#088 幕間 東西予言対決
永禄六年(西暦一五六三年)十月、尾張国 那古野
稲が刈り取られてから久しいある日、那古野大湊に南蛮船が入港した。
それも待望の品々を乗せて。
それは日の本では決して手に入れることが出来ない、西洋の職人らであった。
「思いの外早い。ジョバンニ、妻子も乗り合わせていたと耳にしたぞ! 良かったではないか! それにしても、早いな! お主は如何なる手を使った?」
「特に何も。ベネチアまで最も早い航路を選択したまでにございます。書簡であれば三月もあれば届けられますので」
俺にとっては予想を上回る短期間。
思わず、返答が遅れた。
「……で、あるか。にしても早い。一体、如何なる航路か?」
「であれば、主要な港を挙げさせて頂きます。博多をポルトガル船にて出ましてからマカオ、マラッカ、ゴアと渡ります。その間、およそ二月弱でしょう」
「それは偽りではないか? トーレスめは、ゴアから薩摩に至るまで四月は掛かったと申しておったぞ」
「運ぶ荷が人であれば、その通りでございます。船旅は人を弱めますから。その為、一旦寄港する度に上陸し、少なくない期間体を休めるのです」
俺は「成る程な」と頷き、先を促した。
「ゴアからはかつてベネチアに巨万の富を齎した東方交易路を用います。具体的にはゴアからメッカ、スエズ。そこから陸路を経てアレキサンドリアに向かい、最後に再び船に乗りベネチアへ、となります」
(あぁ、アフリカ大陸を回る、喜望峰ルートを使わなかったのか。まぁ、その方が距離が短いしな。それに……)
「御察しの通り、喜望峰を通る航路は四隻中二隻が難破する難航路。重要な書簡を届けるには適当ではありません。加えて、先ほど申しましたが、ゴアからは実績のある交易路がございます。それを用いればベネチアまで僅か四十日。もっとも、近年はオスマン帝国の伸張により、ベネチアの手から溢れ落ちておりました。ですが、オスマン帝国に与する事で再び取り戻したのです。それもこれも信行様のお力添えあっての事。感謝の念に堪えません」
ベネチア共和国大使、ジョバンニが恭しく頭を垂れた。
俺はそれを複雑な思いで見つめた。
(カピチュレーション……)
オスマン帝国は通商、租税免除、自由な居住権を認める特権に加え、ベネチア共和国に対し国そのものの保護を条約に加えていた。
広義で見れば、同盟国、とも言えるだろう。
だが、俺は思うのだ。
それを勧めたのは確かに俺だが−−
「……それで誠に良かったか?」
「少なくとも、二百年後の滅亡は避けられる、との判断致しました」
「であるか」
「ですが……」
ジョバンニが顔を曇らせる。
俺は再び、先を促した。
「ですが、キリスト教の国々をいたずらに刺激する事になったようでして……」
「ここに来て濁すな。委細申してみよ」
「トリエント公国での会議において、席を立ったはずのプロテスタントが再度加わったらしく」
「な、なんだと!?」
自分でも驚く程の大音声。
部屋がミシリ、と鳴った。
「ヴァ、ヴァシーでの虐殺は如何した? 数千人のプロテスタントが被害にあったはずであろう?」
「いえ? そのような話、本国からは届いておりません」
「まじで!?」
「ま、まじ? 本当か、と言う意味でしたら誠の事です」
思い返せば、ポルトガル商人に〝ヴァシーの虐殺〟のあらましは伝えていた。
それがプロテスタントの耳に入り、回避する事が出来たのだろう……多分。
にしても、まさかトリエント公会議にプロテスタントが再び参加するとはなぁ。
世の中、何が起きるか分からないものだ。
心ここに有らずな俺をよそに、ジョバンニは話し続ける。
「それに恐らく……いえ、ここから先は日の本には関係ないか……」
「いや、そこまで申したなら最後まで口にせよ! (物凄く気になるからさ!)」
「そうですか? では……恐らくですが、カソリックとプロテスタントが積年の怨讐を乗り越え、手を携える事になりそうです」
俺は一瞬、意識が飛んだ。
余りの事に驚いた所為だ。
カソリックとプロテスタントが和合? 有り得ない……
あれらは教義の大本となる聖書すら異なる。
それ程、互いの事を決して相容れぬ存在としていたはずなのだ。
(何だ? 一体何が原因だ? 天変地異の前触れか? それとも欧州に逆行転生者でも現れたか? もしくはアレクサンダー大王の再来とか……。いずれも有り得るな。何故ならば、俺がこの時代に存在するだけに、どんな荒唐無稽な夢物語も否定出来はしないのだから……)
俺は何とも言えない恐怖を感じた。
だがしかし? その一方で、これは歴史の一大転換点を迎えた、と喜ぶ俺もいる。
何故ならば、カソリックとプロテスタントが争わないのであるならば、欧州全体を巻き込んだ戦乱の端緒でもある、フランスにおいて四十年に渡って繰り広げられたユグノー戦争、それが起きないと言う事なのだから。
例え遠い異国の出来事とは言え、
「それは僥倖かな。一先ず四十年戦争が避けられ、犠牲になるはずだった無辜の民が救われるゆえにな」
であった。
「確かに。それに加え、オスマン帝国とキリスト教圏の国々との中継国としてベネチアは新たな商機を見出し、大変な盛り上がりを見せているとか。これもひとえに、信行様のお陰かと」
「ふふふ、存分に感謝しろ」
「勿論です。そこで! 本日は特別な品をお持ちしました。こちらにございます」
そう言って、ジョバンニが風呂敷の中から煌びやかな箱を取り出す。
その箱を開けると、中からは六センチ前後の丸い、二枚貝的な金の塊。
草花模様の極めて細かい細工が表面を覆っている。
中からは、カチカチという音が絶えず響いていた。
「これはもしや……時計か?」
手に取り、竜頭であろう突起を押す。
すると、「パカリ」と蓋が開き、思った通りの時計盤が現れた。
「!! ま、まさか一目で、蓋すらも開けず分かるとは! 流石は信行様!!」
(いや、どう見ても懐中時計だし。しかし、この時代に既に懐中時計があったとはな! これは−−)
「実に有難い! しかし、何故時計を?」
「那古野に初めて参った折、たまたま岡本良勝殿が脈をとりながら時を計っているのを拝見し、時計があれば、と。その足で本国に時計の手配を頼みました。すると、幸いにしてユグノーとして迫害を受けていた手工業者がベネチアの伸ばした腕に掛かり……」
カルバン派の手工業者、時計師を含む一部が那古野に流れて来たらしい。
(何と都合の良い事!)
俺は心の中で、キリストに感謝を捧げた。
「これで色々と捗るな」
時計師により旋盤が齎されるだろうからな。
しかし……
「クロノメーターではないのが実に残念だ」
「ク、クロノメーター?」
「揺れや温度変化に強く、竜頭を巻いても針が止まらぬ時計の事だ(ったはず)。長い航海を経ても時が僅かしかずれぬ」
「そ、そのような物が……。ニュンベルグの時計師すら知らぬ技術……。真なる預言者とは一体何れ程先の未来を……」
ジョバンニが難しい顔をし始めた。
俺はその事を気にもとめず、
(振り子の法則と、それを活用したアイデアだけを岡本良勝に伝えておくか)
ニヤリと笑った。
俺は再び、話題を南蛮船に戻した。
「それにしても此度は大船団だな」
これまで以上の南蛮船。
数にして二十隻に及んだ。
それ程の船が那古野に集まった理由、それは銀の高騰と朝廷による〝異国への日本人奴隷売買禁止令〟が出た所為であった。
結果、博多に行くはずの船が那古野に行き先を変えたのだ。
「博多湊は風前の灯火、か。しかし、明からの品はほとんど生糸と言うではないか? ジョバンニ、何故硝石が入らぬ?」
「ポルトガルが新大陸探索に必要と称し、大量に集めているとか」
「で、あるか……(あぁ、これも俺が原因か)」
「その代わり、明から職人を引き連れて参ってるかと。いずれも日の本には未だない技術を有しているはずです」
「それは助かる。高禄で召し抱えるゆえ、これからも技術有するものをどんどん連れて参れ」
「有り難うございます。そういう事でしたら、是非ともお聞き頂きたい、新たなお願いがございます」
「なんだ? 言うてみい」
「実は……大変心苦しいのですが、預言者の噂を聞きつけたフランス王家が自国の予言者と予言(未来視)対決をして欲しい、と本国ベネチアが口添えを頼まれまして……」
「予言……対決……、予言対決?」
反芻しても意味がわからなかった。
俺は仕方なく、
「ジョバンニ……御主、自分が誰に何を申しているのか、誠に分かっておるのか?」
困惑したまま、真意を問う。
するとジョバンニは居住まいを正したかと思うと、
「お、お許し下さい!」
平伏した。
「その者は名をノストラダムスと申し……」
(ノ、ノストラダムス!? この時代の人だったのか!)
「その予言者は王家にまつわる予言を悉く的中させているとか。なかでも……」
時の国王アンリ二世の子の内、四人がフランス王になる、と言うのは大変有名らしかった。
今のところ、二人が王位に就いたとか。
とどのつまり、
「そのような予言をしてみせろ、と……」
言う事である。
(まさか、このような事になるとはな……)
俺は目頭を押さえ、「ふーっ」と心に感じた疲れを吐き出した。
「で、予言をしたとして何の得がある?」
「フランス王家より褒美が頂けます。そしてそれは、信行様が何よりも欲するものかと」
(人、つまりは技術……か。この時代のフランスに独自技術って何かあったか? でもまぁ、それで良いか。だがしかし? 王家に纏わる予言?)
俺は顎を摩り考える。
だが、簡単には思い浮かばなかった。
(フランス王家ねぇ……。世界史の授業でも、王家自体の話は覚えがないな。他は……ダルタニャン物語か。でもあれは、当時のゴシップを元にした創作だしなぁ……。ゴシップ、かぁ……)
俺がようやく思い出したのが、雑学の類であった。
それも、ルイ十四世の弟が男の娘として母親にである王妃アンヌに育てられ、その結果、ホモの貴族の手に掛かり見事ホモになるという。
所謂ホモネタ。
因みにだがそのホモ貴族、ルイ十四世の息子にも手を出し、物の見事にホモへと存在進化させる事に成功したらしい。
(まさに匠の御技)
しかも、話はそれだけに止まらない。
フランス王家で生まれた以上、ホモであっても政略結婚しなくてはならない。
その結果、件の王弟はイギリス王国の王女を娶るのだが……今度はその王女がルイ十四世と不倫関係となるのであった。
(まさに昼ドラ的展開。事実は小説よりも奇なり、だな)
初めてその話を耳にした時、俺は貴族社会の闇の深さに恐れ慄いたものだ。
貴族にとって、妻が王の愛人なるのは名誉な事、とか全く理解が及ばないしな。
(しかし、フランス王家の知識はこれぐらいか……)
仕方がなく、俺はソレを一応口にしてみた。
「……………………」
ジョバンニの反応は、著しく芳しくなかった。
(ダメっぽい……)
そもそも、カソリックとプロテスタントが認知し合うこの歴史で、ルイ十四世が王位を継ぐかどうかも、それどころか生まれるかどうかも不明だしな。
となると……自然災害系か? しかも、フランス王家が関係するとなると……それが起因となり王家が断絶するアレか。
確か、例の出来事の六年前に起きたはずだ。
俺は意を決し、
「西暦一七八三年、世界各地で活火山が大噴火を起こす。その結果、フランスは重度の冷害に見舞われ、毎年飢饉が発生。道端は言うに及ばす、街中まで死屍累々となり、遂には革命が起きるであろう。そして、フランス王家は断絶する」
と一息に伝えた。
なお、同じ頃日本でも浅間山が大噴火を起こしていた。
所謂、天明の大飢饉、その原因の一つである。
(……あれ?)
反応がない。
俺は訝しみ、ジョバンニを見やる。
なんと彼は目を丸くしたまま、意識を有らぬ所に飛ばしていた。
その夜、懐中時計の竜頭を何度も押し、蓋を開け閉めしてニヤニヤしていると、
「信行様? 大切なお話がありまする」
荒尾御前と高嶋の局が執務室に押し入ってきた。
「貴方達は下がっていなさい」
高嶋の局が小姓らを遠ざける。
その上で、
「妾共に唐国の王弟に纏わるお話、聞かせて頂けませぬか?」
と底冷えのする声で迫られた。
俺はその夜、寝かしては貰えなかった。
◇
それから暫く後、欧州におけるプロテスタントの二大強国、フランスとイングランドを激震が襲った。
フランスで−−
「我が王家が断絶するだと?」
「ベネチアの黒い貴族に託された予言では、の話でございます」
「世迷言を……」
「では、報酬はなし、という事で宜しゅうございますか?」
「当然であろう! ……いや、別の形で報いてやろう。我が王家を偽りの予言という形であれ、断絶と称した罪を問わねばなるまいて」
「仰せの通りに」
イングランドにおいても−−
「未だ見ぬ我が一族が、謂れなき不名誉を被ったと耳に致しました!」
「じょ、女王様!?」
「と言うのは建前の話です。此度の一件は、ローマの目をイングランドから離す好機となり得ましょう。いえ、そう致しなさい」
「イエス! マイ、クィーン!」
その揺れはいずれ、大海を幾つも隔てた日の本に到達する。
それはまるで、歴史の必然であるかのように、であった。
SS『ルイ十四世の弟 オルレアン公フィリップで、ボンソワール』ここに爆誕!
乞うご期待!




