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#084 戦後に訪れし福音

 永禄五年(西暦一五六二年)十一月初旬、山城国 京 二条御所武衛陣の御構え


 御所の主が京の都に舞い戻って以来、カラカラと辺りを憚らずに笑う幾つもの声が屋敷を彩っていた。

 無論、笑い声の中心にいるのは足利義輝。

 彼は自らの重臣達らと共に、この浮世を「いとおかし」と大口を開け、その奥を晒し合っていたのだ。

 この晩秋の明け方もそう。

 庭に満ちた、露霜がおりる程の冷え冷えとした空気、その中で彼は呵呵と笑いながら、手の者と共に太刀を振るっていた。


「いや、愉快、愉快」

「左様でございまするなぁ」


 一太刀を振り、払う度に口元から笑いが溢れ、吐いた息が霞の如く白く広がる。

 それもその筈、来る日も来る日も、諸大名から帰洛を祝う品が贈り届けられるからであった。


「特に九州探題殿(大友義鎮)は随分と気張られたご様子」

「あれは毛利元就との仲立ちを余に求めているからよ。故に南蛮との交易で得た珍しき物を惜し気もなく差し出す。南蛮禁制の秘薬などがその証よ」

「死んでは元も子もない、からですな」

「正にその通りよ」


 刹那、二人は生真面目な顔を作り顔を見合わせたかと思うと、再び大いに笑い合った。

 その笑い声は手の者らの稽古が良く見える様、縁側に移ってもなお続いた。


「時に惟政、那古野に放った間者から何やら報せがあったそうだな」

「はっ! 確とは分かりませぬが、那古野に南蛮の者が参ったとか」

「スペイン、それともポルトガルか?」

「どうやらそのいずれでも無い、とだけは分かったそうで」

「……ふむ、甲賀者といえど、異国の違いまでは確とは分からぬか。ま、道理よな。しかし、あの地の何が斯様に異国の者を引き寄せるのか?」

「それも甚だ疑問でございまする。が、それよりも先ずは南蛮との交易が問題かと」

「惟政、御主の言わんとしていることは分かっておる。南蛮との交易は巨万の富を得る。明との交易が途絶えた今、指を咥えたままでいては、織田にみすみす肥え太る間を与えるような物であるからな」

「左様でございまする」

「しかし!」

「しかし?」

「今はまだ、足元を固めねばならぬ。余は未だ、一国すら有しておらぬでな」


 先程までとは打って変わり、足利義輝の顔は苦々し気である。


「それに……」

「それに、と申されると?」

「北条が未だに靡かぬ」

「そ、それは……。家中で何やらもめているそうなのですが……」

「それはただの口実よ。自らの値を吊り上げる為、のな」

「なんと!? 北条は守護職では足りぬと!?」

「いや、欲してはおらぬのだ。そもそも、彼奴等は伊勢。故に平氏。その伊勢は代々政所執事を勤め、京を実質治めているのは己らだとうそぶいておるのだから」

「くっ……」

「なに、分かりやすくて良いではないか。それ相応の餌を目の前に吊り下げれば喰いつくのだからのう」

「……と申しますと?」

「とどのつまり、あれは足利義氏をして古河公方を名乗らせたりしているが、いずれは弑逆し官途補任の権を得ようと企てておるのだ。鎌倉幕府における執権の様にな。それ故、今更京の都におもねる名など要らぬ、それよりも実利をくれ、と申しておるのよ」

「実利? となると……」

「上杉との和議であろう。例年の如く、三月になれば腹を空かせた上杉勢が南下しはじめる故にな」

「では……」

「ああ、上杉輝虎に書を認める。その上で、手筈通りまずは山城国を掌中におさめる。伊勢におもねらぬ国人衆を集めよ。北条の足枷を外し、動き易くしてやるのだ」

「ははっ!」


 やがて、足利義輝は朝稽古を一頻り終えた。

 汗を拭く為、鍛え抜かれた身体を露わにする。

 とめどなく、湯気が立ち上った。

 そんな彼がふと独り言ちる。


「吉岡の姿が見えぬな……」


 自らの指南役、その一人が見えぬことを訝しんだのであった。




  ◇




 尾張国 那古野城 奥の間


 薄日に照らされた、きらびやかなガラス玉を前に女共が姦しくしている。

 それは現代で言うところのベネチアンビーズ。

 ジョバンニが貢物として差し出したそれを、楽し気に分けあっているのだ。

 俺はそんな景色に頬を緩めつつ、


「今年も色々あった。が、どうやら無事、年を越せそうだな」


 と呟いた。


「左様でございますなぁ」

「あの日以来、年を跨ぐ事がいかに得難い事かと、しみじみ思いまする」

「あの日?」


 すると、荒尾御前と高嶋の局が追従する。

 今一人の帰蝶は「何の事でしょうか?」と首を傾げた。

 まさか、「四年前の丁度今頃。落馬した折、記憶を失い、更には性格も少しばかり変わった(という事にしてある)」と明け透けに言える訳もない。


(それに、男女間は秘密を共有し合うとより密になる、と言うが、秘密のある、ミステリアスな男はモテる、ともいうからな)


 なので俺は、「何でもない」と身振りで示した。

 そんな俺に対し、


「信行様、それはまた随分な益荒男ぶり、であらせられますなぁ」


 コロコロと含み笑いしつつ、憧憬の念を抱いた目で見つめる薄幸の美女が会話に混じる。


「お鶴」


 今は亡き松平元康、その元正室であった。

 彼女の腹は日に日に大きくなっており、三人目の子が生まれるのもそう遠くないであろう、と思われた。


(と言うか、俺こと織田信行にとっては養子を含めると二十一人目の子だ。もっとも、認知した数でだがな。そう、若い時分、織田信行には随分と遊んでいた記憶がある。その顛末が凄く気になる……)


 内心を読んだのか、ジョバンニ・コルナーロが薄目で俺を見つめていた。


「何だ?」

「いえ、流石は〝尾張の虎〟と思った次第で」

「………………パプスブルグ家の皇后アンナよりはマシであろうが。かの女傑は腹一つで十五、六も子を為したと聞くぞ」

「確かにそうですな。……ん!? ど、何処でそれをお知りに……」


 先のお鶴も含め、戦後の織田領内を空前のベビーブームが訪れていた。

 津々木蔵人とお市の間しかり、今川氏真しかり、織田の娘を娶った斯波義銀しかり。

 意外な所ではあの木下藤吉郎までが子に恵まれたらしいのだ。


(正直、無精子症か染色体異常かと思ってたよ。史実では六本指とか伝えられていたしな。実際はそんな事無かったんだがな)


 何でも珠のように白い、愛らしい男の子だそうな。


(木下の兄弟は共に地肌は色黒い……。ま、まぁ、日の下での勤めが多いせいでもあるし。細君が歩き巫女、その事実は何ら関係が無い筈……)


 そんな彼らは口々に褒めそやした。


「おぎの式とやらで一発よ。誠に良かった」

「那古野式男女産分法も、中々あてになりました」

「嫁御が次も、彦がええ、彦がええ、と言うのよ」

「長く堪える分、翌朝腰にくるだがね!」

「したり、したり!」


 俺が遥か未来で得た知識、雑学を。

 更には、


「数えで八つを迎えられる子が増えた」

「那古野書房の〝家庭の医術〟様様ですな」

「那古野書房といえば、先だって売り出された松永某が監修したとされる……」

「あれのお陰で我が家は益々栄える事が出来るだがね!」


 と。

 それらは民草にまで及んでいた。

 加えて、稲作を含めた農業生産量の底上げ。

 今年攻め落とした美濃国と北伊勢を除いた領国だけだとはいえ、その恩恵は広く、織田領内更には周辺部へと及び、確実に人々の暮らしを豊かなものに変えていった。


(そもそも、飢えが遠のいただけでも、皆幸せそうに笑うのだ。それが今や、笑いが止まらぬ、と言った感じだな)


 腹が満ち、日が落ちるとやれる事はただ一つ。

 そうして、命の火がまた一つ、灯るのであった。


(なんてな)


 と下らない事を考えつつ、俺はふと気になる事を思い出した。


「荒尾」

「はい?」

「お徳のその後はいかがか?」


 お徳とは織田信秀の十一女、有り体に言えば妹の事であった。

 正月には数えで十三となる。

 他家に嫁ぐ頃合いであった。

 そのお徳には意中の男がいた。

 それが、


「龍興殿におかれましては、お徳を良く良く目に掛けて頂いている、そう聞いておりまする」


 であった。


「ほう? 例えば?」

「時折、書の貸し借りを人伝に行い、分からぬ事は教えて頂いているとか」

「書物?」

「はい。源氏物語や枕草子、古今和歌集」

「なるほどな」

「それに加え、那古野解体新書を基に楽し気に論じ合っている事もあった、と聞きまする」

「そ、そうか……」

(何で、人体解剖図鑑?)

「されど、心配な事もございまする」

「何だ?」

「このところ、よく眠れてはいないらしく……」

「そ、それはいかんな」

「更には、龍興殿の事を考えるだけで心の臓が痛くて痛くて仕方がない、と申しておりまする」

「初恋中の乙女かよ!」

「は!?」

「いや、何、こちらの話よ」


 俺は先の発言を有耶無耶にしつつ、熟考を重ねる。

 その上で、一つの結論を下した。


「(恋煩いが酷くなる前に、)そろそろ祝言を上げてやらねばならぬな」

「よ、宜しいのですか?」

「織田の血を色濃く引く美姫、と名高いお徳だ。龍興も否やとは言うまい(いや、言わせない!)」


 直後、


「し、失礼致しまする! の、の、の、信行様! 評定の間に! み、皆が揃うておりまする!」


 当の本人、斎藤龍興の裏返った声が奥の間に轟いた。




 斎藤龍興に促されるまま足を向けた評定の間。

 そこでは二十名余りの武士が首を垂れ、俺を待ち侘びていた。


「苦しゅうない。面を上げよ」


 この日の主な議題は各城下町を中心とする市街地、その開発状況の確認であった。

 普請を統括する丹羽長秀が朗々と進み具合を語る。


「那古野三和土(古代コンクリート)を用いた家屋の普請は概ね順調にございまする。なれど、問題が幾つか」

「なんだ?」

「一つは、人手が足りぬ事。が、これは言うほど大きな問題とは捉えておりませぬ」

「銭で雇い、育て上げればよいからな」

「はっ! 問題は二つ目、火山灰にございまする」

「……もしや、足りぬのか?」

「民が増えれば家屋がその分要り用になりまする。このままでは五年と持たぬかと……」


 それは由々しき問題であった。

 何故ならば、俺は天正の大地震を古代コンクリート造の建築物で耐え凌ごうと考えていたからだ。


(マズイな……。このままでは現在の織田領内は兎も角として、周辺国の民草が家屋を失い、路頭に迷う事となる。その結果、流民が織田領内に流れ込み、軋轢による乱暴狼藉や止むに止まれぬ盗みが増え、やがては内訌からの争乱に発展して……)


 俺の背を冷たいものが走った。


(ど、何処かに落ちていないものだろうか、火山灰? その名前からいっても、火山の麓に有ると思うのだが……。時折テレビニュースで随分と邪魔者扱いされていたが、まさか戦国の世で喉から手が出るほど欲しいと思うとは……あっ!?)


 刹那、俺は思い至った。

 この日の本において、有数の火山灰の降灰地がある事を。

 そしてそれは、


「霧島に腐る程あるぞ!」


 であった。


「霧……島、にございまするか?」


 津々木蔵人が不思議そうに問うた。


「左様、薩摩霧島よ! そこに日の本有数の活火山がある!(しかも、今よりおおよそ四年後の永禄九年九月九日! スリーナインの日! その霧島山が大噴火する筈なのだ!) その地の民は降灰の所為で年中飢えていると聞く。米と引き換えに、家屋用に整形した那古野三和土を作らせ、船で運べば人手不足も一気に解消よ!」

「なんと!?」

「流石、信行様でござる!」

「霧島などこの蔵人、聞いた事がございませぬ! 流石は信行様! 誠に良くご存知で!」

(え!? 霧島がメジャーな地名で無い?)

「た、偶々よ。近頃良く出入りする南蛮人、ジョバンニから聞いたのでな」


 俺はこれ以上尋ねられると困ると思い、偽りの情報源として彼の者の名を出す。

 しかし、それにすら喰いつく男がいる事を、俺は失念していた。


「ほう! ジョバンニ殿が? なれば拙者、後ほどトーレス殿を交え、霧島とやらの話を聞かせて頂きとうござる」


 前田利益である。

 彼はニヤリと笑っていた。

 それは未知なる物に対する好奇心を表しているのか、それとも俺の反応を面白がっているのか、判別つかない。

 故に、


「そ、そうだな。ついでにナポリの南東にあった、快楽の都ポンペイとやらについても聞いてみるがよい。火山灰と死に至る空気に覆われた都市、そこに津波が押し寄せ、一夜にして那古野三和土に埋もれた街の事を。霧島周辺もいずれ、そうなるやも知れぬからな」


 俺は更に余分な情報を伝え、前田利益の矛先を俺から完全に逸らすのであった。


 その後、幾つかの懸案事項を処理し、この日最後の議題へと移った。


「公方様が侍を広く集めているとか」

「国友へ出向き、大量の鉄砲を買い求めたとも聞きまする」


 それは帰洛を果たしたばかりである筈の足利義輝による、意外な程に積極的な軍事活動であった。


「京を追われた轍は二度と踏まぬ、その意思の表れではありませぬか?」


 今川氏真が言う事はもっともである。

 周辺大名による不可侵の期限は三年。

 その間に軍備を整えねば、三度、足利義輝は京の都を追われる事になるだろう。

 もしくは、史実通り三好勢に弑逆されるかも知れない。

 だが、そこで一つの疑問が生まれる。


「鉄砲、武具を買い集めるのは兎も角、兵を慌てて集める理由は何だ? こう言っては何だが、京の周辺国を治める大名はいずれも強大。いたずらに集めた足軽では敵うまい。それに人を集めるのは軍事行動の最後……」


 と、俺はここまで口にしてから一つの史実に思い当たった。

 それは、


(政所執事である伊勢貞孝の更迭か? だがあれは三好長慶が家臣、松永久秀の力を借りた上での筈。不可侵の約定を結んだ今、それは起こり得ぬと踏んでいたのだが……)


 であった。

 俺はしばしの間、考え込んだ。

 床を打つ、扇の音が響いた。

 やがて、一つの道筋を見出した頃合い、


「信行様、御下知を」


 林秀貞がタイミング良く促した。

 俺は扇を一息に開き、


「多田野又左衛門、もとい、前田利家らに伝えよ。洛内が荒れる故に戻って参れ、とな」


 沙汰を口にした。






  ◇





 山城国 京 伊勢貞孝邸宅


 多田野又左衛門こと前田利家ら一行、彼らは伊勢氏の京屋敷にて厄介になっていた。

 それは、六角氏が支配した洛内において、狼藉者の捕物等で知遇を得た縁からであった。

 そんな彼らに、尾張本国から文が届けられた。

 その内容はと言うと、


「どうした、半兵衛?」

「信行様より、山城国が荒れそう故、いざとなれば伊勢殿らをお連れし京を離れ、その後国許に戻れ、と」


 であった。


「それだけか?」

「いえ、戻り次第、薩摩に向う事になりそうですな」

「薩摩!? 薩摩隼人か!」

「腕がなりますか?」

「左様、左様! なれば、早速支度をさせるか! 新介!」

「は!」

「それに、染物屋の……何であったか?」

「直賢殿かと」

「おお、それそれ。直賢と平田それに林崎にも伝えておこう。隼人舞を見たければ我らに付いて参れ、とな!」

--更新履歴

2017/03/31 なんちゃって名古屋弁を修正


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