#080 予期せぬ使者、救国の神託
永禄五年(西暦一五六二年)十月初旬、尾張国 那古野城 城主の間
男山八幡宮会盟を成功裏に終えた俺は、那古野において政務に追われる日々を送っていた。
「蔵人、此度の野分(台風)による被害は以上か?」
「はっ! 以上となりまする」
「思いの外、少ないな」
「はっ! 野分の報せを一早く得たお陰で稲は全てを刈り取る事が叶い、また川の氾濫は那古野三和土を用いた堤のお陰で防ぐ事が出来た故にございまする」
織田領内にある河川はその要所要所に那古野三和土、言うなれば和製古代コンクリートを用いた護岸工事を施していた。
それだけでなく、堤防自体も高くなる様、手を加えている。
だからであろう、先日襲った台風の被害は軽微であった。
もっとも、それは那古野が台風の直撃を受けなかった所為でもある。
万が一、那古野に海から直接台風が上陸した場合はこの程度の被害では済まなかっただろう。
それは現代における名古屋が日本有数の水害多発都市である事から明白であった。
(日本のベネチア、名古屋……。いや、あの時の名古屋は水の都ならぬ、水没の都だったか……)
故に、増水した水を逃す川を新たに開削する計画も練ってある。
もっとも、それは数十年に及ぶ代物であった。
「ふむ……だが船は思うた以上に損のうた様だ」
「いえ、そうお考えになるには些か早いやもしれませぬ。確と分かりませぬが、風を避け、波が穏やかになるまで他所の港に身を寄せている船も多いと思われます故」
「で、あるか。なれば、今少し様子を見る。おおよその状況が分かり次第、建造する船の数を見積もれ」
「ははっ!」
「次に……」
しかし、一日中仕事をしている訳ではない。
政務の合間合間に時間が空く事があるのだ。
そんな時な奥に入り、子供達との遊びに興じるのである。
だが、そんな時を見計らったかの様に訪れる者もいる。
その一人が、
「岡本良勝、頭を下げたままでは訳が分からぬではないか」
であった。
彼は俺が那古野城の城代を兄である信長に任されていた頃からの付き合いのある若侍である。
銅板を用いた富くじに始まり、太陽熱温水器、手押しポンプ、瓦版用の凸版印刷などの製作者であった。
いや、それだけではない。
那古野砲(臼砲)や那古野筒(施条砲)、那古野筒専用となる円錐形の弾丸の開発責任者でもあるのだ。
今では清洲城の工房にて総開発責任者を任せている。
(そうそう、多色刷木版画や那古野三和土、稲の押切機もだったな。後世、この若者は何と言われるのだろうか。決して知る事が出来ないのが非常に残念だ)
その若者が、俺を前にして跪いている。
それどころか、床に頭を押し付け、
「某には荷が……荷が重うございまする!」
と言っているのだ。
無論、彼がこう言うには訳があった。
それは、
「鉄弓とオルゴール、それ程までに難しいか」
俺が思い付きで丸投げした所為であった。
「はっ! 鉄弓においては十分にしならせること叶わず、おるごうるに至っては皆目見当も付いておりませぬ! 信行様! 某に、腹を、腹を召せと、お申し付け下さいませ! 某には……、某には……、うぅぅ……」
(これは参った。ここまで追い詰められているとは思いもしなかった。やはり、実物が無い所為だろうか? いや、そうでもないか。他の品々は幾つかのヒント……と言うか、原理を教えるだけで為したのだから。と言う事は、思いもかけぬ役に任じられ、重圧を受け過ぎたか。ならば……)
俺はしばし考えた後、岡本良勝に結論を申し伝えた。
「岡本良勝、御主を開発方の長から外す訳にはいかぬ」
矢鱈と方針を変えるのは色々と差し障りが出るからである。
「そ、そんな……」
若侍は今にも死にそうな顔を俺に向けた。
「まぁ、聞け、良勝。御主の才に一片の疑いも持ってはおらぬ。更に言えば、御主ならば必ずや創り出せるであろうと信じておる」
俺の過度な期待を受け、増す増す顔色が悪くなっていく。
「だがな、いずれ出来上がると思うてはおるが、一冬も越さぬ前に叶うとは露とも思うてはおらぬ」
岡本良勝が「えっ!?」と顔に表した。
「それは一体……」
「そもそも、那古野砲ですら年を幾つも跨いで完成に至ったのだぞ」
「……ですが、家老衆の中には某の働きに思うところがある、とはっきりおっしゃられる方もいると聞きまする! 某も武士である以上……」
「まてまて、そう思いつめるな。それにだ、大人衆の中に御主の働きが足らぬと思うておる者など、誰一人おらぬぞ?」
「しかし!」
「良勝の働きあって、美濃が取れた。それが紛れもない事実よ。故に感状も与えたではないか?」
皆の前で激賞されたのを思い出したのだろう、岡本良勝は「はっ!」とした後、顔を下に向けた。
俺はそんな彼に、
「良勝、あれらを見てみよ」
庭の景色に目を向けさせる。
そこには童べらが木の枝を振りかざしながら、走る姿があった。
「時にはあの様に日がな一日潰してみよ。務めから離れ、世を楽しんでみよ。いや、酒を飲んで女を侍らせてみよ」
「そ、それは……」
「凝り固まった頭では良い物は出来ぬ、そういう事よ」
「は、ははっ!」
その直後、子供らの目が俺に向いた。
そして子供の鋭敏な感覚で仕事の話が終わったと感じ取ったのだろう、駆け足で向かって来た。
「父上!」
「父上! 父上!」
「あれ、作って!」
あれ、とはここの所彼らの間で流行っている玩具の事である。
一枚の紙があればたちまち出来るので矢鱈とせがむのだ。
(ふむ、丁度良いか)
俺はチラリと良勝を見た後、それ用に用意していた紙を懐から取り出し、テキパキと折った。
そしてそれを一人に一つずつ渡す。
彼らは手に持ち、すぐ様縁側に並んだ。
「一番遠くまで飛ばした者が大将な!」
「うん!」
最年長である於勝丸の声に、他の子らが声を揃えて応じる。
そして、一斉に腕を伸ばした。
折られた紙は様々な軌跡を描きながら、庭に舞った。
ある物は真っ直ぐに、ある物は錐揉みしながら、ある物は急降下して。
童らはそれを見てゲラゲラ笑っている。
「の、信行様……」
俺は笑みを浮かべつつ、その声に振り向いた。
「ん?」
すると、俺が目に映ったのは先程までの様子から様変わりした、岡本良勝であった。
「い、い、い、今のは何でございまするか!?」
「今の? ただの紙飛行機だが?」
「か、か、か、かみひこうき?」
「ああ、紙で出来た飛行機。故に紙飛行機、だな」
「ひ、ひ、飛行機? 紙飛行機?」
「何だ、良勝も欲しいのか? なら特別によく飛ぶのを折ってやろう」
俺は子供らに折った簡易な紙飛行機ではなく、ギネスにも載った折り方で紙飛行機を折ってやった。
更に俺独自のこだわり、尾翼を付して。
出来栄えを確かめる為、部屋の奥に向けて一投する。
それは部屋の隅まで落ちる事なく、滑空した。
「どうだ、よく飛ぶであろう?」
「は、はい! こ、これを某に!?」
「構わぬよ。ただの紙であるからな」
「あ、あ、あ、ありがたき幸せ!」
岡本良勝は吹っ切れたのだろうか? 帰る頃には新たなおもちゃを買って貰った子供のような顔をしていた。
俺はその姿を見送りつつ、
「ふぅ……」
大きく息を吐いた。
(無事、物作りへの情熱を取り戻す事が出来たか。しかし、飛行機……か。出来たら凄いよなぁ)
岡本良勝の熱が残っていたのだろうか、俺もまた、ありえぬ夢を見た。
束の間の休憩を経て、俺は本丸へと足を向ける。
政務を執る為に。
そして、それから暫くの間順調にこなしていると、突然一つの報せが俺の元に齎された。
「蔵人、飛騨から届く木材の量なんだが、新たに作る船の総数を鑑みると……」
「されば……この程度に致せば、三木も……」
「……行様! 信行様! 信行様! 危急に! ござる!」
「利益が煩いのう」
「あの者も今少し落ち着けば良いのですが」
声の主は前田利益。
織田の家中でも有数の実力を誇る武士であった。
その彼が、慌てふためき城内を駆け回る。
俺が思うに、
「……ろくな事ではなさそうだな」
であった。
「信行様!」
その前田利益が家老詰め所に、文字通り飛び込んで来た。
「南蛮船でござる!」
今となっては別に珍しくもない。
ただ、ちょっと季節外れ、だがな。
彼らは波穏やかな春から夏に掛けて那古野に訪れる、そうしていた筈なのだから。
俺は南蛮船の船籍を尋ねてみた。
すると帰ってきた答えは、
「ポルトガルでござる!」
であった。
(ポルトガルか。スペインにも寄港を許しているから本国から何か言いに来たのかな?)
俺が訝しんでいると、前田利益の言葉は更に続いた。
「されど、トーレス殿曰く、件の国とは異なる国からの特使が紛れており、その者が信行様との目通りを望まれているとの事でござる!」
(ポルトガルでもなく、スペインでもない異国? 何処だ? オランダか? それともイングランドか?)
俺は首を捻らざるを得なかった。
先に挙げた二国はキリスト教の国家ではあるが、カソリックからは異端認定されているプロテスタントの国だった筈。
ポルトガルの商船への乗船が許されるとは思えなかったからだ。
(あり得るのとしたらフランス王国か? そう言えば以前、ギーズ公によるユグノー虐殺事件が起こる事を予言として広めたが……これはその影響か?)
だが、俺の予想は悉く外れた。
突如訪れた使者を遣わした国は、
「ベネチアとの事でござる!」
であったからだ。




