#078 男山八幡会盟(2)
結論から言うと、俺の期待に反して前田利益は全く頼りにはならなかった。
その証拠に、今、俺の首元には太刀が当てられている。
刀にしては細く、反りの大きな刀身がだ。
それはまるで空に昇る三日月の如く、美しい造りをしていた。
俺はチラリと、左横に控えている前田利益に目線だけを向ける。
顔まで動かすと紙一重にて止まった刃が肌に触れ、もしかしたら静脈を傷つける恐れがあったからだ。
見ると、視線の先にいた男は至極残念そうに首を横に振った後に、
「流石にあれは無理でござる。お許しくだされ」
手と手を合わせて答えた。
「………………(合掌、とかすんな!)」
仕方なく、俺は視線を前に向ける。
そこには全くの無表情で太刀を振るったままの姿勢でいる、公方様こと足利義輝がいた。
彼の向かって左隣りには和田惟政。
先程まで朗らかな営業スマイルを浮かべていたのだが、今では倒れんばかりの顔色に変わっている。
さて、何故俺がこの様な窮地に陥っているかと言うと、僅かばかり刻を遡る必要がある。
三好長慶との会談を終えた後、俺は足取り重く、足利義輝の待つ書院へと向かった。
やがて辿り着いた書院、俺は勅使として初めて対面した時とは打って変わり、まるで長年の臣下であったかの如く身を低くして挨拶した。
更にはこれまでの非礼を詫びたりもしたのだ。
足利義輝にとっては思いもかけない事だったのだろう、彼の片眉がピクリと釣り上がったのを俺は見逃さなかった。
(しめしめ、意表をつけたかな? かの秀吉も信長の怒りを解く際、ひたすら平身低頭を重ねたと言うからな。効果抜群だな)
俺は内心、舌舐めずりをしつつ、
「ではこれより、畠山高政殿、六角承禎殿、並びに三好長慶殿との……」
と会談の口火を切ったのであった。
「畠山殿、六角殿、三好殿の言いたき事、公方様も重々承知しておりまする。されど、畿内の争乱が三者を中心として起こされた事は紛れもない事実でござろう」
と言ったのは足利義輝陣営の先鋒、和田惟政。
彼はまず初めに、此度の争乱における表向きの原因を指摘した。
俺は視界の端で足利義輝を捉えつつ、それに答える。
「だからとはいえ、京の都から畠山殿、六角殿並びに三好殿の配下を一方的に退去せよと申すのはあまりに御無体ではござらぬか」
「都、ではござらぬ。山城国、にござる」
(チッ……)
さりげなく不可侵となる範囲を狭めようと試みるも、それは敢えなく訂正された。
可能なら山城国への入る余地を残して欲しい、それが六角や三好からの要望であった。
「それに、この和田惟政は無体な話とは思いませぬ」
「何故でござろう?」
「そも、幕府とは公方様のご意思をもって政道を為すのが本来の有り様。にもかかわらず、壟断する者が後を絶たぬ」
今更な話だ。
三管領による幕府の私物化がなされて久しいのだから。
もっとも、あれは巨大な権限を与え過ぎた統治者の不手際だと思うがな。
寧ろ、与えられた権能を十全に使って政を行った結果だ。
それとも何かい?
「畠山殿、六角殿、三好殿がそうだと? 不穏な言葉ですな」
間違いなく足利義輝はそう考えているだろうがな。
だが、当の本人は彼ら三者の名を耳にしたにもかかわらず、何の反応も顕さなかった。
寧ろ、
「織田殿、揚げ足を取るのは止めて頂きたい」
和田惟政が軽い不快感を表した。
「これは失礼致した」
「かの三方で無くとも、歴史を省みれば幾らでもおりまする。新しき所で細川晴元……」
「ふふふ、和田惟政殿はおかしき事を仰られる。細川晴元殿は管領としての務めを果たされただけではござらぬか?」
「……古き所では赤松満祐」
(万人恐怖将軍を討った大名だったか? 確か……嘉吉の乱だな。応仁の乱の呼び水となった事件だ。しかも……)
「意に沿わぬ赤松満祐を討つ、その決起の宴の最中を討つ筈だった当人に襲われた、と耳にしておりまするぞ」
歴史的事実だな。
和田惟政の眉間に皺が深く刻み込まれる。
「…………それらの者以外にも、幕府を私利私欲を満たす為の道具としか見ぬ輩が後を絶たぬ。争乱にかこつけ、主の居らぬ京の都を我が物顔に差配する者がな」
「まさか……伊勢貞孝殿の事を申されておられるのか?」
それは幾ら何でも不憫。
主の定まらぬ幕府を何とか維持しようと奔走し、その結果力を得てしまっただけなのに。
……仕事の出来る男が二代目、三代目に疎まれる典型的なパターンだ。
そういえば、正史でもそんな理由で討たれてた様な……
俺の考えをよそに、和田惟政は、
「かの御仁が清廉潔白なれば、違うのでござろうよ」
と言い捨てた。
俺は思わず言葉に詰まる。
「(いやはや)…………多少の私欲には目をつぶらねば、御政道はままならぬのでは? かつて智者はこう申された、〝欲望とは人間の本質である〟と」
「ほう? 興味深い言葉でござるな。誰のでござるか?」
和田惟政が興味深げに俺に尋ねる。
「ニーチ(おっと)……今では名もなき智者でござる。遠い唐国の、それも(現代から見れば)百年以上も昔の……」
更には、一転して表情が朗らかになった。
「左様でござったか。寡聞にして初めて知り申した。いやはや、如何なる場でも学ぶ事が出来るものですな。にしても織田殿は古事にお詳しい」
どうやら、和田惟政の琴線に触れた様だ。
一方の足利義輝はというと、彼は未だに、俺と視線を合わせようともしていない。
それどころか、会談開始から身動き一つしていなかった。
(何だろう……。一切のやる気が見られない。生気が感じられない。先の会談ではあれ程不可侵条約にこだわっていたと言うのに……。もしかして、単なる気分屋か? または、情緒不安定? ふむ、考えてみればその気があるのかもな。史実では夜な夜な京の都に繰り出しては、辻斬りをしていたと伝えられていたらしいからな。ならば、惚けたままの主役は脇に置いといて……)
俺は折角だからと、和田惟政のご機嫌をとるかの様に、話を膨らませる。
「こう見えても、三度の飯を忘れるほど没頭した事が御座いまする(主にゲームだけどな)」
「ほう? 例えば?」
「一つ挙げるとするなれば〝三国志〟でござろう(もっともやり込んだ記憶がある)」
「三国志! この和田惟政は演義に夢中となりもうした!」
「某は栄光でござる」
「えいこう?」
「ええ、寝る間も惜しみましたなぁ」
「え、ん、まぁ、三国の英雄の如き活躍を夢見るのは、武士の男の子として生まれたならば当然でしょうな」
「おお! ご理解頂けるか! 某は中でも趙雲子龍に憧れたでござる!」
「なんと、織田殿もでござるか! この惟政も同じく趙子龍に思いを馳せた者の一人でござる!」
あら? 意外と気が合う?
「当陽の一騎駆けには心が打ち震え申した!」
「(そういえば、吉川英治先生の三国志もそんなシーンがあったな! 劉備が泣く泣く見捨てた妻子を護りながら曹操率いる数万、数十万と相対したアレな!)したり、したり!」
その後暫くの間、三国志談義が続いた。
その間、足利義輝は相も変わらず、ピクリとも動かなかった。
まるで、精巧に作られた蝋人形の様に。
にもかかわらず、
「他には?」
「他に? (そうねぇ……こちらに来る前に下心混じりに勉強した……)刀剣(乱武)でござろうか?」
と俺が口にした途端、彼の体から何かが発せられた。
それはまるで、風鈴すら鳴らすことのない微風が吹いたかの様であった。
(ん?)
「と、刀剣? 刀、太刀の事でござろう?」
「え、あ、左様でござる。自らは碌に使いは出来ませぬがあの美しさ、そして内包する歴史に惚れ惚れと致しまするなぁ」
「歴史? 例えば?」
「やはり童子切と鬼丸でござるな」
視界の外で、何かが動いた。
「童子切と鬼丸……」
「左様でござる。鬼を切った謂れを持つ刀など、そうそうありませぬからな。前者は源頼光が酒呑童子の首を刎ね、後者は時の執権北条時頼が枕元に現れた鬼を斬り殺したとか」
「確かにそう伝えられてるそうですなぁ。しかし、まぁ、良くご存知で。他にもございますかな?」
「(他? となると、天下五剣からだな)三日月でござろうか?」
刹那、明らかに風が生まれた。
それは風が入り込む余地も、生まれる余地もない足利義輝のいる辺りから吹いてきた。
素早く目を向けるも、変化はまるで見受けられない。
「ほう? 何故でござろう?」
「……何故? あぁ、某が三日月と言われる太刀を挙げる理由でござるな。それは、日の本にて産み出された刀剣の中でもっとも美しい刀である、と聞いたが故でござる」
「との事でござる、公方様」
和田惟政は満面の笑みを浮かべ、自らの主に話を振った。
それは恐らく、俺と足利義輝が全く言葉を交わさぬ事を憂いての諸行であったのだろう。
(会話どころか、視線も交えないなど、勅使との会談としては異常だからな。現代における商談の席なら、ナイストス! って後で言われただろう。よっ! ナイストス、惟政!)
そして、その企みは半ば上手くいった。
足利義輝が、
「なれば……」
此度の会談で初めて顔を俺に向け、口を開いたからだ。
だが、上手くいったのはそこまでであった。
「なれば、近くで良く見てみるがよい」
何故ならば、足利義輝がそう言い終えた次の瞬間、俺の首元には太刀が突きつけられていたからだ。
その刀身は薄く、大きく反りを有し、夜空に昇った月の如く白く輝いていた。
(……え? えええ!?)
太刀の元を辿って見ると、足利義輝が虚ろな顔でその柄を握りしめている。
傍にいて驚愕の色を浮かべている和田惟政とは対照的であった。
(何? 何があった? っていうか、何時刀を抜いた? 全く気がつかなかったぞ!? 鯉口を切る僅かな音すら聞こえなかったぞ!?)
俺は俺の護衛を努めていた筈の、頼みの綱である筈の前田利益を横目でチラリと探す。
すると彼はあろう事か、
「流石にあれは無理でござる。お許しくだされ」
と口にしたかと思うと、俺に対して合掌しだしたのであった。
(ごめんなさい、じゃねーよ! クソッ! 何がどうなってんだ!?)
俺は目を忙しなく動かし、打開への糸口を探る。
鋼の冷たさが、髪の毛一本分も離れていないだろう首の皮から伝わる今、動かせるのは視線だけだからだ。
だが、俺は何一つ見いだせなかった。
首元に突きつけられた刀が徐々に存在感を増していく。
息をするのも躊躇われた。
一ミリたりとも、動く事が出来なくなった。
物語もまた、一ミリも動いていなかった。。。




