船影は未来の戦列艦。

 単縦陣戦法を駆使して強力な攻撃力を誇った、近世における主力戦艦である。

 ある時代においては、保有する国家の象徴、とも言われていた。

 それ程に破壊力を有している船種なのだ。

 それが——


「東にございまするか?」


 向かう目的は一つ。


「左様。織田に矛を向けた以上、許す訳には行かぬ。彼奴等の湊と残った船を砲撃し尽くせ!」

「ははっ!」


 それに加え……


「木下藤吉郎!」

「はいだがや!」

「藤吉郎は手の者と船に同船! 武蔵国に新たな城と湊を築け!」

「城と湊? 何処きゃあ?」

「隅田川の河口にだ。石川島……いや、今は森島と鎧島と呼ばれる島がある。そこよ!」


 これが後世に名高い、日の本のモン・サン=ミシェル、誕生の瞬間であった。


「では!」

「ああ、幕府軍を追い払った後、北条を東西から挟撃。と同時に武蔵国一円を獲る!」


 北条氏康は六万もの軍勢を率いている。

 それも態々関東の国々から兵を集って。

 足利義輝が私戦禁止を言い渡し、関東を根城とする大小戦国大名はそれを不承不承信じたのだろう。

 いや、執権と言う幕府の権威に順じる事にしたのだ。

 その結果、関東には兵が僅かしか残っていないと思われる。

 いや少なくとも、新たにまとまった兵を集め、別の戦をする余裕はない筈だ。

 兵を出した味方が敗戦したと知れば、尚更である。


 故に、


「柴田勝家!」

「はっ!」

「準備は出来ておるか?」

「これより千里を駆けろと命じられようとも、全く可能に御座いまする!」


「森可成!」

「この三左! いつでも鬼に成り変わり、槍働きを務めさせて頂きまする!」


 馬等の準備は万全である必要があった。

 加えて、その機会を得る為にも——


「林弥七郎! 大砲は如何か?」


 林弥七郎、隠れなき弓達者の異名を持つ武士。

 その男は今や、


「各口の南蛮砲、その他各種砲も些かも遺漏ございませぬ!」


 砲術の第一人者であった。


「なればこの先、何時でも撃てる様にしておけ!」

「は!」

「次だ! 山窩衆、河原衆を含めた、守兵の配置は如何程進んだ?」


 俺のその問いに答えたのは佐久間盛重。

 那古野城の攻防以来、幾度と織田を守護する壁となり砦となった武将である。


「はっ! 御前様の御言葉により、守手が余る程にございまする」


 彼が言う〝御前様〟は俺の正室である荒尾御前の事である。

 そしてその〝御言葉〟とは、彼女とその盟友? であり、俺の側室でもある高嶋の局がその文才を余すところなく発揮した檄文の事であった。


——

 信行様曰く、犬ですら三日飼えば三年恩を忘れぬ。

 にも関わらず此度の足利義輝が振る舞いは一体何であろう?

 だが、信行様はこうも言われた、猫は三年の恩を三日で忘れる、と。

 成る程、信行様に大恩を受けた身でありながら攻め寄せる足利義輝は猫なのであろう。

 かえりみれば、足利義輝は長年人に飼われ続けてきた。

 細川殿然り、三好殿然り、最後は六角殿然り。

 しかし、いずれの家も今は往年の勢いは失い、中には絶えたものすら有る。

 さて、皆も知る通り信行様は足利義輝の帰洛を助けた。

 やはりと言うか、足利義輝は信行様に対し、あろう事か切腹を命じられた。

 実に、三日で恩を忘れる猫、とは言い得て妙である。

 されど、笑って許せるのはここまで。

 今は虚実入り乱れし戦国の世。

 なればこそ、実に兵を挙げ、攻め入る構えは許せぬ。

 何故ならば、那古野は今天竺。

 西方浄土の如き場となりし今、決して荒らしてはならぬが道理。

 故に、我らは守らん!

 恩を忘れし悪猫の手から!

 故に、我らは払わん!

 自らを虎と勘違いせし猫の手を!

 故に、我らは潰さん!

 鼠を追わず、ただ餌を食むだけの猫なぞ、飼う価値など無いが故に!

 この世に神虎の代わりは無く、信行様に並ぶ将は一人も在らじ。

——


 これにより、那古野城下は言うに及ばず、岡崎、曳馬、掛川、駿府に多すぎる程の人が集ったらしい。

 それも婦(腐?)女子が中心となって。

 所謂ところの義勇兵である。

 元々婦女を守兵として招集する考えはあった。

 何と言っても兵数で十万の差。

 先に挙げたランチェスターの法則にもある通り、兵力は少しでも拮抗した方がいいに決まっている。

 城塞に守られた身であったとしてもだ。

 だからこそ、女子供の力でも武士を討ち取れる十字弓、その増産を命じたのだ。

 が、志願して戦線に加わるのと、命じられるのとでは士気が雲泥の差。

 当然の如く、戦果に大きな差が現れるのだから。


 だがしかし?

 予想以上の動員に誤算は生まれる。


「戦が長引けば、各城に用意した糧食が足りぬやも知れませぬ」


 胃袋が増えれば増えるほど、そこに納める物が必要となるのだから。


「米だけでなく、麦や蕎麦も使え! 此度の戦、五日と掛からぬ内にしまいじゃ! ケチらず渡してやれ! 無論、余ったのはくれてやるのだぞ!」

「ははっ!」


 腹が減っては戦は出来ぬ。

 ならば、満たしてやれば良い。

 それが美味ければ尚良し。

 余れば手土産にくれてやろう。

 つまり、戦が早く終われば終わるほど、実入りが増える計算だ。

 その日暮しの長い雑兵からしたら驚愕の大盤振る舞い。

 俺からすれば使い古された手だが、それで士気を大いに鼓舞するのだ。

 結果、兵はやる気を漲らせ、将はその手綱と共に自らの気を引き締める。

 将兵共に万全の態勢が出来上がると言う事だ。

 後は俺の、織田信行が鬨の声を上げるのみ。


「皆の者! 征夷大将軍に! 我ら那古野の戦作法! 御照覧頂こうではないか!」

「ははーっ!」


 そしてそれは今、那古野に響き渡った。

いつもご覧頂き、誠にありがとうございます。

また、本作の書籍版をお買い上げ頂いた皆様にこの場を借りて、御礼申し上げます。

本当にありがとうございました。

お陰をもちまして、二巻が出せるはこびとなりました。

重ね重ね御礼申し上げます。

引き続き、なろう版も応援頂けますと大変嬉しく思います。


H29.07.13 ツマビラカズジ

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