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#070 褒美の品

 永禄五年(西暦一五六二年)六月一日、尾張国 那古野城 評定の間


 この日、


「長きに渡る勤め、ご苦労であった!」


 毛利新助や服部小平太など嘗て俺や兄信長の小姓だった者達が、久方振りに出仕したのである。

 実は彼ら、清洲城にて設けられた学校、その名も”清洲学校”に住み込み、徹底的な高等教育を受けていたのだ。

 尤も、”この当時としては”の注釈がつく程度の内容だがな。

 四書五経の素読から始まり、その理解を進め、今後の統治の礎となるであろう”儒教精神”を植え付ける。

 加えて、日の本の置かれた立場を知らしめる為と称し、教えても問題ない範囲での世界史と地理を学んで貰った。

 勿論、算術に関しても徹底的に教育を施した。

 彼らには数字に明るくなって貰わなくてはならない。

 何故ならば、彼らこそが俺自身が率いる軍団、その”要”である近衛軍団の軍将やら、侍頭となるのだから。


「ははっ! 直々のお言葉を賜り、有り難き幸せ!」


 腰を下ろしていた毛利新助ら三十余名が、一斉に頭を下げた。

 寸分の乱れもなく。

 それどころか、未だに下げた頭が一つも上がらない。

 俺は練度の高さに思わず、目尻を細めた。


「苦しゅうない、面をあげよ」


 再び上げられた顔を、俺はしげしげと眺めた。

 以前までの野趣溢れる顔つきが、未熟さを醸し出す風貌が一変し、内面から溢れ出る知識と自信により鋭利な刃物の如く鋭く引き締まっていた。

 俺は思わず、


(ほう、”男子三日会わざれば刮目して見よ”とは言うが、これ程とはな!)


 心の中で感嘆した。

 その上で、


「其の方らの働き、実に大儀である! また、教育係を務めた青井意足らも”皆、たいそう励んでおった”と褒めておったぞ!」


 俺は激賞する。

 刹那、常在戦場を体現するかの如く若き武士の顔が僅かに緩んだ。

 中には、チラリと隣を見る仕草を見せる者も。

 その微笑ましさに俺も思わず、笑みを零してしまう。


「ふふふ。さて、其の方らは明日より近衛軍を差配する津々木蔵人の預かりとなる。そこまでは聞いておろうな?」

「はっ!」

「なれば話が早い。先ずは長柄、弓、鉄砲、大筒、騎馬、何れかの物頭として二百の兵を預ける。励め!」

「ははっ!」


 ちなみにだが、先程挙げた兵科以外に軍略、旗本、通信、黒鋤、輜重、山窩、河原、水軍、諜者などに細分化され、それぞれに奉行が設けられる。

 配属される兵数は軍略衆、黒鋤、水軍衆、諜者を除いて最低四千としていた。


「それとだ、其の方らに与える物がある」


 俺は広間の入り口付近に控えている小姓の一人、斎藤龍興に合図を出した。

 すると、うら若き侍女が毛利新助らと同数現れた。

 直後、花の香りが広間を満たし始める。


「ほう……」

「なんとまぁ……」


 毛利新助達だけでなく同席していた家老までもが、美しい侍女らに目を奪われていった。

 が、それも束の間。

 彼らの視線は彼女達の手元に移る。

 それぞれの侍女が手にする、球形の物へ。

 その丸い物体は現代日本では有り触れた、とある行事の記念として子供に良く贈られる代物であった。


「なっ!?」

「こ、これはもしや!?」


 途端にざわつき始めた毛利新助達。

 それもその筈。

 木製の、拳よりふた回り程大きい球には世界地図が焼き付けられていたからだ。


「左様、”地球儀”である。那古屋でも未だ売り出していない、珍しき品ぞ」


 しかも地軸の傾きに”大凡”合わせてある。

 ただし、描かれた地図は南蛮人から得た世界地図を参考にしている。

 未発見のアメリカ西海岸や南米の大部分、オーストラリア大陸等は描かれていない。


「こ、このような貴重な物を某めに!?」

「あ、あ、あ、有難うございまする!」

「ははは、大袈裟な。が、この日の本にも幾つもないでな。売り払うことはしてくれるな」

「滅相もございませぬ!」

「末代までの、家宝として扱わせて頂きまする!」


 若き侍達が地球儀をクルクルと回し、顔を紅潮させる。

 その様は実にコミカルであった。


(ふむ、思った以上に好反応だ。次は天体模型でも作らせるか。ハンドルを回すと太陽の周囲を天体が周回する。ついでに、オルゴールも内蔵すればさぞかし人気が出るだろうし。作り方は……岡本良勝らに命じれば何とかなるだろう)


 俺は次なる商材を胸に秘めつつ、話を進める事にした。


「これ、いい加減にせぬか」

「も、申し訳ございませぬ」

「望外の喜びに思わず……」

「話がまだ終わっておらぬのだ。其の方らの先の醜態を青井が知ったら、さぞかし悲しがるのではないか」

「はっ! む、寧ろ、鬼の形相で刺されるやも知れませぬ……」


 毛利新助らは一転して青い顔を見せる。

 なにやら、トラウマが蘇ったかのようだ。

 まるで、お通夜、である。


(短期集中コースだったからなぁ。まっ、色々あったのだろう)


 俺はそんな彼らに、用意していたこの日最後の褒美を取らせ、再び笑顔に戻してやる事にした。


「アレを」


 その合図で豪奢な着物姿の大和撫子が入ってきた。


「これはまた一段と美しくなられましたな」


 津々木蔵人が溜息まじりに褒め称える。

 それに答えたのだろうか?


「信秀様の血が色濃く現れておられる。若侍姿もさぞかし映えるでしょうな」


 柴田勝家が妙な合いの手を打った。

 そう、広間に現れたのは織田信秀の十一女、妹のお徳である。

 母の土田御前や正室の荒尾御前曰く、そろそろ家中の者にお披露目を、と勧められたのだ。


 その彼女が携えるは、織田木瓜の透かしが入った紙束。

 後に文机を持つ侍が続いている。


 俺は差し出された紙束から一枚取り出し、文机に載せる。

 紙の中心には大きく”那古野銀行券壱貫”。

 一貫、現代の貨幣価値に置き換えると十万円だろうか。

 その下部に、俺は自らの名”織田勘十郎信行”と花押を書き入れた。

 これは現代に置き換えるならば小切手もしくはトラベラーズチェック、中世で言うならば藩札もしくは金証、だ。

 それを、


「寸志を授ける。受け取るが良い」


 一人ずつに直接手渡す。

 那古野銀行券紙を押し抱く彼らは再び、顔を赤く染め上げていた。


「ふふふ、地球儀では腹が膨れぬであろう。好いた女子に櫛の一つ、着物の一つも贈ってやれぬであろうからな」

「の、信行様ぁ!!」


 感極まったのだろう、中には涙を流すほど喜ぶ者もいた。




 毛利新助らが評定の間を後にして暫くすると、斎藤龍興が何やら物を言いたげにしていた。


「何だ? 構わぬ、言うてみろ」


 すると、彼は一寸躊躇うも、やがては口にした。


「先程の地球儀なのですが、信行様のとは些か地図が異なり申した。何故に御座いまするか?」


 俺は思わず、ピクリと片眉を持ち上げる。


「日の本、北方の大きな島が御座いませなんだ。加えて、南方の大きな島も、東方の広がる巨大な列島も……」

(……北海道……かな? それとオーストラリア、南北アメリカ大陸の事だな。しまったなぁ、執務室として使っている書院に出しっ放しだったから。それも、現代版の地球儀を……)


 現在小姓として用いているのは、織田家の彦と質として差し出された大名の子弟、加えて大名その人である斎藤龍興である。

 彼らには”帝王学”を学ばせると称し、身近に置いてこき使っ……もとい、織田家の機密に触れさせていた。

 が、現代知識から生まれた地球儀は南蛮人との、いや、南蛮人の国家との商いに用いられる最高機密。

 斎藤と改めて称し、帰蝶繋がりの一門となったとは言え、龍興に知られるには些か不味かった。


(……まぁ、それを出しっ放しにしていた俺が全面的に悪いのだがな)


 俺は心の中で反省しつつ、


「好奇心は猫をも殺す、と言うらしいぞ?」


 幼気な少年を脅した。

 勿論この後、「戯言だ、許せ」と自らフォローもした。





  ◇





 山城国 八幡 男山八幡宮


 将軍足利義輝の前に、主だった家臣が集まっていた。

 三好勢が都を引き払って久しく、その為か、彼らはこうして額を寄せ合い、密事に耽っていられる。


「藤孝、都は如何か?」

「はっ! 六角の兵共は飯盛山に向かい、手薄に御座いまする!」

「政に支障をきたしておるのではないか?」

「それが、伊勢貞孝により些かも……」


 伊勢貞孝とは時の政所執事(まんどころしつじ)、幕府の財政と訴訟を司る長官であった。

 伊勢氏はそれを代々世襲し、政をよく言えば滞りなく治め、悪く言えば壟断(ろうだん)していた。


 細川藤孝の返答により、足利義輝の顔に怒気が浮かび上がる。


「おのれ貞孝! 余の呼び掛けにも応じもせず、六角の下で、我が物顔で権勢を欲しいままにしおってからに!」


 あまりの迫力に、居並ぶ家臣の背がスッと仰け反った。


「か、勘気をお治めくだされ、公方様!」

「何だと!」

「大事の前の小事に御座いますれば、何卒!」


 和田惟政がそれを諌める。

 忠臣の言葉に、足利義輝はしぶしぶ応じた。


「……市井は、下々は如何か?」

「その事ですが、六角の兵が不在故、荒れ始めておりまする。いずれは嘗ての都の如く人の往来が絶え、寂れてしまうやも知れませぬ」

「はて? 貞孝の兵は何をしておる?」

「自らの屋敷と自領にのみ配しておるそうで、些かも顧みている様子は有りませぬ。都の民は呆れ果てておりまする次第」


 それを聞いた足利義輝、此度の会合で初めて笑った。


「ほう? 流石の都の民も、伊勢から心が離れ始めておるか」


 実のところ、伊勢氏に対して、と言うか幕府に対してである。

 だが、この場には敢えてその間違いを指摘する者は居なかった。


「なればこそ、都に戻らねばならぬ。だが、このまま戻ったとして余は傀儡のままであろう」


 違うか? と足利義輝は視線で問う。

 再び、彼に返ってくる言葉は無かった。


 足利義輝はその意味を正確に理解し、言葉を続ける。


「余は最早、嘗ての余に非ず。戦国乱世に生きる将軍也! そはつまり! 余人の力にばかり頼らぬ、と言う事である!」


 乱世の将軍足利義輝は勢いよく立ち上がった。


「余の兵を集めよ! 余の為にだけ戦う軍を設けるのじゃ!」


 そして、傍に置いていた太刀を抜き放った。


「惟政!」

「はっ!」

「山城の国人衆を少しでも味方に付けよ!」

「ははっ!」

「兵を持つには金がいる! 加えて、三好実休めを討ったのは鉄砲とも聞いた! これからは鉄砲よ! よって鉄砲を買い集めねばならぬ!」


 足利義輝は抜き身の太刀の切っ先を、自らより大柄な男に向ける。

 男は慣れているのだろう、微動だにしなかった。


「藤孝!」

「はっ!」

「兎も角、金よ! 官途奉行(幕府における叙位任官を司る)である摂津晴門と共に、諸国の官位詐称する輩に書を認めよ! 見逃してやる代わりに金を献上せい、とな!」


 摂津晴門は足利義輝の妹婿であった。


「そ、それは!?」

「心配無用じゃ! 幕府の権威なぞ、畿内においては地にまで落ちておる! ここでは脅しても金が集まらぬわ! なれば、未だに権威が残る遠国から集めるしかあるまい!」

「は、ははっ!」


 剣先を眼前にちらつかせられても動揺しなかった男が、激しく心を揺さぶられていた。

 それは幕府将軍としての”覇気”にあてられた所為であった。

 だがこの直後、胆力のある家臣すら肝を寒からしめる事が起きた。


「藤英」

「はっ!」


 細川藤孝の異母兄、三淵藤英が熱の篭った声で応じた。


「興福寺と相国寺を訪れよ。余にも、”連枝衆”が必要となるであろうからな」


 連枝衆、血を分けた兄弟で設けられる集団の事だ。

 だが、こと足利将軍家においては、慣例により存在しなかった。

 なぜならば、”将軍を継ぎし者以外は仏門に入る習わし”だったからである。


 三淵藤英は長きに渡る慣例を易々と破る将軍を前に、思わず答えられないでいた。

 その心の内を知った足利義輝は目を細め、理由を語る。


「良いか皆の者。平時の因習なぞ、乱世には無用だ。如何にして目的を果たすか、如何にして家を残すか、を考えねばならぬ。うらぶれた権威では何も為し得ぬ故にな」

「……ははっ!」




 その後、人払いした東屋、その縁側に足利義輝はいた。

 月明かりの下で。

 先程までの余韻が冷めやらぬのであろう、顔が僅かに上気している。

 いや、もしかすると煽り気味に呑む、酒の所為かも知れなかった。


 彼は腹に籠る熱気を吐き出すかの様に一人、胸の内を吐露する。


「あの男に出来て、余に出来ぬ道理など無いわ!」


 また一口、酒を口に含んだ。


「そうよ! 足利はまだまだこれからよ! 三好なんぞに! 織田なんぞにこれ以上! 好き勝手されてたまるか!」


 月が雲に隠れる刹那、浮かぶ面には鬼気迫るものがあった。

--更新履歴

2016/12/02 田中良勝を岡本良勝に修正

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