#009 長い一日
織田信行と成りて、早十数時間。
その間、見覚えのない母親との邂逅があり、名前すら知らない信行の重臣達との評定があり、兄である信長との命を賭した戦いがあった。
何とか戦いに勝ち、戦後処理を終えるも、帰るべき自宅(末森城)は遠かった。
疲れ果てた体に鞭打ち、馬に乗る事一時間、漸く体を休められる、心を落ち着かせられると思っていた。
なのに……まだまだ一日が終わりそうにない。
時は亥の刻(午後十時)。
寝屋の布団の上に仰向きとなった俺の上に、全裸の少女が跨っている。
その手に短刀を握りしめて。
俺の頬からは血が一筋、滲み出ていた。
「聞こえておりますでしょう? さぁ、貴方様は誰なのですか?」
「わ、私は……」
正直には答えられない。
まさか今より数百年後の時代からタイムスリップ憑依? もしくは転生? しているなど、口が裂けても言えない。
夢を見ているとも言えない。
どうやっても、信じて貰えないと思うからだ。
下手したら狐憑きとされ、屠殺されかねないからな。
「お、恐らく……」
「恐らく?」
ならば……記憶喪失か?
はたまた、落馬の際に頭を打ち、人格障害が起きた事にするとか?
……それだ!
風の噂によると、それが良いらしいからな。
「頭を強かに打ったが為、些か心が乱れているようなのだ」
俺の言葉に全裸の少女は答えない。
その代わり、握っていた短刀を俺の右瞼の真上で構え直した。
「う、嘘では無い! 頭を打った際に記憶も無くなった様なのだ! そ、その証拠が、わ、私が織田信行である証拠がこの身体だ! お主も私の室ならば存じておろう、この身体がまっこと織田信行の物であることを!」
俺は目で「確かめてみよ」と訴えかけた。
少女は訝しげな視線を俺に送った。
「……いいでしょう。確かめましょう。ですが、妙は動きを見せた場合、問答無用に刺しましょうぞ?」
俺はコクコクと頷いた。
すると、全裸の少女はゆっくりと寝ている俺の足元へとずり下がる。
短刀の刃先を使い、
(あっ、つ、冷たい……)
俺の倒れている物をひっくり返されると、
「……確かに」
一言呟いた。
そして、白い着物を軽く羽織り、短刀を転がっていた鞘の中にしまい、三つ指をついた後、
「信行様、どうかお許し下さいませ!」
頭を床に擦り付けんばかりに下げた。
俺は胸を撫で下ろした。
「ゆ、許す!」
少女を抱き起こした。
大きな瞳が震えて見えた。
優しく肩を抱いてやると、少女は体を俺に委ねた。
(ふぅ……)
どうやら、命の危険は去ったらしい。
が、しかし、
(信行となって最大の危機が戦場ではなく、寝屋にあるとは……。恐るべし、戦国時代! 無事に明日の日の目を拝めるのだろうか!? いや、然にあらず! 明日の朝一、評定が行われるんだった。万が一、その場でもボロが出たら……)
悩みが尽きる事は無かった。
そこでだ。
「少女……では無く、荒尾御前?」
「はい」
「私を助けてくれぬか?」
「はぁ……」
「先に申した通り、頭を打った以降の記憶しか、私には無いのだ」
「そ、それは!」
目を見開く荒尾御前。
彼女のそんな表情も愛らしく思う。
……ほんの少し前には、そんな彼女に殺されかけてたけどな。
「あぁ、大変な問題だ。家臣の顔と名前を知らぬ。この城の事も、所領の事も知らぬ。それどころか、この”織田信行”の事すら全く知らぬのだ。このままでは政務は滞り、家臣の心、領民の心は離れ、争いには敗れ、ゆくゆくは私の身に起きた事が暴かれ、”狐憑き”やら”物の怪憑き”と噂されれば、私にかかわった者らも含めて……」
「族滅……」
俺は小さく頷く。
荒尾御前は余りの事に、両の手で口を覆った。
「であるからこそ、私を助けて欲しい」
「……はい」
脅しが効きすぎたのか、少女が俺の腕の中で小さく震えだした。
俺はそんな少女を優しく包み込む。
すると意外な事に、少女の体が再び熱を帯び始めた。
「す、すまない。今一度言ってくれないか?」
「はい。信行様のお父上であらせられる信秀様は、多くの室を迎えられ、また、お子に恵まれた故、信行様には二十人以上のご兄弟がおられまする」
(に、二十人以上の兄弟だと!? む、無理だ! お、覚えられる自信がない! いや、マジでどういう事なんだ? 本当に一人の男がそれを為したのか? しかも、若死にした筈だよな!?)
「ち、ちなみに私は何番目の子供なのだ?」
「恐らく……」
(お、恐らく!?)
「四番目のお子かと。信広様、姉の犬山様、信長様の次である、と嘗ての信行様から聞いております。ただ……」
「ただ?」
「他にも庶子がいると、時折呆れ果てておりました」
(おいおい、我が父上よ! どんだけ好色なんだよ! まさか、毎日違う女を抱いていたのか!?)
「また……」
「ま、また?」
(えっ、何? 他にもあるの? こ、怖い。我が父が怖い。俺のこの身体にも、その血が流れているのが怖い……)
「信秀様には大変多くの小姓を抱えられておりました」
(こ、小姓? あぁ、俺の後ろに並んで座っていた、あの坊や達の事か? それが……何か?)
「……その心は?」
俺は恐る恐る尋ねた。
しかし、荒尾御前は答えなかった。
ただただ顔を真っ赤に染め上げ、俺の顔を見つめただけであった。
俺はその瞳を見つめ返した。
綺麗な瞳だ。
俯く荒川御前。
夫婦だと言うのに、見つめられると恥ずかしいらしい。
そんな姿を見て、俺は素直に可愛いと思った。
俺は彼女を引き寄せた。
花の様に愛らしい唇。
そんな彼女の唇から出た言葉は、俺からすればおぞましい代物。
「男色の相手……に御座いまする」
であった。
「……えっ?」
はて、何と言ったのだろう?
「”だ”、”ん”、”しょ”、”く”。 男色……です」
やはり意味が分からない。
頭がその言葉を受け付けようとしない。
私の父には妻と、多くの愛人がおり、その間に少なくとも二十人の子供がいる。
なのに?
「だ、男色?」
「はい」
「あの、男と……男が……その……差しつ差されつする?」
「……はい」
ますます荒尾御前の顔が、耳が真っ赤になった。
なるほど、この時代でもそうなのか。
女子とは罪深い事を想像するものよなぁ……って、ウチの父親の場合、現実にそうらしいけどな!
っていうか、バイセクシャル?
「な、なんでまた……」
その様なご趣味をお持ちになったのですか、お父さま?
「弘法大師様が唐国より伝えられたそうです。以来、公家は元より武家においても……」
(それ、何て”弘法も筆の誤り”!? 筆だけになー!)
「……そ、そうか。良く知っておるのだな、荒尾御前よ」
「……いいえ、それ程でも。武家の娘の嗜み故に……」
「……で、あるか……。ち、ちなみに兄上にも?」
「はい。信長様には正室の帰蝶様、側室の生駒様、坂様、原田様がおられまする。また、男色のお相手も河尻殿や前田殿を筆頭にそれなりに……」
こ、怖い。
戦国時代が怖い。
醒めるなら、今すぐ夢よ醒めてよ、この悪夢!
がしかし、この夢は何処までも非情であった。
「あの、信行様も……」
「……な、何かな?」
「室はわたくし以外に……」
「えっ、荒尾御前以外にも嫁御が!?」
(け、けしからん! 実にけしからん! ハーレムなんて羨ましいものは、もっての外だ! しかも、転生したらハーレムを作るまでがお約束なのに、既にハーレムがあるとはこれ如何に!?)
「はい。高嶋の局に御座いまする」
「その一人だけか? 他に嫁御はおらんのだな?」
「はい……」
「そ、そうか……」
(よ、良かった! これならハーレムじゃ無いよね!? ハーレムは四名か五名からだよね!?)
「ですが……」
荒尾御前の顔が再び火照り始めた。
手団扇でしきりに顔を煽っている。
「……ですが?」
何やら酷く嫌な予感がした。
「ですが、信行様にも津々木蔵人殿らが……」
「津々木蔵人……ら?」
俺は耳を塞ぎたい衝動に駆られた。
「津々木蔵人殿とお側に侍らされている小姓の子らは、信行様の男色相手に御座いまする」
「アーッ!?」
「ひぃぃ!?」
「す、すまぬ! しかし、それは本当の事なのか! まっこと彼らは私の男色相手なのか!?」
「は、はいぃ……」
(う、嘘だろ! 嘘だと言ってよ)
「バーニィ……」
「はい!?」
「い、いや、何でも無い。そ、それよりもだ、緊急事態だ! お、俺、いや、私に男色など無理だ!」
きょとんとする荒尾御前。
やがて気を取り直し、
「そ、それは、記憶が無いだけで御座いましょう? きっと、きっと体が覚えておりましょう!」
拳を握り、俺を勇気づけようとした。
「(何故そこを勇気づける!?)いや、そこに力を込められても……。と、兎に角、無理だ! 俺に男色は無理なのだ! なぁ、荒尾御前! 何とかならぬか!? こ、このままでは、いずれは私の記憶が失せた事が公となり、私や私に関わる者が悉く害を受けるやも知れぬぞ!?」
「それは甚だ困りまする! しかるに、わたくしだけでは手に余りまする! せめて、今一人の者を頼られては?」
「高嶋とやらか?」
「はい!」
「ならば呼ぼう! ただ、今からでは些か遅すぎはしないか?」
「信行様のお召しとあらば、一切問題ありませぬ!」
「左様か! であるならば!」
こうして、高嶋の局が俺の寝屋を訪れた時には、既に子の刻を過ぎていた。
がしかし、この”長い一日”はまだまだ終わりそうもなかった。
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