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#086 需要と供給

「公方様から賜った銘酒〝柳〟に無味無臭の南蛮毒が含まれている」

「銀が変色し、事が露見したらしい」

「何処とは言わぬが、西国の大大名でも毒酒が見つかったと聞いたぞ」


 それらの噂は日の本の国を瞬く間に駆け抜けた。

 結果、様々な影響を引き起こす。

 その一つが、


「何? 銀が急高騰している? それは誠か、蔵人!」


 である。


「はっ! 大名どころか、国人衆、大店を営む商家らが挙って銀を買い求め、器などを拵えさせているとか」

(あぁ、需要と供給のバランスが崩れ、トイレットペーパーや某コーヒーショップ福袋の買占め騒動みたいな事が起きてるのか……)


 更には、嘘か誠か、海外よりも割安であった銀の交換比率が改まったらしい。

 とどのつまり、公方様のお力で銀の国外流出は収まったのである。


 で、次に起きたのが、


「件の柳が潰れたとも耳にいたしますれば」

「……誠か」


 であった。

 風評被害にあったのだろう、京の都で一番の酒蔵が閉じられてしまった。


「それがおかしな事に、酒蔵にも屋敷にも人っ子一人見当たらぬとか」

「おお、蔵人殿! 拙者も耳にしたでござる! 壁や土間には賊に襲われた、その証であろう血の跡が幾つも、幾つも見受けられたそうな!」


 津々木蔵人の言葉に、前田利益は膝を打ち応じた。


(それ、もしかしないでも口封じ? それか毒が露見した大名家によってとか?)


 口にしないだけで、考える事は皆同じ。

 気不味い沈黙が辺りに降りた。


「……それよりも、些か面倒な問題があろう」


 俺は嫌な空気を振り払う為、三つ目の、織田家に降りかかった問題に話を切り替えた。

 津々木蔵人が苦々しげに答えた。


「公方様が、此度の毒酒禍災はそれ自体が信行様の陰謀ではあるまいか、と申した事でございまするな」

「その通りよ。熱田様の神託とその通りに起きる諸大名の死、全ては織田の手による物ではないか、と言うな」


 そう、俺によるマッチポンプであると疑問を呈され、その言葉が一人歩きし、まるで俺が計画したかの如く世間に広まってしまったのだ。

 毒酒が入った酒樽も、織田家が京に滞在していた折に仕込まれた代物だ、とされてな。

 とんだ風評である。

 そもそも、第一発見者が俺なのに。

 毒を仕込んだのが俺ならば、決して注意を喚起したりはしない。

 それに数年前に予言した尼子晴久は言うに及ばず、三好義興や毛利隆元を殺めて織田に何の得が有ると言うのだ。

 少し考えれば分かる事であった。

 しかし、流石は足利家の権威である。


「織田家許すまじ!」


 畿内や東海道に沿って在る織田の領国を除いた場所では口々に叫ばれ、織田領内から訪れた商人は各地での商いに支障を来たし始めていた。


「いかが為されまするか?」

「放っておく訳にもいかぬ。活発な商いは尾張の、織田領国の生命線故にな。そこでだ……」


 俺は津々木蔵人と前田利益を近付け、耳元で囁いた。


「……と言う訳だ。どうだ?」

「成る程、流石は信行様でございまする」

「何もやらぬよりはマシ、でござるな」

「左様。兎に角、やってみようではないか」




 明くる日の昼、俺は丹羽長秀と木下藤吉郎を召し出した。


「こ、これは一体……」

「……の、信行様、大丈夫きゃあ?」

「大事ない。これは万が一を考えての事。心配いたすな」

「ほだけど、病床に病鉢巻に加え、そんな化粧して……」

「遠目にも病に臥せっているのが分かるであろう? 藤吉郎、御主は麾下の者らにそう触れ回れ」

「それはどえりゃ事で……」


 毒の効果が後から表れた、と世に知らしめる為にである。

 そうする事により、「やはり織田信行は被害者であった」、と世間は思う筈である。

 あわよくば、「京の酒は怪しい。それに引き換え尾張の酒なら間違い無いだろう。何と言っても尾張の殿様が日々呑む酒なのだから」、と思ってくれるかも知れない。


(この短期間で負った被害は小さくは無い。少しでも回復出来る様、あらゆる手を講じておかないとな)


 そんな目論見があった。


「それは、炭、でございまするか?」

「ああ、目の周りと頬に塗っておる。やつれて見えるであろう?」


 俺はフハハと笑った。

 すると、


「……そのお姿を我らに見せる為だけに、お召しにございまするか?」


 静かに唸り声を上げ始めた男が。

 戦場での姿から鬼五郎左とも称される、丹羽長秀である。

 俺は慌てて、


「そ、その様な訳があるまい。ふ、普請の進みを確かめる為よ」


 本題を切り出した。


「それでしたら、某から」


 丹羽長秀は一言断りを入れ、各普請の進み具合を説き始めた。

 俺はそれを一通り聞き終えてから、言葉を発した。


「至って順調だな」

「はっ! 西は京から東は、北条の手によるとは言え、品川まで道路が伸びておりまする」

「北は飛騨天神山まで続くだがね!」

「姉小路嗣頼殿はいかがであった?」

「北飛騨の江馬時盛を降すのもそう遠くない日に叶えられよう、と申されておりました」

「で、あるか」


 姉小路嗣頼の嫡男、姉小路頼綱は斎藤道三の娘を妻に迎え入れていた。

 つまり、帰蝶を娶った俺とは斎藤姉妹の婿同士(相婿)なのである。

 過分とも思える便宜を図るのも、その様な理由があるからと言えた。


「必要であれば兵を貸す故、遠慮なく申されよ、と確かに伝えたであろうな?」

「はっ!」

「なれば良い。となると、飛騨にいち早く兵を送る算段を付けねばならぬ。その為にも……」

「駅馬車の駅に設ける〝兵糧庫〟でございまするか」


 そう、街道沿いに長く備蓄できる兵糧庫を設け、米や干飯、焼き味噌に干し肉、チーズ等の保存食を中心に集め置く。

 それがあれば前線との兵站線が短く成り、且つ初動を早める事が可能であると考えたのだ。

 兵は神速を尊ぶ。

 兵糧を整えてから、などと悠長な事を言っる暇はないのだから。

 勿論、在庫管理、出庫管理は煩雑となるだろう。

 しかし、常日頃からその業務に慣れた人材がいれば問題とならない。

 そして、その様な人材は既に育っていたのだ。

 駅馬車を介した〝那古野銀行券〟の遣り取りから始まった、領国内限定の輸送業、として。


(袖の下を貰い、指定の駅に小包を届ける、その程度の便宜を図っていただけの様だがな)


 だが、余程信頼があったのだろう、荷が雪だるま式に増えた。

 その結果、表沙汰となり、俺の耳に入ったのだ。

 俺はすぐ様動いた。

 中心人物を罰しつつ、組織が維持される様努めた。

 新たな責任者を任命し、織田家の直轄事業とした。

 その屋号は〝那古野郵便〟。

 現代で言うところの〝郵政公社〟である。


(……そのうち、保険の需要までもが生まれそうだな。盗難や破損のリカバーとして)


 俺は長く間を空けてから小さく頷き返した。

 すると、丹羽長秀の顔が曇った。


「されど、懸念がございまする」

「構わぬ、忌憚なく言え。その方が無駄が無くて良い」

「しからば、攻め入る際は大変宜しゅうございまする。なれど、攻め入れられた時が問題にございまする。兵糧庫の中はたちまち敵の腹を満たすに使われ、信行様の仇となりましょう」


 丹羽長秀の言う通りである。

 この施策は諸刃の刃であった。

 攻め入る速度が早まるならば、攻め寄せられる速度も当然、早まる。

 下手をしたら、国境を越えた軍が僅か数日後には那古野城を攻囲する事が可能となる程に。

 では、何故この様な事を行うのか。

 織田領国に攻め入る馬鹿など現れる訳がない、などと錯誤している筈も無し。

 その訳は、


「そもそも、それが狙いよ」


 であった。


「は?」


 不躾にも丹羽長秀が顔をあらん限りに顰めた。

 木下藤吉郎も声こそ出さなかったが、同じ思いをその顔に浮かべていた。

 俺はそんな彼らに温めていた持論を展開する。


「そもそも、戦における糧食は敵地で得るのが当たり前である」

「左様でございますな。孫子曰く、〝良将は敵地を食む〟と申します故に」

「戦に要する糧食を全て領国内で賄うと国が傾くからな」

「そこまでご存知なれば……」

「だがな、そこには下々の心、その機微が込められておらぬ」


 目の前の二人が首を捻った。


「攻め入った兵が食むのは、その地に生きる民に他ならぬ」

「そ、それは……」

「当たり前故、見逃されていよう?」


 加えて、三河に攻め入った際、出会い頭の百姓を切り捨てた事もあった。

 情報を敵方に漏れぬ様に、と。

 百姓にとってお上が誰に代わっても、大差無いと言うのにだ。


(もっとも、今では織田領内とその他では随分と差がついた筈なのだがな。しかしそれが、更なる問題を生んだりする訳だ)


 丹羽長秀の眉間に一本の筋が薄く出来た。

 俺はそれを、


「先だっての、上杉輝虎の小田原城攻め。その途上にあった村々は糧食を草の根一つ、籾種を一粒残らず奪われ、男は皆殺しにされ、女は悉く攫われた」


 更に深く刻ませる。


「御主らも知っての通り、尾張は言うに及ばず、領国内は飢えとは無縁と成りつつある」

「街中で野垂れ死にする者を見掛けなくなって久しいですな」

「生まれた赤子は何事もなく歳を重ね、親よりも逞しい体躯に育つ者も多い」

「貴賎分け隔てなく学べ、そこらを歩く小僧ですら漢詩を諳んじるとも言われておりまするな」

「往来では商い人の声が幾重にも重なり合い、円舞台では舞が見られぬ日は無く、寺社においては宗派の違いに拘る事なく自由に出入り出来る」

「まさに極楽浄土でゃあ!」

(本当そうだよ。これで産業革命でも起きたら、二百年も経た無い内にロケットが空を飛び交いそうだよな。ん? ロケット?)

「そんな所に、毎年訪れる飢餓によって〝死に狂い〟を経た百姓が、雑兵として村落を埋め尽くす程現れたとしたら、……果たして何も起きぬであろうか?」


 起きぬ筈が無かった。

 そして、幾度も戦場を経験した武士だからこそ、その景色が有り有りと思い浮かぶのだ。

 それもまた、需要と供給、そのバランスが傾いた一例である。


「失った糧食は何とかして集めれば良い。そう、まだ良いのだ、取り戻せる故に。されど……」

「人は、民は戻せぬ。であるからこそ、街道に兵糧庫を設け、敵軍の目が村々に伸ばされぬ様にする。そう言う事ですな」


 俺は大きく頷いた。

 刹那、丹羽長秀と木下藤吉郎は居住まいを正し、頭を垂れた。


「この丹羽長秀、誠心誠意、兵糧庫の造営を仕る所存!」

「木下藤吉郎、右に同じく!」

「ああ、宜しく頼む」

「はっ!」

「そうそう、中の造りはなるべく同じにしておけ。何処に何が有るのか、何が新しくて何が古いか、一目で分かるなれば尚良し、だ」

「心得たがや!」

「那古野三和土は惜しむな! その内薩摩から大量に届く故にな」

「ははっ!」



 兵糧庫設営計画の細部を詰め終え、二人は部屋を辞した。

 すると、頃合いを見計らっていたのか、後ろに控え、黙って見ていた斎藤龍興が口を開いた。

 彼はお徳との祝言を終えるその直前まで、俺の小姓頭を務める。

 そして、それが終わり次第、美濃へ凱旋する予定だ。


「信行様」

「何だ?」

「兵糧庫、本当の狙いは?」

「戦場でも上手い物が食べたい。それも安定して」

「で、ございまするか……」

(いや、流石に嘘だけどな)

「それよりも、岡本良勝を呼んで参れ。ちと作って貰いたき物が出来た」

「……清洲城の岡本良勝でございまするか? この所、人が空を飛ぶ夢ばかり見ているそうで……」

「その岡本よ。何、彼奴の事は心配要らぬ。その件で色々と話したくてな」


 一口に〝人を乗せて飛ぶ乗り物〟と言っても、その形は様々だ。

 飛行機は勿論の事、ヘリコプターも有れば、ロケットもある。

 飛行船もあれば、気球もだな。

 グライダーやパラシュートも〝飛んでいる〟と言えるのでは無いだろうか。

 であるならば……

 俺は斎藤龍興の顔をマジマジと見つつ、


「の、信行様?」

「祝言が楽しみよのう」


 ニヤリと破顔した。




  ◇




 永禄六年(西暦一五六三年)三月、薩摩国 某所


 西国の果て薩摩に、東国尾張より商人が訪れた。

 そして、その商人は地元の国人衆に「頭がおかしいのではないか?」とまことしやかに噂されていた。

 何故ならば、その商人が欲したのは地元の百姓からは忌み嫌われる〝火山灰〟。

 それを米と交換すると言うのだから。

 加えて、集めた火山灰で何かを拵えているとも。

 不気味である。

 頭がおかしく、得体の知れ無い商人。

 人を集める要素が十二分にあった。


「どうした、何かあったのか?」


 薩摩商人を介して滞在する村落、そこで借りた作業小屋を見慣れぬ侍が取り巻いていた。

 そこに、見回りと言う名の散歩から帰ったついでに寄ったのが、多田野又左衛門こと前田利家であった。

 彼は何やら取り囲まれた感のある配下の者に、


「半兵衛は如何した?」


 事態を収拾できるであろう者の所在を尋ねた。


「村長の屋敷で商人らと話しておりまする」

「して、この者らは?」

「それが……」


 前田利家が見慣れぬ侍らに目を向けた。

 すると、彼らは一斉に口を開いた。


「はまっとか? はまっとか? たっちきこんか!」

「そげん、おらんだちよ。せがらしが」

「まま、あいがとさげもした」


 だがしかし、前田利家には意味が解らない。

 彼は仕方なく、今一度取り囲まれていた者に問うた。


「……あれは何を言ってる?」

「それがさっぱり。半兵衛殿でしたら分かるのですが……」

「さては、腹が減ってるのではないか? 前々回は塩むすびを馳走したら帰ったのであろう」

「前回は塩むすびだけでは帰らず、しかたなく味噌焼きむすびと味噌もつけました」

「なれば……此度は那古野焼酎もつけてやれ」


 前田利家はそう言い付け、その場を後にした。

 やがて、短躯で浅黒い地侍達は握り飯と味噌それに酒を手にし、一人は怒りながら、一人は申し訳なさげに、一人は嬉しそうにして帰って行った。

 その翌日、先のを含めた、数十人の侍がその集落を訪れたのであった。

 がそれはまた、別の話、である。

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