#071 幕間 那古野のとある一日
那古野城二の丸、二の丸御殿。
そこが俺の、いや俺の家族が暮らす生活空間であった。
表向きの機能が一切排除されたこの屋敷は、実にプライベート性の高い作りをしていた。
徒歩にて至る経路は本丸に通じる廊下が一つあるだけ。
それ以外は堀に小舟を浮かべ、裏手より入るしかない。
俺は今、その御殿に設けられたとある書院に篭っていた。
冬場は掘り炬燵にもなる座卓に着き、目の前に置かれた”俺専用の地球儀”と相対しながら。
卓上には細かく割れれた色とりどりの貝殻。
それに漆を付け、地球儀に貼り付けていく。
螺鈿細工の地球儀。
俺の新たな趣味であった。
(意外だが、素人目にも上手く出来ている。これならば後の世の者らも大切にしてくれるかもな)
漸くユーラシア大陸が貼り終え、残すはオーストラリア大陸と南極大陸、それに海洋かぁ、となった頃合い、
「信行様、土田御前様ならびに荒尾御前様、高嶋の局様、帰蝶様、お徳様が参りまして御座いまする」
斎藤龍興が広縁から声を掛けてきた。
(母上に正室と側室の二人、に加え妹のお徳が揃って俺に? ははぁーん、お徳に意中の男が出来たので、その相談だな)
俺は地球儀を回し、ここまでの出来栄えを確認しつつ、
「構わぬ、お通ししろ」
対応を指示した。
頭を垂れ受命を表す斎藤龍興。
ふとその目が、地球儀を興味深く見つめている事に気が付いた。
「気になるのか?」
「恐れながら。何故、信行様がわざわざその様な事を……」
「ふふふ、他人にとっては詰まらぬ手慰みに見えよう。が、これは言うなれば……遥か先の世における”国宝級のお宝”を作っておるのだ(残っていれば、だがな)」
斎藤龍興が呆気にとられる。
俺はその様子を気にもとめず、地球儀をゆっくりと回し続けた。
(ふむ、やはりこの広大なスペースが気になるなぁ。……どうする? 戯れに”ムー大陸”とか書いておくか?)
おもむろに筆をとった俺は暫し考えた後、地球儀に幾つかの文言を書き連ねた。
織田信長が天下一統を目前にして、一五八二年本能寺の変で倒れる。
その後を木下藤吉郎あらため羽柴秀吉(後の関白豊臣秀吉)が天下統一。
そんな世界から転生?した織田勘十郎信行の作。
一九二三.九.一 武蔵国 大地震
一九三三.三.三 陸奥国 大地震・大津波
一九四四.一二.七 尾張・伊勢国 大地震・津波
一九五二.三.四 蝦夷 地震・津波
一九九五.一.一七 摂津・淡路・播磨国 巨大地震
二〇一一.三.一一 陸奥国 巨大地震・巨大津波
「……備えられたし、と」
(国宝や重要文化財をエックス線を使って投影しようとするのは二十世紀に入ってからだろうしな)
俺は書き終え、満足げに頷く。
すると、丁度良い具合に土田御前一行が書院に入るところであった。
途端に、鮮やかな色合いをした小袖が俺の目を楽しませる。
と同時に、クチナシの花独特の甘い香りが俺の鼻をうった。
織田家領内で精製された酒精、それに季節の花を漬け込み作った香水である。
試しに使って貰っているのだが、かなり好評だ。
それを受け、俺が設立した商家「那古屋」での販売が急ピッチで進められている。
土田御前に続いて、荒尾御前と高嶋の局、大きくなった腹が目立つ帰蝶、俯いてはいるが耳まで朱色に染め上げたお徳が書院に入った。
五名は俺に対面する位置で膝を折り畳む。
そして、土田御前はニコリと微笑み、
「人払いを」
とだけ口にした。
(斎藤龍興だけしかいないんだがなぁ……。ま、致し方あるまい)
俺は斎藤龍興に顔を向け、
「呼ぶまで下がっておれ」
「ははっ!」
と命じた。
斎藤龍興は静かに書院から離れた。
その後ろ姿を潤んだ瞳でお徳が盗み見ていた。
「さて、如何いたしましたか?」
俺が理由を問うと、帰ってきた答えは、
「実は、お徳が龍興殿と話す機会を望んでおります」
であった。
刹那、俯いた顔をますます赤らめるお徳。
そんな様子を見せられた今、「すれば?」と冷たく突き放す訳にはいかなかった。
だが俺は、どうしても、
「ははーん、龍興に惚れたか」
と言いたくなった。
まるで、学生がクラスメートをからかうかの様に。
口にしなくても良い台詞をわざわざ口にしたのだ。
途端に、お徳の瞳が更に潤む。
「信行様!」
帰蝶がそんな俺を小声で窘めた。
(おっと、これはやり過ぎたか……)
俺はお徳の歳を鑑み、これ以上巫山戯るのを自重した。
さて、いよいよ真面目に考えねばならない。
お徳は俺の妹である。
それはつまり、織田家当主の妹であった。
軽々しく色恋に耽ることは許されない立場であるのだ。
対する、斎藤龍興は帰蝶の兄義龍の息子、であった。
それだけでなく、近い将来美濃一国を任される立場となる。
(……あれ? 申し分ない相手?)
だがしかし? 先日制定した”織田法度之次第”は近親婚を制限して……あぁ、全然問題ないか。
あれは血が濃くなるのを防ぐ為のものだからな。
となると……
「ふむ、龍興にお徳を娶れと命じれば良いのですな?」
「違います!」
「ごく自然に仲を取り持つ形が宜しいかと」
「寧ろ、龍興殿から望まれる形が最良となりまする」
土田御前が声を荒げ、荒尾御前と高嶋の局が捲し立てる。
「それに、今は傍で見ているだけで満たされるのでございましょう?」
帰蝶がお徳の胸を優しく問いかけ、それに対しお徳はコクコクと頷き返していた。
(この乱世で恋愛かよ! 平和だな那古野は!)
俺は叫ぶのを堪えつつ、
「分かりました。この際ですから、皆で考えましょうぞ」
策を練る事にした。
高嶋の局が、
「これで新作の目処がたちまするな」
と荒尾御前に対して呟いていた気がした。
話し終えた俺達は斎藤龍興を呼び戻した。
そして、彼に一つの使命を与えた。
それは、
「お徳が那古野城下町で書物を探したいらしい。付き合ってやってくれぬか?」
であった。
「書物? はて、お徳様が読まれるとなると、源氏物語の類で御座いまするか? それなれば、お貸し出来まする」
斎藤龍興から想定外の問い。
俺は内心、焦った。
(し、しまった。書名までは考えていなかった)
俺は慌ててお徳を見るも、彼女は首を横に小さく振っている。
仕方なく他の面々に視線を向けると、高嶋の局が小さく頷き返してきた。
その刹那、彼女は龍興に話し始める。
「実は、決まった書物を欲するのはこの高嶋で御座います。お徳様にはこれといった物は無く、気に入った物がある様ならば、それを求めましょうぞ」
「はぁ……して、その名は?」
「はて、何といったやら。店の主に”市松岩戸か市松菊座衛門の新作絵巻物”と言えばわかると思いまするが……」
(市松岩戸に市松菊座衛門って……おいおい、隠語に置き換えると明らかにヤバイ名前なんだが、それ本当に大丈夫なのか?)
俺が心配気に高嶋の局を見つめていると、その隣に座る帰蝶が顔から火を噴いていた。
◇
同じ日の夕刻、同じ書院に数名の人影が額を寄せ合っていた。
座の主と思わしき人物が談合の口火を切る。
「大橋重長、那古野銀行は如何か?」
「はっ! 悪銭からの換金需要は引き続き旺盛に御座いまする」
「悪銭が私鋳とは言え、真新しい銭に変わるのが嬉しいのであろう。お陰で我らは悪銭から金銀を得られる。これぞ、濡れ手に粟、だな」
「左様に御座いまする」
「だが、当初の計画に比べると預金残高が芳しくない」
座の主が苦々し気に言った。
無論、座の主とは俺こと織田信行である。
「はっ! 金を預けると減って返ってくるのが今一つ納得されませぬ様で……」
「であるか。なれば……那古野の民総出で避難訓練でもするか」
「避難訓練? で御座いまするか?」
「あぁ、万が一の為と称してな。近い将来、大きな地揺れが来ると言えば、少なくない民が参加するのでは無いか?」
子供の頃は言うに及ばず、俺が社会人になってからも何度が経験したしな。
多少は理解されるだろう、俺は安易にそう思っていた。
「難しゅう御座いまする。銭で潤った那古野の民とは言え、一日、いや半日遊び惚ける余裕はまだ御座いませぬ」
「で、あるか……」
避難訓練をしている間に賊が入り、下々が銭を預ける事の便利さを知る、という俺の目論見は脆くも砕け散った。
「されど、東海道を使う商家からの預金額が増えておりまする」
「ほう、何故に?」
「それが、公方様が諸国に献上金を命じられたが故かと……」
「ああ、自称官位持ちに官位使用料を寄越せ、というやつだな」
(まるで、現代の商標権侵害ゴロ。いや本家本元が公方様の方なのだから、現代で言うなれば音楽の著作権侵害、みたいだな。勝手に放送したから金よこせ、みたいな)
「左様に御座いまする。その結果、駿河の那古野銀行に莫大な銭が預けられ、それを井口で引き出す者が多くなり申した」
「それはそれは。さぞかし銭の運搬を頼まれた商家供は喜んだであろう」
「まさしく! 表向きは一商家の商いで那古野銀行を営んでいると見せかけている所為か、商家の国でも開いてくれとせっつかれておりまする」
俺は思わず、ニヤリと笑った。
「ふはは、商家の属する領主や国人衆から街道沿いにある港を貰うか、新たに港を拓くことを条件に開設するか? 無論、無税でな」
「それは宜しゅう御座いますなぁ。早速、申し出た商家に話してみまする」
「織田が自由に使える港があれば、いずれその国は織田の物とするに易いであろうからな!」
次の議題は自然と、船に関する物となった。
「佐治殿の水軍衆が志摩の海賊をこてんぱんにしたとか?」
「ああ、その通りだ。南蛮船十隻の艦隊に手を出す彼奴らが悪いのだがな」
「それで……どの様な落とし所をお考えで御座いましょう?」
「ん? ああ、成る程。港を獲れと言うのだな。その様に致そう。だが、その必要も無いかも知れぬがな」
「はて、それは如何なる意味で?」
「なに、志摩の九鬼が靡いてきておる」
尤も、南蛮船の弱点や作り方を盗もうと考えているのがありありとしているがな。
「ほう、それはそれは。金の匂いにつられましたかな?」
「ふふふ、それもあろう。そもそも、舟のない海賊なぞ、陸に上がった河童、だからな」
俺は喉の渇きを覚え、酒を一口啜った。
「時に重長、国友の鉄砲衆が大金を借りに来たそうだな」
「はっ! 何やら大仕事を受けたらしく」
「御主の事だ、返せぬ額を無理に貸し付けたのだろう?」
「め、滅相も御座いませぬ!」
思わず激昂してみせる大橋重長だが、俺はここ数年の付き合いで彼の癖を見抜いていた。
「悪い、口が過ぎた様だな。だが……本当のところは如何なんだ?」
すると、大橋重長は口の端を釣り上げ、
「命を懸ければ、返せる額に止めて御座いまする」
と言ってのけた。
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追伸、初稿作業に入ったで候(活動報告に上げるタイミングを逃した感。汗




